Report Four. Just One Order
<日々谷警備保障・更衣室>
仕事を終えた彼らが会社に戻る頃には既にオレンジ色の夕日は地平線に沈みかかっており、鉄男と英治を別行動を取ることになった貴士。
彼は社長である小百合に報告を済ませ、血糊の付着した制服を見に纏ったまま宛がわれていた簡易倉庫の扉を開ける。
黒い制服を脱いでからハンガーに両袖を通し、更衣室に設置されていたクリーニング用の箱に入れると再びロッカーの中に手を伸ばした。
「あー、疲れたぁ。早く帰って寝てぇなぁ」
「お、貴士か。お疲れさん、今上がりみたいだな? 」
「どうも旦那。そうだね、今終わったとこ」
着替えている最中に更衣室へと入ってきたのは、腰まで伸びた黒い長髪を揺らす兎塚二郎である。
冬の寒い季節の中でも額に汗を浮かばせ灰色の半袖Tシャツの胸元を扇いでいる様子から見るに、トレーニングを終えて帰宅しようとしていたのだろう。
彼は伸ばしたままにしていた長髪の横の部分を鬱陶しそうに耳に掛けるとロッカーの扉を開け、ヘアゴムを口に咥えながら髪を纏め始めた。
「今日の仕事、どうだった? 」
「どうも何も、いつも通りの簡単なお仕事さ。それに今日は忍者もいたしな」
そうか、と二郎は相槌を打ちながらTシャツを脱ぎ始め、鍛え上げられた上半身と幾つかの銃創が貴士の目に映る。
彼の経歴は耳にしたことは無いがこの会社に来る前も業務と同じような修羅場を潜り抜けてきたのだろうと、貴士は自身にそう言い聞かせた。
事実この日々谷警備保障には二郎のように経歴が謎な人物が多く、貴士自身も己の経歴を隠している節がある。
互いに深くは踏み込まない。
それでも戦場に立ったら背中を預け、降りかかる火の粉は払う。
なんとも数奇な会社に来たものだ、と彼は自嘲気味に口角を吊り上げた。
「貴士、今日の夜空いてるか? 」
「へ? 空いてるけど、どうかした? 」
「新人の歓迎会でも開こうと思ってな、伯と英治、それにお前で飯でも食いに行こうという算段さ」
「お、いいねぇ。雪ちゃんは来ないのか? 」
貴士の問いに黒いタートルネックのセーターに着替えていた二郎は肩を竦める。
荒城伯に大勢待吹雪。
二人は真反対の性格ながらもこの日々谷警備保障にやって来た新入社員で、貴士自身も何度か話した事はある。
保曰く伯は"殺しの優等生"、対する吹雪は"暴風雨"といった雰囲気で業務を完遂するらしい。
彼自身、二人の仕事振りに関心を寄せていたが未だに仕事を共にこなせていない為、正直あまり信用はしていなかった。
「ま、あいつと飯に行くのはまた今度かな。とりあえず行くって事でよろしく、店はいつものとこでいいかい? 」
「あぁ。俺は先に行ってるつもりだが、お前はどうする? 」
「一服して、その後家に帰ってから向かうよ。流石に血の匂いをプンプンさせて行くのはまずいでしょ」
違いない、と二郎は笑みを浮かべながら黒のダウンジャケットを羽織り、更衣室を後にする。
そんな彼を見送りながら貴士も下着を脱ぎ捨て、ハンガーに掛かっていた紺色のシャツに腕を通した後に灰色のVネックセーターを身に纏った。
「財布と携帯……よしっ」
存外忘れっぽい性格であるので、こうして退社する際には必ず荷物のチェックを貴士は行なっている。
会社の備品を忘れでもしたら事務員であるみどりにこってり叱られる、というのもあってか彼は入社してからだらしない性格が治りつつあった。
その後灰色のライダースジャケットを羽織った貴士はロッカーの鍵を閉め、一人ロッカールームを後にする。
彼が向かった先は喫煙所のある屋上であった。
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<屋上>
外へと続く階段の登り、アルミ製の扉を開けると一気に冷えた空気が貴士の全身を包み込む。
暖房の利いた更衣室から気温が急激に低下したせいか、彼はくしゃみをして大声を張り上げてしまう。
「うひぃ、寒いなぁ。俺、寒いの苦手なんだよぉ……」
誰もいない屋上で一人呟きながら、貴士は肩に提げていた黒い鞄から愛用の古ぼけたジッポライターとラッキーストライクを取り出した。
ソフトボックスを上下に振りつつ姿を現した巻き煙草のフィルターを口に咥えると、煙草の先に火を点ける。
暫くしてからオレンジ色の火が掌を暖かく包み込み、そのまま息を吐いた。
紫煙が煙る様子を一瞥し、既に紺色がかった寒空の彼方へ煙が消えていく様子を見つめていると貴士の身体は煙草特有の心地良さに包まれる。
「仕事後の一本は格別だねぇ……」
俺も歳を取ったな、と自嘲気味に吐いた言葉を胸の奥に仕舞うとライターと煙草の箱を鞄の中に放り込んだ。
右手でフィルターを持ち、履いていたジーンズのポケットに突っ込んでいたスマートフォンを取り出して弄り始める。
その時だった。
誰も来るはずのない屋上のドアが開き、幼さを顔に残した中性的な彼が現れたのは。
「あっ、どうも。えっと……」
「畑貴士。貴士でいいよ、伯ちゃん」
照れ臭そうに伯は頬を赤らめ、屋上の柵に凭れ掛かっていた貴士の隣に移動する。
若干19歳という若さでこの会社に入社した彼の姿は、どう見ても殺しを行える風貌ではない。
「もしかして伯ちゃんも煙草吸うのかい? 良い子そうに見えて、案外やる事はやってるんだねぇ 」
「あはは、僕は吸いませんよ。仕事が終わったとこなんですけど、少しだけ風に当たりたくって」
「ん、そうか。まあそういう時もあるよね」
二人の間に走る沈黙。
相も変わらず煙草を吸って煙を吐いている貴士は入り口のすぐ傍にあった自販機まで足を運び、徐に小銭を入れて缶コーヒーとココアを購入した。
「伯ちゃん、ほれ」
「え? う、うわっと」
貴士はスチール缶に入った暖かいココアを伯に投げ渡し、先ほど自身が立っていた場所に戻ると缶コーヒーのプルタブを開ける。
ミルクの入ったコーヒーを口に含むと、僅かばかりのほろ苦さと煙草の渋みが合わさって独特の風味を生み出した。
「ありがとうございます。奢ってもらえるなんて……」
「気にすんなよ。新人にゃ優しくするのが俺の主義でね」
少しだけ短くなった煙草を吸いながら、コーヒーを口に含む貴士。
「……あの、一つ聞いてもいいですか? 」
「ん? どした? 」
「――貴士さんって、武器に凄い拘りを持ってるって聞いたんですけど……それは、どうしてでしょうか? 」
一瞬だけ、言葉を失った。
そして一度だけ伯を、貴士は疑った。
一体どこから自分の情報が流れたのか。
それはともかく、何故一度も共に仕事をした事がない彼がそんな事を聞いてくるのか。
だが、貴士はそんな猜疑心を捨てる直ぐに捨てる事となる。
彼の目を、見たその時から。
(――こいつ)
俺と、一緒だ。
嘗ての俺と、同じ目をしている。
貴士は一瞬だけ崩していた表情を崩し、笑みを作り直す。
彼には伯の問いの真意がすぐに理解できた。
"迷っている"。
そしてそれを、己の手で解決しようとしている。
ならば、自分に出来る事は一つだった。
「……俺を救ってくれたヒーローが、持ってたものさ。絶望から、死の淵から俺を救ってくれた……二人のヒーローがな」
「ヒーロー……ですか? 」
あぁ、と貴士は照れ臭そうに相槌を打つ。
そして彼の脳裏に蘇る、幼い頃の記憶。
孤児院を抜け出し、北米の麻薬王に尖兵として飼われていた日々。
取引が失敗に終わり、相手との撃ち合いになった幼い頃の貴士は問答無用で撃ち殺されそうになっていた。
"坊主、そんな物騒なもん持って何してんだ?"
"後は、俺達に任せてくれ。"
あの時の顔と後ろ姿は、今でも鮮明に思い出せる。
絹糸のような美しい銀髪を携えた男と、人懐っこい笑顔を浮かべて安心させてくれた茶髪の男。
「……俺にはお前が何に迷っているのかは知らない。ただ、ここに入ったからには一つ……忘れちゃいけない事がある。信念を忘れるな」
「……」
既にフィルターギリギリにまでなっていた煙草を飲み干した缶コーヒーの中に入れて火を消すと、彼は向かい合った伯の肩を叩いた。
あの男のような――アールグレイ・ハウンドのような笑みを浮かべて。
「あ、そうだ。二郎たちと飯食いに行くんだろ? 俺も後で向かうから、よろしくな」
「あっ……は、はい! 」
伯に別れを告げ、吸殻の入った空き缶をゴミ箱に捨てると貴士は屋上の出口へと向かう。
「……ちょっと、カッコつけすぎたかな」
その言葉は既に、伯には届かなかった。