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胴桐撫子の恋愛関係  作者: 安藤ナツ
五月二十日 金曜日
7/20

胴桐撫子:鬼頭雄姿 ③

 鬼頭雄志。十五歳。高校一年生。身長は百九十七センチで、恐ろしいことに成長中。体重は百キロを超えるが、肥満ではなく筋肉質で、無駄のない肉体をしている。何やらバイトをしているらしい。笑わないし、怒らない。自分のことは話さないし、必要分しか口を開かず、開いたとしても一定以上の距離を開けた最低限度の会話。しかしそれは年齢にしては達観していると言うだけであって、噂で聞くような冷徹無慈悲な粉砕鬼と言うわけではない。撫子と同じく、他人と話すのが苦手なだけなのだろう。

 総評すれば、なんとなく自分に似ている。

 前回の映画デートもどきで撫子が感じた、雄志に対する印象は大凡そんな所だ。そんな雄志が、あの時にどうして撫子の告白を受け入れたのかは未だに見当も付かない。

 少なくとも、容姿は家族が褒めても他の人に褒めて貰ったことは少ないし、何よりも根暗な自分に一目惚れするとは思い難い。映画を見に行った時も、話を振って来ることは一度もなく、彼の中に撫子に対する好意があるかどうかも疑問だった。

 そんな雄志と付き合い始めてから唯一得たのは、携帯電話のア行のアドレス程度の物だ。

 付き合うことによって事態は好転したのか、それとも後転したのか。どうにも判断が付かない現実に、撫子は溜め息を吐いた。幸せが逃げると言うが、こんな状況が幸せだと言うなら逃げてもらって結構だ。

 特に、隣で腕を組んでこちらを見下す小手川姫など、真っ先にこの場から消えて欲しい人間第一位だ。


「で? あんたの彼氏とは連絡が取れたわけ?」

「は、はい。今日は、バイトないみたいです」


 イラついた姫の言葉に、撫子は身を縮めて答える。

 帰りのHRが終わるなり、ぞろぞろと取り巻き三人を引き連れて撫子を囲んだ後、雄志に連絡を取るように強要するのが今週のルーチンワークだった。撫子と雄志は恋人関係にあることを印象付けたいのだろうと、簡単に想像はつく。

 撫子は立場上、噂話に疎いので想像に任せるしかないが、この学校は今、粉砕鬼と交際をしている物好きがいると言う噂が蔓延しているだろう。それはこのクラスの女子が声を大きくして話しているのを聴くし、先週の一年生……大木樹の性格を考えれば誰かに喋っていない方がおかしいくらいだ。

 が、実際にそれを真実だと思っている人間は極々少数だとも考えられる。あの鬼と言う言葉がぴったりと一致する男に惚れる女の人は想像しにくいし、撫子の知名度は学校全体で見れば低く、「誰それ?」状態だろう。

 その状況は、姫にとっては決して面白い物ではない。雄志と付き合う変わり者と言うレッテルをもっと生かしたいはずだ。その状態をなるべく引っ張って楽しみたいと思うはずだ。

 ならば、姫は次どうするだろうか?

 簡単だ。実際に生徒の前で、二人が並んだ姿を見せれば良い。その為に姫は飽きもせず撫子の元に来ては、雄志と一緒に帰るように仕向けている。バイトが忙しくて中々雄志と帰る機会は運の良いことに今週は一度もなかったが、この週末になってその時がやって来た。


「じゃあ、あんたはあの粉砕鬼と校門で落ち合って、下校するの。絶対にどっか寄って行きなさいよ? そうね、ゲーセンでいいわ。大橋の方にあるのは知っているでしょ? あそこでプリクラ取って来なさい。女の子が誘うのは不自然じゃあないし、明日は休みだから生徒も沢山いるわ。精々見せつけて来てね」

「……はい」予想通りの展開になったことに驚く余裕もなく、撫子は弱く頷く。

「そんな嫌そうな顔しちゃあ、彼氏が悲しむわよ?」


 あの鬼が悲しむのなら是非見てみたい。そう言い返せる根性があればどれだけ救われるだろうか? 撫子は嫌味を曖昧に笑って誤魔化すと、逃げるように教室を後にした。





 南側の二・三年生生徒用下駄箱に、岩のように立ち尽くす鬼の姿があった。


「ま、待たせちゃいましたか?」

「来たところです」


 靴を履き変えながら撫子が訊ねると、憮然とした態度で雄志が答えた。お手本のような一本筋の通った真っ直ぐな姿勢で待つ彼と撫子の対比は、恋人同士の待ち合わせと言うよりも、お姫様のボディーガードのようだ

 撫子が雄志に話しかけて会話をしたのを見て、今まで雄志を遠目や横目で見ていた周囲の生徒達が、その様子をどう捉えたのか口々に騒ぎ出す。

 噂は本当だった。雄志を待たせる二年生は何者だ? あんな顔して、あの娘も不良? 魔性の女? 力づくで手籠めにされた? 可哀そうに。

 その内容は煩雑としていて、休み明けには一体どんな噂が流れているかを想像するだけで背筋が凍る。


「は、早く行きましょう?」


 遅れておいて勝手なことを言っているのは重々承知であったが、撫子は一刻でも早くこの場を去りたいと、小走りで下駄箱から去ろうとする。


「待ってください」その背中を、雄志の低く太い声が呼び止める。「俺、自転車登校しているんです」

「自転車ですか?」


 予想外の言葉に、撫子の足が止まる。こんな山の上に立っている学校にわざわざ自転車で登校している人間がいるのは意外だし、雄志の巨体が搭載可能な自転車があることも信じられなかった。

 雄志は玄関を出るとすぐに右に折れ、校舎裏へと足を進めていく。半年以上この学校に通っているが、小さいながらも駐輪場があることを撫子は初めて知った。もっとも、自転車は三台しか置かれてなく、一台はサビが表面をコーティングしていて、もう一台はサドルがなかった。

 唯一まともな姿をしているのは年季の入ったママチャリで、消去法的に雄志の物なのだろうが、雄志が乗っている姿はやはり想像できなかった。まだ大型バイクが置いてあった方が、幾らか現実味があるだろう。

 そんなことを考えている間に、雄志は慣れた手つきで二重に巻いたチェーンロックを外し、前につけられたかごの中に自分の薄い通学用の鞄を放り込む。チェーンを巻く理由を聞くと、「校則ですから」と答えられた。噂や顔に似合わずに真面目な男である。


「先輩。鞄」

「へ? ああ、どうもです」


 差し出された手に、撫子は慌てて鞄を渡す。雄志の鞄とは違い、授業で使った教科書等は全て持ち帰っているため、撫子の鞄はパンパンに膨らんでいた。

 その重量に、雄志の表情が珍しく驚きに染まる。今日の授業は教科書や資料集が多い科目があったため、鞄は五キロ近い重さになっていたので、それも当然だろう。


「あの、勉強で、使うから……」


 訊かれてもいないのに、重さの弁明をする撫子。本当は、学校に置いていたら何をされるかわからないのが原因なのだが、それを雄志に説明する勇気はなかった。どれだけ弱くても、同情されるのは嫌な物だ。本当に、この意地のような物だけはどうにもならない。


「そうですか」


 その説明に納得していないのか、鞄をかごに収める雄志の表情は怪訝そうだった。


「二人乗り。やり方わかりますか?」


 それでも、雄志は鞄の重さには触れず、そんなことを訊ねてきた。


「はい。お姉ちゃんの後に良く乗っていたから」


 荷台があることと、後輪のシャフトが足をかけられるように改造してあるのを確認して、撫子は頷く。小学生の頃は、美亜が操る自転車(何かアニメの名前を付けていた気がするが思い出せない)の後に半ば強制的に乗せられ、道路が続いている限り何処までも行ったものだ。ちなみにその時初めて、撫子は捜索願と言う単語を知った。


「『お姉ちゃん』ですか」


 撫子に姉がいるのが意外だったのか、自転車に跨りながら雄志が呟く。姉について話した方が良いのか一瞬悩んだが、こちらに背を向けペダルに脚をかける姿を見て、撫子はそれよりも大きな問題に頭を働かせた。

 自転車の二人乗り。

 いかにも青春的な絵面だが、別に青春真只中と言うわけでもない撫子にとって、その所業は拷問に等しい。雄志の肩に手を乗せて身体を預けることには酷く抵抗があった。

 もっとも、雄志自体に対する嫌悪は思ったよりもない。先週一緒に映画を見て、雄志がそれほど粗雑な人間ではないとはわかったのだ。ジロジロ見て来ることもないし、まるで無視すると言うわけでない。地理に疎かった撫子をエスコートしてくれたし、映画館では黙ってポップコーンとコーラを奢ってくれた。見た目は怖いが、少なくとも姉の美亜よりは常識人だ。寡黙な性格も、似たような撫子にしてみれば好感が持てる要素だ。

 今回の二人乗りに対する抵抗の大きなところは、単純に男性に対するそれだった。引っ込み思案な性格も手伝って、小学校中学校でも友達は少なく、その全員が女子だった。そのため、撫子は男子と言うものが苦手意識を持っていて、先週は隣を歩くだけでも緊張して死にそうだった撫子にとって、いきなり二人乗りはレベルが高すぎる。

 が、沈黙して待っている雄志に断りを入れる勇気もなく、撫子から好意を見せたと言う前提がある以上、拒否するのも変だ。

 結局、二人乗りする以外の選択肢が見つからず、撫子は震える指先で雄志の背中に手を乗せ、シャフトに足をかける。立ち乗りの方が楽なのだが、スカートでは下着が見えてしまうので、横向きに座って撫子は「あ、っと、その、です」と呟いた。

 翻訳が必要な撫子の言葉を、雄志は出発可能の合図とみなしたらしく、コンクリートの地面を蹴って車輪が音を立てて転がり始めた。

 雄志がゆっくりとペダルを漕ぐのに合わせて、自転車はゆっくりと来た道を辿って行く。 角を折れると、もうすぐバスの時間だということで、バス停へ向かう生徒が玄関や校門にちらほらと見え、その殆どが撫子と雄志の二人乗りを幽霊でも見たような目で見ていた。

 その中には姫と取り巻き達の姿もあり、彼女達の視線から逃れるように撫子は下を向いて目を硬く閉じた。

 公開処刑なんて見たこともないのに、撫子の頭にはそんな単語が過ぎる。死刑執行人に連れられて、自分は一体何処に行くのだろうか? できるのであれば、この場から消え去ってしまいたいと、雄志の学生服を強く握り締める。


「あれ? 鬼ちゃんに撫子先輩じゃあないですか?」


 しかし撫子の淡い願いが叶うことはなく、聞き覚えのある声と同時、雄志が自転車を停めてしまった。ゆっくりと瞼を持ち上げると、目の前には悪意のない大木樹の笑顔があった。その隣には、赤色のお洒落なフレームの薄いメガネが似合うクラスメイトの佐々結愛が立っていた。

 二人は手を硬く繋いでいて、先週『結愛先輩』と連呼していたなと思い返した。

 ただ結愛は顔に半笑いを浮かべており、この状況に困惑している。苛めに直接加担している人間ではないとは言え、見て見ぬふりをしているわけだから、その態度は当然だろう。彼氏に自分が苛めを見過ごしている薄情な人間と思われたくはないはずだ。


「どっか寄って行くの?」

「ゲーセンだ」


 樹の問いに、雄志が嫌そうに答える。以前の教室でもそうだったが、樹の言葉に対してだけ、雄志は感情が強く表に出る。それが長年の信頼と言う物なのか、それ以外の感情から来る物なのか、撫子には見当もつかなかった。

 そんな雄志が面白いのか、樹は更に笑みを深くする。


「仲が良いのは羨ましい限りだけど、またパンチングマシーンを壊さないでよ?」

「余計な御世話だ。俺達はもう行く」

「引き止めて申し訳ない。撫子先輩、鬼ちゃんをよろしくお願いしますね。ん? 鬼ちゃんって、お兄ちゃんと似ていますね。次からお兄ちゃんと呼んでも……」


 樹の台詞も半ばに、雄志はペダルを強く踏み込んだ。二人を乗せた自転車は、ゆっくりと車輪を回して動き始めた。

 大きく手を振る樹の姿が小さくなっていくのを見ながら、撫子は強引に話を打ち切ったことに少しだけ罪悪感を覚えた。


「い、良いんですか? お友達じゃあ」


 自分のせいで、雄志の交友関係に傷が入ることを恐れての言葉であったが、当の本人は気にする様子もなく無言で自転車を漕ぐだけだった。ひょっとしたら、友達じゃあないのだろうか?


「坂、下りますよ」


 その言葉に、樹に対する考察を止め、この学校が山の上にあったことを思い出す。

 男に抱き着く姿と、コーナーで自転車から放り投げられる自分の姿を脳裏に浮かべて、撫子は当然安全を取った。激しく脈打つ心臓の鼓動を意識しないようにして、手を雄志の腰に回し、身体を背中に預ける。

 その五秒後、撫子を乗せた自転車は一気に坂を下り始めた。雄志がペダルを激しく回し、それはもはや落下と言っても過言ではない速度だった。

 風に長い髪が横に流れる感覚と、重力の偉大さを実感しながら撫子の放課後が始まった。






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