おじさん
「ごめん。待ったか?」
「いえ…」
待合室の時計の針は、もう7時を回っていた。
「さて、行くか」
日向は荒巻の後について行った。
駅から5分ほど歩いただろうか。
「さ、ここだ」
それはいかにも古そうな焼き鳥屋で、少し破れた赤い提灯には「十兵衛」と書かれていた。
荒巻は滑りの悪い戸を開けた。
ここは…?
「この店はな、大学の頃、お前の親父さんとよく来た店だ」
荒巻は懐かしそうに言った。
「そうなんですか…」
日向はなんとなく嬉しく思った。
「ここの焼き鳥は、昔から安くて美味いんだ」
荒巻は、大学を卒業してからも年に数回顔を出しているという。
荒巻は、メニューに目を通すことなく、生ビールと焼き鳥を何本か注文した。
「あの…社長…」
「まぁ、落ち着け」
荒巻は煙草に火をつけた。
「それに、お前に社長って呼ばれるのは、どうも気持ち悪い」
生ビールが二杯運ばれてきた。
軽くジョッキを合わせる。
「俺はお前が生まれたときから知ってるからな」
日向も子供の頃からおじさんと呼んでいる人だ。正直言って社長と呼ぶのは多少の抵抗はあった。
「しかし、あれだな。親友の息子とこうして二人で飲む日が来るなんて、俺も歳をとったもんだ」
荒巻は嬉しそうに笑った。
「今日はおじさんでいいぞ」
「ところで、何でそんなに天狗山のことを知りたいんだ?」
「それは…」
日向は迷った。
どこまで話せばいいのか。
「言いたいことだけ言えばいい」
荒巻の言葉に少し気が楽になった。
「おじさん、18年前の女の子の失踪事件、知ってますか?」
「あぁ」
「あの子、俺の幼なじみなんです」
「そうだったな」
やはり、知っていたのか。
「そのとき、一緒にいたのが俺なんです」
「あぁ」
荒巻は優しく微笑んだ。
「それで…」
日向は、当時のことや葵が夢に出てくること、そして天狗山のことなど、これまで誰にも話せずに、心の中にため込んできたものをすべて吐き出した。
「そうか」
荒巻は最後まで黙って日向の話を聞いてくれた。
「お前の親父さん、薄々気づいてたみたいだぞ。さすがに夢の話は知らなかったと思うけどな」
父さんが気づいてた?
「お前が急に天狗山なんて言い出したからって、俺に当時のこととか長々とメール送ってきたからな」
父さん…
色んな思いがこみ上げてきて、日向の目からポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「わかった。おじさんがちゃんと調べてきてやる」
「はい…」
「よし。いいから今日は飲め」
荒巻は大きな掌で日向の頭をクシャっと撫でた。
店を出ると、外は雨が降っていた。
荒巻がタクシーを止めてくれた。
今日は結局何も聞くことはできなかったが、日向の心はスッキリと晴れ渡っていた。
一定のリズムを刻む滑りの悪いワイパーのノイズが、なぜだか心地よく思えた。




