Report Seven. Gray Bullet-灰色の弾丸-
<中華料理店>
一瞬にして、場の空気が変わるのが肌で感じられた。
「テメェっ!! 」
彼に向けられた怒号を無視し、アインは向かってくるリーダー格の男へ視線を傾ける。
悪趣味な金のネックレスを揺らしながら怒りを剥き出しにした男の拳が眼前まで迫り、後方へ身体を逸らして直進する殴撃を肉薄した。
回避行動と同時に振り翳された男の右腕をアインは掴み取る。
一度だけ彼の身体を自身の胸まで引き寄せ、右脚を男の左ふくらはぎに絡ませると左手で肩を掴んでそのまま押し倒した。
頭から地面に叩きつけられたリーダー格は衝撃と共に後頭部に走る痛みに表情を歪ませ、続けて彼が目にしたのは今にも振り下ろされるアインの拳。
鼻っ柱に拳がめり込むと、骨の折れる軽快な音と気色の悪い肉の感触がアインの右手に走った。
両方の鼻孔から流れ出る赤黒い血を一瞥し、次に彼は残った側近の男へ視線を傾ける。
リーダー格さえ潰せば反撃してこなくなるだろう。
アインはそんな事を思いながら、対峙した男を睨み付ける。
「野郎ッ!! 」
彼の予想は外れ、余計に他の連中の気を逆撫でしたようだ。
目の前の男は懐に手を突っ込み、其処から黒いステンレス製の棒を取り出す。
特殊警棒。
無駄に用意が良いな、と彼は溜息を吐きながら足元にあったリーダー格の男の顎を蹴り上げてため息をついた。
迫り来る側近に対して微動だにせず、ただ彼が来るの待つ。
横殴りに振り翳される警棒を左肘で受け止め、彼の腕に痺れを伴った痛みが走った。
だがアインは眉一つ動かさずに反撃のチョップを男の第二関節に叩き込むと彼から警棒を奪い取る。
手首を一回転させてから警棒を男の下腹部にめり込ませ、予め掴んでいた右腕を支点にして空中で男の身体を回転させた。
顔から地面に叩きつけられた男は短い叫び声を上げながら地に身体を伏せ、アインに背中を踏まれる。
「……まだ、やるの? 」
痛みにようやく慣れてきたのか、先ほど彼が打ち倒したもう一人の側近がゆっくりと地面に起き上がってきた。
我慢の限界だ、と言わんばかりに額に青筋を浮かべながらアインを睨み付ける。
そして男はシャツの胸ポケットから折り畳み式のバタフライナイフを取り出し、一度だけ掌で弄んでから銀色の刃を剥き出しにした。
「本当に、懲りないな……」
呆れた表情を浮かべながら手にした特殊警棒を地面に捨て、身に纏っていたミリタリージャケットを両手首まで脱ぐ。
怒号と共に一直線に向かってくる男をじっと見つめ、彼は僅かばかり腰を落とした。
一直線に向かってくるナイフの刃がアインの左頬を掠めるも、気にせずにそのまま右腕にジャケットの両袖を絡ませる。
自身の胸に腕を引き寄せ、男が体勢を崩したと同時に下腹部へミドルキックを見舞うと男の右手の中にあったナイフの柄を足の側面で蹴り上げた。
即座に身体を引き剥がし、宙に舞うナイフを掴み取ってからジャケットを着直すと反撃の拳が向かってくるよりも圧倒的に早く男の首元へ突きつける。
「動き、止まったね」
あっ、という声を聴く前にアインは顔面の中心に左ストレートを叩き込んだ。
再び鼻の骨が折れる音と気持ちの悪い感触を感じると、先ほどと同じように男の脳天に踵を落とす。
地面に倒れて気を失う男を一瞥し、最後に残ったリーダー格の男へ視線を傾けた。
直後、何かを装填したような音がアインの耳に響き、僅かばかり顔を強張らせる。
周囲にいた野次馬や通行人が小さな悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らすようにその場から逃げおおせ、あっという間にレストランには閑散とした空気が流れた。
S&W M37。
彼に突きつけられた黒い銃口が日光に反射して一度だけ光り、アインの視界を遮る。
ウッドグリップを握る男の両手は怒りと恐怖で震えており、銃を構えながらも彼は相変わらず鼻から血を流していた。
「こ、この野郎……! 殺す……殺してやる……! 」
「……いいよ。この人たちを守って死ねるなら本望だ。動かないでいるからさっさと引き金を引きな」
だが、アインは顔色一つ変えずに両手を広げて見せる。
挑発と取られたのか、男は叫び声を上げながらゆっくりと引き金にかかった指に力を入れていった。
そして、蓮型の弾倉が回転しかかった瞬間に彼は右手の中にあったバタフライナイフを男の掌に向けて投擲する。
回転しながら男の手に銀色の刃は突き刺さり、叫び声が悲鳴に変わったと同時にM37の銃声が周囲に響いた。
2インチの銃身を経て射出された.38スペシャル弾は誰の身体にも命中することなく、明後日の方向へ飛んでいく。
アインはその様子を一瞥し、ナイフの刺さった掌を抑える男の元へゆっくりと歩み寄った。
地面に座り込んでいた彼と目線を合わせ、すぐ傍に落ちていたM37を拾い上げると傷がついていない左手の方にグリップを握り直させる。
「……ほら、しっかり狙って撃たないと。ここだ」
自身の額に銃口を突きつけ、恐怖の声を上げる男を見つめるアイン。
背後から彼の名前を呼ぶ店主の声が聞こえるが、無視して男の目を睨み付ける。
「殺す覚悟がないなら、簡単に殺すなんて言うな。三下」
そう吐き捨て、止めを刺すように男の顎に右ストレートを叩き込んだ。
チンピラ3人をたった一人で片付け終わったアインはゆっくりと立ち上がり、絡まれていた店主を助けようとした中年男性の元へ向かう。
「……おじさん、大丈夫? 」
「あ、あぁ。ありがとう……」
突然の事に脳の処理が追い付かないのか、彼は素っ頓狂な声を上げながら再び立ち上がった。
男性を椅子に座らせたアインは次に紙とペンをレストランのレジカウンターから掴むと自身の電話番号を書き込む。
「ごめん、おばさん。店を滅茶苦茶にしちゃって。これ、俺の電話番号。多分連中、次はもっと人数を連れてくるだろうからこれを渡して」
「で、でも! それじゃあアインちゃんが……! 」
「……いいよ。"ケジメはつける"とだけ伝えてほしい」
何かを言いかけていた彼女を無視してアインは倒した男たちの一人から携帯を掠め取り、警察の緊急連絡先の番号を入力した後にそれを店主に手渡した。
そのまま有無を言わさずに中華料理店を立ち去り、再びアインの姿は都会の喧騒へ消えていった。
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<アパート>
適当に市街地を周っていたせいか、既に部屋の時計の時刻は夕方を指している。
玄関でワークブーツを脱ぎ、ジャケットをハンガーラックに掛けるとアインはそのまま殺風景なリビングに置かれたソファに腰を下ろした。
「……あの店、もう行けないな」
自嘲気味に笑みを浮かべ、テーブルの上に置いてあった煙草の箱と古ぼけた銀色のジッポライターを掴み取る。
箱の底をテーブルに軽く叩きつけ、巻き煙草のフィルターが顔を出すと彼はそれを口に咥え、ジッポライターの火を先端に近づけた。
深く息を吐き出し、周囲に紫煙が煙る。
左手の中にあったライターを見つめ、ボディに刻まれた”EarlGray Hound”の文字を親指でそっとなぞった。
これを渡してきたのも、アインをリー・シャオロンから解放したマークだ。
何故彼がこれを持っていたのかはわからないが、きっと彼もアールグレイ・ハウンドと知り合っていたのだろう。
“どうしたって、忘れようとしたって過去は纏わりついてくる”。
悲し気にそう言い放った、マークの顔がアインの脳裏に浮かび上がる。
「お前の言う通りだな……マーク」
今まで動物園で飼われていたライオンが、いきなり野生の世界に解き放たれたらどうなるかは、アインが一番良く知っていた。
待ち受けるのは死のみ。
結局、裏の世界で生きてきた人間には表の社会は眩しすぎるのだ。
「……なぁ、グレイ。俺は一体……いったいどうしたら、いいのかな」
己のヒーローに助けを求めるかのように、か細い声でアインは呟く。
あの男の背中は、今も鮮明に彼の頭に焼き付いて離れる事はなかった。
手にしていた煙草が短くなり、傍にあった灰皿で押しつぶそうとした瞬間。
アインの携帯が着信を知らせ、彼は画面を目にする。
――覚えのない番号だ。
受話器ボタンを押すと、彼はゆっくりとスピーカーに耳を当てる。
「――お前が、今日の騒動の張本人か? 」
おそらく、昼のチンピラたちのボスであろう人物の声が聞こえた。
ソファから立ち上がり、閉められていたカーテンを少しだけ開ける。
アインのアパートの下には、黒いバンが路駐していた。
あぁ、と彼はそう答えると姿を隠すように窓からゆっくりと距離を取る。
「少し話がある。場所はここから少しだけ離れた港の倉庫だ。着いたらこの番号に掛けてこい」
途端に電話が切れ、アインは携帯をジーンズのポケットに仕舞うと目に掛かっていた前髪をかき上げた。
次にクローゼットの扉を開け、奥に手を伸ばす。
固く重い鉄の感触と、手に吸い付くように握られた木製のグリップ。
ゆっくりと両手を引くと彼の愛用していた日本刀と回転式拳銃S&W M586が姿を現した。
――また、これを使う日が来るとはな。
再び自嘲気味に笑みを浮かべたアインはジャケットを脱ぎ捨て、クローゼットに
掛かっていた黒いロングコートに腕を通す。
「……グレイ、シノ、そしてマーク。俺にまた、力を貸してくれ」
懇願するようにそう呟くと、アインはアパートを後にする。
風に靡いたロングコートの裾が揺れるその後ろ姿は正に、死の芳香を漂わせていた。