Report Eleven. 邂逅
<国際空港・到着口>
香港からの約4時間弱のフライトを経て、貴士を含めた4人は空港の入国ゲートに到着する。
仕事の報酬であった日本に入国する為のパスポートと戸籍が使えるか正直不安であったが、税関審査を難なくクリアし貴士は密かに胸を撫で下ろした。
最近設立されたこの空港の内部は真新しく、日本に初めて訪れる彼からしたら目を輝かせる程の広さと最新の設備を備えている。
そんな彼の様子に隣を歩く二郎は口角を吊り上げ、貴士の肩を叩いた。
「なあ、小百合さん。僕たち、機内食じゃ足りなくて何か腹に入れておきたいんだけど……。ほら、この後色々と忙しいだろう? 」
「うーん、言われてみれば……」
「ダメだよ二郎ちゃん。先ず先に葉月さんと貴ちゃん顔合わせでしょ? 葉月たんの時間に遅れるとかコレよコレ」
「そりゃあそうだけどさ……。僕もうお腹ペコペコだよ」
みどりは親指で首を切る仕草を見せ、二郎の提案に異を唱えた。
どれだけ恐ろしい人物なんだろうか、と貴士は内心怯えながらもみどりの意見に賛同し到着ロビーを後にする。
貴士の使用していた武器は既に香港で廃棄済みであり、彼の荷物は日用品と下着、加えて愛用のジャケットだけであった。
普段なら武器を密輸している筈だが、今回はそうもいかない。
果たしてどうやって武器を調達するのか内心不安であったが、革製のボストンバッグを肩に担ぎながら小百合達の後を追う。
「今何時だっけ? 」
「13時半過ぎよ。葉月ちゃんとの待ち合わせは15時半過ぎ。まあ、早めに着いておいた方が良いでしょ」
「そうだねぇ。時間に遅刻してハラキリなんて嫌だし」
「葉月、という人はそんなに恐ろしい人なのか……? 」
「そりゃあもう。貴ちゃんなんかちびりまくりよ」
「……くっ……漏らしはしない……! 」
「ははは、みどりさん貴士をあまりいじめないでくれ」
そんな事を話しながら、4人は空港の出口へと辿り着く。
一階のロータリーに赴き、そこには灰色のジープ チェロキーが停車していた。
彼らの姿を見るなり運転席からスーツ姿の男が降りてくる。
どうやらこちらの到着を待っていたのであろう、深々とお辞儀をしながら歩み寄ってきた。
「御無沙汰しております、小百合様」
「あら、松代さん。お迎えだなんて良かったのに」
小百合と和やかな談笑を繰り広げる松代、という男性は二郎やみどりとも挨拶を交わした後に貴士の方にも手を差し出す。
白髪交じりの髪の毛を整えた彼の頭からポマードの香りが漂い、警戒心を抱いていた貴士の緊張を自然と解いた。
「貴方が小百合様の仰っていた方ですね。松代忠仁、葉月様の所で執事を務めさせて頂いております」
「……畑貴士です。よろしくお願い、します」
ぎこちない敬語を使いながら松代と固い握手を交わす。
うっかり自身の事をアインと呼びそうになったが、今は与えられた名前がある事を思い出した。
「まだ時間も早いですが、葉月様の所へお連れします。既に貴士様にはお伝えしてあるのでしょう? 」
「勿論。彼もこれから社員として働いてもらうわ」
「承知いたしました。では、どうぞお乗りになって」
松代の纏う燕尾服やポマードの香りが彼の紳士性をより惹き立て、荷物をトランクに仕舞い終えると後部座席にみどりと小百合、貴士を乗せた。
二郎は先に助手席へと腰を落ち着けており、大きな欠伸を掻く。
間もなくジープチェロキーは空港のロータリーを後にし、高速道路へと消えていった。
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<県内某所・安藤邸>
約一時間のドライブを経て、貴士たちは葉月という出資者のいる邸宅へ到着する。
焦げ茶と白で統一された巨大な日本家屋の内部には和風な庭園や枯山水庭園が幾つも並び、厳かな雰囲気をを漂わせていた。
邸内に入った瞬間数人の使用人が4人の荷物を預かり、身軽な状態となった彼らは松代によって客間へと案内される。
シカゴや香港にいた時は洋風な邸宅に連れて行かれもしたが、ここまでの気品と美しさを兼ね備えた建物ではなかった。
改めて日本の美しさというものを肌身で感じた貴士は内心、彼らに付いて来て良かったと感じる。
小百合や二郎がソファに座り、みどりは客間の座敷に胡坐を掻きながら上体を伸ばしていた。
各々がリラックスした状態で葉月が来るのを待っていると、部屋の扉がノックされる。
「お久しぶりです、皆さん」
「おっ、来た来た。お久しぶり葉月っしゃん」
松代がドアを開けた先に姿を現したのは、浅葱色の着物を身に纏った黒髪の美人であった。
もっと高齢の女性が現れると思っていた貴士は彼女の若さに驚き、その場から動けずにいる。
大和撫子、まさしくそんな呼び名が似合うであろう。
「……おや、貴方が……」
貴士の姿を見るなり葉月は彼に近づき、手を握った。
その様子を見ていた小百合とみどりは僅かばかり口角を吊り上げ、二郎は肩を竦めている。
「安藤葉月と申します。畑貴士さん、でいらっしゃいますか? 」
「え、あ……は、はい。そうです」
「まあ! でも、こんなにお若い方だとは思いませんでしたわ。小百合さんが"強力な助っ人を見つけた"だなんておっしゃるものだから私、つい……」
「もう少しゴツい男かと思った? 」
はい、と言いながら葉月は着物の袖で口元を隠しながら笑った。
それはこっちも同じだ、と内心思いながら貴士も葉月の向かい側のソファに座る。
「それで、小百合さん。貴士さんにはどれだけお話してらっしゃるんですか? 」
「だいたいの事は伝えてるわ。日本での生活とかそういう話は葉月ちゃんから話してくれると有難いんだけど……」
「もとよりその心算ですわ。松代さん、あれを持ってきてください」
「承知致しました」
葉月にそう言われ部屋を離れる松代は直ぐに戻り、彼の手には大きなジュラルミンケースが握られていた。
ケースを開くとそこには1万円札の札束が数個と戸籍抄本、加えて金色の鍵と身分証明書が綺麗に仕舞われている。
「貴士さん。これが貴方への報酬です。威瀬会の情報収集、私からお礼申し上げますわ」
「……礼には及びません。ここまでしていただけるとは思いませんでしたから」
「中には貴方の偽装戸籍の抄本と身分証明書、今後会社に勤務する上でのアパートの鍵が入っています。このお金は報酬兼入社祝いという事ですので、受け取ってくださいね」
「すごいなあ、貴士。僕の頃にはこんな大金手に入らなかったぞ? 」
「あら、二郎さんにはその分武器や福利厚生にお支払いしてますわ。もしかして、お忘れでして? 」
「あ、あはは……冗談、冗談だよ葉月さん……」
肩を竦めながら弁解する二郎を横目に貴士は松代からケースを受け取り、深々とお辞儀をした。
その時、彼が何かを思い出したかのように掌を叩く。
「葉月様、貴士様にもう一つお見せするものがあるのでは? 」
「あっ、そうでした。松代さん、持って来て下さるかしら? 」
「既に使用人の方に持ってこさせております。入ってください」
松代の声が響くと同時に部屋に黒い刀袋とブリーフケースを手にした男性が入ってきた。
彼は刀袋を貴士に手渡すと、もう一つのケースを開けて中身を彼に見せる。
「これは……」
「二郎様からお聞きして、今後会社に勤務する上での"お仕事道具"をこちらでご用意しました。以前香港では刀と回転式拳銃をお使いになっていた、と聞いております」
「確かにそうですが……。これは……」
袋から抜かずとも、今手にしているものがかなりの業物だと理解できた。
彼がリー・シャオロンの飼い犬時代に使っていたものとは遥かに違う。
目の前の二人に目配せをすると彼らは頷き、貴士は刀袋から取り出す。
漆塗りの黒い鞘から生えるのは、木瓜型の銀鍔と深紅の柄であった。
鎺を外し、鞘から刀身を僅かばかり抜かせると銀とは言い難いほどの輝きを放つ刃が姿を現す。
「銘は紀州光片守長政。名刀工と名高い志鶴長政の逸品です」
「それと、こちらもどうぞ」
松代に言われるがままその方へ視線を向けると、ケースの中に仕舞われた回転式拳銃が貴士の視界に映った。
銃身の長さはおよそ6インチで、鈍い光を放つシリンダーとボディ。
木製のグリップには滑り止めのダイヤモンドテクスチャが敷かれ、またとない安心感を彼に与える。
S&W社製回転式拳銃、M586。
憧れの人であるアールグレイ・ハウンドの使う銃と同じものである。
「何から何まで……。申し訳ない、葉月さん、忠仁さん」
「お気になさらず。新入社員のコンディションを完璧にするのが出資者の務めですから」
「社長の役目でもあるんだけどね」
紀州光片守長政を袋に戻し、M586をケースに戻すと使用人は部屋から立ち去っていった。
「これらの武器は会社の方に送っておきます。貴士さんはこのケースだけお持ちになってください」
「分かりました、ありがとうございます」
「お話は以上です。皆さん、今日はお集まりいただきありがとうございました。また来てくださいね」
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<県内某所・アパート>
出資者である安藤葉月との対談を終え、ボストンバッグとジュラルミンケースを手にしながら貴士は階段を上る。
時刻は既に16時を過ぎており、予想以上に時間が掛かってしまった。
というのも、安藤邸を後にした彼らはその後松代の運転によって市内へと案内され、私鉄の通っている駅で解散となったからである。
初めて訪れた国の鉄道をすべて把握できるほど、貴士も器用ではない。
「何だか今日は凄く疲れた……」
正直に言って晩飯を作るのも億劫だ。
幸い、アパートの下にはパン屋がまだ営業している為、荷物を部屋の玄関で降ろしてから向かう事にする。
階段を数階降り、いざアパートのエントランスから出ようとしたその時であった。
「どいてぇぇぇぇぇーーーッ!! 」
突如として背後から聞こえた女性の絶叫に貴士は思わず身体を強張らせ彼の身体を無理やり避けようとして躓き、体勢を崩した女性の腕を掴む。
「うぉっとぉっ!? 」
貴士はそのまま彼女の身体を自身の胸に引き寄せ、倒れかけていた女を何とか助ける事に成功した。
大丈夫か、と声を掛けようと胸元に視線を落とした瞬間、目が合う。
茶髪のショートヘアにウェリントン型の黒縁眼鏡を掛けたその顔は呆気に取られ、整っている顔立ちも阿呆っぽく見えた。
吸い込まれるような大きい瞳と目が合い、貴士は素早く彼女の身体を引き離す。
「……って、そんな場合じゃなかったんだ!? ごめんね! 」
彼に有無を言わせず眼鏡の女性はエントランスを出ていった。
状況があまり理解できていない彼はしばらくした後、同じようにしてロビーを後にする。
「なんだったんだ、あの子……」
彼の疑問は、夕暮れの空に消えていった。