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The Hound's Sorrow-狼の泪-  作者: 旗戦士
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Report One. 狼の目覚め

<雑居ビル・屋上>


もう、12月になる。

仕事を終えた男は銀縁の眼鏡を中指で掛け直した後、手にした缶コーヒーの暖かさを両手で感じた。

屋上へと続く階段をゆっくりと登り終えた彼はアルミ製のドアノブを捻り、手前に扉を開けると一気に寒さが男の全身を襲う。

この様子だけ見れば、仕事終わりの平社員というイメージを受けるかもしれない。


――しかし。


そんな優男には似合わない、襟もとまで走った赤黒い液体の染み。

腰に差していた漆塗りの鞘に収まる、一振りの刀。


「寒っ……ひーひー、おじさんにはきつい寒さですことねぇ」


そんな事を呟きながら、両肩を竦めつつ男は屋上へと出た。

付着した返り血などいざ知らず、目の前にある缶コーヒーにだけ彼は集中している。


「うー、煙草煙草……あ、あった」


身に纏っていたスーツのポケットから愛用している煙草・ラッキーストライクと金色のジッポライターを取り出すと、冷たい感触が掌に走る。

ソフトボックスを上下に振り、取り出し口から一本の巻き煙草が姿を現した事を確認した彼は口でフィルターを咥えた。

ジッポライターの蓋を開けたと同時に甲高い音が周囲に鳴り響き、ローラーを回して火を点ける。


ふぅ、と煙草の先に火が付いた状態で息を吐き、紫煙を燻ぶらせた。

紺色の寒空に白い煙が天高く舞い上り、その様子を男はじっと見つめる。


このビルの屋上で満月を見据えるこの男の名は(はた)貴士(たかし)

見た目こそ優男な風貌で切り揃えた短めの黒髪に眼鏡を掛けた彼の生業は、現代社会では所謂"裏稼業"と呼ばれている。


日々谷警備保障株式会社。

名前こそ警備会社と名を冠しているが、その実態は非常にアグレッシブなものだ。


財産、人身問わず全てを警護し、敵対する全ての敵を手段を問わず撃滅する。

社会的も、物理的にも。


「おっと、忘れてた」


ふと気が付いたように、夜風で温くなってしまった缶コーヒーのプルタブを開けた。

損したな、と愚痴を溢しながらも缶の飲み口に唇を近づけ、黒い液体を流し込む。


「うげぇー……苦ぇなぁ……ブラックは慣れねえなぁ……」


左手で缶コーヒーを握り、右手で紫煙を燻ぶらせている巻き煙草を持ちながら彼はフィルターから煙を吸った。

渋みを含んだ熱風が彼の口内に染み渡り、深いため息と共に白い煙を吐き出す。


「仕事終わりの煙草ほど、うめぇもんはねえよなぁ……」


多くの人間――ビルの中で息巻いていた暴力団の構成員達を愛用している刀と回転式拳銃(リボルバー)で屠って見せた彼は、やけに満足感の籠った瞳で夜空を仰いだ。

柵に凭れ掛かった瞬間、彼の愛銃であるS&W社製 M586 6Inchがショルダーホルスターに差した状態で揺れる。

程よい重厚感を全身で感じながら貴士はコーヒー缶を口に近づけた。


ふとした拍子に巻かれていた銀色の腕時計、タグホイヤー社製アクアレーサー Calibre16の針が刻んでいる様子を見据える。

そして彼は驚愕の表情を浮かべながら口に含んでいたコーヒーを噴き出し、その勢いでアルミ缶を落としてしまった。


「あっ、やべっ」


幸い、ビルの下には人っ子一人歩いていない。

これでもしも人の頭に落ちでもしたら、一般人に大けがを負わせる所であったろう。

――尤も、それ以外の人間はほぼ全て手に掛けているのだが。


「はぁ~ぁ……帰るか……」


手にしていた煙草を地面に落とし踏みつぶして火を消した後、吸殻を携帯灰皿に放り込むと貴士は再び両肩を竦めながら下の階へと続く扉を開ける。

扉を開けた途端、再び噎せ返るような鉄の匂いと呻き声が聞こえ、呆れたようにため息を吐いた。


「まぁーだ生きてたのか? あんたもしぶといねぇ」

「て……てめぇ……この……ぶっ……殺してや……る……! 」


胸から下腹部に掛けて付けられた刀傷から噴水とも呼べる量の血を垂れ流し、傷を抑えている左手からは溢れんばかりの臓物が見え隠れしている。

そして怒号と共に向けられたのは、ドイツのH&K社から生産されているUSP コンパクトの銃口であった。

まさに決死の覚悟、というやつだろう。


狭い室内に響く、火薬の炸裂音。

外側をニッケルで加工されたフルメタルジャケットの9mm パラベラム弾の薬莢が、地面に落ちる音が続いて聞こえる。


「はっ……あ、あぁ……」


笑みを浮かべる貴士。

USPの銃口から射出されたであろう鉛玉は、彼の右頬を掠めたに過ぎなかった。


「撃ち方、教えてあげよっか? 」


そのまま表情を崩さず貴士は懐に手を突っ込みM586のウッドグリップを握り締め、そして目の前の男と同じように銃口を相手に向ける。

白い月明かりが彼の握る黒いM586のフロントサイトに反射し、神々しく彼自身を照らした。


「じゃあな、おっさん。あんたの死に様、俺が見ててやるよ」


間もなく宣告される死の音色に男は声も出ないようで、ハンマースパーに親指を掛けて撃針を倒す。

貴士が引き金を引いた直後、激しい音を轟かせながら6インチの銃身から射出された.357マグナム弾は文字通り生き残りの頭を弾けさせた。


しかめ面を浮かべつつ彼は愛銃を懐へ仕舞うと浴びた返り血を両手の甲で拭いつつ、出来上がった死体に忌々しげな視線を投げる。

全身に循環していたアドレナリンが通常の量へと戻り、鼻孔がまた"あの匂い"で埋め尽くされた。


「……ったく、せっかくの一張羅が……」


愚痴を溢しながら、再びポケットに手を突っ込んで煙草のソフトボックスとライターを取り出す。

フィルターを噛みながら煙草の先にライターの火を近づけ、息を吸い込んだ。


新たに出来上がった紫煙が、周囲の死臭と混ざり合って独特の香りを生み出し始める。

彼はそんな匂いに死の芳香と名付けながら、暗闇の奥へと消えていった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

<日々谷警備保障・オフィス>



「おはようございまーす」


仕事を終えて自身の所属する会社、日々谷警備保障の社員オフィスへと舞い戻った彼は昨夜のスーツ姿のまま顔を出す。

既に社内時計の針は朝の6時を指しており、各々の机では貴士の同僚たちが死屍累々の光景を作り出していた。


「うっわ……」

「おい……ケツ毛野郎……てめぇどこ行ってやがった……」


まず第一に恨み節を吐いてきたのはボサボサの黒髪に端正な顔立ちに似合わない隈を作った青年、黒沢(くろさわ)鉄男(てつお)である。

書類仕事に追われていたせいか、彼はこの日一睡も出来なかったらしい。


「いや俺も仕事だって。つかテメェケツ毛ってなんだよ頭に植毛すんぞ」

「は? 全身玉無し陰毛野郎に言われたくねえわ」

「んだとコラクソジャム租チン野郎」


互いに胸倉を掴み合い、殴り合おうとしたところで両者の頭が強制的にぶつけられた。

何すんだハゲ、と罵倒を鉄男に送りながらも貴士は恐る恐る顔を上げる。


彼の前には呆れた表情を浮かべている30代半ばの女性が腰に手を当てて立っていた。


日々(ひびや) 小百合(さゆり)


この警備保障会社の代表取締役を務める女性であり、鉄男や貴士たち社員兼実働隊を統率する高いカリスマ性を有する女性である。


「ほどほどにしときなさい、二人とも。鉄男君、書類の方は終わったの? 」

「んぁー……まあ、だいたいな。それよりもこの公害悪臭垂れ流しマンをどうにかしてくれ」


「誰が公害じゃ! オメーにだけ副流煙まみれにしてやっからな! 」

「やーいやーい、ニコチン依存症ー。そんなに吸いたきゃ常に鼻に煙草突っ込んどけー」


再び貴士と鉄男が取っ組み合いを起こそうとした次の瞬間、小百合のチョップが彼らの脳天に直撃した。

煌々として美貌を放っている小百合からは想像できない程の痛みが全身に響き渡り、二人は頭を抑えてうずくまる。


「それで、貴士君。貴方に頼んだ仕事の報告を聞きたいんだけど」

「……いたた……奴らはクロだったよ。表沙汰は流通会社、裏は武器を暴力団に流してる連中だった。ひー、まだヒリヒリする」


「そう。それとシャワー室あるから浴びておきなさい、鉄男君も言ってたけど確かに酷い匂いよ」

「うげっ、マジっすか……了解でーす……」


普段飄々としている彼でも、異性に臭いと言われると辛い。

渋々貴士は手渡されたタオルと着替えと手にオフィスを後にした。

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