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声を聴かせて

作者: 星空


 僕は9歳の時に親に()てられた。

それから施設に保護されて、まがりなりにも高校を卒業することができた。成績はそんなに良くなかったので就職する道を選び、今は小さな工場で働いている。周りの人たちはみんな親切にしてくれて、特に不自由なく暮らしていた。

 だけど、夢や希望は言うまでもなく、未来は明日でさえぼんやりとしていて、時間をもて余した僕は週末の夜だけ路上でギターを()いていた。

時々物珍しげに見ていく人はいるけれど、声をかけられることは滅多になかった。僕も大抵は自分の好きな曲を、気の向くままに奏でているだけだ。

家にいても一人なのは変わらないけど、雑踏の中に埋もれながら弾いていると、何となく誰かと会話しているような錯覚があって、寂しさが(まぎ)れる気がしていた。


「おまえ、弾けんの?」

急に人影が差し、ハスキーな声が聞こえて、座り込んで物思いに(ふけ)っていた僕は顔をあげた。

思いがけないことが起こると、人は言葉を失う。そこに立っていたのは、まぎれもなく瑛二さんだった。

「ちょっと弾いてみてよ」

「…はい」

立ち上がると急に緊張してきて、うまく弾けるか不安になった。僕がイントロの部分を爪弾(つまび)くと、瑛二さんの口元が(ほころ)んだ。

「へえ。知ってるんだ」

まさか、本人の前で瑛二さんの曲を弾くことになるとは…

何度も何度も練習した旋律を夢中で思い出しながら、僕は弾き続けた。聞き終わると瑛二さんは言った。

「もったいないなぁ。もっと楽しめよ」

「え?」

「ちょっとくらい音、外したっていい。おまえが楽しんで弾かなきゃ、聞いてる奴らにも伝わんねーぞ」

「…はい」


─やっぱり、僕のギターは退屈なんだろうか…


憧れの人に言われて、ちょっとショックだった。そんな僕の気持ちを見抜いたように、瑛二さんは僕の頭をぽんと軽く叩いた。

「でも、おまえ、すげーな。絶対外さないのな。俺でも忘れてるのに、そこ、ちゃんと弾きやがった」

瑛二さんは楽しそうに笑った。僕はほっとして一緒に笑った。

「あ。俺、今持ち合わせないから、コンビニでおろしてくるわ」

「えっ、そんなこと、いいですよ」

「いいから。ちょっと待ってろ」

しばらくして戻ってきた瑛二さんは、コンビニの袋を下げていた。

「ほら」

僕に袋を差し出した。おにぎりとサンドイッチ。

「ちゃんと食わねーと、弾くどころじゃなくなるぞ」

「…ありがとうございます」

「今日は用事があるから無理だけど、今度飲みに行こうぜ」

「あ、僕19です」

「…そっか。じゃあメシだな」

瑛二さんは財布から1枚のカードを取り出した。

「俺、夜はだいたいここにいるから」

そう言うと、たたんだ一万円札と一緒に僕の手に握らせた。

「じゃな」

僕は、颯爽とした背中を呆然と見送るだけだった。



 高校の頃、同級生の(たつき)と瑛二さんのライブをよく見に行った。初めて見た時から、僕は瑛二さんの歌とギターに魅了されてしまった。翌日、ありったけの貯金をはたいてギターを買い、ライブ音源を聞きながら毎日練習した。

楽器を習ったことはないけれど、練習を見てくれた音楽の先生には褒められた。


(れん)くん、すごいわね。こんなにすぐ弾けるようになるなんて』


音だけならすぐ取れる。

だけど、指がついていかないもどかしさにいつも焦っていた。


『上手く弾こうと思わなくていいのよ。リズムを感じてみて。ほら、ありきたりだけど、音を楽しむって言うでしょ』


ノーミスにこだわる僕に、先生は言った。また同じことを瑛二さんに言われちゃったな…


 2年前の、高3の夏のことだった。瑛二さんのバンドがメジャーデビューする話が出てると、樹が興奮していたっけ。嬉しい反面、瑛二さんが遠い存在になってしまうような寂しさもあった。 

けれど、いつの間にかデビューの話は立ち消えになり、バンドは瑛二さんが抜けることで解散してしまった。風の噂で瑛二さんは、どこかのライブバーで歌ってるとは聞いていたけど…。

その気になれば、瑛二さんの行方を知ることは出来ただろう。だけど、育った環境のせいか僕は、他人と必要以上に関わることが怖かった。たぶん、また裏切られることに耐えられなかったのだと思う。なのに…


─まさか、また会えるなんて


しかも話しかけられて、ギターを聞いてもらえるなんて、僕にとっては夢みたいな話だ。こんな僕に声をかけたのは、ほんの気まぐれだったのかもしれない。でも、もう一度瑛二さんが歌っている姿を見たいと思い、僕は勇気を出して店を訪ねることにした。



 薄暗い階段を降りていくと、古めかしいドアがあった。思い切って開けると、意外に静かな空間が広がっていた。こぢんまりとしていたけど、このくらいの方が観客との距離が近くて僕は好きだ。

「お、来たな」

瑛二さんが笑顔で僕の方に歩いてきた。

「まだ名前聞いてなかったな」

「あ、(れん)です」

「蓮、後で何曲か頼む。ギターも持ってることだし」

「えっ?」

さらっと言われて僕は驚くしかなかった。

「大丈夫。俺もいるから」

「ええっ?」

いや、そういう問題じゃなくて。て言うか、瑛二さんと一緒にってこと?それはそれで緊張するんだけど…。


─そもそも僕は、瑛二さんの歌を聴きに…


「あの、瑛二さん。僕…」

状況を理解する暇もなく、僕はステージの上に押しやられた。明かりが消えると、瑛二さんが僕に魔法をかけるみたいに言った。

「蓮、まずおまえが楽しむんだ。行くぞ」


 暗闇の中、ドラムのスティックがカウントを取り始めた。僕が最初のコードを弾くと、スポットライトが瑛二さんを照らした。懐かしい声に鳥肌が立った。

僕のギターで、瑛二さんが歌っている…。そう考えただけで、気が遠くなりそうなくらい幸せだった。

あの夜、言われたことを思い出した。


『おまえが楽しんで弾かなきゃ、聞いてる奴らにも伝わんねーぞ』


瑛二さんの声を聴きながらだったら、できそうな気がした。うっとり聴き惚れてしまいそうになる、その一歩手前でぐっと(こら)えて、僕は歌に寄り添うように弦を(はじ)いた。スローテンポの曲を2曲続けたあと、瑛二さんがお客さんに向かって話し出した。

「こんばんはー。楽しんでるー?」

拍手が店内にこだました。

「いつもありがとう。今日は、新しいメンバーを紹介しまーす。ギターを担当してくれる、蓮です」

そう言うと僕の方を向いて手招きした。拍手と指笛が聞こえた。ガチガチのまま、瑛二さんの隣に立つと、耳元で囁かれた。

「何かひとこと」

とてもじゃないけど喋るどころではなく、僕はぺこりとおじぎをした。

「はい、緊張してまーす。コイツ、今日が人生初のステージなんでご勘弁くださーい」

瑛二さんが僕の髪をくしゃくしゃと撫で回した。客席からくすくす笑いと暖かい拍手が起こった。

「じゃあ、後半も2曲続けて行きますねー。ちょっとだけテンポ上げてくよー!」

歓声が上がった。元の位置に戻ろうとした僕を、瑛二さんが引き留めた。


─ここで…?


瑛二さんが目で合図した。

曲が始まり、瑛二さんのハスキーな声が響いた。

いつも一人で弾いてる時にはない高揚感が、僕の中に(あふ)れていた。リズムに乗り体を揺らすと、指の動きも腕の振り方も、自然に曲に溶けていくように思えた。

不意に、瑛二さんが僕と背中合わせになり、少しだけ体を預けてきた。それから僕の肩に手を置いて、抱き寄せるように組むと、僕の顔を覗き込みながら、昔と変わらないあの笑顔で歌い続けた。まるで僕のために歌ってくれてるような気分だった。

ドキドキしながらも、掴み始めたばかりのリズムを追いかけ、体に直接響いてくる瑛二さんの声を感じながら、夢中で弾き続けた。このままずっと、瑛二さんとつながっていたいと思った。

 駆け抜けるように2曲が終わると、歓声と拍手が鳴りやまないステージの上で、瑛二さんは僕をぎゅっと抱きしめた。

「蓮。おまえ、最高だった」

涙が出るほど、嬉しかった。


「金曜日の夜は空けといてくれるか」

それから毎週、僕は瑛二さんとステージに立つことになった。(いま)だに信じられない。憧れの人と話すことでさえ夢のようだったと言うのに、僕の隣で瑛二さんが歌っている。それも僕のギターで。僕に笑顔を向けながら。


 初めてのステージの後、瑛二さんが食事に誘ってくれた。


『ふーん、じゃあ12月で二十歳(はたち)か。そしたら一緒に飲めるな』

『瑛二さん、お酒好きなんですね』

『…まあな。今は量は減ったけど、一時期は飲まなきゃやってらんなかった。おまえも俺のライブを見に来てたんなら、噂ぐらいは聞いてんだろ。この2年は色々ありすぎて、やっと落ち着いてきたってとこだよ』

僕は黙ったまま、ウーロン茶のグラスを(もてあそ)んでいた。瑛二さんも何も言わず、氷がグラスにぶつかる音だけがしばらく聞こえていた。

『…何も聞かねーのか』

『知りたくなったら聞きます。でも、瑛二さんが話したかったら、僕はいつでも聴きますよ』

僕は(ずる)いな。こんなのは偽善だ。自分が踏み込まれたくないから…。

『そっか。サンキュ』

『とにかく、今日は瑛二さんの歌がまた聞けて、僕は嬉しかったです』


 瑛二さんが姿を消してしまってから、僕は寂しくてしかたなかった。だから、今までしまいこんでいた気持ちを吐き出すかのように、僕がどれほど瑛二さんの歌とギターに取りつかれていたかを、ずっと話し続けた。瑛二さんは優しい笑みを絶やさず、楽しそうに僕の話を聴いてくれた。

僕の退屈な日常が、鮮やかな色を取り戻し始めた日だった。


 4度目の金曜日のことだった。店に入ると、見覚えのある男性が瑛二さんと立ち話をしていた。


─陸さんだ


陸さんは、瑛二さんと組んでいたギタリストだ。解散してからは瑛二さん以外の他のメンバーと、新しいヴォーカリストとで活動していると聞いていた。

「おー、蓮」

僕に気がついた瑛二さんが手を挙げた。僕はゆっくり2人に近づいた。

「…こんばんは」

僕はおずおずと陸さんに挨拶した。

「瑛二に拾われたんだって?どんなコかと思ってさ、見に来たよ」

陸さんは屈託のない笑顔で僕と握手をした。女の子がほっとかない甘いルックスとは対照的な、激しい感情的なギター。デビューの話が持ち上がったのは、陸さんの魅力も大きかったと聞いている。

「瑛二、体の方はいいのか?」

思い出したように陸さんが尋ねた。

「ああ、何ともねーよ」

「そんならいいけど」

「…瑛二さん、どっか悪いんですか?」

「あれ?聞いてないの、コイツね…」

「陸!」

瑛二さんは陸さんを(さえぎ)った。陸さんは、はっとして口をつぐんだ。

「ごめん、てっきり話してるのかと…」

「俺の問題だから。俺が自分で言う」

それから本番まで、瑛二さんは一言も喋らなかった。それでも僕を安心させるために、直前になって僕の肩に手を置いて言った。

「終わったら話がある。時間くれ」

「…はい」

「今は集中しろ。今日もよろしく!」

瑛二さんが笑ってくれたので、僕も少し安心した。



「蓮、メシ食いながらでいいか」

「はい」

ステージがはねると、瑛二さんが声をかけてきた。

「家は大丈夫か?門限とか」

「僕、寮なんで。と言っても会社が借り上げたアパートですけど。だから、全然」

「そうか…」

少し驚いた顔の瑛二さんを見て、僕はまだ自分の名前と年齢しか伝えてないことに気がついた。瑛二さんが自分のことを話そうとしてるのに、フェアじゃない気がして、僕は少し罪悪感にかられた。


 連れていってくれた店は、瑛二さんの行きつけらしく、マスターは個室に案内してくれた。

「飲んだこと、あるか?」

僕はかぶりを振った。

「打ち上げも兼ねてるから、ちょっとだけ」

瑛二さんは自分のグラスを僕に勧めた。興味もあったので、恐る恐る生ビールを一口飲んだ。

「にが…っ」

僕が口元を押さえると、瑛二さんが可笑(おか)しそうに笑いを(こら)えてるのが見えた。

「やっぱ、蓮には無理かー」

運んできてくれる料理を少しずつ食べながら、しばらくはとりとめのない話を続けていた瑛二さんは、意を決したように真顔になって言った。

「俺さ、これでも歌えなくなったんだよ」

意味がすぐにわからず、僕には返す言葉が見つからなかった。

「デビューの話があったすぐ後に、喉にポリープが見つかってさ」

ドキッとした。急に背筋が伸びる思いだった。

「検査の結果は悪性だったし、放っておくと、転移したり呼吸もできなくなるかもって言われて。手術することにしたんだけど、どうしても声帯の一部も取らなきゃいけなくて…」

「…そうだったんですね」

「まあ、思ったよりは話せるし歌えるし、それはよかったんだけど、プロでやっていくレベルじゃなくなっちまったんだよなー」

「それで、陸さんたちとは別々に…」

瑛二さんは(うなず)いた。

「あいつらの足を、これ以上引っ張るわけにはいかないだろ」

僕が知らない間に、瑛二さんはこんなに苦しんでいたんだ。後悔の気持ちでいっぱいだった。


─もう少し早く、気づいてあげられたら…


 言われてみれば、いつも選ぶ曲は1回に3つか多くても4つ。そして音域が広くないものばかりだった。人気がある曲なのかなと、呑気に構えていた自分を殴ってやりたくなった。

「…気づかなくて、ごめんなさい」

「何でおまえが謝るんだよ」

「瑛二さんのこと、誰よりも見ているつもりだったのに…」

瑛二さんは、破顔(はがん)した。

「心配すんな。もう死ぬってわけじゃねーから。歌える歌が限られてるって話だよ」

「…あの、『永遠(とわ)に』は無理ですか?」

「あー、あれな…高音がなぁ」

瑛二さんは考え込んだ。

僕のいちばん好きな瑛二さんの曲だった。でも今まで出てきてないから、歌いづらいんだろうな。

「半音下げたら、いけますか。高音はかすれを逆に生かして、伸ばさなくても…」

「おいおい、蓮。走りすぎだって」

「ごめんなさい。いちばん好きな曲だから…」

「そっか。ありがとな。覚えとくわ」

瑛二さんは僕の頭を優しく撫でてくれた。


 食事のあと、川沿いの道をふたりで歩いた。夜風が涼しくて気持ちよかった。

「瑛二さん。ギターは、もう弾かないんですか」

心なしか、瑛二さんの顔に緊張が走ったように見えた。

「…そうだな。俺は、陸に負けたからな」

「負けた…?」

「スカウトしてきた人が言ったんだ。俺は歌に専念して欲しいって。陸は『好みの問題だろ』って言ってくれたけど」

「…そうだったんですか、余計なこと聞いちゃった…」

瑛二さんは、笑顔で言った。

「いいって、もう昔の話だし。俺が勝手に自信なくしてんだよ」

「僕は、瑛二さんに憧れてギター始めたんです。僕は瑛二さんのギター、大好きです」

あの頃の瑛二さんに、伝えてあげたかった。今でもこんなふうにずっと一人で抱えこんで、傷ついたままなんて…

ギターも歌も、失ったわけではないけれど、どうすることも出来ないもどかしさを、瑛二さんが感じていることがとても切なかった。

「…うん、ありがとう」

今にも闇に消えてしまいそうな笑顔で、瑛二さんはそう言って先に歩きだした。いつもよりその背中が小さく見えた。



 翌日の土曜日の夕方、瑛二さんから電話があった。

「蓮、今からちょっと来て欲しいんだ」

「何かあったんですか?」

「陸たちのライブがあるんだけど、陸が出先からまだ戻れなくて。どうしても頭の数曲に間に合わないらしいんだ」

「僕は、どうすれば…」

「おまえ、一度聞いたらコピー出来るよな。陸の代わりに弾いてやってくれないか」

昨夜(ゆうべ)の話を思い出した。


『俺が勝手に自信なくしてんだよ』


「……僕で、いいんですか?」

「頼む」

1秒たりとも迷わずに瑛二さんは言った。僕はギターとジャケットを掴むと部屋を飛び出した。


 息を切らして教えられた店に駆けつけると、入口に瑛二さんが立っていた。

「悪いな、無理言って」

「いえ。僕に出来ることなら」

「とにかく時間がないんだ。俺も手伝うから」

陸さんは2曲終わる頃には、戻って来るだろうという話だった。ヘッドホンを借りて音源を聞かせてもらい、耳と指で旋律を追った。複雑なコードもなさそうだ。聞き終わると僕は言った。

「すみません。2曲通しで音合わせさせてください」

「もちろん!」

ヴォーカルの(しん)さんが笑顔で答えた。

目を閉じて神経を集中させた。さっき聞いた旋律を思い出しながら弾き始めた。瑛二さんは最前列に椅子を持ち出して座って、じっと僕の手元を見ていた。

2曲とも弾き終わると、伸さんが感嘆の声をあげた。

「すげーじゃん、1回聞いただけだよな」

「もうちょっと細かいところ、詰めないと…」

音はほぼ聞き取れた。

でも、陸さんは僕とは違ってもっと情熱的な弾き方をする。瑛二さんは、僕らしく弾けばいいと言ってくれたけど、出来ることなら少しでも陸さんに近づけたかった。

「もう1回やるか?」

「いえ、今のでだいぶ曲の感じ掴めたんで、少し一人でやってみていいですか」

「わかった。必要ならまた言ってよ」

僕はヘッドホンから聞こえる音に合わせて、曲を耳に、体に、覚え込ませた。

「蓮。あと5分だ」

瑛二さんに呼ばれて我に返った。

「あ、はい」

「行けるか」

僕は黙って頷いた。怖かったけど、2曲だけだ。瑛二さんもいる。自分にそう言い聞かせた。

「ありがとな」

瑛二さんに背中を押され、僕はステージへ向かった。


 読み通り、陸さんは2曲目の途中で姿を見せた。僕はほっとして、やっと笑顔で瑛二さんの顔を見ることが出来た。曲が終わっておじぎをしてから陸さんと入れ替わった。

 とても疲れていたのと、緊張からも解放されて、瑛二さんの前で僕は座り込んでしまった。

「お疲れ。よく頑張ったな」

瑛二さんもしゃがんで、僕と目線を合わせた。

「いつもより、ちょっとだけ陸になってたよ」

「…よかった。わかってくれて」

いたわるような瑛二さんの視線に、僕は胸をなでおろした。

「疲れただろ」

「喉が、渇いちゃって…」

「ビール飲むか」

「いや、ウーロン茶で…」

「冗談だよ。待ってな」

体が重かった。やっとのことでフロアの片隅の椅子に腰をおろした。そこで初めて、陸さんたちの演奏を聞く余裕が戻ってきた。

氷で冷えたグラスを僕に手渡して、瑛二さんが言った。

「俺とはだいぶ違うだろ」

「そうですね。伸さんも素敵です」

伸さんは低いけどよく通る声だ。同じ歌でも印象が全く違う。

「この曲は、陸にあげたんだ」

「でも、僕は瑛二さんの方が好きですけどね」

「そりゃそーだろ」

瑛二さんは嬉しそうに笑った。


 ロッカールームで帰り支度をしていると、陸さんが顔を出した。

「蓮くん、今日はありがとう。助かったよ」

「いえ、弾くのが精一杯で…」

「そうだよね。大変だったでしょ。…でも手、抜いた?」

予想もしなかった言葉に、僕は動けなくなった。

「え…?」

「おい、陸。どういう意味だ、それ」

瑛二さんは気色(けしき)ばんで陸さんに詰め寄った。

「…昨日とは別人みたいだったよ。急なピンチヒッターであることを差し引いてもだ」


─やっぱり、僕には無理だった…?


「おまえっ、蓮がどれだけ神経すり減らしたか、わかって言ってんのかっ」

「ごめん。ちょっと嫉妬してるんだ」

陸さんが、僕に?

「瑛二となら、あんなに楽しそうなのにって」

自分の気持ちを見透かされたようで、僕は恥ずかしさでいたたまれなくなった。

「…君は、本当に瑛二のことが大好きなんだね。こんなにも音が違うなんて、すごく(うらや)ましいよ。昨日の君を思い出すと、ジリジリするくらい()けるんだ。…手抜きだなんて言って、悪かった。代役は立派に果たしてくれたよ。本当にありがとう」

「…そんなら、それだけ言えばいいだろ」

「瑛二」

(きびす)を返した瑛二さんを、陸さんが鋭い声で呼び止めた。

「…おまえが弾くのかと思ってたよ」

「無理言うなって。あんな短時間で覚えられるわけねーだろ。蓮にしかできないんだよ」

「それでもさ。俺、おまえになら…」

「…何だよ、それ」

瑛二さんの声音(こわね)が変わって、僕は固唾(かたず)を飲んだ。

「皆がおまえのギターを選んで、俺は、おまえに(かな)わないって思って。だから俺は歌い手になったんじゃねーか。今さら、そんなこと言うのかよ」

「瑛二さん!」

僕は思わず2人の間に入り、瑛二さんの腕にすがりついた。

「…皮肉だよな。やっとのことでギターを諦めたと思ったら、今度は歌えなくなるなんてさ。今さらギターにも戻れねーし、デビューの話も夢で終わっちまったし」

「やめて、お願い」

陸さんは黙ったままだった。


─これは2人の問題だ。だけど、これ以上は…


「何よりも、俺のせいでおまえのギターが(うも)れることになったんだ。俺がおまえの代わりになんて、弾けるわけないだろ…」

「瑛二さん、もうやめて…」

僕は泣きながら訴えた。瑛二さんは僕を優しく抱きしめた。

「バカだな。何で蓮が泣くんだ」


─だって、瑛二さんが泣いてるから


寂しそうに笑う瑛二さんは心の中で、あの時の僕よりも泣いていたと思う。

「…陸。今言ったのは本音だけど、もう全部時効だからな」

「…ばーか。わかってるよ」

陸さんは微笑んだ。

「ごめん。俺も無神経だった」

瑛二さんは陸さんの肩を軽く叩くと、僕を促して店を出た。


「あー、くそ。カッコ悪…っ」

道端で瑛二さんは、しゃがみこんで顔を伏せた。

「あそこまで、言うつもりなかったのに…」

「…でも、二人ともお互いに心残りがあったんですね」

「…俺に弾いて欲しいのは、わかってた」

「そうしても、よかったのに」

瑛二さんは顔をあげて微笑んだ。

「おまえが来てくれると思ってたからな」

「あんな声で頼まれたら…ね。でも、これですっきりしたでしょ」

僕も隣にかがむと、瑛二さんは僕の鼻をつまんだ。

「んんっ…」

「生意気言うなよ、この野郎。さっきまで泣いてたくせに」

「…それは、瑛二さんを一人で泣かせたくなかったから」

「こいつ!俺がいつ泣いたよ」

瑛二さんは笑いながら僕を羽交い締めにした。でもその腕に、後ろから抱きしめられてるみたいで、僕は一瞬、ドキッとしてしまった。

「しかし、あいつが蓮に嫉妬するとはね」

「僕、そんなに違いますか…?」

「まあな」

「…初めて瑛二さんの隣で弾いた時、頭がじんじんして熱くて、わくわくが止められなくて。あんな気持ち、初めてでした。だから、瑛二さんのおかげです」

「そうか…」

穏やかな笑顔で瑛二さんは立ち上がった。僕も後に続いた。

「俺さ、時々考えるんだ」

歩きながら、瑛二さんが話し始めた。

「声を取るか命を取るか。声を選べば、よかったのかもって」

「…わかる気は、しますけど」

「歌うたいから歌を取ったら、(なん)にも残んねーじゃん」

「でもダメですよ、そんなの…だってもし死んでたら、僕とも会えなかったじゃないですか」

「そうなんだよな。…あの時は親に泣きつかれてさー、頼むから生きててくれって。それだけでいいからって」


─生きてるだけで、いい


僕がいちばん聞きたかった言葉。家族の誰も僕には言ってくれなかった言葉。

でも、僕は…

「歌えない俺なんて、めんどくさいお荷物でしかねーだろ」

大きく息を吸い込んで、思いきって言った。

「僕は、瑛二さんがそばにいてくれたら、他に何もいらない。それに、やっぱり生きててくれるだけで嬉しいです」

瑛二さんは笑っていたけど、とても嬉しそうだった。

「…何だよそれ。愛の告白か」

「そんなとこです」


川沿いの道に出た。

「蓮。手ぇ出して」

僕が差し出した手を、瑛二さんはぐっとつかんだ。

「わりぃ、違った。こうだな」

僕の手のひらを自分の方に向けて、瑛二さんは銀色に光るものを僕の薬指にそっと通した。

「これ…」

「俺のそばでずっと、俺の歌聞いてたヤツだから。おまえにやる」

瑛二さんがいつもつけていたシルバーのリング。いつも一緒で、瑛二さんのギターも歌も全部知っている。僕にはぶかぶかだったけど、そこに瑛二さんがいてくれるようで嬉しかった。

「おまえの指、長くてキレーだな」

「そうですか…?」

「ギター弾くのに映えるっていうか…」

そう言うと瑛二さんは優しく微笑んで、つかんだ僕の手を愛おしそうに頬に寄せた。それからそっと唇を押し当てた。

「大事にしろよ。おまえと、おまえの手に何かあったら、今度こそ俺はおしまいだからな」

「…はい」

「…俺も、おまえがいてくれたらそれでいい。いつも隣で笑ってくれてたら、もう何もいらない」

僕も微笑んだ。

「少し(ゆる)いな」

「人差し指なら、大丈夫」

はめなおしたリングに、僕はそっと口づけた。

「お守り」

僕が言うと、瑛二さんはまたくしゃっと笑った。

 

「…じゃあ、また金曜日に」

「蓮」

歩き出した僕を、瑛二さんが呼んだ。

「悪いけど、『永遠(とわ)に』はライブではやらない」

「…やっぱり、キツイですか?」

「いや。おまえのためだけに、歌うことに決めたから」

僕は嬉しくなって瑛二さんに抱きついた。

「じゃあ、生ギター付きで」

「そう来たか」

瑛二さんは笑いをかみ殺していた。

「真面目に言ってます。僕にだけ、聴かせてください」

「わかった、わかったよ」

 ありのままの自分を受け入れてくれる人に出会うことは、奇跡に近いものがあると思う。ましてや僕らはつい先月までは、一本の細い糸でかろうじて繋がっていた他人に過ぎなかった。

でも、その手の温かさを信じて今はこの人と一緒にいたい。心からそう思った。


Fin

最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。


 最初の設定では、瑛二さんはもうちょっとダルい感じのキャラだったのですが、だいぶ男前になってしまいました。蓮くんも、他人との関わりは苦手なものの、瑛二さんのことは信頼してるので、そこまでいじけることもなく、結果的にはバランスが取れたかなと思ってます。

 自分が蓮くんくらいの時に憧れてたアーティストのことを、思い出しながら書くのは楽しかったです。自分で書いてて、蓮くんが羨ましかった…。

 なるべくBL寄りにならないように、でも憧れの人にこんなこと言われたり、されたりしたらドキッとするかなとか、絆としてはありかなとか色々悩みながら形にしていきました。

 自分の中ではだいぶ盛り上がってて、これを書き上げた時にすでに続編の3/4くらいが出来てました。単独でも書きたいことは全部書いたつもりでしたが、その先の話も書いてみたくなったので…。でも、やっぱりBLにはなりませんでした(笑)

瑛二さんの想いも蓮くんの成長も書けたので、これはこれでまた近いうちにお披露目できたらなと考えてます。

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