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美術の思い出

作者: 日下千尋

私は村山京子、16歳今年の春に公立高校の美術科に入学した。

元々絵が大好きできっかけは保育園の時、クレヨンで父と母の絵を描いて先生に褒められたことだった。

それがきっかけにいろんな絵を描き始めるようになってきた。

大好きなアニメキャラ、祖父母の絵など。

小学校に入って、初めて水彩絵の具を使うようになった。

ちょうど母の日が近かったので、私は母の似顔絵を書いてみた。

周りを見渡すと私よりも色の種類が豊富な絵の具を使っていた。

私が持っていた色の数はたったの10色。これじゃみんなにかなうわけがない。

私はある色だけで、可能な限りいろんな色を作り、絵を仕上げていきました。

出来上がった絵は母の日に駅前のホテルのホールで展示することになった。

市の教育委員会が評価し、一番良かった絵に優秀賞として症状と記念品が贈られてくることになっている。

しかし、私はそのような賞には全く興味がなく、きちんと完成していればそれ以上何も望むことはなかった。

月曜日の朝礼で母の日の絵画コンクールで優秀賞が届いたので、その伝達が行われた。

その賞に選ばれたのが私でした。校長先生が「表彰状 優秀賞 村山京子殿、あなたは母の日の絵画コンクールで大変印象に残る素晴らしい作品を描かれたことを、ここに賞します。 神奈川県藤沢市教育委員会 委員長 菅井勝」と渡された賞状の他に記念品らしきものももらった。

帰宅して記念品の中身を見ていたら、立派な額縁が入っていた。

おそらくもらった賞状を飾るものに違いないと思った。

小学校の私にとっては、正直嬉しいものを感じなかった。もっと実用できるものが欲しかった。

6年生になってから初めて男の先生に当たった。

先生は絵を描く時にこういう条件を出してきた。それは赤、青、黄色、白、黒以外は使わないこと。

この5色はどうやっても自分では作れない、しかしそれ以外は混ぜれば作れるという理由で、5色しか使わせてもらえなかった。

クラスからはブーイングが飛んできた。でも、決めたことには従うより他はなかった。

先生の名前は大田浩二先生と言って、生徒にとても人気がありました。

その日の図工の時間では5色の絵の具を使った色づくりでした。

紫、ピンク、ライトイエローなど、基本的な色から、深緑、藍色なども作って遊んでいた。

中には見たことのない色を作って、自分で名前を付けている人もいました。

大田先生が「これは何色?」と聞くと林田君が「これは血が固まった色、そしてこっちはカビの色、これはりんごが傷んだ時の色」など色を発明していきました。

さすが男子、色の発明家だと思いました。

横にいた、土屋さんは落ち着いた感じの色を次々と作り上げていった。

私はというと、地味な色ばかりだった。

出来上がった色は画用紙に塗られ、教室で展示されたのだが、一人鮮やかなスカイブルーを作った色を見かけた。私はこのスカイブルーがどうしても気になった。

自分で作った色とは思えなかった。

ユニークな色がたくさん並んでいる中で、このスカイブルーだけが異常なほどまでに目立っていたのが不自然で仕方がなかった。

画用紙の下に貼ってあった名前の髪を見ていたら、内山洋子と書いてあった。

ああ、あの家が金持ちでなんでも買ってもらっているお嬢様か。その時、私の中でちょっとしたいたずら心が芽生え始めてきた。

クラス全員で貸し切りバスに乗って湘南の外れにある自然公園まで写生大会に向かった。

テーマは自由、自然公園にあるものなら何でも描いていいという指示が出ていた。

もちろん、色は赤、青、黄色、白、黒以外は使わないことになっていた。

内山は噴水のある広場を描くことになっていたので、私も少し離れた場所で同じ絵を描くことにした。

どこかでボロが出るのではないかと、目を光らせていたが、特に変わった動きはなかった。

バケツの水を交換している時、きれいなライトブルーで噴水を描いていた。

パレットをそっと覗いてみたら明らかに作った色ではなく、完全にもとからの色だった。

でも、今は我慢。これじゃ、先生に告げ口してもこっちが不利になってしまう。

私の中で悔しさがにじみ出てきた。

翌日、教室で張り出されたとき、内山洋子の絵が金賞に選ばれていた。

さらにもっと許せなかったことが起こった。

それは駅前のホテルの絵画コンクールで優勝したことだった。

ズルして優勝するなんて許せなかった。

私はクラスの全員に声をかけて内山が指示された以外の色を使っていないか、見張りを頼むことにした。

噴水で使ったライトブルーが自分で作った色とは思えなかったのは他の人も同じ考えを持っていたようだった

「林田君、土屋さん、どう思う?」

「うーん、確かに自分で作った色にしては不自然だよな。」

「私もそう思った。」

二人も納得していた。それだけでない木の葉の色、空の色など自分で作った色にしては不自然過ぎた。

放課後、私は林田君と土屋さんの3人で内山洋子の絵の具セットのカバンの中を調べてみた。

中を見てみると明らかに16色近くの絵の具が入っていた。

しかも使った形跡もあった。

それでも証拠としては不十分だった。

「来週の月曜日、図工あったよな?俺さりげなく見てみるよ。」

「林田君、お願い。」

日曜日、私は近所のショッピングセンターで新しい靴を買いに行ってた時のことだった。文房具屋に内田洋子とその母さんが入っていくところを見た。

私もそれを追うように、店の中に入って中の様子を見ていた。

そしたら、絵の具コーナーで立ち止まって絵の具を見ていた。

「母さん、明日の図工の時間にこの色が必要だから買ってもいい?」

「いいわよ。」

手にした色はライトブルーと黄土色、そして、明るいピンクだった。

確かに動かぬ証拠だった。

持っていた携帯で写真を撮ってしまった。

そしてとっさに逃げてしまった。

大スクープ、林田君と土屋さんに見せよう。私の頭の中はそれでいっぱいだった。

月曜日の朝、私は林田君と土屋さんにこの写真を見せた。

「うーん、確かに証拠としては使えそうかもしれないけど、その色を使わなかったら、証拠としては成り立たないよ。例えば内山が絵画の教室へ行っていて、そこで使うとしたらどうする?」

「確かに・・・」

「絵画教室では大田先生のルールは通用しないんだぜ。」

「私も林田君の意見に賛成だと思うよ。」

「とにかく、俺見ておくよ。あと他に人にも協力を頼んでみるよ。」

「ありがとう。」

図工の時間がやってきた。

今日は飼育小屋から連れてきた鶏だった。

下絵を描き終えて絵の具に突入するとき、林田君は離れた位置から内山さんを観察していた。

気が付いていなかったのか、堂々と茶色や黄土色の絵の具をパレットに載せて筆で色を付け始めて行った。

林田君はその一部始終を見てしまった。

「先生、内山さんが指示された以外の色を使っています。」

そのとたん、教室がざわつき始めた。

「マジ?」

「おい、見ろよ。茶色、黄土色の絵の具があるぞ。」

「信じられない。」

「みんな決められた色だけを使って色を作っているのに、内山さんズルしていたんだ。」

みんなのブーイングが後を絶たない。

「お前たち静かにしろ。」

大田先生が内山さんの席に近づいてきた。

「内山、先生最初に言ったよな。『赤と黄色、青、白、黒以外は使うな』って。なんで使ったんだ?」

「だって、何度作っても綺麗な色が作れなかったから。」

「だからと言って、使っていいとは言ってないはずだ。他の人だって同じ条件で絵を描いている。それを君だけが特別扱いが認められれるわけがない。」

「・・・・・」

「ちなみに、先日の絵画コンクールも指定された色以外の色を使ったのか?」

「はい、ごめんなさい。」

そのとたん、みんなの怒りが頂点に達してきた。

当然、授業は中止。連れてきた鶏は小屋に戻し、余った時間で先生の説教が始まった。

内山の一件は親にも知れ渡り、買ってきた絵の具のほとんどは家に置くように言われた。

そして、図工の時間には絵の具のチェックもするようになってきた。


中学に入ってからはさすがに色は何を使っても自由だが、その分難易度も高くなってきた。

しかもテーマは自由となっていた。

その自由が極めてネックであった。

なので、私は校舎の中庭に出てスケッチをしようとしたら、美術室の中という条件も付けられてきた。

本当に難易度が高すぎる。

とりあえず、準備室から茶色いツボを用意してきて描き上げることにした。

見た目は赤茶色だが、実際は黒がかかっている。

非常に難しい。

授業中だけでは終わらなかったので放課後、美術室の使用許可をもらい茶色のツボを仕上げた。

私自身、正直納得がいかなかった。

小学校から一緒だった林田君や土屋さんは私の絵を見て充分に褒めていたが、私自身納得がいかなかった。

絵の技術を上げたいと思って、私と林田君と土屋さんは翌週から美術部に入部。

スケッチだけでなく、版画、彫刻、粘土などやること一つ一つが専門的な感じになってきた。

日曜日に電車に乗って写生大会に行くことになった。

場所はかつて小学校の写生大会に行った湘南の外れにある自然公園だった。

私はもう一度、噴水の絵を描こうとして同じ場所に行ったが噴水は止まっていた。

仕方がないので、ベンチのある芝生の広場で描くことにした。

「あれ、村山さんもそこにしたんだ。」

「土屋さんと林田君も?」

「そうだよ。」

「さっき、噴水の場所に行ったけど、水が止まっていたよな。」

「うん。」

「私、あの噴水止まっていてよかったと思っている。」

「なんで?」

「内山さんを思い出すから。赤と黄色、青、白、黒以外は使っていたのに、他の色使っていたでしょ?正直がっかりしたよ。」

「確かに、教室で鶏を描いていた時も堂々と茶色と黄土色使っていたじゃん。俺、とっさに先生を呼んでしまったよ。」

「みんなの怒り、半端なかったよね。」

「内山さんの両親、校長室で賞状とか記念品を返しに来たよね。」

「うん。」

「校長は結局、ズルとはいえ、自分の手で描いたものだからそこまでする必要なないって言っていたよ。」

「内山さん、結局小学校卒業した後、別の中学へ行ったよな。校舎の前で集合写真を撮ったあとすぐに、親が車に乗せていなくなったし。打ち上げに声かけても返事がなかったでしょ?」

「丸山君って内山さんとは家が近所だし、幼稚園も一緒だったから話を聞いたけど、所沢におじさんの実家があって、その近くへ引っ越したって言っていたよ。」

「所沢と言えば埼玉じゃねーかよ。うちらの小遣いじゃ少々厳しいかもな。」

「ねえ、苗字で呼び合うのって、硬いから下の名前で呼び合わない?」

みんなそれぞれ、私は京子と呼ばれ、林田君は治夫(はるお)、土屋さんは朱美(あけみ)と呼ばれるようになった。

「そこ、手が止まっているけど終わったの?」

部長がやってきて私たちの様子を見ていた。

「下絵が終わったので、あとは色を付けるだけです。」

「そっか、早くしろよ。」

部長はそう言い残していなくなった。

色を塗り終えて、乾燥している間、私たちは再び3人で内山さんのことを話し出した。

再び、部長がやってきて冷えたジュースを私達の顔に当ててきた。

「部長、絵なら出来上がっています。」

「お、なかなかの上出来じゃないか。」

「ありがとうございます。」

「これ、私から可愛い後輩3人へのおごり。」

「ありがとうございます。」

「さっきから黙って聞いていたけど、内山さんって内山洋子さんだよな。」

「知っているのですか?」

「知っているも何も、あの子有名だよ。コンクールで優勝したんだよな。」

「でも、ズルしたのです。当時俺たちの担任が『赤と黄色、青、白、黒以外は使うな』という指示を出してきました。彼女以外みんな真面目に守っていたのに、それを彼女はそのルールを破って他の色を使ったのです。」

「他の色って言うと?赤と黄色、青、白、黒以外のこと?」

「そうなんです。ライトブルーの絵の具を使って描いていました。僕はルールを破って優勝した彼女が許せなかったのです。」

「もし、私なら内山さんと同じことをやっていたかもしれない。」

「どうしてですか?」

「君たちの担任は『指定された色以外は使うな』と言ったんでしょ?それを真面目に従った人っているかな?意外と守っているようで守っていない人って多いと思うよ。例えばの話をすると、遠足で持っていかれるお菓子は300円までとなっているけど、それをきっちり300円以内にして用意する人っているかな?中には500円、あるいは1000円超えて持ってきた人もいる。でも、先生はみんなのリュックの中をチェックするかな?」

「しないと思います」

「それと同じだと思うんだよ。君たちはちょっと真面目になりすぎたのかなって感じたよ。」

「でも、みんながルールを破ったらそれこそ真面目に従った人間がバカを見るだけで、ルールなんて最初から存在しないほうがよかったと僕は思います。」

「林田君の言う通りだね。でも、時には要領よく生きて行かないと人生の半分以上は損するよ。」

「そうですね。」

「じゃあ、そろそろ帰るとしましょうか。」

「はい。」

「じゃあ、忘れ物しないように。」

部長の言葉はあまりにも正論しすぎて、何も言い返せなかった。

確かに先生に隠れて他の色を使っていたかもしれない。

内山さんはきっと心の中で「私以外も同じことをしていた人がいたよ」と叫んでいたかもしれなかった。

それなのに、私たちはクラス全員で彼女を責めた。

卒業式も何も言わずに見送ってしまった。

振り返ってみると、部長には私達のことがすべてお見通しだったのかもしれなかった。

2学期に入って学校は文化祭の準備で追われていた。

私たち美術部は1学期写生大会や夏休みの思い出を展示することになった。

「村山さん、この風景ってどこなの?」

「父の実家に行ったときに描いた海岸の絵です。」

「お父さんの実家ってどこなの?」

「新潟です。日本海の海岸を描いてきました。太平洋と違って海水浴の人が少ないのです。」

「林田君はどこへ行ってきたの?」

「僕は家族と一緒に東京の式根島へ行ってきました。」

部長は一人ひとりに描いた場所を聞いて言った。

まるで担任の先生ような感じだった。

絵を見に来た一人の老婆が懐かしそうな瞳で林田君の絵を見ていた。

「この絵って式根島だよね。懐かしい。どなたが描いたの?」

「僕です。夏休み家族と一緒に式根島へ行ってきました。」

「私、この島の出身なの。あと今日は孫の出し物も見に来たの。」

「そうなんですね。」

「式根島は私が15歳まで住んでいたんだけど、父が営んでいた民宿が倒産して、本土に引っ越して28歳まで阿佐ヶ谷に住んでいたの。今は主人と一緒に戸塚区の原宿に住んでいるの。」

林田君は老婆の話に付き合わされていた。

老婆がいなくなった後、林田君は疲れ切った顔して私のところにやってきた。

治夫(はるお)君、お疲れさま。」

「ありがとう。」

「ねえ、君たちよかったら、どこか回ってきたら?ここも暇になるし。」

「ありがとうございます」

私と林田君、土屋さんの3人でいろんなクラスの出し物を見て回った。

屋台で買ったジュースやアイスクリーム、チョコバナナを食べた後、よそのクラスがやっていたビデオを見て歩いた。

文化祭が終わり、片づけを終えた後、部長をはじめとする3年生は引退。

それとともに土屋さんの転校も決まった。

11月に入って、親の転勤で大阪へ転校することになった。

私と林田君は新横浜駅まで向かい、見送りに行った。

朱美(あけみ)、元気でね。」

「うん、電話もメールもするから。京子も治夫(はるお)君も元気でいてね。あ、いっそのこと二人で付き合ってみたら?」

「バカ言わないでよ。」

「そうだよ。言っていい冗談と悪い冗談があるんだから。」

「うそうそ。」

朱美(あけみ)、本当に元気でいろよ。あ、これ俺たち三人の絵だよ。よかったら受け取ってくれないか?」

「ありがとう。」

そこには3人の笑顔がまぶしいくらいに輝いていた絵だった。

「気をつけてな。俺たち3人の仲は不滅だからな。」

「うん。」

発車する前、私はこれが最後になると思って3人で記念撮影をとった。

その瞬間発車ベルが鳴り、ドアが閉まった。

土屋さんが大阪へ転校した1年後、1枚の写真と絵が届いた。

一枚は友達と写っている写真、もう一枚は大阪市内の公園が描かれた絵だった。

この分だとうまくいっていると思った。


そして美術科の高校に入った今、私と林田君は付き合うことになった。

休みの日となると二人で絵を描きに行くこともあった。

本当は普通の高校生みたくカラオケや買い物、遊園地で遊びたかったのだけど、私の夢は将来自分のアトリエを持つことだった。

中学校と違い、今度は油彩に挑戦してみることになったのです。

油彩絵の具は水彩と違い、難しくなかなか思い通りにいかなかった。

夏休み、湘南の外れにある自然公園に行くと、いろんな思い出がよみがえってくる。内山さんのこと、中学の部活のことなどすべてが懐かしく思えてきた。

あの時の部長の言葉が今でも覚えている。

内山さんも悪気がないのに、あんな風に責められて少しかわいそうに思えてきた。

もし会えたらきちんと謝りたいけど、小学校を卒業したあと音信不通になり、今では全く会っていない。

帽子をかぶった女の子が一人やってきて「お、今度は油彩に挑戦なんだね。」と言ってきた。顔を見上げてみたら、部長だった。

「お久しぶりです。来年は大学ですか?」

「実は私、フランスへ行くことになったの。そこで本格的に絵の修行してみようかと思うの。だから今からフランス語の勉強をしているわけ。」

「頑張ってください。」

「ありがとう。あんたたちも頑張りなよ。」

「ありがとうございます。油彩頑張ります。」

「違うよ。絵もそうだけど、あんたたち二人で付き合っているんでしょ?結婚したら教えてね。」

部長はそう言い残していなくなっていった。

「部長の夢って大きいよね。」

「そうだな。」

「高校卒業したら結婚してみない?」

「その前に夢を実現させないと。俺も1年間海外に行ってみようかと思うんだよ。部長じゃないけどフランスへ行って絵の修行しようかとおもう。お前も美術短大へ行くんだろ?」

「うん。でも、1年間寂しくなるよ。」

「1年ってあっという間だから。」

そして話は卒業式へと進む。

卒業式を終えた2週間後、林田君がフランスへ行く日がやってきた。

治夫(はるお)君、気を付けてね。」

「ありがとう。」

「これ3人の記念写真。」

「土屋が大阪へ行くときの写真だろ?」

「うん。」

「そういえば、大阪で土屋が彼氏作って大学卒業したら結婚するみたいだよ。」

「本当に!?」

「俺たちも結婚しような」

「1年後に待っているから。」

こうして林田君は飛行機に乗ってフランスへ旅立っていった。

私は都内の短大へ通うことになり、学校は寮生活となった。

離れている間はとても寂しかった。

今まで3人でいるのが当たり前だった分、余計に寂しく感じた。

時々国際電話で林田君とはお話をしていた。

林田君の絵の修行はかなり地道だった。

初日は画用紙いっぱいに縦線を描かされ、次の日には横線、その次の日は斜線と言った具合に本格的な絵を描かせてもらえなかったようだった。

ある日、林田君は先生に口答えをしてしまった。

そしたら先生の口から「君は窓の向こうにあるビルを正確にきちんと描けるのかね?」と言われてしまった。

悔しくて何も言い返せなかったそうである。

そして私も地道に絵の勉をしていた。

2年後、私は短大を卒業し、林田君は日本へ戻ってきた。

その後、二人で婚姻届けを提出し、結婚をした。

新居を兼ねたアトリエは東京郊外にある国立(くにたち)の小さなマンションから始まった。

土屋さん、部長など懐かしい顔ぶれがやってきて私達を祝ってくれた。

部長はすでに子供もできていたので、驚いた。

「村山、苗字が林田になった気分はどうだ?」

「ちょっと複雑な気分です。」

治夫(はるお)、ちゃんと幸せにしてやれよ。」

「おお!」

みんなの笑い声が飛ぶ新居で、私はアトリエ第1号の絵を描いた。

それはかつての、顔ぶれがそろった笑顔の空間だった。



おわり

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