人攫いの事情
街を出て暫く走っていると、竹林に囲まれた小さな屋敷を見つけた。
「恐らくあれだな‥‥」
次郎が、葵と母親を残して行こうとすると葵が前に出る。
「二人はここで待つのじゃ。必ず茜を取り戻す」
次郎は驚いて「何言ってんだ!危険すぎる!」
と言うと葵は微笑む。
「わらわが代わりに人質になろう。茜を取り戻せたら二人は街へと戻り、兄上は良子と藤子を連れてわらわを助けて下され」
「助けるのは勿論だが、何されるかわからないんだぞ!」
「そこは大丈夫じゃ。わらわは殺されぬ」
「何を根拠に‥‥」
「では行ってくる」
と、すたすたと歩いていってしまった。
次郎は改めて考えた。
自分が行ったとして、どう奪還するつもりだった‥‥
相手の強さも分からない‥‥
強引に強行突破していたかもしれない‥‥
かといって葵一人でどうする気なんだ‥‥
こうなったからには信じるしかない‥‥
葵は屋敷の戸に立ち、どんどん叩き始める。
「誰かおらぬかあ!おらぬなら勝手に入るぞよ!」
誰かが出てくる様子はない。葵は戸を開き、中へ入っていった。
「誰か!おるのじゃろう。顔を見せてくれぬかや」
するとようやく中から三十歳くらいの男が出てきた。
「子供‥‥何か用か」
低い声で凄む。葵は男を素通り、部屋に入ろうとする。
「待て!どこに行く気だ」
「茜というわらべがおるのじゃろう。わらわと交換しておくれ」
「交換だと!何言ってんだ!」
「わらわはこの国の姫、葵じゃ。わらわの方が価値が高いぞ」
「葵‥姫だと‥‥」
「茜は外に出してくれぬか。その代わりわらわが人質となろう」
葵はそう言うと障子を開けた。思った通り茜が部屋の隅で泣いている。
「そなたが茜かや。怖かったであろう。わらわが代わるゆえ、そなたは外へ出るのじゃ。良いな」
茜は震えながら葵の言う通りに外へ行こうとする。男が止めようと近づくと葵がそれを諫める。
「今はわらわが人質じゃ!茜は解放いたせ!」
男は強く言われて何も出来なくなった!その隙に茜が戸を開き、外へ出た!
外で待っていた次郎が素早く出迎えて母親の元へ連れて行った!
茜が母親を見つけて走り出す。母親も茜を見つけて駆け寄り、信じられないという思いで受け止めた。
次郎は二人を守りながら街へと戻り、良子と藤子を探しに向かった。
葵は、どうやらこの屋敷には目の前の男一人しかいないと見抜くと、男に優しく語り掛けた。
「そなた、何故あの娘を拐ったのじゃ」
「それはあ!か、関係ねえだろ‥‥」
「金に困っておるのかえ」
「なんでそれをっ!‥‥いや、なんでもねえ‥‥」
「屋敷を見ればなんとのおわかる。お金に余裕があれば障子の破れも張り替えよう。家具も新しい物でも買ったりしよう。そなたの着ている着物も新しくなっておったじゃろう。じゃが、それが見当たらぬ。それにのお、お金の余裕は心にも余裕をもたらすのじゃ」
男は言われてその通りだと葵を見直す。
「そなただけではない。世の中はの、わらわが思うより豊かではなかったのじゃ。旅を重ねてそれを痛感した。そなたもそうなら、本当に申し訳なかったのお‥‥」
男は葵にそう言われて落ち着きを見せ始めた。
「どうしてお金に困るようになったのじゃ。話しておくれ」
男は動揺する。これが七つと聞いている葵姫か、と。三十歳になった大人の自分が呑まれている。
「オレは工芸家だった‥‥だが、指を折ってしまって‥‥他の職にもつけねえ。それで‥‥それで、人攫いを‥‥」
「そうか‥‥よう話してくれたのお。仕事が出来ぬ辛さは分かるつもりじゃ。骨はいつ折れたのじゃ」
「五日ほど前‥‥」
「ふむ。ちょっと待っておれ。そろそろわらわの身内がここに来る」
「なに!」
「慌てるでない。そなたには手出しさせぬ」
と、間もなく次郎が良子と藤子を連れてやってきた。
「御免!姫様を!‥‥」
と良子と藤子が言いかけたのを遮って葵が、「良い。それより、与平を連れてきておくれ。この者が指を折ってしまってな」
良子と藤子は状況を飲み込んで戻って行った。