歪んだ絵は美術室にある
この話は実話を基に作られています。
きおーつけーれい、ありがとーございました
たった今六限目の授業が終わった。今日は金曜日であり、生徒たちはやっと学校から解放されると安堵していた。教室には週末の予定を話す生徒や体を伸ばす生徒、そそくさ帰る生徒など様々な生徒がいる。
「朔はどうする?」と森谷が聞いてきた。
「どうするって何がだ。」
「美術だよ。終わったのかい?」森谷はきょとんとしている。美術......そう言えば何か課題があった気がする。
「朔、その顔は何も分かってないね。」森谷はやれやれといった様子だ。
「授業で今書いている絵があるだろ?何か授業が足りないらしいから放課後にやれとよ。」なんだそれ。初耳だ。
「それはいつ伝えられた?俺は聞いてないぞ。」
「ん?結構、前に言われてけどな。で、今日は残るのかい?」俺は首肯した。
「じゃあ、鍵取ってくるから。」そう言い残し森谷は職員室へと走って行った。
それにしても聞いてないぞ。俺は教科書を鞄に入れながら、連絡係は誰だったかなと思いだそうとしていた。少しすると森谷が戻ってきた。
「取ってきたよー。」
「ありがとな。」
美術室は教室の真横に位置している。
開けると、そこは冷気で満ちていた。教室はそこまでなかったが....
「やっぱり、人がいるかいないかだけで全然違うね。」俺の気持ちを読んだように森谷は言う。
「朔は顔に出やすいね。」森谷は悪そうな笑顔を浮かべている。
「会話の必要がないくらい。」そこまではないだろう。森谷の悪そうな笑顔が深くなった。俺は慌てて表情を通常に戻す。
「冗談だよ。半分は本当だけど。」森谷は笑ってるが、そこまで露骨に表情に出ているとしたら笑えない。
「絵はどれくらいで終わりそうかい?」俺は乾燥棚から自分の絵を引き出した。絵は下書きは終わっている。あと何日かかるか.....俺は考えるのを放棄する。
「さあな。終わりは見えないな。そっちは?」金曜日なのに憂鬱な気分だ。
「僕は色塗りがあと半分くらいだね。」森谷が見せてきた絵は広い面積の色塗りが終わっていてあとは細部のみという感じだった。しかし、よくできている。絵の中央に永久階段があり、骸骨が永遠的行進をしている。その周りには火の玉や妖怪らしき存在が配置され、一つ一つの完成度が高い。不気味だが、よくできている。
「どうだい?うまいだろ?」森谷が得意げに聞いてくる。
「あぁ、そうだな。しかしどうしたらそんなに不気味に描けるんだ。」
「実は僕はあやかし研究部に入ってるのさ。」森谷はいつもこの手の冗談を言ってくる。まぁ、俺は何もつっこまないので展開性のない冗談なのだが。誰かの足音が近づいてきた。その誰かは美術室に入ってきた。俺と森谷は振り向く。女子三人組だった。米沢、松岡、飯田の三人だ。この三人はいつも一緒に行動している。別に親しくも何もないので俺は色塗りの準備に取りかかる。
「皆はどれくらい終わったかい?」森谷が女子三人に話しかける。
「私はあと少し。」米沢が答える。
「私もあとちょっとかな。」松岡も続けて答える。
「私はまだまだかかりそうだけど。」小さい声で飯田も答える。
「ふーん、どんな絵?ちょっと見せて。」森谷は女子三人に近づいていく。森谷にはこうゆうところがある。社交的で誰とでも話せる。他学年のやつともよく話している。何故、俺みたいなのとつるむのだろうか。気づいたら、いつも森谷がいた気がする。俺は筆を水につけ、雑巾に余分な水分を吸わせて、青い絵の具をつける。そして、ムラができないように均等に塗っていく。
どのくらい、そうしていただろうか。集中していて周りの音が聞こえなくなっていた。目の前に紙と絵の具がある。それだけで俺の世界は完結していた。
「里奈ってうざいよね。」その毒気を含んだ言葉によって世界は壊された。そのとたん音が蘇ってきた。部活の掛け声、車の走る音、蛍光灯の震え、椅子の軋み。
俺は声の方を勢いよく振り返った。声の主は松岡だった。
「何?浅井君。」
「いや、何もない。」
俺は何事もなかったかのように作業に再び取りかかったが、集中できなくなった。
「波川ってうざいよね。そう思わない?」松岡が毒気を含んで周りに問いかける。
「そうだよね。マジそう思うわー。」米沢は同意をする。
「私もそう思うかな....。」飯田も控え目に同意する。
駄目だ。女子の会話のせいで集中できない。俺は筆を置いた。
「波川さぁ最近、機嫌悪くない?」
「そうそう、それな。変なところで怒ってくるよね。」
「この前のあれ、何で怒ったかマジで理解不能だったわー。」
女子はこういう会話が好きだ。そうじゃない女子もいるが。
「だって、質問しただけだよ?計算間違えてますよって教えただけなのに。」
「異常だわ。波川、奥さんとうまくいってないんじゃない?」
「最近、結婚したばっかなのに?」
「そうだよ絶対。公私混同だっつーの。」
「こうしこんどう?」
「えっとー、私生活を学校に持ち込むなって話。」
完全に集中は切れた。時計を見た。五時前だ。森谷を見る。森谷は目を見開き、絵にぎりぎりまで顔を近づけて塗っていた。どうやら自分で描いた下書きが細かすぎて手こずっているらしい。集中力をなくした俺はぼーっと宙を見つめていた。
ドアが勢いよく開いた。立っていたのは藤岡だった。
「よう、朔ちゃん。元気にしてる?」藤岡は簡単に言うといつも元気なやつだ。
「うん。」とだけ答えた。
「なんだよー、ノリ悪いな。いつもだけど。」笑いながら森谷の絵を覗く。
「おわっ、スゲェ。いやスゲェな。」もう一度言うが、藤岡は元気なやつだ。
「へへっ、どうもどうも。」森谷は満更でもなさそうだ。
「ところで、達也は終わったのかい?」
「何もしてねーよ。誰だと思ってるんだ。俺だぞ。」そんなに誇ることではないと思うが。
「ねぇ、藤岡くん。教室ってどれくらい残ってる?」松岡が問う。
「結構、.........何かの委員会でいるぜ。今は外で活動してるけど。」
「そう。ありがとう。」松岡は再び絵に取りかかる。
「そんじゃ頑張れよ。」そう言い残し藤岡は去っていった。俺はお前が一番頑張れよ、と思ったが口に出さずにしておいた。
さて、どうしたものか。集中が切れているときに作業をするのは効率的ではない。とりあえず、俺は休憩することにした。この調子だと何日かかるのだろうか。
秒針のチッ、チッ、チッという音に耳を傾けてみたりする。
「今日はここまでにしますかー。」松岡が席を立って片付けを始めた。
「じゃあ、そうしますかー。」飯田と米沢も松岡の意に沿う形で片付け始める。
俺は秒針に耳を傾けている。
「じゃあ、鍵よろしくね。」
「うん。」森谷が絵から目を外さず答える。女子三人組は美術室から出ていった。廊下の話し声が遠のいていく。廊下からの話し声が完全に聞こえなくなったとき、美術室は不思議なくらいに静かになった。森谷の筆の音だけが美術室に響く。
「なぁ、朔。」森谷が筆を置く。
「なんだ?」
「さっきの言葉の意味、なんだと思う?」
さっきの言葉?俺は記憶を遡るが何のことだか分からない。
「さっきの言葉ってのはなんだ?」俺は純粋に問う。
「松岡さんが藤岡にした質問だよ。」
松岡が藤岡にした質問。その言葉を頭の中で反芻する。そして記憶を遡る。
「あぁ、分かった。教室にどれくらい残ってるかって質問だろ。それがどうかしたのか。」森谷は何が言いたいのだろうか。
「おかしいと思わないかい?朔。」
「一体、何がおかしいんだ?」
「だって教室にいる人数を聞いて何になるんだ?」俺はその言葉の意味を頭に浸透させる。確かに一見してその質問の必要性が見いだせない。俺は少し考える。
「教室に用事があるやつがいたんだ。」
「それじゃあ、その用事のある人がいるか聞けばいいじゃないか。」森谷の話し方が熱を帯びてくる。
「教室にいる人数を聞いて何になるんだ?教室に用事があるなら帰るときに済ませればいいだろ?ずっと気になっていたんだ。それに帰るときは教室に目もくれないで帰ったじゃないか。」そこまで一息に言うと、森谷は咳払いして続けた。
「そこでだ。」森谷は人指し指を立て、得意そうに言った。
「僕の推理だけど、松岡は教室に何か秘密があったんだ。」
「秘密?」
「そう。誰にも見られてはいけない秘密がね。だから教室の人の存在を確かめたのさ。誰もいない教室じゃないと出来ないこと.......例えば、不要物を持ってきていたとか、教科書を置いて帰るとか、まぁそこは完全には分からないけど。」
少し間があく。
「どうだい?僕の推理は?」森谷は満足そうなので、否定はしたくないのだが....
俺は小さいため息をつく。
「二つある。まず、森谷の推理における質問の必要性についてだ。もし教室に誰もいないことを確認したいなら、帰るときに教室を見ればいいじゃないか。逆に藤岡に質問する方がかえって不審がられる。どうだ?」
「それはそうだけど........」森谷は口ごもる。
「二つ目だ。」俺は間髪入れずに説明していく。
「今は五時すぎくらいだが、生徒は五時半までに帰らないといけない。つまり、待てば誰もいなくなる状況は出来上がるので、わざわざ藤岡に聞く必要はない。」
秒針の音が美術室に響く。森谷は顔に手をあてて考えこんでいる。どのくらいそうしていただろうか。森谷は長いため息をついた。
「僕の仮説は完全に否定されたね。」
「じゃあだ、」森谷はわざと一息置く。
「朔は、ある質問の目的は何だと思うのかい?」
俺は.............少し考えてみる。
まず、松岡には何か目的があったことには間違いなさそうだ。しかし、その目的が分からない。何のために?必要はあったのか?交錯してた情報を整理する。
松岡は教室の人数を尋ねた。
場所は美術室。
時は放課後。
教室に見向きもせず帰った。
女子三人組だった。
残っていたのは学級委員だった。
点は沢山集まっていた。そして集合場所を知っているようにそれぞれの位置について、やがて.............線になった。
俺は、分かった。多分だが、これしかない。
「森谷。多分だが大体分かった。」
森谷は何も言わない。俺の答えを待っているのが感じられる。
「松岡は、誰かの悪口を言いたかったんだ。」
「えっ.......」森谷は世界の果てを見たような顔をした。
「森谷の推理が役に立った。松岡は普通に教室に用があったわけでもなく、誰もいない教室に用があったわけでもない。とすると、松岡は教室自体に用があるわけではない。」
森谷は静かに続きを待っている。
「とすると、松岡は美術室にいながら教室のことを知る必要があったんだ。美術室にいながら教室のことを知りたい.......そこから導き出される答えは一つ。」
森谷と目が合う。
「誰かの悪口が言いたかったんだ。そして、その人物が教室にいるか確かめたかったんだ。」
「それだったら帰り道に話せばいいじゃないか。」森谷が素早く反論してくる。
だが俺は森谷がそう反論してくることを知っていた。
「そう、その通りなんだ。そこが重要なんだ。」
森谷はまたしても何も言わず、俺の答えを待っている。
「松岡が藤岡に質問したのはある程度ダメ元だったんだ。そこからどんなことが分かるか?松岡は悪口を早く吐き出してしまいたかった。そこまでして悪口を言いたかった。」
「だけど松岡なら小さい声で悪口を言いそうじゃないか?そこから何が分かる?松岡が悪口を言いたい人物はあの女子三人組と深い関わりがあったんだ。だから全く人気がない場所で話を切り出したかった。慎重に話をしたかったんだ。」
時計の針は五時半を指していて、生徒は帰らないといけない時刻だ。しかし、森谷も俺も構わなかった。
「まとめると、松岡はあの三人組と親しい人物の悪口を言いたかったんだ。それも早く言いたかった。だからダメ元で藤岡に変な質問をしてしまった。結局、ダメ元はダメ元に終わったわけで、そそくさ帰った。多分、今頃悪口を言ってるだろうよ。」
森谷は一つ、深呼吸した。
「そういうことか.......。」
もう五時四十分だ。辺りはすっかり暗い。
「スッキリしたよ。名探偵朔だね。」森谷は冗談とも本気ともつかぬ顔で言った。
俺は「あくまで可能性としての話だ。」と言った。
校舎には美術室と職員室の明かりだけが灯り、寒さが廊下を満たしていた。
そして美術室の絵は未完成のものばかりだった。
読んでくれてありがとうございます。
皆さんも日常の謎を探して見ては?