村川助教
村川の説明や、夢のことを考えると、日向は葵が天狗にさらわれたという疑念が更に強くなった気がしてならなかった。
「あの…今でも人が天狗にさらわれることってあり得るんですか?」
日向は思いきって質問をぶつけてみた。
村川は、少し間をおいて言った。
「僕はあると思いますよ」
そして、「あくまで個人的な見解ですけどね」と付け加えた。
「あと…」
村川は、茶色に変色した古い紙を広げた。
荒巻が見せてくれた東西南北と十二支が一緒になった、あの絵だ。
「実は、あれから少しだけわかったことがあるんですよ」
村川は、これもまた古そうな資料を手にすると、丁寧にゆっくりと一枚ずつめくった。
「あった。ここです」
そこには筆で何やら書いてあるのだが、日向にはとても読めるものではなかった。
「えっと…何が書いてあるんですか?」
村川は、ある文字を指さしながら言った。
「酉年です」
酉年?
「卯年に子供が天狗にさらわれるというのは、だいぶ前からわかっていたことなんですが、ここ数年の研究で、さらわれた子供が姿を変えて、酉年に帰ってくるということがわかってきたんです」
帰ってくるってどういうことだ?
「それも、さらわれる前に最後に会った人のところに、です」
日向は村川を見た。
「そして帰ってくる方角は…」
村川はあの絵を指さして言った。
「卯年と反対の方角、つまり、西ということになります」
確かに、卯年は東を指しているのに対し、酉年は西を指している。
時計に例えれば、卯年は3時で酉年は9時の位置だ。
「それって、例えば6年後に帰ってくるってことですか?」
日向は身を乗り出した。
「いや、残念ながらそうとは限りません」
村川は資料を置いた。
「ところで、カラスの寿命ってご存知ですか?」
カラスの寿命なんて聞いたことがない。
「今でこそ10年から20年程度ではないかと言われていますが、昔は100年生きるとも言われていました。天狗にさらわれた子供は、カラスとして育てられます。この資料から読み取れるのは、カラスとしての寿命が尽きた後に、こちらの世界に帰ってくるということだけです」
日向は、すっかり冷えてしまったコーヒーを飲んだ。
「おかわり、いかがですか?」
「あぁ、よろしく」
村川の言葉に、荒巻が答える。
日向の頭は混乱していた。
「どうぞ」
村川が温かいコーヒーを持ってきてくれた。
一口飲む。
「それから…」
村川が話を始めようとしたとき、村川のケータイが鳴った。
「失礼…」
村川が席を外す。
「どうだ?来てよかったか?」
荒巻が小声で言った。
日向は「はい」と答えるのが精一杯だった。
電話を終えた村川が戻ってきたとき、日向はあることを思い出した。
「あっ…」
「どうした?」
「そういえば、こないだ言ってた『七つの子』って、これと何か関係あるんですか?」
「あぁ、あれか…」
荒巻はチラッと村川に視線を送った。
「じゃあ、僕から説明しましょう」
何かを察したように、村川が言った。
「あの歌が発表されたのは、1920年代の初め。カラスの子のことを歌ったものと思われていた歌は、『七つ』の意味をはじめ、あの歌本来が持つ意味まで、さまざまな憶測が飛び交いました。結果、現在でも本当の意味はわかっていません」
こないだの荒巻の説明と同じだ。
「ちょっと似てると思いませんか?」
えっ?
「もし、この『七つ』というのが『7歳』という意味だとしたら…」
だとしたら…?
「天狗山に関する資料は、最も古いもので、1800年頃のものまで確認されています。あの歌よりも100年ほど前です。僕たちは、天狗山とあの歌に類似点がいくつかあることに注目しました。カラス、山に巣があること、そして、7歳の子供。もしかしたら、あの歌は、天狗山のことを歌ったのではないか、とね。しかし、作者はこの町の出身ではないし、僕の知る限り住んでいたという記録もない。偶然だと言ってしまえばそれまでですが、それでも何かしら関連性を探りたくなる。研究者とはそういうものなんですよ」
「ま、そういうことだ」
荒巻は少し得意げに言った。
「あの、大変申し訳ないんですが…」
「あぁ、そうだったな。忙しいところすまなかった」
村川はこの後、予定が入っているとのことだった。
帰り際、村川は一冊の本をくれた。
「今日お話ししたことも、お話しできなかったことも、それにすべて書いてあります。よかったらどうぞ」
ズッシリとしたその本の重さには、いろんな思いも込められていると、日向は思った。




