父
日向は久しぶりに実家に帰った。
日向のアパートからは近いのだが、なかなか帰る理由が見当たらなかった。
もちろん、実家に帰るのに理由など必要ないのだが、日向なりに理由が必要だった。
そして今回、実家に帰る理由が見つかった。
それは、ずっと気になっていた天狗山の存在を、父に聞くことだ。
生まれたときからこの町で育ってきた父なら何か知っているかもしれない。
日向はすがる思いで実家のドアを開けた。
「ただいま」
「お帰り」
奥から母の声がした。
居間に行くと、父はテレビを観ていた。
「おう」
父は昔から無口な人だ。
日向はいつもの席に座った。
子供の頃からの指定席だ。
「ビール飲むか?」
「うん」
父が缶ビールとグラスを二つ持ってきた。
互いにビールをグラスに注ぐ。
日向は半分ほどビールを飲むと、父の横顔を見た。
父はさっきと同じように、静かにテレビを観ている。
父は、大学を卒業後、地元の役場に就職した。真面目な性格で、絵に描いたような地方公務員だ。
たしかあと二年ほどで定年退職を迎えるはずだ。
頭の白いものもだいぶ目立ってきた。
不意に父が振り向く。
「何だ?」
「いや…」
日向は言葉を濁して、残りのビールを一気に飲んだ。
そこに母が刺身を持ってきた。
この町は山も近いが、わりと海も近い。
そのため、山の幸も海の幸も豊富だ。
子供の頃は肉が食べたいと思っていた日向だが、大人になるにつれ魚の旨さがわかってきた。
日向は空のグラスにビールを注いだ。
二杯目からは手酌だ。
父はいつの間にか焼酎に変えていた。
夏でも冬でも父はお湯割りを飲む。
日向もたまに焼酎を飲むが、お湯割りはどうも苦手だ。
「あのさぁ…」
日向は酔いに任せて、口を開いた。
「どうした?」
「あの…父さん、天狗山って知ってる?」
父の表情が一瞬曇ったように見えた。
「どうしてそんなこと聞くんだ?」
「あ、いや…」
日向は思わず視線をそらした。
「えっと、会社の人がそんなこと話してたんだけど、天狗山とか聞いたことないと思ってさ…」
日向はとっさに適当な理由をつけた。
父はテレビに視線を移して、しばらく黙っていた。
何か考えているのか。
何とも言えない空気が流れる。
「そういえば…」
日向が話題を変えようとしたそのとき、父が口を開いた。
「聞いたことはある」
えっ?
「でも、詳しいことは知らん」
やはり、父は何かしら知っているのか。
「ただ、知ったところで何にもならんぞ」
父はコップにお湯を注ぎながらそう言うと、再び黙りこんだ。
そして、焼酎をコップに注ぎながらこう言った。
「どうしても知りたいなら、荒巻に聞け。あいつなら知ってるはずだ」
「荒巻って…」
社長…?
日向は驚いた。
「あぁ、そうだ」
父は焼酎を一口飲んで続けた。
「あいつは大学のとき、この地域の歴史や古い文献なんかをよく調べてた。父さんはそんなものには興味はなかったけどな」
そして、更に続けた。
「あと、死んだじいさんから聞いた話だけどな…」
祖父もこの町の生まれだ。
「天狗山には『神隠しの伝説』があるらしい」
神隠し…?
「それで、天狗山って…?」
「空巣山のことだ」




