魔王代
「黒龍め、シェイド・ラを使って【人族】に王を据えただと」
【幻灯界】の西端、最も【具象界】に近しい都「ウィスタリア」。ここに、漆黒のヘマタイトと真紅のオニキス、薄紫のアメジストで建てられた城がある。ウィスタリアに満ちる魔素の霧が、城の尖塔をくもらせ、内側は一年中ひんやりとした空気に包まれている。
エメラルドの床を足音高く通り過ぎる影は、長身をもってしても引きずるほどの豪奢なマントをひるがえし、扉の前で止まった。金の柱にはさまれた巨大な扉を片手で跳ね開け、怒りの形相をあらわに激昂する。
「忌々しい、王などという肩書を与えれば、身分もかえりみずつけ上がるだけだ! 奴らの頭に被せるべきは黄金の王冠などではない、戒めの枯れ茨で充分」
「魔王様」
会議室の長卓にずらりと並ぶ魔族のうち、初老の女性が顔をあげた。丸眼鏡のむこうで黄色い目がするどく光る。
「人界へ攻め入られるお心に御変わりはないでしょうか」
「慈悲をかけてやるつもりか? 軍師マイヤーズ」
マイヤーズは黙って顔をふせ、ふたたび腰をおろした。
すべてを威圧する刺々しいオーラを放ちながら、魔王は最奥の椅子にかけ、足を組み頬杖をついた。
「これ以上、奴らがのさばる前に手を打つが良策。カレスターテのためにも……」
魔王の一挙手一投足を見守っていた議員たちは、高々と掲げられた王の左手にくぎ付けとなった。その手がゆっくりと、なだらかに下へおろされる様を、固唾をのんで見守る。
「人の国は残らず焼き払う。抗うものあれば全て滅ぼせ」
勅令がくだされた。
魔物たちは戦いの準備をととのえ、魔族たちは己の軍勢を率いて魔王城に集った。人族を快く思わない獣たちや、一部の精霊、魔王と同郷のシルウァト族なども武器を手に立ち上がった。
魔王アルワーインド。彼のものは風を総べる者の名を与えられ、シルウァト族の内より「統治者」の称号を与えられた魔族の王。長く美しい黒髪を分けて螺旋を描く一対の角、長く尖った耳、炎のように燃える赤い眼。白く抜けた肌と爪とが、より異質な姿を際立たせる。
アルワーインドが動けば、カレスターテ中の風が動いた。
「我らは我らの尊厳と世界の秩序を守るため、人族を蹂躙する」
暗雲立ち込めるなか、一堂に会した同志たちの前に魔王が立つ。アルワーインドは宣誓し、右手に持ったざくろを握りつぶした。赤い飛沫が黒い装束や白い肌にかかる。
「「ウォオオォォオオオオオオーッ!!」」
戦士たちは武器を掲げ、鬨の声を上げた。
一方で、【幻灯界】での魔王の挙動が怪しいことは、人界にもすばやく伝わっていた。
「魔族たちが攻めてくる」
人々はより強大で強固な、自らの王の城へ身を寄せた。たったひとつの城下町には難民があふれ、王の忠実な臣下たちは対応におわれる毎日。王はシェイド・ラにうかがいをたて、黒龍らが動き出すことを願う日々。
何の優れた力も持たない人間が抗うには、あまりに敵が悪すぎる。
「なぜ魔王は我々を討つのか」
混乱しきった議会では、つねにその議題だけがとりあげられた。
「難民の住居は、食料は」
そういった必要な話し合いは流され、議員たちは怯えばかりを口にした。
「うろたえるな」
恐怖に身を寄せ合うだけの人々の前に、武器を手にした若者が現れた。若者のあまりの美しさと雄々しさとに、誰もが目を奪われた。
若者は議会に招かれると、壇上に立って人々を勇気づけた。
「我々は立ち上がらなければならない! 人としての誇りを持つのだ。我々とてクルタナにつくられた由緒ある一族。理由もなく踏みにじられ、黙っているわけにはいかぬ」
議員たちも難民たちもおおいに彼に賛同したが、しかし。
「戦うには、どうしたらよいのだ?」
争いを知らない人族たちには、抗う術すらわからなかった。
すると、若者は武器を振り上げて答えた。
「憎め!」
建物の外では雷鳴がとどろきはじめた。
若者の言葉に、人々は疑問を口にした。
「憎む?」
「どうしたら憎める?」
憎悪も闘争もなかった人の心に、暗闇の部分がじわじわと広がっていく。
「我々は、魔族を憎めばよいのか」
老議員が言うと、若者は力強くうなずいた。
「故郷を焼かれ、追い立てられ、家族を殺され……我々に自由を許さず、幸せを奪い、屈服させ滅ぼそうとしている。自らの力におぼれ、思い上がり、我々はおろか世界を支配しようとしている!
そんな魔族どもをのさばらせておいてはならない!」
人々は立ち上がった。
魔族のものを真似て鎧をつくり、武器をつくり、罠をしかけた。人族の覚えのよさといったら、たったのひと月で立派な城砦を完成させ、魔族の侵攻をはばむどころか、軍勢を押しもどしはじめた。
武芸の鍛練もはじまった。それは相手を挫くための術ではなく、殺すための技であった。
人族の軍隊と魔族の軍隊とは拮抗し、無関係であった獣族や精霊たち、シルウァト族たちにも甚大な影響をおよぼしはじめた。
戦場で人々を先導し、自らも武器を振るって戦いつづけた若者……恐怖しか知らなかった人族に「憎悪と闘争」とを叩き込んだ男。彼はその鎧を脱ぎ捨てると、豪奢なマントをひるがえして高らかに笑った。
「やればできるではないか! さァ戦え、争え、すべてを打ち壊せ! 自らの手で貴様らは滅ぶのだ!」
雷鳴とどろく嵐の中心で叫ぶアルワーインドの姿を、人々は畏怖と絶望との織り交ざった眼差しで見つめた。
こうして、裏切りと絶望をも身を以て学んだ人族は、より賢しらで狡猾な生き物となった。
魔王軍の猛攻により、人族はふたたび城砦の内側まで追い立てられていった。人族の無垢だった心は蝕まれ、魔王アルワーインドの思惑どおり、疑い深く閉鎖的な考えに支配されていった。
「魔族たちの使う力は強力だ。普通の盾では防げない」
「魔物の生命力も脅威だ。普通の武器では殺しきれない」
より強い力を、より高い力を。人々は「相手を滅ぼす」ことを熱心に考え、望んでいた。
「魔族をひとり捕え、力の秘密を探ろう」
誰が言い出したのかは定かでないが、人族の一人であったことは確かだ。
松明の照らす地下の会議室から出てくる議員たちの目は、暗くよどんでいた。
かくして、戦いの中で魔族がひとり捕えられた。口を割らなかったために、城下町の広場で処刑された。簡単には死なず、槍を十数本も体に突き立てられて果てたという。
またひとり魔族が捕えられ、知識を聞き出すだけ聞き出されると、脅威であるといって処刑された。
まだ知識は足りていなかった。また魔族が捕えられた。
人族が魔法を我が物にするため捕え、殺した魔族の数は五十を超える。魔族に術もなく殺された百数十の人族に比べれば少ない。しかし、その凄惨きわまりない処遇や捕縛した理由には、背筋も凍る。
魔族の怒りが頂点に達したのは、人族が戦争に魔法を用いるようになってからだった。
これはアルワーインドの誤算のひとつであった。
「末恐ろしいものだな……やはり滅ぼさねばならぬ!」
戦争は激化の一途をたどる。
世界の均衡を崩す危険極まりない種族として、人族はある意味で一目置かれるようになった。戦争を遠巻きに見ていた精霊やシルウァト族らは完全に手をひき、戦火から逃れ【幻灯界】の片隅へ隠れた。獣族たちは人族を敵視するようになり、かといって魔族にも加担はせず、【具象界】の端にある自分たちの国に閉じこもった。
人族と関わり合いになれば滅ぶことになる。この教えが生まれた瞬間であった。
碧空は常に風と雷とが轟音をひびかせ、滄海は大地をえぐる高波を起こし続けた。昼夜の区別もなく、湿気た空気は常に冷やかで、季節すら巡らない。
世界が悲鳴を上げている。
統治者【白龍族】の従者であり、カレスターテの管理者であるシルウァト族は、総力を結集して【具象界の五賢者】を選定した。人族、獣族、精霊、シルウァト族、魔族のなかから、中立のものたちが一人ずつ選び出された。
また、統治者であり管理者でもある【黒龍族】は、調律の役目を果たすべく、シェイド・ラを率いて自ら戦争の仲介に入った。最強の【均衡保持者】の介入により、戦争は一気に下火となった。
黒龍の翼を貫く矛はなく、黒龍の牙を防ぐ盾はない。
魔族も人族も等しく裁かれ、それぞれの居るべき場所へ追い立てられ、閉じ込められた。両者が自らの領域を出ないよう、シェイド・ラが監視に置かれた。
「黒龍に逆らってはならない」
人族も魔族もそう口にした。
ただ一人、抗い続ける者があった。
「このまま私に引き下がれと、おとなしく世界の崩落を見ておれと言うか!」
アルワーインドは自らの持てる魔力をすべて解放し、黒龍の結界を打ち破り、再び人族を襲わんとした。
「魔王様! おやめください」
「魔王様!」
もはや、彼には誰の声も届かない。
「あの下賤の輩が我らと同じ力を持ったと思うだけで虫唾が走る! 貴様らは劣った種族! 間違いを犯す前に私が……」
「驕るな、魔の者どもの王よ」
魔王アルワーインドの前に立ちはだかった五つの影。
「アルワーインド、あなたは大いなる力を持ちすぎた。その力は人族に負の感情を与え、魔法の力をも与えた……」
「そして飽くなき闘争の心が、他者を虐げる心が、破滅をもたらす」
「世界を支える存在でありながら、世界を混沌に陥れる存在」
「王としての器は充分備わっているが、王としての心には乏しい」
「黒龍が命により、あなたを調律する」
種族のちがう五人はそれぞれ手を掲げ、巨大な結界で魔王を包み込んだ。
「ふざ……けるな……! 貴様らごときに、この私が……私は……」
世界中の光が一点に集い、地平の向こうまでが暗闇におおわれた。光のなかでアルワーインドはその体を12に分けられ、封印された。
ひとりの魔王であった12人の赤ん坊は、シェイド・ラたちに抱きとめられた。
完全な闇が徐々に明けていくなか、巨大な白い龍たちが現れた。統治者として世界の法と秩序とを守る【白龍族】は、常時であれば決して世界に干渉しない種族。
白龍たちは、魔王アルワーインドの城がそびえる大地を、翼でひと撫でした。ウィスタリアは【幻灯界】から切り離され、世界の裏側へと移された。ウィスタリアは白龍の結界により、隔絶された【魔界】となった。ウィスタリアの抜け落ちた【幻灯界】は、精霊たちとシルウァト族にゆだねられ、【具象界】とは結界で隔てられた。
五賢者たちは12人の赤ん坊に再生の魔法をかけ、11人はシェイド・ラたちの手により魔界へ送り届けられた。最も力の強く、封印と再生に長い時を必要とする【心臓の子】だけが、成長するまで五賢者たちの手によって守られることとなった。
「統治者としての【魔王】を世界から欠くわけにはいかない」
「力は分散された。これで世界を一転させるような、強大な力を持つものは現れない」
「【12宮の王子たち】のことは、他言するべきではなかろう」
「混乱を招くだけだ。統治者の存在はあればよい。周知される必要はない」
「さて、【心臓の子】の名は何としようか……」
五賢者の白い衣の腕に包まれて、何も知らない無垢なる【心臓の子】は眠る。
こうして、世界を震わせた魔族と人族との戦争は終わり、のちの世の人々は「魔大戦」の時代を「魔王代」と呼んだ。