盃嵐:胴桐美亜
盃嵐が社長を務める『人生不敗』。一応は『人材派遣会社』と銘打ってはいるが、その説明が正確かと言われれば首を横に振らざるを得ない。
その基本的な活動方針も、『誰かの困難を引き受けること』と酷く曖昧である。その内容は犬の散歩から、警察機関の非合法な助成と多岐に渡り、その節操のなさは人材派遣会社と言うよりは、何でも屋と言った方がしっくりと来るだろう。因みに社名の『人生不敗』は、業界内の嵐の通り名であり、自分の名前を会社につける辺り、盃嵐と言う男がどんな人間か想像できるだろう。
そんな自己主張と自意識の強い男が造った会社は、それなりに繁盛していた。もっとも、定期的な仕事があるわけでもないので、暇な時は本当に何もすることがないほど暇であり、今週は先週の忙しさの反動か、見事に何も仕事がない週であった。
「おい、美亜。早く切れよ」
「うるせーな。男なら一時間くらい待てる心の広さを見せてくれよ」
その退屈を理由に、嵐と美亜は会社の入っているマンションの二階にある事務所の休憩室で寂しく二人麻雀をしていた。所謂、賭け麻雀である。賭けられるのは百円オンリーで、大勝ちしている嵐の手元には百円玉が積み上げられているのが見える。嵐の表情には自信に満ちた笑みが広がっている。対照的に対面の美亜の前に硬貨は一枚もなく表情は険しい。
普通の人間であれば、常勝無敗の嵐との対戦は途中で嫌気がさしてくるはずだが、負けず嫌いの美亜は、飽きることもなく五十四回目の敗北を勝利に変えるべく奮闘していた。
「ヒント教えてやろうか? 偶数は危険だぜ。奇数も危険だなー」
その勝利に対する美亜の執着が、嵐の心をくすぐる。性格が良いことに、嵐はさっきからこうやって、美亜が悩み苦しむところを見て楽しんでいた。
決して馬鹿ではないのだが、単純な美亜をからかうのは、嵐にしてみれば、賭け麻雀以上に娯楽らしい。この局も散々悩んだ末に、見事に美亜は嵐に振込んでしまう。悲痛な叫びが、嵐の顔に笑顔を作る。
「もう一回やるか?」
「当然。もう今月入ってから一万円以上負けてるんだぜ?」
予想通りのリターンマッチに、嵐は口端を片方だけ吊り上げる。そう来なくては、面白くない。怒りに震える実亜の手から百円玉を受け取ると、盤上の全ての牌を中央に集めて乱暴な手つきで混ぜ始めた。じゃらじゃらと牌の擦れる音は、うるさいはずなのに妙に心地がいい。
「そういや、美亜。お前最近調子悪いか?」
牌の音に耳を傾けながら、嵐は思い付いたようにそんなことを訊ねた。
「はあ? こんだけ負け込めば誰だって調子も悪くなるわ!」
「違う違う。そう言うことじゃあなくて、お前、今週に入って一度も撫子ちゃんの話しをしないだろ?」
その言葉に図星を突かれたのか、一気に機嫌を悪くした美亜の表情に、嵐は楽しそうに口元を緩める。誰かのトラブルは、嵐の仕事である。誰かの困難や苦悩こそが、食い扶持なのだ。誰かの悲劇を必要とする、最低の業務。それが人生不敗だ。
「どうだ? 悩みがあるなら社員割引で解決してやるぜ?」
人の不幸こそ密の味。他人を地獄の底から引き上げてこその盃嵐。
美亜は一瞬だけ逡巡したが、深い溜息を吐くと「タダなら良いか」と語り始めた。誰も十割引とは言っていないのだが、嵐は訂正を入れない。タダだと思い込んだ美亜に、請求書を突き付けたときの顔を見るのも愉しそうだ。
「実はさ、撫子の様子がおかしいんだよ。最近」
話を聞きながら、嵐は卓の上の手を一旦止める。十分に混ざったことを確認すると、適当に牌を手元に集めて詰み始める。嵐はどれほど訓練したのか、手元を一切見ることはなく、信じられないスピードで牌を二段に重ね上げていく。
「まずさ、朝の洗面台に篭っている時間が倍くらいになったんだよ」
「ふーん。年頃の娘にはありがちなことだろ? 雀だって馬鹿みたいに長い時間を、鏡に映った自分との格闘に費やしているぜ?」
手早く自分が担当する山を作り上げた嵐が、退屈そうに答える。
「それだけじゃあない。撫子の奴がスマホを構う頻度が急激に上昇したんだ」
「急激って言うと? 後、手を動かせ、手を」
「わかってるって」
言われて美亜は牌を積み始める。そのスピードは半年前に麻雀を始めた人間としては上等だったが、この会社で勝つ気ならば、その動きは遅すぎると言わざるを得なかった。最低でも、牌に付いた傷や汚れに気が付き、意図的に牌を山に詰めなければ勝ち目はないだろう。
「いっつも自室の机の上に置いたままだったのに、最近は常にポケットに入れて持ち歩いているんだ。なんか良くメールしてるし」
「何でメールってわかるんだよ……ゲームにはまっているんじゃあないのか?」
携帯電話なりスマホなりに固執するのは、女子高生の性質みたいなものだろう。嵐は適当に言ってサイコロを振る。出た目に従って、互いに決められた数の牌を山から取る。サイコロの目も、詰んだ牌も全て仕組まれたものであり、手元に集まった牌は嵐にしてみれば予定調和の結果だった。
始まる以前に、勝負は決まっているというのに、美亜は気が付く様子を微塵とも見せずに、手元の牌を見て首かしげながら、撫子の様子の変化について続きを語る。
「そして何より、弁当を二つ作って学校に持っていってるんだ!」
「ああ、それは男だ。百パーセント間違いない」
数学の問題より簡単な美亜の悩みに、嵐が期待はずれだと、漢数字が彫られた牌を切る。
「彼氏の為に身だしなみを整えて、彼氏と楽しい連絡を取り合って、彼氏と一緒に昼ご飯食べているんだよ。ほれ、早く切れよ」
「違う! 断じてそれはない!」
これ以上ない答えの何処が気に入らないのか、立ち上がって喚く美亜。いつものことだが、就業中の飲酒を疑わざるを得ないテンションだった。
「彼氏とかありえないから!」
「いや、彼氏じゃあなかったら、その行動の変化は何なんだよ。そっちのが怖いぞ」
もう既に、嵐の中ではその話を終わってしまったのだが、美亜は声を大にして主張する。こうやって、面倒ごとを安請け合いするのが、トラブルの元なんだろうなと、今更ながら自分の先見性のなさを確認する嵐。
「それがわからないから、今週に入ってからずっと困ってんだよ!」
だが、それよりも問題なのは、目の前の女が非常識と言うものを知らないことだろう。
「何でお前がキレてんだよ」
相手をするのも面倒だと、早く牌を切ってくれと、嵐は顎で促す。が、最早麻雀どころではないと、美亜は座ろうともせずに落ち着きなく立ったまま貧乏ゆすりを始める。
「お姉ちゃんに弁当を渡さずに、誰に渡すって言うんだよ! 携帯だって、一緒に選んだんだぜ? それなのに、男? 嘘に決まってる!」
「お前、絶対変な犯罪起こすなよ? フリじゃあないからな。弁護できないから」
これで二十歳を過ぎているのだから、恐ろしい。嵐はまだ若いつもりであったが、『最近の若者は』と嘆く人間の気持ちが理解できてしまった。
「撫子より重要な法は、撫子の身の安全を保障してくれる法だけだ」
そんなピンポイントな法は絶対にないだろうと、嵐は溜息を吐く。真っ直ぐに見下して来る視線は真剣そのもので、冗句でないと語っている。
「ったく。シスコンも良いけど、いい加減現実を視ようぜ?」
「現実? 雄志を弟と呼ぶのが現実? ふざけるんじゃあねえ! 認められるか!」
拳を硬く握り締めて、美亜が吼える。
「雄志? 雄志って、あの鬼頭雄志か?」
人差指で耳の穴を押えながら、いきなり飛び出した名前に嵐は首を捻る。
「だから、雄志と撫子が一緒に二人っきりで映画を見に行っていたんだよ!」
そんなことは一言も聴いていないので、怒鳴られるのは理不尽に感じたが、
「そう言えば」と髪の毛を掻き混ぜ、嵐は二週間程前の雀の台詞を思い出す。記憶が正しければ、雀も同じようなことを言っていた気がする。その時は出張中で忙しかったのと、雄志が誰かと付き合うなんて想像できないので無視したが、妹ラブの美亜が撫子を出汁にした冗談を言うはずがないので、本当のことなのだろう。
姉の一件があるので、女性とは距離を置いているように見えた雄志だが、しっかりと高校生活を満喫していることが、嵐には少し嬉しかった。
「なんだよ。撫子ちゃんと雄志が? おじさん意外だなー」
「意外だろ? そんな意外なことが起こるはずないからな。多分、それはフェイクだ」
対照的に、美亜はやはり事実を認めようとはしない。何が言いたいのかは全然わからないが、とにかく必死なのは伝わってきた。だが、撫子の相手が知っている雄志であるとなれば、嵐はその反応が気に入らない。
「雄志の何処が駄目なんだよ。あいつ、いい奴だぜ?」
身内を自慢するようでなんだが、中学二年生の途中から預かっている嵐としては、雄志はそこらの男子高校生よりよっぽど真面目で真摯な人間だと思っている。背も高いし、体格も良い。ここで非合法なバイトをしているので金回りも悪くはない。性格だって多少暗いが、話しかけても無視するようなことはない、気は優しくて力持ち。動物に例えるなら蜂蜜しか食べない熊のような男だ。これで肌が黄色でフェルトだったら、完璧だ。
もっとも、同僚である美亜はそんなこと重々承知だと、嵐の言葉に頷く。
「それは知ってる。良くフランシーヌで奢ってくれるからな」
「言っとくけど、お前の場合は『たかる』だからな?」
ようやくこちらの言分を聞いてくれた美亜だが、その内容は相変わらず酷い。それなりに給料は渡しているのだから、自分より収入の低い人間に金を出させるなと注意をする。
「雄志はそりゃあ頼りになるぜ? でも、違うんだよ」
自分に都合の悪い言葉は全て無視して、美亜は再び椅子に腰を据えると、長い足と腕を組む。ようやく麻雀のことを思い出したのか、手持ちの牌から切る物を選びながら、続きを口にした。
「撫子の彼女じゃあ、ないと思うんだよ」
一つ覚えに同じことを繰り返す美亜に、嵐は呆れを通り越して清々しさすら覚える。
「お前、本当にシスコンなのか? 冗談だよな? 過剰表現だよな? 妹とは結婚できないんだよ?」
「いや、シスコンなんだけど」
まさかのカミングアウトではあったが、今更驚くようなことではないか。
「しかし彼氏じゃあないとしたら、なんなんだよ」
と投げやりに訊ねる嵐。少しだけ、今度は一体どんな奇天烈なことを言うのだろうかと、期待がこもっていたことは内緒だ。
「単純に、撫子が人を好きになるって言うのが、漠然としすぎていて信じられないんだ」
右手と左手に一牌ずつ握り込んで、美亜が神妙な様子で呟く。
「だってよ、今まで一回も男友達を連れてきたこともないんだぜ? そんな撫子が突然映画に誘って、弁当持っていくと思うか?」
言われてみれば、それは妙な気がする。まともなことも言うんだなと、嵐は首肯した。
「それに行動が突然すぎる。男と手も繋いだことがないような奴が、根性だけで映画に誘えるか? そのことについて悩んでいる風だったのも見たことがないし、第一、雄志と撫子の接点は学校のみだ。まだ新学期が始まって二ヶ月ないんだぜ? 学年が違う二人がどう出会ったんだ? 引っ込み事案の撫子が、そんな短い期間で告白できるもんなのか?」
右手に持っていた鮮やかな鳥の彫られた牌を卓の上に叩きつける美亜。その台詞は一々正論に聴こえなくもないが、シスコンの偏見が入っていることは否定できない。
だいたい実際問題として二人が交際をしているのであれば、そんな撫子の人格なんて関係がない。がんばったから、勇気を出したから、たったの一言で結論が付いてしまう些細な問題だ。
「ってか、雄志の方から告白するって言うパターンはお前の妄想にないのか?」
自分で言ってありえないと嵐も思うが、その可能性はゼロではない。あの事件のことがあるが、姉のことを吹っ切ったのであれば、あるいはありえるだろう。
「ないね。あいつが告白とか、撫子以上に想像できんぞ」
が、美亜はその可能性を即一刀両断した。
「それもそうだな。撫子ちゃんが弁当を甲斐甲斐しく作っているあたり、撫子ちゃんからアタックしたと考えるのが妥当か」
もっとも、彼女と弁当を食べるような、楽しい高校生活を送った記憶は嵐に一切ないので、その辺りは完全に想像の域を出ない。そもそも小学校すら卒業していない。最終学歴は幼稚園児卒である。
「そういや、美亜。お前、撫子ちゃんに直接訊いたのか?」
想像と言えば、撫子と雄志が付き合っているというのも、状況証拠であって、言質も物的な証拠も一切ない。
「チクショウ、私だって弁当作ってもらったことないぞ! うらやまけしからん!」
「聴けよ。相談乗ってやってるんだから」
何時になくまともに会話が成立しないのだが、ここまで露骨に話を逸らすと言うことは、恐らく訊いていない。訊いていないからこそ、真実を知るのに勇気が必要で、現実逃避をしているのだろう。
上司に対してこれだけ物怖じせずに発言できているのに、どうして実の妹に「彼氏でもできた?」と訊けないのだろうか? 普段の様子から考えれば、冗談のようにして訊くぐらいのことは朝飯前に思えるのだが。
「そんなこと、怖くて訊けるか!」
「よし、じゃあ俺が訊いてやるよ」
情けない美亜の言葉に、嵐が唇を楽しそうに歪める。
「雄志が帰ってきたら、俺が訊いてやるよ。胴桐美亜依頼人」
細めた目で見た美亜の表情は、面白い位引き攣っていて、この世の終わりを体感しているようだった。
「今日一番の表情だ」
嵐の皮肉も届いていないようで、実亜は「う、あ」と激しく混乱していた。その様子はマイペースな美亜には珍しく、嵐の予想を遙かに超える動揺の仕方だった。
「どうしてそんなに妹が好きなんだよ? 俺には血の繋がった家族なんていないけど、そんなにいいものなのか?」
その様子から、妹に対する必要以上の執着を感じ、首を捻る嵐。一体、美亜に取って妹とは何なのだろうか? それとも、普通の家族はこう言った風に仲が良いのだろうか?
嵐には今一その感情が理解できない。
似通った遺伝配列を持ち、似たような生活スタイルを持ち、同じ食卓で同じ様な物を食べている、自分の分身をどうしてそこまで愛することができるのだろうか?
「いいぞ。妹は」
嵐の疑問に対する答えは、一秒も間を置かずに返って来た。先程までの狼狽が嘘のように、真っ直ぐな瞳をして。
「最高だ。可愛いんだよ。それ以外に説明がいるか? 可愛いんだよ!」
余程重要なのか、美亜は嵐に顔を近づけて可愛いと二度言った。正義が形を持つとすれば、それは撫子だと言わんばかりの勢いであった。
「私が撫子を好きなことに理由はない。産まれてからこの方、ずっと一緒にいた私の分け身だ。誰かに隣を譲るなんて絶対に嫌だ」
「ガキかよ、お前は」
「好きって感情を理屈で考えて妥協して諦めて後悔して形だけでも笑えっていうのか? そんなものは、私のなりたい大人じゃあない」
「まったく、その通りだ」調子が出てきたなと、嵐は薄く笑う。「誠実で勤勉で真面目で優しい人間なんて、ただの奴隷でしかないからな」
「だろ? だから私は不誠実に不勤勉に不真面目に撫子の交際なんて認めない」
「ご立派で。聴くまでもないけど、その理由は?」
「撫子が可愛いからだ」
自己中心的でどこまでも自分に忠実で、シスコンもここまでくれば立派なものだと、嵐はやる気もなさそうに拍手を送る。
しかし、いくら立派な考えや意思だろうと、無力でしかない場合も多い。例えば、撫子が雄志のことを本当に好きだったら、美亜が何をいっても意味がない。まさか、大好きな妹の心まで自分の思い通りにしたいわけではあるまい。
「いくら可愛くても、お前の分身でも、撫子ちゃんはお前じゃあないんだぜ? お前の思い通りにならないし、理想からは遠のくばかりだ」
「その時は、すっぱり諦める。雄志なら信頼できるし……いや、でも、雄志が撫子とあんなことやそんなことを? でもって、ああなってこうなって!」
自分の妄想に、美亜が頭を両手で押えながらもがく。口からは奇声が漏れ始めていて、とにかく気持ち悪かった。黙っていれば見目もそこそこの可愛いやつなのだが、おそらく身を固めるのは撫子よりも後になるのだろう。
我を忘れて呻く部下の姿に理性は感じられず、不気味で仕方がないので嵐は瞼を下ろして無理矢理視界から美亜を消す。
頭の中からも追い出し、考えるのは今回の中心人物である雄志と撫子。
「まさか、雄志に彼女か。二年前のことは克服したのか? それとも、撫子ちゃんが克服させたのか?」
当時、中学二年生の雄志を預かることになった経緯を考えれば、撫子との関係は成長と言って良いのだろ。しかし、だからこそ引っかかる。トラウマなんて安っぽい言葉を使うつもりはなかったが、同じ年頃の女性と言うのは雄志が最も苦手と意識する、嫌悪を吐き出す存在だ。
易々と、こうもあっさりと、伏線もほのめかしもなく克服してしまうとは思い難い。一体、二人の間に何があったのだろうか?
そんなことを考えていると、
「ただいま帰りました」
事務所の扉を開けて、雄志が顔を見せた。
「おう。よく無事に帰った」
頭をぶつけないように首を引っ込めながら扉をくぐる雄志に、嵐は片手を上げて出迎える。美亜は雄志を視て思考がぶっ飛んだらしく、頭を抱えて身体を折った捻った状態で固まっていた。
「美亜先輩、どうしたんすか?」
普段なら顔を見せた後、着替えてから事務所に来るのだが、そのルーチンを破るほど美亜の動きは不信に見えるたらしい。珍しく雄志が美亜の心配をしている。
「ん? お前が付き合っている撫子ちゃん、こいつの妹だって知ってた?」
「そりゃあ、知ってますよ。最初は半信半疑でしたけど……」
一瞬の間もなく、雄志が嵐の台詞に話を合わせる。その躊躇のなさに、美亜が「ぐは!」と馬鹿なことを叫んで後ろ向きにソファに向って倒れ込んだ。
「お前、めっちゃクールだな」
彼女ができたことを隠していた事実がばれたと言うのに、眉一つ動かさない雄志に、嵐は素直に感心する。思春期の少年少女にとって、こういった話は保護者に知られると恥かしいものだと思うのだが、雄志にはそうでもないらしい。
「別に、隠していませんでしたし。それに、この会社の人を相手に、秘密が造れるとは思えません」
「そりゃあ結構」
伊達に二年近くここで生活しているだけのことはある答えに、嵐がシニカルに笑う。
「それよりも、今日も仕事はないんですか?」
隠してはないと言うものの、話を逸らす辺り、可愛げはまだまだあるが。
「なくはない。雀とか関守とかは一応仕事だしな。待機状態だよ。まあ、当分お前に手伝ってもらうことはないさ。取敢えず、お前も着替えたら麻雀やろうぜ?」
話を変えたことを追求せず、嵐は今日の業務内容を知らせる。その指示に雄志は無言で頷くと、踵を返して事務所から出て行く。
雄志が丁寧に扉を閉めたのを確認して、嵐は項垂れる美亜に視線を向ける。
彼女の焦点の合わない瞳は虚空を見ていて、小刻みに震えている唇は言葉にならない息を吐き出していた。愛する撫子と雄志の関係を、本人の口から聴いたことが、それほどまでにショックだったらしい。気のせいに間違いないのだが、その顔は十年くらい老け込んでいる気がする。
その様子がとても面白かったので、嵐は黙ってスマホをジャケットのポケットから取り出すと、手早くビデオ録画を開始した。
「おい美亜。お前の妹の挙動不審の原因は間違いなく雄志だ。今、どんな気持ち?」
スマホを持っていない手の親指を突き立てて、態度の悪いインタビューを開始する嵐。その笑顔は、一切の曇りなく輝いていた。
言葉が返って来るとは思っていなかったのだ、美亜の喉は久々にまともな声を絞り出して嵐の問いに答えた。
「み、認めないぞ」
その内容は酷く惨めでみっともなく、シャベルを振り回して暴れ回る美亜の荒々しい美しさは何処にもなかった。こんな美亜は恐らく今後一切見られないだろうと、嵐は腰を上げてベストアングルを探す。
「それでも、雄志と撫子は認め合っているみたいだけど?」
嬉々として傷口を抉り返しながら、美亜の顔にカメラをズームする。目尻からは大粒の涙が零れ落ち、瞳は弱く揺れていた。
「嵐。否定してくれ。あんたの強さで、この下らない現実を否定してくれ」
震える声で、辛くて苦しい現実を打ち壊してくれと美亜が懇願する。
「あんたは、その為にこの会社を創立したんだろ?」
理不尽な世界に自分の力だけでは勝つことができない人間の代わりを務めるのが、人生不敗の存在理由であり、誰かの為に闘う限り負けを知らないからこそ嵐は《人生不敗》と呼ばれているのだ。
もちろん、どんな仕事だって二つ返事で受けるわけではない。一人を幸福にするのに、百人の犠牲を出せないし、百人を助けるために一人の人間を簡単に見捨てることなどできない。
嵐は仕事の受注に関しては細心の注意を払う。絶対的な力を持つ人間は、その使い方には重い責任を持たなくてはいけないのだから。
「いや、そんなこと言われてもよ。高校生のカップルを別れさせるなんて仕事を俺が受けると思うのか?」
だから当然、嵐は美亜の願いを却下した。気丈な美亜が泣くのは意外だったが、一人の嫉妬と二人の幸せならば、比べるまでもない。
「逃げるのか? 不敗の名が泣くぞ!」
「闘ってもないのに勝ち負けが付くかよ……」
美亜の滅茶苦茶な言動に、嵐は呆れながらビデオを停める。なんだか、撮っているのも馬鹿馬鹿しく思えてきた。お互いが好き合っていたらすっぱり諦めると言っていたあの決心は何処に消えたのだろう?
「じゃあ! この局で私がもし勝てたら、依頼を受けてくれ!」
挙句の果てには、そんな女々しいことまで言い始めた。快活な普段の印象からは想像もできない言葉に、嵐は仕方がないと首を縦に振った。
「いいぜ。この局、お前がもし万が一でもこの俺に勝つという一世一代の奇蹟を起こすと言うのなら、お前の願いをこの盃嵐さんが叶えてやろう」
「本当か!」
美亜の瞳に強い光が戻る。煌々と輝くその瞳は、現れた試練に怯むことなく《人生不敗》を見据えていた。
「でもよ、俺に勝つよりも、直接邪魔した方が百不可思議倍は簡単だと思うぞ?」
「馬鹿言え! そんなことしたら撫子に嫌われちゃうだろ!」
あっそ。嵐はニヤリと笑って、手元に並べてあった牌を一斉に倒した。
「地和、国士無双十三面待ちだ」
数分前に美亜が卓の上に切った牌を指さし、堂々と勝利宣言をする。ポーカーで言えば、ロイヤルストレートフラッシュと言った所だろうか? 勿論、美亜に逆転の眼なんてない。
「ダブル役満は十倍ルールだったっけか? まあ、今までの勝ち分まで含めて、依頼料ってことにしといてやるよ」