ひなた
日向は、棚から村川の本を取り出した。
本に引っかかって何かがパラパラと床に落ちた。
日向はテーブルに本を置いて、落ちたものを拾った。
年賀状だ。
日向は、会社の人や友人とはメールでやり取りをするので、年賀状を出すことはないのだが、行きつけの店などからは、新年の挨拶が届く。
一枚拾って何気なく目を通す。
ニワトリの絵が目に入った。
2017年酉年―
そうか、今年は酉年だ。
日向は急いで村川の本を開いた。
えっと…
焦って上手くページがめくれない。
どこだ…?
確か、どこかにあったはずだ。
ページをめくる手が、小刻みに震える。
あった。
この地域一帯の地図と、あの時計のような絵。
やっぱりそうだ。
天狗にさらわれた子供は、酉年に天狗山の西側に帰ってくる。
そして、天狗山の西側に位置するのは…
日向のいるこの町だ。
間違いない。
クセのある髪、左の耳元の小さなほくろ、それに少し甘えたような舌足らずな喋り方。
それだけじゃない。
乳製品が苦手なこと、公園の話、葵を思わせるものは他にもたくさんある。
桜井ひなたは、姿を変えて現れた葵だ。
酉年の今年、天狗山の西側にあるこの町に帰ってきた。
そして、葵が姿を消したとき一緒にいた、つまり最後に会った日向の前に現れた。
あの日ベッドに寝ていた女性も、あのときの電話も、桜井ひなたの姿で日向の前に現れることを、葵が教えてくれていたんだ。
そう考えると全部納得がいく。
日向は、村川の本をもう一度読み返した。
7歳となる年に、天狗と化した山の神にさらわれた子供は、カラスとして育てられる。
そして、カラスとしての寿命を全うした後の最初の酉年、西の方角に、カラスとなる前に最後に会った者の前に姿を現す。
しかし、それは元の姿としてではなく、また、それが人なのか、あるいは他の動物なのかはわからない―
やはりそうだ。
そうとしか思えない。
「神隠しの伝説」は本当だった。
誰も信じてくれなくていい。
日向の目の前で起きていることが真実であり、桜井ひなたの存在こそがその証だ。
日向は、この3か月に起きたさまざまな出来事を思い返しながら、何気なくページをめくった。
ただし、もし正体を知られた場合、その者は再び姿を消し、正体を知った者の前に二度と現れることはない。
そして、正体を知った者の時間は、巻き戻される―
何だこれ…
この話にはまだ続きがあったのか。
日向はそっと本を閉じた。
もし、ひなたが葵なら、ひなたは消えてしまうということなのか…?
バカな。
そんな話、聞いてない。
背中に視線を感じて、ハッと振り返る。
そこには、幼き日の葵の姿を重ねたひなたが立っていた。
「日向くん…」
「ひなた!」
日向は叫んだ。
「ひなたね、本当は…」
「それ以上言うな!」
思わず抱きしめる。
「ごめん…俺が余計なことを…」
ひなたの手を握った。
「日向くん…ずっと会いたかったよ…」
ひなたの細い肩が、小さな手が消えていく。
「行くな、ひなた!」
「日向くん…ありがと…」
日向はだんだんと薄くなっていくひなたの身体を、更に強く抱きしめた。
ひなたの身体の温もりも、抱きしめているはずの感覚も、もうほとんどない。
「ひなた…」
日向の目からとめどなく涙が溢れた。
「日向くん…来月お誕生日…」
「そうだよ!だから戻ってこい!」
「日向くん…」
ひなたは力なく笑顔を見せた。
少しだけ茶色がかったクセのある髪も、涙でいっぱいのその大きな瞳も消えていく。
「日向くん…会えて嬉しかった…」
「ひなた!」
最後にひなたの口が少しだけ動いた。
何と言ったのかはわからない。
「ひなた…」
ひなたの身体が消えた。
俺の大好きなひなたが消えてしまった。
もう二度と会えない。
日向はその場に崩れて泣いた。
18年前のあの日のように、声をあげて泣いた。
「寒っ…」
日向は冷たい風に目を覚ました。
どれくらい眠ったんだろう。
エアコンのリモコンを見る。
冷房。
日向はベッドを見た。
誰もいない。
ケータイの画面には4月16日の文字。
ゆっくりと起き上がって部屋のカーテンを開けた。
あのときと同じように、外は雨が降っていた。




