伝説
「まずは空巣山だ」
「はい」
「この山には、古くから山の神が棲んでいるとされていてな、その山の神は普段はカラスの姿をしている。では、なぜ普通に漢字の『烏』ではなく、『空』に『巣』という字が当てられたのか」
確かにそうだ。
「山の神には子供がいたんだが、カラスの姿をしていたため、山に入った町人が誤って殺してしまったんだそうだ。その頃カラスは邪悪なものとされていたからな。でも、山の神は子供がいなくなった『空』の『巣』を大切に守り続けたということなんだ。子供がいつ帰ってきてもいいようにな」
その話を聞いて、日向は葵の両親のことを思い出した。
葵の両親も、葵がいつ帰ってきてもいいようにと、あの団地に住み続けている。
「そして、天狗山という呼び名には二つの説がある。一つは、山の神が棲むとされる場所に大きな岩があって、その岩が天狗のような形をしているという説。もう一つは…」
もう一つは…?
「山の神が、天狗の姿となって町人をさらうという説だ」
天狗が町人をさらう…?
そんなことがあるのか…
「ところで…」
荒巻は日向の顔を覗き込むように言った。
「お前、カラスの歌、知ってるだろ?『七つの子』っていう」
「はい。知ってます」
「あの『七つ』ってどういう意味だかわかるか?」
そう言われれば深く考えたことはない。
ただ、絵本などの印象では、7羽の子供という感じで思っていた。
「カラスは本来、一度に7羽も子供を育てることはないし、7歳にもなれば、もう子供でもない。つまり、どういう意味なのか、いまだにわからないんだそうだ」
荒巻によると、この歌にはいろんな説があって、単にカラスを歌った歌ではないのではないか、とも思われているらしい。
ただ、なぜ荒巻がこの話を持ち出したのか、日向には理解できなかった。
「最後に、神隠しの伝説だ」
やはり、神隠しの伝説はあったのか。
「この地域では、何十年かに一度、失踪事件が起きている。しかもその多くは、同じ干支の年に、だ」
荒巻は、さっきのコピー用紙を指さした。
それは東西南北と十二支とを重ね合わせた丸い時計のような形をした絵で、子年が12時の位置、つまり北の方角を指している。
そして、荒巻の指が押さえているのは…
「卯年?」
「そうだ」
「えっ?どういうことですか?」
荒巻はもう一枚、違うコピー用紙をカバンから出した。
この地域一帯の地図だ。
「この絵で見ると、卯年の方角は東だ。そして、絵の中心を空巣山だと考えて、地図と見比べてみると…」
日向はゾッとした。
空巣山の東側に位置するのは、あの自然公園だ。当然、日向や葵の実家もある。
日向は思わず荒巻の顔を見た。
荒巻は軽く頷いて話を続けた。
「言い伝えによると、山の神の子供が殺されたのは7歳のときで、殺したのは、当時、山の東側に住んでいた町人。だから卯年になると、山の神は天狗の姿になって、東側に住む7歳になる子供をさらっては、空になった自分の巣で育てていたということなんだ」
葵が消えたのは、葵が一年生になったばかりの4月。
つまり、7歳になる年だ。
干支は…
「18年前は、卯年だ」
荒巻は少しぬるくなった残りのビールを一気に飲み干した。




