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The Hound's Sorrow-狼の泪-  作者: 旗戦士
9/13

Report Nine. First Order/Lose yourself

<アインのアパート>


 翌日。

倒れるようにベッドで睡眠をとっていたアインは、突然鳴り響いたFAX付きの電話のベルで目覚める。

寝ぼけ眼を擦りながら受話器を手に取り、スピーカーに耳を当てると男の声が聞こえ始めた。


「よう。元気にしてるか、アイン? 」

「……あんた、誰? 俺はあんたを知らないんだけど」

「細かい事は気にするな。とりあえず、テレビを点けてくれ」


電話越しの相手に不信感を抱きつつも、彼は言われるがままにテレビの電源を点ける。

丁度朝の時間帯のニュース番組が放映されており、顔立ちの整った女性アナウンサーが真剣な面持ちで原稿を手にしていた。


『昨夜未明、ヴィクトリアハーバーの埠頭倉庫にて数十名にも及ぶ死者が発見されました。香港警察によると内部の状況からギャンググループ同士の抗争があったと見られ、現在検死と監察による捜査が行われています。被害者は――』


アインは電源を切り、受話器に意識を再び傾ける。


「あれ、お前の仕業だろう? 」

「……」


不思議とアインの背筋に不気味な感覚が這いより、受話器を握る力が自然と強まっていった。

スピーカーから聞こえる男の呼び声が彼の意識を呼び戻し、アインは再び口を開く。


「……そうじゃない、と言ったら? 」

「そうかい。どちらにせよ、僕は君に会わなきゃいけない。今、君の住むアパートの下にいる」


電話の子機を片手に、アインはカーテンの袖口を恐る恐る捲り上げる。

確かにアパートのエントランス前には黒の長髪を後ろで結った長身の男が電話を片手に彼の方を見上げており、アインは咄嗟にカーテンを戻した。


「なるほど、三階だね」


聞こえる男の声に、アインの身体は一気に焦燥感を抱く。

何故見ず知らずの男にここまで恐怖しなければならないのか、彼には分らなかった。


だが、確実に向こうは彼の存在を理解している。

幾つもの修羅場をくぐり抜けてきたアインだからこそ、この感情は不気味で仕方がなかった。


会話を無理やり断ち切るように通話停止ボタンを押し、彼は急いでクローゼットの奥に隠していたM586に手を伸ばしかける。

彼の扱うリボルバーは日中で使用するのに適してはいない。


引き金を引いたが最後、周りの住人に銃声を聞かれて瞬く間に居所が割れてしまうからだ。


故に、アインは何も手に取らずに正体不明の敵が来るまで息を潜める事にした。

気絶させて拘束してしまえば、アインにとって脅威も減る筈。


コツ、コツ、と玄関のドアの向こうから革靴の底がアパートの廊下を踏みしめる音が聞こえる。


「……ッ」


そして、足音が止まった。

直後鳴り響くのは、来客を知らせるチャイムの音。

続けて鳴り止まないベルの音に、アインは身体を強張らせる。


「おーい。開けてくれないか。決して悪いようにはしない」


信用できるか、と胸の内に言葉を仕舞いながら彼は玄関まで移動した。

チェーンが掛かっている事を確認しつつドアノブを捻り、謎の来訪者と対面する。


黒い革製のジャケットに、深緑色のスキニーパンツを穿いたその男はアインの顔を見るなり気さくに手を上げた。

顔立ちの整ってはいるが、アインよりも年上なのは確かだ。


顔を見るなり彼はすぐにドアを閉めようと開けかけていた扉を手前に引こうとするも、男の手によって遮られる。


「ここで騒ぎを起こすのは君も嫌だろう。頼む、中に入れて話を聞いてほしい」


口調さえ穏やかであるものの、ドアを握った男の手は離れる様子はない。

むしろこちらが全力を出しても敵わないほどの力強さに、より一層の焦りを覚えた。


渋々アインはドアのチェーンを外し、再び男と対面する。

ありがとう、という彼の礼を無視してアインは玄関から一歩引いて男から目を離さない。


「…………」

「話が分かる子で助かるよ。それで話っていうのはだね――」


瞬間アインは穿いていたスウェットのポケットから折り畳み式の財布を取り出し、男の方へ差し出した。


「カードも現金も入ってる。俺は何も話す気はないし危害も加えたくない」

「……なるほど。是が非でも其処から離れるつもりはないって事か」


なら、と男は穿いていたスキニーパンツのポケットからフォールディングナイフを取り出して刃の切っ先をアインに向ける。


「こちらも君に来てもらわなきゃ困る。いいかい、出来るだけ乱暴はしたく――」


男の気が逸れている間にアインは財布を持っていた右手をナイフの刃まで伸ばし、財布の繋ぎ目で凶器を掠め取ろうとした。

しかし、奇襲も見抜かれていたのか男は左手を手前に引いてアインの攻撃を避け、離れていた距離を詰める。


「……ッ」


アインは男の動きを見て改めて確信した。

無駄のない足の運びと相手の行動を先読みした思考が、アインの脳に警鐘を鳴らす。


向かってきた男に対して左手の掌底を放った。

だがこれも肉薄され、アインの身体は男に薙ぎ倒される。


廊下にあった机の下へ手を伸ばし、ガムテープで貼り付けていたサイレンサー付きの自動拳銃を掴み取ると銃口を無我夢中で対峙した男へ向けた。


「素晴らしい反応速度と準備の良さだ。でもね、僕の方がもう少し早い」


次にアインの目に映ったものは一般の自動拳銃よりも小さく、そして丸みを帯びた銃器。

彼がPKKを掴み取るよりも早く男はその銃を抜いてみせ、そして向けられた銃口にも狼狽えていない。


サイレンサーでかき消された音と共にアインの胸に何かが刺さったような痛みが走る。

ピンク色の羽が後ろにつけられ、何か注射器のような長いものがアインの視界に映ると彼の視界は次第に霞んでいった。


「な、に……を……」

「言ったろう。あまり手荒な真似は出来る限りしないと。それが君に対する最終手段だった。許してくれ」


全身を襲う倦怠感にアインは倒れたまま男を睨み付けるが、それも出来なくなってしまう。

自身の胸に刺さった物体が麻酔銃の弾だと気づく頃には、彼の意識は彼方へと消えてしまった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

<香港・ホテルの一室>


 次にアインが目覚めたのは、香港の市街地にある高級ホテルの天井であった。

直ぐに寝かされていたベッドから飛び起き、自身の胸に視線を落とす。


何もされていない。

強いて言うならば、両手を拘束されているくらいだろうか。


「……」

「おー、起きた起きた。社長、例の可愛い子ちゃんがお目覚めよ」


アインの様子をすぐ傍で見ていた女性――パーマが掛かった前髪をヘアピンで持ち上げ、首元まで伸びた髪を後ろで縛っている――が"社長"とやらを呼びに座っていたソファから立ち上がった。

周囲の光景と女性の言動から察するに自分は企業かどこかのマフィアにでも捕らえられ、そのボスと今から対面するという事だろう。


彼を一瞬で昏倒させた男の姿は無く、段々と近づいてくる足音にアインは身体を強張らせた。

リビングルームとベッドルームを仕切っていた白い扉が開かれ、そこからまたもや女性が現れる。


彼女は腰までまっすぐに伸びた黒い髪をヘアゴムで結い、その先端を肩に乗せていた。

灰色のパンツスーツの裾が揺れ、思わずアインは唖然としてしまう。


彼女の後ろには先ほどアインの自宅で彼を張り倒した男が苦笑いを浮かべながら部屋へと入り、彼は申し訳なさそうにアインへ両手を合わせた。


「はじめまして。いきなり乱暴して悪かったわね、うちの人間が」

「そうしなきゃ聞き入れてくれない状況だったけど……まあ言い訳にしかならないか。すまなかった、アイン君」


「……別に良い。あんた達はどうして俺をこんなところへ? それにここはどこだ? 」

「香港市街地にあるホテルの一室よ。あと私たちの目的を話す前に、まず名前を教えておかなきゃね。私は日々谷小百合。こっちの護衛兼社員は兎塚二郎。さっき貴女を見張っててくれてたのは坂木みどり」


「うっひっひ……良い寝顔を取れた気がしまっせ……」


一人だけ眼鏡の縁を光らせるみどりと、彼女の様子を見て肩を竦める二郎。

その光景はあまりにも日常的で、どこか暖かい。

アインはピアノ線のように張り詰めていた警戒心を少しずつ解いていき、無意識に握っていた拳の力を弱めた。


「……知ってると思うが、俺はアイン。それ以外の名前は無い。それと二郎……だっけ。あんたの事は別に悪く思ってはいないけど、聞きたい事が一つだけある」

「どうした? 出来る限り答えるよ」


「さっきの格闘術はアメリカ陸軍式のものだよね? それも通常のものじゃない、特殊部隊によるものだ」

「……何故、そうだと? 」


「今まで戦ってきた奴の中でも陸軍崩れはいた。でもあんたのはその連中とは足の運びも構え方も少しだけ違ったんだ」


感心したように男――二郎は顎を撫でつつ小百合に視線を傾ける。

対する彼女は笑みを絶やさないまま、首を上下させた。


「答えは秘密だ。でも、及第点を上げよう」

「……子供扱いは止してくれ。もうそんな歳じゃない」


「小百合ちゃんどうしようあたしもう鼻血止まんないんだけど」

「貴女は何やってるのよ……」


みどりの鼻元をティッシュペーパーで拭う小百合を横目に、二郎はアインの結束バンドをナイフで切り捨ててアインの両手首の拘束を解く。

驚きの表情を浮かべながら彼を見つめていると、小百合が口を開いた。


「信頼の証拠として、貴方の拘束を解かせて頂くわ。麻酔銃による副作用は無いから安心してちょうだい」

「坂木印の万能麻酔薬だからね。調合間違えたら一発で意識飛ぶけど」


「……そんなもの僕は彼に撃ってたのか……」

「大丈夫大丈夫、そこはあたしの腕を信用してね」


「……麻酔の事はもう良い。慣れてるし。それで、本題に移りたい。どうしてあんた達は俺をここに連れてきた? 」


そうね、と小百合は少しだけ考える素振りを見せると、何か閃いたように顔を上げる。


「"自分の復讐"の為、と言ったら貴方は笑うかしら? 」


アインは思わず、言葉を失った。

こんなにも自分の目的を他人に言える人間がいるのか、と。


アインには何もなかった。

目的さえ自分で決められず、ただ彼のマスターの命令にのみ従い兵器のように生きていく。


そんな彼にとって小百合という存在は、いつかマークの言っていた"自分の運命を操る事のできる人間"なのかもしれない。

そして次に、アインは不敵に口角を吊り上げた。


「すまない、あんたの目的を馬鹿にするつもりはない。ただ……古い知人と目的が全く一緒でな」


彼は小百合に、アールグレイ・ハウンドの陰を無意識に重ねる。

いつしか幼い頃のアインに彼が話してくれた、アールグレイの忌まわしき過去。


彼女も同じような血塗られた記憶に苛まれているのだろうか。

彼女もアールグレイと同じように、過去を背負おうともがいているのだろうか。


「……俺は何をすれば良い。生憎、殺しなら手慣れてる」

「話が早くて助かるわ。貴方には二郎君と共にこのマフィア組織のアジトに潜入して、とある情報を手に入れてほしいの」


「その情報は? 」

「日本のヤクザの"威瀬会"に関するものよ。貴方も香港にいるのなら、聞いたことがあるでしょう? 」


確かに、アインにもその単語は聞き馴染みの深いものであった。

以前彼がまだリー・シャオロンの下で飼われていた頃に、何度か威瀬会系の暴力団との取引を護衛にした事があった。

北米の麻薬王でもあったリーだからこそ日本という市場はアジアに踏み出す一歩としても重要であったのだろう、彼は丁重に威瀬会の組員たちを持て成していた記憶がアインの脳裏に甦る。


故に、リーの組織の香港支部にも少なからず威瀬会系列の暴力団の情報は入っていた。

威瀬会が香港マフィアとも繋がっている事はアインも知っていた為、今回アインに白羽の矢が立ったという事だろう。


言わば、香港の案内役という訳だ。


「報酬は? 」

「昨夜貴方が起こした事件の火消し、それに日本への高跳びの機会。日本での仕事先と住居、戸籍はこちらで用意してあるわ。もし私たちに協力するのならば、貴方には私たちの用意した名前を今から使用してほしい。足が付きにくくするためにね」


アイン。

ドイツ語で一番目、という意味の単語だ。


長年付き合ってきた名前を彼女は捨てろと言っている。

ただ、彼女の目的を果たす為に。


――丁度良い機会だ。

アインはそう、口角を吊り上げる。


「その、名前とはなんだ? 」

「"畑 貴士"。貴方にはそう名乗ってもらう」


不敵な笑みを浮かべながら、アイン――否、畑 貴士は座っていた小百合に右手を差し出した。


「……承知した。あんたの依頼(オーダー)、俺が協力させて貰おう」


差し出した手はアインというマフィア組織の飼い犬としてではなく。

今生まれた、畑貴士という新たな男として。


貴士は、小百合と固い握手を交わした。

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