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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

固まる身体 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 ハロー、つぶらやくん。体調の方は大丈夫かしら? 今週末の飲み、ちゃんと出席できそう?

 飲み会も仲間うちだったら楽しいことの方が多いわよね。それが仕事の付き合いになると、とたんに色々と気をつかわなきゃいけなくなって、苦労が絶えないったら。

 できることなら、一刻も早く家に帰って爆睡していたい気分よ。ここのところ、日付変更コースが多いせいもあって、眠たいったらありゃしない。

 眠気って、色々な原因が考えられるらしいわよ。室内の二酸化炭素濃度が濃くなる。身体が血糖値を下げようとして活動する。陽の光をしっかり浴びないせいで、ホルモン分泌がいかしくなる……などなど。いずれも完全に避け続けることは難しく、ある程度は受け入れなくてはいけないわ。無理せず眠ることは、体調を整える一助となる。

 特に、本来深く寝入っているべき時間に、意識がある。もしくは意識を取り戻してしまうと、まれに異常なことに出くわすかもしれないの。

 いつどこで起こるかもしれない事態のためにも、私のおじさんの体験した話、耳に入れておかない?


 入社したてのフレッシュマンだった頃のおじさん。勤めた会社は1年目から任される仕事が多かった。要領がまだ掴めていないこともあり、業務時間内に片付けることができない。月の半分くらいが、家に帰ることのないオフィス暮らしだったとか。寝袋持ち込みが可能だったこともあって、自分の同類を見かけることもしばしばあった。

 件の意識が飛ぶことは防げない。他の人から見れば寝ていることと同じで、気がついたら朝ということも多かったわ。それでいて頼まれた仕事は、終わっていないと来ている。

 どやされることも少なくなく、どうにか定時上がりを目指すおじさんだったけど、ある晩を境に、別の件でも頭を抱えることに。

 

 たまたまおじさんが、ひとりで会社に残った時だった。昼間から何度もチェック漏れを指摘され、格闘を続けていた書類づくり。パソコンとにらめっこしっぱなしだったとか。

 いつもはがんがんに目が冴えるのだけど、その日は珍しく、強い眠気をあらかじめ感じたらしいの。どうせ寝不足のせいだろうと、ブラックコーヒーを入れるおじさん。時刻は今のところ午前1時すぎ。遅くまである終電も、ちょうど出てしまったところだった。

 顔をしかめるくらい苦いコーヒー。なのにあくびは絶えず、瞳にうつるディスプレイの文字が、涙ににじんでいる。タイピングのミスも多く、首がかくんかくんと、しきりに下がりたがってきたの。

「これは駄目だ」と、おじさんは仮眠を決意。横になったら絶対に朝まで眠ってしまう、という確信のもと、椅子に座ったままデスクに突っ伏すおじさん。

 ほんの30分、いや15分も寝れば十分。「寝てると思ったら、すぐに起きないと」と自分に言い聞かせつつ、眠気に身を任せたの。

 

 はっと目が覚めた時、おじさんは自分の右腕が大きく脈打ったように感じた。

 時刻は午前2時過ぎ。予定していた睡眠時間を30分以上、オーバーしている。すぐ起きようとしたけど、かの右腕が石になったかのように重い。動かせない。

 ひじのやや上から感じた鼓動は、おもむろに腕の中を登っていき、肩の上。そしてついには首の辺りまで。

 鼓動がすっかり通り過ぎた腕は動かせる。ぱっとおじさんは、脈打つ首の辺りを手のひらで抑えたわ。どっくん、とひと際大きく跳ねると共に、皮の内側、肉の裏側へ直接雫が垂れ落ちていった……そんな奇妙な感覚が駆け抜ける。

 今度こそ身体を起こしたおじさんは、上半身を撫でてみるけれど、もう異状は感じなかった。首を傾げるけど、まだ仕事は残っている。むしろ深手を負う前のこの時間に起こしてくれたことを感謝し、おじさんはパソコンを立ち上げた。その日の午前中は、ずっと意識を失うことがなかったとか。


 でもそれ以降、おじさんは決まって1時ごろから2時にかけて、身体が固まるようになってしまう。最初に被害に遭った右腕はもちろん、日を重ねるにつれて、足や腰、背中やうなじが最初から固まっていることもあったみたい。そして、その動かせなくなっている部分を、あの脈打ちがじんわりと移り続けていく。

 初日に比べると、更に遅い動きだったけど、その鼓動はひときわ強い。一打ちごとに、えずいてしまいそうな衝撃。おじさんにできることは、ひたすらに耐えて時間が過ぎ去るのを待つのみだったわ。

 初日のように、おじさんが身体の動くようになった部分を使い、異状に対抗したことも何度かあったらしいの。けど、それで止まって終わり、ということはもうなかった。

 時間を置いて復活した脈動は、なおその強さを増して、おじさんの反抗の芽を摘みにかかる。一度それを許してしまえば、おじさんにはもう吐き気と戦う気力しか残らない。苦しみが増すくらいなら……と、おじさんはせめて大過なくやり過ごせるよう、毎日、祈っていたとか。

 

 気味の悪さから社員の誰にも言い出せないまま、半年近くが経過。せめて家で苦しむことができるようにと、仕事を早くこなせるように努めたおじさんは、遅くまで残ることは少なくなっていたわ。

 それでも皆無とはいかず、その日も社内に残って、期限が迫った制作物づくりに臨んでいたの。そして午前1時の5分前には、枕代わりの畳んだタオルをデスクに置いて、頭を乗せる。この数ヶ月で培った、我慢の姿勢。


 ――せいぜい1時間の辛抱。それさえ越えれば、仕事の続きにかかれる。夜明けまでには2、3時間はあるだろ。余裕だ、余裕。


 慣れから生まれる、慢心思考。だけど、おじさんはすぐにその考えを捨てないといけなくなったわ。


 1時かっきり。これまで四肢の一部から始まっていた硬直が、この日は一度も起きなかったところから起きた。

 胸。その奥にあるものが、ぎゅっと力強く握りしめられるような感触。同時にぎゅっと喉の奥が塞がれてしまい、息が止まる。

「まずい」とおじさんは、鼻で口で、必死に呼吸をしようとするも、喉奥にはまった蓋はどく気配がない。件の鼓動も胸から始まり、じょじょに下半身へと移っていく。これまでとは違う、肉越しのくぐもった音と弾み方は、まるで大きな蟻が、身体の内側を這い回っているようにさえ感じたとか。

 叫びやうめきを漏らすこともできない時間が続く。塞いでいる蓋の内側部分は、ときおりヒリヒリと痛んだ。水音も響いてきて、せり上がる胃液がぶつかっているんじゃないかと思ったそうよ。

 脈動はというと、丹田の辺りまで来ていたみたい。いわゆる下っ腹で力の入れどころであると共に、下手をすると小便がそこから漏れてしまいそう。これまでわずかながらも移動を続けていた脈動が、今はずっとその場にとどまり、断続的な弾みを続けている。

 机に置き、文字盤がこちらを見えるように置いていた腕時計は、まだ5分の経過しか告げない。


 ――これであと55分とか、絶対に息が持たねえ……!

 

 死もあり得るかも、と紅潮する顔の熱さを感じていたおじさんに、更に追い討ちがかかる。


 これまでで、最も強く脈打ってきた。ぷじゅっ、と大きな音を立てた丹田の周りへ、にわかに温かいものが広がる。同時に、今度は身体を上へ上へと駆け上がってくる何かの気配。

 喉の封が解かれる。同時に口内を走るは、ゼリーのような弾力を帯びた温かいもの。息をしようと必死に開けていたおじさんの口から、ちゅるりとそれは飛び出した。

 タオルの上で盛り上がるそれは、一見して、赤い寒天。更によく見ると、喉へ回った鼻血がタンと絡んで出たのにそっくりな、赤黒さを帯びていたの。

 それを確認しても、まだおじさんの身体は言うことがきかない。かすかに震えるそのゼリーを見つめながら、ようやく開通した肺への道へ、存分に酸素を取り込んでいく。結局、起き上がれるようになったのは、いつも通りの午前2時ごろ。その間、丹田は変わらずに熱を持ち続け、動き出しとともにぬるくなっていったとか。

 

 それから一週間後、おじさんは健康診断を受けて、特にその血液検査に耳を疑ったわ。

 おじさんの血管は20代前半にもかかわらず、50代相当にくたびれていた。加えて、中性脂肪や悪玉コレステロールが多い、「高脂血症」。今でいう「脂質異常症」だと診断されたらしいの。いつ血栓ができ、血管を塞いでしまってもおかしくない状態だったとか。

 おじさんはここ半年の異状を鑑みたわ。もしかしたらあれは、自分の血管が詰まりかけていたことを知らせるのではないか。そして口から吐き出したのは、できかけていた血栓だったのでは、とも。

 お医者様は、自覚症状はまず現れないとおっしゃったそうよ。でもおじさんは今でも、あれは自分の身体が発してくれた、危険のシグナルだったんじゃないかと、思っているんですって。


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