本当はわかっている
私の名前はバジル。バジル・ミラーグース。実家は映えある獣人の国の侯爵位を賜っている。私はその家の長女として生まれた。上には兄が2人。虎の獣人だ。
「これはバジル嬢。本日も相変わらずお美しい。貴女の魅力は日々高まって行くばかりですな」
目の前の名前を覚える価値も無い、人に媚び諂う事にしか能がない男を見つめる。
「光栄ですわ。では、この書類に関してのご説明を」
「ああそうですな。ではその前に我が家自慢の温室などご覧になられませんか?丁度我が家にはバジル嬢と年が近い息子がおりましてな。ぜひ案内をさせて頂きたいと……」
「結構です。書類のご説明を」
取りつく島の無いこちらにぐっと息を飲んだ男はそのままチラリと後ろに視線をやる。全く、愚かだ愚かだとは思っていたがよもやここまでとは。
「無駄な事はおよしになった方が宜しいかと。これ以上は流石に無様ですわ」
「なっ……!言わせておけば小娘!そもそも多少の横領や脱税は貴族なら誰でもやっている。それこそ貴族の嗜みだろう!私の何が悪い!」
そう言って隠れている(つもりの)用心棒なのか何なのか知らない男達に合図を出し、私を捕らえろと騒いでいる男へと向かって言った。
「悪いのはお前の頭だよ」
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余りにもあっけなさすぎてうんざりしながら問題の男共を縛り上げていると背後の扉がバン!と勢いよく開く。
「バジル!!」
振り返れば肩で息をつくフューが立っていた。
「問題ないわ。捕縛も完了しているからあとはこの能無し共を運ぶだけよ」
彼がこちらへ向かっているのは気付いていた。足音はしていなかったが激しい羽音がしていたので少しでも速くこちらへ向かう為獣化してきたのだろう。
ーー馬鹿ね
そんな事しなくても私は負けない。伊達にミラーグースの血を継いでいる訳ではないのだ。
「ああ、ごめん………ごめんねバジル。また君1人にやらせてしまった」
そう言って泣きそうな表情をしながら震える手で私の手を取る男。そして呟く様に「無事で良かった……」と溢す。
ーーやめて
「後は僕と部下がやるからバジルは休んでて」
ーーやめて
「どこも怪我はしてない?」
ーー私よりも弱いくせに
フューに握られている手をパッと離し、眉を寄せ部屋を出る。フューはほっとした表情をした後に事後処理をする為にきびきびと部下へ指示を出し始める。
「流石バジル様だ」
「お一人でこれだけの人数を……」
「本当に味方でよかったよ」
「ああ。バジル様に任せればどんな敵でもすぐに滅ぼしてくれるものな」
ヒソヒソと囁かれる声に気付きながら私は調査書を書き上げる為帰路についた。
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「ふぅ」
書き終えた書類のインクを乾かす為横へとずらし、疲れた目を閉じた。
私はエキナセア様が好きだ。好きな物が何かと問われればお嬢様だと即答する程にはお慕いしている。彼女は我がミラーグース家が執着する岩兎にどこと無く似ている。色彩が茶色と灰色だというのもあるが雰囲気というか、仕草というか。何となく岩兎を彷彿とさせるものがあるのだ。
ーーお嬢様に会いたい
岩兎は食べる事は勿論愛でる事も好きだ。しかし岩兎から見ればこちらは捕食者以外の何者でも無く、私が愛でようとしても怯えて近付いてくれない所か酷ければ恐怖でショック死する。流石にあの時は私も落ち込んだ。しかし、お嬢様は私を怖がらないし厭う事もしない。むしろ優しく私の名を呼び、頼り、慕ってくれる。今まで満たされる事の無かった庇護欲がお嬢様と出会った事によって心から満たされ本当に幸せだ。彼女に対し恋情を抱いているとか、そういう事では無い。私は『エキナセア』という1人の人間を愛し、守り、慈しみながら独り占めしたいのだ。
逆に、嫌いな物はと問われればこちらもナスタチウムだと即答するだろう。ああ、今は『ディル』だったかしら。お嬢様に名付けして頂くなんてなんて羨ま……忌々しい。あの男とは昔から好きな物が度々被る。そしてどちらも独占欲が強く譲らない性格が災いし、会う度に取っ組み合いの大喧嘩をしたものだ。婚約者最有力候補だなんだと言われていたが冗談じゃない。お嬢様と出会ってからはお嬢様を独り占めしようとするあいつがますます嫌いになった。しかし仕事は別だ。上司としてならあれを尊敬しているし、信頼もしている。公私は分けますとも。ん、これはディルからの苦情?ああ、お嬢様との待ち合わせ時間がずれていた?それはごめんあそばせ。
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「ねえ、バジル」
「何でしょうお嬢様」
目の前では私の最愛の人、エキナセアお嬢様が優雅な仕草で音も無くティーカップを置く。高位貴族の私がこの方を『お嬢様』と呼ぶ事に眉を顰める者も少なくない。しかし私は決めたのだ。モロノートン国でお嬢様の侍女の真似事をした時、自分が求めていたものは『これだ』と。この国を出た後も私は一生お嬢様に侍女の様にお仕えしよう、と。
「その………フューの事なんだけど」
「フューですか?あれが何か失礼な事を?」
もしそうならあの鳥の首を後で締め上げねば。
「ああ、いえ。違うのよ。ただほら、フューは度々……というか毎日の様に貴女に告白?求婚?をしているでしょう?あの行動が冗談なんかじゃなくて本気なんだっていうの、バジルは気付いてるのよね?」
お嬢様の言葉にこくりと頷く
「ええ。むしろあれが全て冗談だったのなら奴は今頃この世に存在していないでしょうね。私は家族からそれなりに可愛がられておりますので」
「そう………」
確かに、気付いている。あの暑苦しい程の熱量を全てバジルへの想いへと向けてくる純粋な男。間抜けで、能天気で、お人好しで、喧嘩が驚く程弱い。その癖妙な所で察しが良かったり、誰よりもバジルの身を案じる男。
はぁ
思い出して少しため息が出た。するとそんな私の様子を見てお嬢様は慌てた様に話す。
「あ、ごめんなさい。こういった話が苦手ならもういいの。貴女から無理に聞き出そうとかそういうのじゃないの」
「ああ、いえ。大丈夫ですよ。ただあの毎度毎度繰り広げられる求婚を思い出しただけでございますので」
するとほっとした様に肩を下ろすお嬢様。今の動きは特に岩兎に酷似していた。素晴らしいわ。
「あの男の気持ちには、正直かなり昔から気付いているのです」
「あら、そうなの?」
「ええ。今まで媚を売られたり、口先だけ褒められ内心では恐れられるパターンの方が多かったのでああもストレートに好意を寄せられて驚きました。そのせいで咄嗟に妙な事を口走ってしまった事がある程です」
それを聞いてクスクスと笑うお嬢様。
「まあ、一体どんな事を口走ったの?」
「あの、それは………どうかご容赦下さい」
流石に恥ずかしい。いくら気の置けない友人から紹介された相手とは言え初対面で「弱そう」等と。流石にお嬢様に呆れられそうで怖くて言えない。
ーーしかもそれに対して全く怒らないし
それはもう、本当に初めてのタイプだった。どうしていいかも分からずとりあえず距離を取ろうと思うのに、あの男と来たらまるで親鳥の後を追う雛の様にバジルの後ろを付いて来るのだ。
「…………フューの事は好きではないの?」
お嬢様の言葉に目を瞬く。懐かしい記憶を思い出してしまった。
「まあ、伴侶になってもいいかなと思うくらいには心を許していますね」
「そう…………って、えぇ?!え、ちょっと。バジル………」
わたわたと慌てふためくお嬢様が愛らしい
「ふふ、なんでございましょう」
「私の記憶が正しければ貴女、今までの数えきれない程のフューからの求婚………ばっさりじゃなかった?」
「まあ、そうですね」
「?」
「ただ好意を伝えるだけではなく、力づくででも連れ出すくらいの気概で来て欲しいのです。そして私を倒して連れ出してほしい」
私の返答を聞いたお嬢様は珍しく可愛らしい口元をぽかんと開いたまま小さく呟いた。
「………過激なのね」
「ふふ、ええ。なにしろわたくし、戦闘狂の女なもので」
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きっと、この想いは誰にも理解されないのだろう。漸く見つけた私の、私だけの宝物。本能では常に貴女を求め、いっその事貴女以外は何もいらないとまで思う程なのに。理性はそれが貴女の為にならず、貴女の望む事でない事も知っている。貴女が欲しいし、貴女の望む事は何でもしてあげたい。だけど私の望みと貴女の望みは違うし、私の幸せが貴女の幸せだとは限らない。
本当はわかっている。自分が歪で、異様な事も。他人から理解も同意も得られない悍しい女なのだという事も。
本当はわかっている。もう限界なのだと。彼女は彼女の幸せに向かって進み出しているし、私は邪魔立てする事なく笑顔で送り出すべきだと言うことを。どうしたって彼女は私だけの彼女にはならないと言う事を。
本当はわかっている。こんな私が唯一「伴侶になってもいい」だなんて感情を抱くのは後にも先にも馬鹿みたいに私の事を考えてくれるあの男だけなのだろうと言う事も。
本当はわかっている。きっと最初に出会った時から私は貴方に堕ちていた。でも、こんな可愛くも何ともない性格の私では素直に認める事が出来ないのだ。
本当はわかっている。流石にもう、隠し通せない。だからせめて、せめてあともう少し。我が血族に流れる執着へ打ち勝つその瞬間までは待って欲しい。そして私が見事執着との勝負に勝利を収めたのなら、その時こそ私から貴方を押し倒してでも伝えよう。
わたしも貴方の事が好きだ
と。ああ早く、早くこの最後の悪足掻きに終止符を打ちたい。その先に貴方が待っていてくれるのならば、執着を失い心を殺す日々も怖くない。ただ、そうなった場合、恐らく次の執着先は貴方になると思うのだけれど。
「フィーバーフュー、こんな女に狙われる事になってしまった可哀想な男」
貴方は本当に私の全てを受け入れてくれるのかしら。
別に百合とかそういう訳では無いです。ただただどうしようも無い執着心が身体を支配してしまい、思い通りに行かずに苦しんでいる感じです。