Report Eight: The Nameless Monster
<埠頭>
搭乗したタクシーの運転手に少しだけ多めに代金を払い、アインは車から降りると冷たい潮風を肌で感じる。
運転手には隠し持っていた日本刀と愛用している回転式拳銃 S&W M586の存在を悟られなかったことに安堵しながら、後方から聞こえてきた黒いバンの停車音に視線を向けた。
世界三大夜景とされるヴィクトリア・ハーバーの美しい光景を横目に、ロングコートで隠れていた刀の鞘におそるおそる左手を掛ける。
間もなくしてバンからガラの悪い男たちが4,5人程現れ、アインの姿を見るなり不気味な笑顔を浮かべた。
「逃げると思って尾行してたが、案外素直なんだなぁ? 」
「……誘いを断る理由がないからね。それで? 俺をどこに案内してくれるんだ? 」
おどけた様子で刀から手を放し、アインは両手を広げる。
直後笑顔のまま黒いスーツを身にまとった男が彼の左頬を殴りつけるが、その場から少しだけ動いただけで体勢を崩すのには値しない。
「ボスから言われてんだよ。多少痛めつけてから連れて来いってな。悪く思うなよ? 」
その男の声と同時に、周りにいた部下たちが一斉に各々の得物を取り出した。
金属製のバットや鉄パイプ、特殊警棒といった打撃を得意とする武器の数々に、アインは笑い声を上げる。
あまりの突然の事に、彼に近づいていた男たちの足が止まった。
どこか打ちどころでも悪かったとでも思っているのだろう、すぐに彼らの歩む足は再び動き出す。
「じゃあ……俺も少しは抵抗していいという事か? 」
「やれるもんならやってみなァっ! 」
先頭に立っていた男が、アイン目掛けて鉄パイプを振りかぶった。
左目を狙った一撃であることを既に察していたのか、アインはその鉄棒を左手で易々と受け止める。
「……あ? 」
「ボーっとしているなよ、阿呆」
手にしていたパイプを横一文字に薙ぐと、右耳が潰れる肉の感触が彼の掌に走った。
男が地面に膝を着こうとした瞬間に振り抜いた左手を返し、男の脳天に再び唐竹割りを叩き込む。
グシャリ、という音と共に噴き出す返り血がアインの鼻柱に飛散した。
あっという間に地面に倒れて動かなくなったスーツの男を一瞥し、彼は鉄棒を肩に担ぐ。
「あ、あッ――」
そんな悲鳴交じりの声が、聞こえた気がした。
右袖に隠し持っていたスローイングナイフを目が合ったギャングの一員に投擲し、アインは更に反対方向へ一歩踏み出す。
頭蓋骨を貫いて脳を強制的に損傷させた光景を横目に、鉄パイプの先をもう一人の男の鼻目掛けて突き出した。
骨の折れる軽快な音がアインの耳に響いたかと思うと、次に彼は左方からの殺気を感じ取る。
「ふッ」
右方から横殴りに迫る金属バットを肘で受け止め、がら空きになった膝へ蹴りを叩き込むと目の前の男は叫び声を上げながら体勢を崩した。
鳩尾に正拳突きを食らわした後に左腕を肩に担ぎ、後方へそのまま投げ飛ばす。
最後の一人になった男にアインはゆっくりと視線を合わせ、冷徹な眼差しと共に歩みを進めていく。
「ま、待て! 待ってくれ! 」
「……お前だけ、こっちに来い」
情けない声を上げながら地面に尻餅を着いた男の首根っこを掴み、無理やり起き上がらせるとそのまま盾にするように自身の前方へ突き出す。
コートの懐に右手を突っ込み、M586のグリップを握り締めると男の背中に銃口を接触させた。
「道案内してくれ。正直、倉庫がたくさんあり過ぎて分からないんだ」
「で、でも……それじゃあ俺が……! 」
瞬間、アインは男の右腕目掛けてM586の引き金を引く。
6インチの銃身から.357マグナム弾の鉛玉を射出し、腕の肉を易々と貫き、力の入らなくなった右腕が重力に引かれて垂れた。
涙交じりの絶叫が埠頭の外に響き渡り、アインは思わず顔を歪ませる。
「静かにしてくれ。耳障りだ」
「あ……! う、腕が……ッ! 」
苦悶の表情を浮かべる男を無視してアインはそのまま埠頭の奥へと進んでいった。
一度撃たれたことが利いたのか、目の前に掴んだ男は彼の思うがまま道を案内してくれた。
彼の案内によりアインはようやく目的の倉庫の前に辿り着く。
彼の首根っこから手を放し、拘束から解放してやると地面になだれ込んだ。
そして彼は、無慈悲にもその男にM586の銃口を向ける。
「……生きたいか? 」
「え、えぇ……? 」
「お前には、生きる糧や目標があるか? 」
気まぐれだった。
殺意を向けた対象にそんな事を聞いたのは、自分でも信じられないほどに。
そのまま怯えた様子の男は一目散にアインの前から姿を消し、段々小さくなっていく背中に銃口を向ける。
だが、引き金は引けなかった。
自分にも、理由は分からない。
ため息を吐きながらアインはM586を懐のショルダーホルスターに仕舞い、倉庫の内部へと続くドアを開けた。
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<倉庫>
潮風でさび付いた扉を開けた先には、白い蛍光灯で照らされていた幾つものコンテナ群がその巨体を置いている。
その中心にはある程度広い空間が存在し、そこに何十人もの男たちがアインに視線を集中させた。
おそらく彼の到着を待っていたのであろう、倉庫の中には煙草の匂いが充満し、そこら中に真新しい煙草の吸い殻が落ちている。
アインはそんな彼らの視線を一瞥しながら、集団の真ん中に立っている白いシャツ姿の男の元へと歩み寄った。
「……あんたが電話をくれた人? 」
「あぁ。それでこいつが、てめぇらをやったやつか? 」
集団の人込みの中から、先ほど昼に痛めつけた3人の男たちが姿を現す。
アインが殴った鼻や足には包帯が巻かれており、彼らはその痛々しい治療の跡を取り外した。
「間違いねえ。ボス、こいつだ」
「そうか……聞いた話によりゃ仕事中にお前から手を出したって事らしいんだが……。間違っちゃいねえよな? 」
「……正しいよ。だから俺はけじめを付けにここまで来たんだ」
周囲から沸き起こる、汚い笑い声。
倉庫の内部に響き渡る罵声の数々にアインは顔色一つ変えず、正面にいるボスの男から視線を離さない。
「ずいぶんと潔いじゃねえか。そういう奴は好きだぜ。でも……」
彼がそう言いかけた瞬間、両隣からアインよりも一回り大きい巨躯を携えた巨漢二人が目の前に立ちはだかった。
二人の手には刃の部分が血で錆びついたマチェーテが握られており、彼の見るなり口角を吊り上げる。
「へぇ。ただでは帰さない、って事ね」
「理解も早いと来た。お前みたいな奴が部下に欲しかったよ」
口から深く息を吸い込み、胸が段々と膨らんでいく感覚を覚えた。
肺を通して二酸化炭素が吐き出されるのを感じると、アインは巨漢たちを見上げる。
「――別に何も俺はね。自分の命でケジメを付けに来たなんて一言も言っちゃいないんだ」
「あ? 」
前を閉めていたコートのジッパーを一気に下げ、左腰に両手を伸ばした。
裾に隠されていた黒い鞘が露わになり、一瞬で周囲の空気が凍り付くのを感じる。
アインが鞘の鯉口を左手のみで切ると、連中のマチェーテとは違う銀色の刃が姿を現した。
蛍光灯の白い光に反射するその光景は、神々しささえ覚える。
「お前らの命、全て。全てだ。俺に寄越せ」
コートの裾を靡かせながらアインは柄を握った右手に一瞬だけ力を込め、上方へそのまま愛刀を抜き払った。
肉と骨を斬り捨てた生々しい感触と生温かい返り血がアインの頬に飛び散るが、彼は気にせずにもう一人の巨漢に視線を向ける。
ようやく殺意を向けられたことに気づいたのか、彼は手にしていたマチェーテを無我夢中で振り下ろした。
迷いと焦燥が入り混じった錆の刃は、アインを捉える筈もない。
「遅い。――あの男の方が、数十倍速かった」
脳裏に嘗て己を打ち倒した男――マークの姿を思い浮かべながら彼は返す刀でマチェーテを持っていた男の右腕を薙ぐ。
辺りを舞う血の雫。
狼狽える男の膝を蹴り飛ばしてから体勢を崩させ、横一文字に振り切った刀を握る手首を返した。
脳の命令通りにアインの愛刀は男の脳天を易々と貫き、頭蓋骨を叩き割った後に致命傷を叩き込む。
脳漿交じりの灰色の血液が周囲に飛散し、僅か数秒で出来上がった凄惨な死体現場を目の当たりにした部下たちとそのボスは唖然としながらアインを見つめていた。
「あ。あぁ……? 」
本能的に彼の事を相手にしてはいけなかったと悟ったのだろう、ボスの男は少しずつアインから距離を取ろうと後退りを始める。
呆気に取られていた部下たちもようやく状況を理解したのか、集団の中にいた一人がロシア製の自動拳銃のコピー品の銃口をアインに向けていた。
「なんだ、ちゃんとそういうものは持っているんじゃないか」
――まあ、俺もなんだがね。
内心悪戯な笑みを浮かべながら、銃口を構える音が聞こえたと同時にアインは刀を左手に持ち替えてその場から飛び退き、ショルダーホルスターへ手を伸ばす。
彼の右手に握られたM586がその黒い銃身を露わにすると、一気に3回トリガーを引き絞った。
蓮型の弾倉に装填されていた.357マグナム弾の雷管を撃針が叩き、薬莢の中にあった鉛玉を目標目掛けて射出する。
銅色の鉛玉は文字通り銃を向けていた男の胸と額に血の花を咲かさせ、残ったもう一発は倉庫の壁に跳弾した。
「こ、この野郎ォォォッ!! 」
背後から聞こえる怒号と共に彼の視界に映ったのは、サバイバルナイフを二本両手にした男。
迷わず引き金を引き、男の侵攻を止めるとアインは地面を蹴る。
彼が追うのは真っ先に逃げたギャンググループのボスであった。
立ちはだかる部下たちは全て彼の刀の錆になるか、.357マグナム弾の餌食になるだけ。
サムピースを親指で手前に引き、シリンダーを取り出すと彼はM586の銃口を上に向けた。
空になった6つの薬莢が音を立てて地面に落ちた瞬間、アインの隙を突くように護衛の一人が自動拳銃の銃口を構える。
急いで弾の込められていないM586をベルトに突っ込み、刀の柄を両手に握った。
乾いた火薬の音が響いたかと思うと、アインは握った刀を縦一文字に振り抜く。
銀の刀身に9㎜パラベラム弾が激突し、その後鉛玉を真っ二つに切り裂いていった。
「た、弾を斬りやがった……!? 」
そんな声を上げた途端に男の手首から上が消失し、そしてそのまま強制的に意識が途切れる。
地面に落ちた自動拳銃を奪い取ったアインは、彼に向けられた幾つもの銃口から身を隠すためにコンテナの陰に隠れた。
タイプライターの音のような軽快な音が幾度となく周囲に響く。
音から察するに短機関銃によるものだろうとアインは予想しながら、M586の弾倉に.357マグナム弾を込めていった。
「こういう時の合言葉って言えば……」
奪い取った拳銃とM586を両手に握り、似合わない笑みを浮かべつつコンテナの陰から飛び出す。
「JACKPOT! 」
左右の手に握ったそれぞれの銃が火薬を噴き、対応した鉛玉を吐き出した。
まず二人の護衛を仕留めたと同時にアインはそのまま足を止めずに連中との距離を詰め、弾切れになった自動拳銃を投げ捨てる。
既に肉塊と化した死体からIMI社製の短機関銃 UZIを掠め取り、勢いをつけたまま引き金を引いた。
反動制御などいざ知らず、無茶苦茶な軌道を描いて飛んでいく9㎜弾は少なからず数人の息の根を止めるに至る。
「く、くそったれぇッ!! 」
アインの動きを止めていた護衛達をすべて屠ったかと思うと、ボスの男は数人の部下を連れて倉庫から出ようとしていた。
既に新たな弾を込めていたM586を構え、ボスを守る部下二人に.357マグナム弾を叩き込む。
彼が出れないようにと鍵を掛けていたのが災いしたのか、逃げ惑うボスは南京錠の鍵を地面に落としてしまう。
そして震える手で鍵を拾い上げた瞬間、後頭部に何か固いものが突きつけられた。
「詰みだな、リーダー殿」
死の恐怖に怯える男との目線を合わせ、男の額に再びM586の銃口を合わせる。
「な、なんで……たった……たった一人に……! 」
「――死ぬ覚悟をしてここに来ていないな、貴様は」
だが、と彼は付け加えた。
茫然とした表情を浮かべながら涙を流すボスの男に、哀れみさえ覚える。
「武器を突きつけた時点で貴様は既に喧嘩を売った。戦いはどちらかが倒れるまで終わらない」
アインはゆっくりとハンマーを下ろし、トリガーに掛けた人差し指に力を込めていく。
「貴様の負けだ。せいぜい、後悔と共に死んでいくがいい」
乾いた銃声が一発、倉庫の中に響き渡った。