電話
日向は高校を卒業すると、父の大学時代からの親友が経営する小さな会社に就職した。
子供の頃からよく知っている、気のいいおじさんだ。
高校三年の冬、特にやりたいこともなく、就職先も決まらないままだった日向に、「ウチに来い」と声をかけてくれた。
きっと父も頭を下げてくれたのだろう。
田中と秋吉は同期入社だ。
いくら同期とはいえ、人見知りの日向にとっては、二人との距離を縮めることは簡単ではなかった。
地元も違うし、そもそも話す機会がほとんどなかった。
だが、いつからだろう。きっかけすらよく覚えてないが、いつの間にか仲良くなり、今ではかけがえのない親友となった。
田中は配送、秋吉は受注、日向は経理と担当は違うが、今の関係を築くにはそれがかえってよかったのかもしれない。
入社以来、喧嘩らしい喧嘩もしたことがないし、飲みに行くのもいつも一緒だ。
日向は、就職すると同時に一人暮らしも始めた。
とはいっても、実家から電車で20分程度の同じ市内だ。
仕事が終わると、日向は近所のスーパーに立ち寄る。
夕飯の買い物をするためだ。
安月給の一人暮らしの身では、いつも外食というわけにはいかない。
そもそも、一人で外食するのは苦手だ。
レパートリーは少ないが、料理自体は嫌いではないし、何より食費を抑えることができる。
安い鶏肉とキャベツともやしを買った。
もちろんビールも。
家に帰ると、早速夕飯の準備を始めた。
鶏肉とキャベツを適当に切ってフライパンに火を入れる。
フライパンに油を流し、火加減を調整していると、ケータイの振動が部屋のテーブルを鳴らした。
フライパンの火を消し、部屋に戻る。
ケータイには知らない番号。
誰だ?
わざと二、三度鳴らしてから出る。
「もしもし…?」
日向は声のトーンを少し抑えた。
「あの…私、覚えてますか?」
聞き覚えのない若い女性の声だ。
「いえ…あの…」
「神崎さん…ですよね?」
ちょっと甘えたような舌足らずな喋り方。
「えっと…どちらさまですか?」
「先週の土曜日、一緒に飲んだんですけど…覚えてますか?」
日向の質問には答えないまま、電話の向こうで勝手に話は進む。
どういうことだ?
先週の土曜日といえば、田中と秋吉と三人で飲んだ日だ。
「たぶん違うと思うんですけど…」
「三人と三人、六人だったんですけど…」
そんなはずはない。
何かの間違いだ。
「あの…どこで飲みました?」
「RIZEですけど…」
「ライズ…?」
日向は眉間にシワを寄せた。
「駅前の通りのビルの一階にある…」
あぁ、あそこか。
外観だけ見るとちょっと高そうな感じのするバーだ。日向たちがいつも通っている店ではないし、日向自身行ったことはない。
この人はいったい何を言ってるんだ。
日向が黙っていると、沈黙を嫌うようにその女性が口を開いた。
「えっと、確か黒いスーツ、着てましたよね?」
日向は確信した。
間違いない。人違いだ。
日向の会社は上着だけユニフォームがあるため、会社でそれに着替えさえすれば服装は自由だ。
会社にスーツを着て行くことはないし、その日もジーンズだった。
「すみません。人違いだと思いますよ」
日向は自信を持って答えた。
「そうですか…ごめんなさい…」
残念そうな声の主は、少し間をおいて電話を切った。
何なんだよ、いったい。
日向はケータイをテーブルの上に置いた。
キッチンに戻って、再びフライパンに火を入れる。
ちょっと待てよ。
なんで俺の番号知ってるんだ?
それに名前も…
意味がわからない。
誰かのいたずらだろうか?
そうだ。
そうに違いない。
何一つ納得できる理由は見つからなかったが、日向は無理やりそう思うしかなかった。




