盃雀:胴桐美亜 ②
「気合入っていますね、美亜さん。なんですか? そのサングラス」
約束通り九時半丁度に喫茶店フランシーヌ店内へと入って来た美亜の格好に、雀は呆れて声を出す。
「当然! 可愛い妹の為だ。先輩との電話の後、ちょっと隣の県まで走ったくらいさ」
文章の前と後ろの繋がりがイマイチわからないことを言う美亜の格好は、仕事着のブラックスーツに、四角い形のサングラススタイル。まるで宇宙人を追いかけ回す組織の一員のような格好だ。私服を持っていないのだろうか? もっとも、この姿であれば、実の姉であったとしても視界から追い出したくなるので、ストーキングにはぴったりに思えた。
ただ右手に握られているは、いつも得物にしている金属製軍用シャベルではなく、大量のアンパンが入ったビニール袋。下手人の首がその場で落ちることはなくなったので一安心できる。いや、飲食店にコンビニのアンパンを持ち込むのも、それはそれで問題だが。
「すすさん! モーニング二つ!」
勿論、そんなことを気にする美亜ではなく、平然と雀の正面の席に腰を下ろす。
「はいはい。喜んで」
そして普段から夫である嵐の人材派遣会社『人生不敗』の社員が贔屓にしている喫茶店フランシーヌの店主であるすすも、持ち込まれたアンパンなど気にすることなく注文を受け取る。
「あ、すすさん。一つで良いですよ」
奢るとは言ったが、勝手に注文する図々しい神経に突っ込む気も起きず、雀は注文だけ訂正しておく。雀は既にモーニングを頼んで食べてしまったので、頼むのは一つだけで十分だった。が、美亜は男前に歯を見せて笑うと、「私が二つ食べるのさ」と、注文の訂正を良しとしなかった。
「そりゃあ、単品で頼むよりは安いですが……」
「良いだろ? 奢って、雀先輩。今月ピンチなんだよ」
「今月は昨日が給料振り込み日でしたよ?」
モーニングを二つも頼む人間を始めて見た衝撃に、雀はどんな顔をすれば良いのかわからない。アンパンを二十個近く喫茶店に持ち込む時点で呆れるしかないのだが。
「まあ、いいです。美亜さんの行動の意味がわかる方が嫌になりますし」
「だな。私は生まれてからずっと私をやっているが、未だに自分が何処まで高みに登れるかわからないくらいだからな、幾ら雀先輩と言え、私の底を見ることなど不可能だ」
「その自信は何処から来るんですか?」と言うより、そんな話はしていない。
「無論、私の中からさ」
同性にしておくのがもったいないくらい暑苦しい発言に、口にしたコーヒーの温度すら上がったのではないかと雀は錯覚する。
このままぐだぐだと話を続けていても疲れが溜まる一方だと、雀は話を切り出す。
「で、結局今日はどうするんです? 待ち合わせの相手を確認して、それでお終いでオッケーですか? それとも、電車に乗った二人の後ろをつけますか? 映画館まで?」
「当然尾行する。何の為にアンパンを買って来たんだよ」
何の為にと問われても、雀には答える術はない。雀の小さな常識では、アンパンしか入っていない袋をぶら下げた人間に尾行をする権利はない。そんなものを持っていたら目立って仕方がないだろう。
しかし既にアンパンは二つほど美亜の腹の中に消えていて、このペースで行くと尾行する時には手ぶらになっているので、アンパンについては問題はなさそうだ。
「尾行ですか。何度かやったことありますけど、そう言えばあれって、法律に触れないんですかね?」
「さあ? 法律と撫子の重要さをハカリにかける必然性がそもそもないだろ?」
他人の親の顔が見たくなるのは嵐に引き続いて二人目だが、余計なことは言わず、溜め息だけで返す。そんなことを言えば、『雀先輩は親の顔面を見れば子供の特徴がわかるのか? それは凄い、是非隣の家の犬っころの結婚相手を見繕ってくれませんか? なんでも、なるべく真っ黒な子犬が欲しいみたいなんで』シニカルに歯を見せて笑いながら、理屈になっていない台詞を口走って、それが元で下らないトラブルになりかねない。
今回だけでなく、常識から離れた逸般人とでも言うべき美亜に付き合うには、真剣になってはいけない。自分がここで良いと思ったら、読みかけの小説ですらゴミ箱に投げ捨てるような人間相手に、毎回全力でぶつかっていたらこちらが疲れてしまう。雀は適当に尾行ごっこに付き合った後、焼き肉にでも連れてって愚痴を聴いてやろうと考えていた。
「じゃあ。顔が割れてない私が撫子ちゃんと同じ車両。美亜さんが、二つ隣の車両に乗りましょう。連絡は全て私から携帯のメールでします。勝手に電話をかけてこないように。では私は任務に備えて眠りますので、ターゲットが来たら起こしてください」
寝不足だと言うことを暗に言って、雀は欠伸をすると見張りを美亜に任せて、仮眠を取るために瞼を落とす。
が、仮眠は一秒も出来なかった。
「いや。もう来てるぜ? 撫子。ってか、一緒に来たし」
嬉しそうにガラス越しに駅のロータリーを指さす美亜の目線の先を追えば、一人の少女がそこに立っていた。
腰まである艶のある黒髪の彼女は、間違いなく写真で何度も見せられた胴桐撫子であった。両手で小さなバッグの持ち手を握っている姿が非常に愛らしい。
「多少嫌がられたが、バッグの中身がお弁当だと言うことも確認した。畜生。羨ましいぞ、映画を一緒に観にいく奴め!」
「一緒に来ちゃった? 来ちゃったじゃあないですよ。滅茶苦茶しますね、あなた!」
普通、尾行する相手と一緒に直前まで行動するだろうか?
「おいおい。一緒に来たに決まっているだろう? 姉妹なんだから」
しかし美亜は自分の行動に一つの疑問も感じていないようだ。理解不能な発言と行動に、雀の堪忍袋の緒が限界まで悲鳴を上げる。流石は胴桐美亜。一般人たる雀のちっぽけな考えなど通用しないようだ。
「私のことは言ってないんですよね?」
「ああ。モーニングを会社の人と食べるから、駅まで一緒に行こうっとしか言ってない」
それでも最低限度は常識的にしてくれたようで、尾行するとは言っていないらしい。当たり前のことなのだが、この当たり前が出来ると言うことが雀には有難かった。幾らなんでも、尾行を警戒された人間を尾行するのであれば、仕事の料金を貰う所だ。
「諦めるしかないですね」
眠たい目を擦った後、雀は両の頬を叩いて気合を入れ、綺麗に磨かれた窓ガラスの向こうに視線を向ける。撫子はそわそわと落ち着きなく左右を見ていて、あの様子であれば余程接近しても気づかれないだろう。それにもし勘付かれても、この辺りの映画館なんて数が限られているので、尾行するでもなく行先は簡単にわかる。むしろ正面の席に座る美亜の手綱を握る方が難しくて嫌になる。
「今の内にお手洗い行ってきますから。見張っていて下さいよ?」
「お? あれ雄志じゃあねーか?」
それを象徴するように、さっそくの余所見。雀の話なんて聴いてはいない。スティックシュガーを口に加えて頬杖を付く美亜は、撫子のいる駅方向ではなく、スーパーマーケットに繋がる大橋方面に視線を向けてニヤついている。てっきり、美亜の視界には撫子しか映っていないと思っていたので、酷く意外な光景だった。
「ユーシ? 鬼頭雄志君ですか?」
立ち上がりかけた姿勢のまま、美亜の視線を追いかける。するとそこには、岩のように巨大な身体に黒いタンクトップを張り付け、どうやって足を通したのか不思議なジーンズを穿いた男がいた。
美亜の言う通り、彼は二年位前から嵐が預かり、マンションの部屋を貸している鬼頭雄志に間違いなかった。バイトとして人生不敗の仕事を頻繁に手伝ってくれているので、美亜とも知らない仲ではない。
「相変わらず大きいな、雄志の奴」
「そもそも年下に見えないですよね。年齢を二回り詐称していても私は驚きません」
勝手なことを言いながら、二人は雄志の巨体を目で追う。
「何で駅来るんだ? 雄志の奴なら、電車使うまでもないだろ。原チャリより早いじゃん」
「いや。雄志君でも電車ぐらい使いますよ。美亜さん雄志君のことなんだと思ってるんですか? 液体金属か何かですか?」
車と衝突して賠償金を請求された前科がある以上、原動機付き二輪車よりも早く危険なことは否定できないが、電車を使う権利くらいは幾らなんでも雄志にもあるだろう。
しかし、美亜の疑問に興味がないわけではない。
お喋りが多い人生不敗のメンバーの中で、雄志は唯一寡黙な人物だ。雀も彼のプライベートに興味がないと言えば、嘘になる。
「これでもし、撫子ちゃんのデートの相手だったらどうしますか?」
「そりゃあ良い! 面白い冗談だよ先輩! 決まっているだろ、祝福してやるさ」
思い付きで訊ねてみると、どうやら美亜のツボだったようで、爆笑しながらスティックシュガーの中身を一気に煽った。
「素手で鉄筋コンクリートに穴開け、踏み抜けばアスファルトを砕くような奴が、純朴可憐な撫子をデートに誘う甲斐性が有るとは思えないな。億歩譲ってプロテインをプレゼントするならまだしもよ」
「確かに、雄志君が告白するシーンなんて想像できませんよね」
雄志に恨みでもあるのか、滅茶苦茶な事を言う美亜。しかし前半は真実だし、後半もその通りなので雀には否定ができない。それに二年前、出会った頃から雄志は年頃の女子が苦手だった。その理由は嵐しか知らないが、きっと深い意味があるのだろう。
「それでも、もし、相手が雄志君だったらどうします?」
しかし雄志が年頃の女性と向き合えるようになったのであれば、それは喜ばしい。期待を込めて雀がそう言うと、美亜は再び声を出して笑う。
「いいぜ? その時は鼻からコーヒー飲んで目から出してやるよ」
「なんでそんなドラえもんチックな罰ゲームなんですか? って言うか、鼻に入れるコーヒーを私に奢って下さいよ」
馬鹿な言い合いを続けていると、雄志よりも早く撫子が動きを見せた。撫子は雄志の姿を見つけると、驚いたように目を丸くした後に、身体を震わせながらそちらに向かって足を進めて行く。それに気が付いた雄志が、軽く会釈をし、二人は互いに顔を確認した後、微妙な距離を開けたまま肩を並べて歩き始めた。
雀と美亜は呆然とその様子を眺めることしかできない。
「なあ、先輩」
「なんですか?」
「コーヒー、アイスでいいかな?」
「私はホットでミルクも砂糖もアリアリでお願いします」
「熱いコーヒーを鼻に入れろとは、先輩も酷いことを言うな」