Report Thirteen. 表裏一体
<某所・パン屋>
「天音、美雨……」
「そうそう。君は? 」
「ア……じゃなかった、俺は畑貴士。この上のアパートに住んでるんだ。つい昨日越してきた」
差し出された女性らしい細い手を握り、貴士と美雨は握手を交わす。
その様子を満面の笑みで見つめていた小百合はよし、と言いながら二人の肩を叩いた。
「ねえ美雨ちゃん? 私これからお仕事あるから、この子の町案内頼まれてくれないかなぁ? 」
「まあ丁度バイト終わった所だしいいですけど……。私、あんまこの辺とか知らないですよ? 」
「お金は弾むわ」
「よっしゃあ任せてください姉御ォ! 」
力強い返事をする美雨に若干の不安さを抱くも、貴士は先に立ち去る小百合を見送る。
店内に二人だけとなった途端、彼女が振り向いた。
「今から着替えてくるからちょっと待っててね」
「え、でもそんな必要は……」
「いいの! 外行くのに変な恰好じゃ私が嫌なんだって」
彼女の力強さに押され、貴士は店内で待ちぼうけを食らう。
数分後、エプロンと三角頭巾姿からボーイッシュな服に着替えた彼女が現れた。
深緑のスキニーパンツに、柄物の白Tシャツの上に白のスタジャン。
笑顔を浮かべながら近づいてくる美雨に、正直言って貴士は妙な縁さえ感じている。
「おまたせ! ……って、どしたの? なんかすんごく神妙な顔つきだけど」
「元々だよ。それより、行こうか。俺腹減ってきた」
「嘘、さっきうちで食べてなかったっけ? 」
「あれじゃ食べた内に入らない。ともかく、美味い店とか知ってる? 」
「おっ、それあたしに聞くぅ? 任せてよ、昼食ソムリエと呼ばれたこの私に掛かれば貴士君の胃も鷲掴みにしてみせよう! 」
妙にテンションが高い彼女を一瞥しながら貴士は店を先に出た。
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<市内駅前・レストラン>
彼女の案内によって市内を闊歩する事約数十分。
二人は駅の商店街の奥にひっそりと佇んでいた小さな洋食屋で昼食を取る事に決め、扉を開けた瞬間に涼しい冷房の風が貴士の身体を冷やした。
「いらっしゃい、何名様? 」
「二人でお願いします! 」
初老の店長らしき人物が彼らを席へと案内し、美雨と向かい合わせに座る。
まもなくして店員がコップに入った水を渡すと彼女はメニューを手に取った。
「貴士君どんなの好きなの? 」
「特には無いけど……。おすすめは? 」
照れ臭そうに彼女は頭を掻き始める。
「じ、実はここ入ったの初めてで……良く知らないんだ」
「昼飯の達人じゃなかったのか? まあいいや、先に決めていいよ」
「お言葉に甘えて」
プラスチック製の冊子に目配せしつつ、きらきらと目を輝かせている光景がなんだが可笑しく見える。
先ほど持ってきてもらったコップの縁を傾けながら貴士は窓の外へ視線を傾けた。
先ほどから数人のスーツの男が、こちらへチラチラと目配せをしている。
連中は平静を装ってはいるが不審な動きである事には変わりはない。
監視されているのは自分ではなく、美雨である事に貴士は気づく。
当の本人は昼食を決めることに夢中で、窓の外に見向きもしていない。
「……………」
「貴士君? おーい、外見ちゃってどうしたのさ」
呼びかけを無視し、彼はただ外を見つめながら男たちの行動を見続ける。
貴士の視線に気が付いたのか、彼らは逃げるようにその場から去って行った。
安心したかのように視線を窓から離すと、目の前には膨れっ面の美雨の姿が浮かぶ。
「……女の子を無視して外を見るとはいただけませんなぁ貴士君? 」
「ご、ごめん……ちょっと煙草吸いたくなっちゃって」
「喫煙者なんだ? タバコは良くないぞ、と言いたいとこだけどあたしも吸ってたしなぁ……」
「へぇ、何吸ってたの? 」
「パーラメント。あ、あたし決まったから次貴士君が決めて」
言われるがままに美雨からメニューを受け取り、今日の昼食を吟味し始めた。
日本は特に食文化が進んでいると聞いていたので、どれも美味そうに見える。
「……この、オムハヤシにしようかな。店員さん呼ぶね」
間もなくして女性のウェイトレスが二人の注文を聞き取ると一礼してその場を去り、貴士はコップの縁を再び傾けた。
「そう言えば昨日はなんであんなに急いでたんだ? 」
「あー……。実は友達との約束に遅刻しそうで……。同期の飲み会があってね、それに遅れそうだったの」
「昨日飲んだ割には二日酔いしていないな。強いのか? 」
「へへ、酒の強さには自信あるからね。今度一緒に飲む? 」
美雨の問いに貴士は顎に手を当てて考え始める。
「酔いつぶれた時はどのくらい飲んでた? 」
「えっと……テキーラのショット3杯はいってたかな」
「じゃあ大丈夫そうだ。今度行こう。何なら行きつけのバーでも教えてくれ」
「おっ、これは挑戦状を叩き付けられたかな? お姉さん負けないぞ~? 」
どうやら彼女は相当酒の強さに自信があるらしく、いたずらに笑みを浮かべた。
一方で貴士自身も酒に潰れた事はないので、妙な闘争心が生まれる。
「だったら今夜空いてるか? 俺はまだ仕事らしい仕事はないだろうし、おそらく定時には上がれる。そっちは? 」
「その挑戦、受けて立とうじゃないか! 酔っぱらってお姉さんの肩借りても知らないからな~」
笑みを浮かべながら二人は今夜の日程を調整し始めた。
間もなく彼らの注文した料理が運び込まれ、飲み比べの事など忘れてしまったのは別の話。
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<市内某所・駅前>
洋食屋で昼食を済ませた二人は再び市内を闊歩しており、貴士が食後の一服をしようと駅前の喫煙所に寄り掛かかる。
煙草の箱を取り出そうとした瞬間に彼のスマートフォンが鳴り響き、周囲の人間から訝し気な視線を向けられた。
『もしもし、貴士かい? 僕だ』
「二郎か。どうしたんだ? 」
連絡の主は兎塚二郎、日々谷警備会社では彼の先輩に当たる男だ。
優し気な声音ではあるが、その声は何処となく重みを孕んでいる。
『初仕事だよ。デート中に邪魔して悪いが、威瀬会系列の暴力団の一派に動きがあった。会社には戻れるかい? 』
「デートってそんな大げさな……。でも分かった。もう道は覚えたから直ぐに戻る」
ああそれと、と二郎は付け足した。
『彼女には仕事のことは口外厳禁だ。巻き込まれる可能性もあるからね』
「大丈夫、元から言うつもりもないよ。それじゃあ、またあとで」
その言葉と共は貴士は電話を切る。
鈍色のジッポライターとラッキーストライクの箱をポケットに仕舞いこみ、一人彼を待つ美雨の下へ急いだ。
「あれ、吸わなくてよかったの? 」
「ごめん、今会社の人から連絡があって戻ってきてほしいらしい。ここで一旦お別れだ」
彼の言葉に少しだけ残念そうな表情を浮かべてから美雨は微笑む。
「そっか。あ、もし今日の夜の飲み会が無理そうなら連絡しなくてもいいからね。小百合さんも忙しそうだからそっちを優先してあげて」
「……なるべく戻るようにはするよ。それに、女の子を夜に待ちぼうけさせるのも気が引ける」
「なーに言ってんの、気にしなくていいって。あたしもそろそろ戻らなきゃいけないし、じゃあね」
「あぁ。案内有難う」
また夜に、という言葉と共に二人は別れ貴士は会社へと向かう道を歩き始める。
先ほどの優し気な表情を崩し、氷のように冷たい双眸を開いた。
自分はあまり人と関わるべきではない。
それこそ彼女のような表の世界に生きる人間が自分のせいで傷ついてしまう事だって有り得る、あの時の中華料理屋のように。
そして洋食屋から見かけたあのスーツの男達の事も気になる。
彼女を狙っているのならば、容赦はしない。
「……今宵は死の芳香が漂う、か」
こうして、畑貴士としての初仕事が始まりを告げた。




