第二章──出兵Ⅰ
第二章 出兵
Ⅰ
「帰って来たら駆けっこをしような」竹田政夫は我が子の寝顔を覗き込みながら囁いた。
「あなた、日出雄は生まれてまだ一ヵ月ですよ。駆けっこなんて…」妻の牧子が乳を飲ませながら言った。
「けれど…いつ帰れるか分からないからな…。生きて帰って来れるかどうかも…」
「そんな──そんなこと口にしないでください…」牧子は顔を曇らせて政夫の顔を見た。
「そうだよ。そんなことを言うもんじゃない!」話を聞いていた政夫の母親タカが、ふすまを開けて隣の部屋から入ってきた。「いくらお国のためだからって、こんな小さい子を残して死ぬんじゃないよ。非国民と呼ばれたってかまやしない──戦争で家族を奪われるのは絶対に御免だ!」
「母さん…俺だって死にたくはないけど…」
「だったら必ず生きて帰っておいで。…とは言うものの──いつ死んでもおかしくないのが戦争だ…」タカはそう言って懐からセルロイド製の黄色い石鹸箱を取り出した。「これを持ってお行き…」
「石鹸箱──俺の名前が彫ってある」
「派手だろう?──きっと誰より目立つだろうよ…」
この時、タカがどんな思いを秘めてこの石鹸箱を持たせたのか──政夫には知る由もなかった。