大木樹:谷川王毅
ハッピーエンドだと、大木樹は思った。いや、それはもう殆ど確信に近く、樹は今回の騒動については完全に終わったと決め付けた。もう、撫子が苛められることもないし、雄志が姉のことを引き摺ることも少なくなるだろう。
昼休み食事に誘ってくれた撫子の笑顔と、「ありがとう」の言葉で、樹の出番は幕だ。ようやく、これで尊敬し敬愛し畏敬する結愛と、ごくごく普通の日常を謳歌できる。
「さて、大木君。君に一つだけ質問があるんだ」
「いいですよ。結愛先輩を口説き落した台詞以外なら、俺は何でも答えますよ?」
よって、放課後の生徒会室で生徒会長の谷川王毅にこれから話すことは、全て舞台裏で楽屋裏の至極どうでも良い与太話で、何の得もない時間潰しの暇潰しだ。
「じゃあ聞くけど」
誰も訊いてこなかった、胴桐撫子の恋愛関係を語るには外せない根本的な疑問に辿り着いたご褒美に、樹は全てに答えるつもりだった。
「どうして君は、胴桐撫子が鬼頭雄志に告白するように仕向けたんだい?」
なるほど、追い詰められた犯人とは、こんな気分になるのかと、樹は笑った。
「気が付きましたか。流石は我が校の天才児。眼鏡が似合うだけのことはありますね」
王毅は明らかに気分を悪くしたように、「つまり、君なんだな?」と声を落した。いつもこうだと、樹は心の中で首を横に振る。大抵、樹が人を褒めると、その人間は気分を害してしまう。誰がどんなコンプレックスを抱えているかわからないとは言え、人を褒めるのは貶すよりも難しいものだ。
「ええ。そうですよ? この俺、大木樹君が出しましたよ。文面は良く覚えてないですけど。そんな内容の手紙を。家に帰ればパソコンのメモ帳にまだ残っているかもしれませね。月曜日に持って来ましょうか? あれ? 手書きだったっけ? すいません、どうにも思い出せませんね」
「何故君はそんなことをしたんだ!」
今度は少し語調を荒くする王毅。自分の書いた内容くらい覚えておけ、そう怒っているのかもしれないと樹は少しだけ反省した。小学校の通信簿にも、『自分の言った言葉には責任を持ちましょう』と書かれていた気がする。
覚えてはいないが、きっと書かれていただろう。
「何故って、あの二人を恋人にしようと思ったからですよ」
「は?」
意味がわからないと、王毅は眼鏡の奥の目を鋭くして、樹を睨みつける。
「あの二人が抱えていた問題、王毅先輩は知っていますか?」
どこから説明するべきか悩んで、樹はとりあえず王毅がどこまで今回の事情に通じているかを確認する。
「胴桐さんは、苛めだろう? 君が偶然、ボロを出して教室で喋っているのを見つけた」
すると、『偶然』の一言を意識的に強く発して、王毅が答える。どうやら、あの時あの場に居合わせたことを、偶然とは信じてくれてないようだ。なるほど、勘は良いらしい。
訊かれれば真相を答えても良いのだが、残念ながら訊かれなかったので、樹は大袈裟に頷いて、王毅の言葉を肯定する。
「ええ。撫子先輩は、小手川姫先輩に苛められていました。王毅先輩――貴方の告白を断ったと言う理由でね」
ただ、苛められた原因について知らないようなので、一応触れておく。いや、知っていたが罪悪感があって言えなかったのだろうか? 恐らく後者だろうと、樹は適当に考える。
「じゃあ、鬼ちゃんの悩みを知っていますか?」
親の敵を見る眼で見てくる王毅に、樹は丁寧に訊ねる。自分から話しかけておいて、どうしてそんな風に自分を見るのか、樹にはとんと検討がつかない。
「あいつは、姉を、哀姉ちゃんを苛めでなくしているんですよ。遺書がなかったから事故扱いになっちゃいましたけど。でも俺が知る限り、苛めでした。それ以来、意図的に同年代の女性を避けていましたからね、相当なトラウマだったみたいですよ」
「……その二つが、どう関係すれば、二人を恋仲にしようと言う発想になるんだ」
本当はもっと、二年前について語りたかったが、王毅が話を進めるように言うので、樹は仕方なく諦める。大人しかった雄志の、暴力に対する葛藤や、哀を苛めていた女子達の醜態、盃嵐との戦い、そのどれもこれもが、樹にとっては宝物のような思い出だ。勿論、哀を失った悲しみも、かけがえがない物として心に刻んである。
「ああ、だってそうすれば二人の問題が解決するでしょう?」
語りたい衝動を抑えて、樹は王毅にもわかりやすいように質問に答える。
「まず、撫子先輩。彼女のメリットは言わずもがなでしょう? 粉砕鬼の彼女を苛める人間がいますか? 俺だったら絶対にしない。鬼頭雄志と言う人間を少しでも知っていれば、彼の所有物を傷つけようとは思わない」
勿論、その役割は雄志である必然性はない。学園の頂点に立つ生徒会長である王毅でも問題はないと言えばない。一度振られているからこそ、王毅が相応しいとも言え、実際に樹は雄志か王毅かで五秒悩んだくらいだ。
「で、鬼ちゃんは哀姉ちゃんが死んで以来人が変わってしまいましたからね。昔の良く笑う鬼ちゃんに戻って欲しかったんですよ。それには、やはり姉的ポジションが必要でしょ? それには哀姉ちゃんと同じく、苛められて苦しんでいる撫子先輩は相応しいと思いませんか? 過去は克服しなくては、前へと進めません。彼女はそのキャスティングに相応しかった」
この役も、別に撫子である必要性はない。苛められている女子なんて、この腐った世には腐るほどいる。本当に偶然、哀と同い年で苛められている少女が結愛と同じクラスだっただけのこと。しかし、偶然とは言い換えれば運命だ、運命とは抗えない必然だ。この期を逃す程、樹はのほほんとしていない。
パズルのように、折れた木片を合わせるように、二人の苦悩はお互いを得ることによって解決されるのだ。
「だから、俺は手紙を書きました。あの場にもわざとらしく一緒に行って、素知らぬ顔で二人をくっ付けました。映画のチケットも自腹ですよ? あ、生徒会で落ちませんか?」
「君は! たったそれだけの理由であんな手紙を出したのか?」
冗談が気に喰わないのか、王毅は声を荒げて机を叩く。それとも、自分を拒否した撫子を雄志と結ばせたのが問題だろうか?
「たったそれだけって、苛めがなくなったんですよ? 誰かが虐げられている現実を変えたんですよ? 俺、間違ったことしていますか?」
本当なら、礼を言われてもおかしくないのに、どうして理解してくれないのだろう?
「この一件で、誰か損をしていますか? 撫子先輩は言わずもがな、鬼ちゃんだってきっと喜んでいる。姫先輩だって苛めなんて無駄なことをしなくなった。何処に問題があるんです?」
「気持ちはどうなる! 胴桐君は好きでもない人間の隣にいるんだぞ?」
どうしてわかってくれないのだろうか? いつものこととは言え、首を傾げざるを得ない。樹のやることなすことに、文句を付ける人間が多すぎる。長い付き合いの雄志や、深い付き合いの結愛でさえ、「お前がわからない」なんて失礼なことを言ってくる。
樹は誰よりも、周囲の幸せを考えていると言うのに、どうしてこの情熱が伝わらないのだろうか?
「安心してください。手紙を出したのは、ただの切欠です。撫子先輩が鬼ちゃんを好きになるように仕向けましたから」
そう微笑むと、王毅の眼光が一層険しくなる。本当に、人との会話は難しい。
「と言っても、大したことはしていません。ぶっちゃけ、周りに頼れる人がいなけりゃ、嫌でも鬼ちゃんに依存しますからね。苛めって絶対に親には言えないんですよ。劣等感とか、罪悪感とか、申し訳ないとか、親にまで嫌われたらどうしようとか、一線退いちゃうんですよね、家族って。だから、家族も娘の状況に気が付かない。そりゃそうですよね、隠そうとしているんですから、そりゃあ中々見つけられないですよ。でもその点、鬼ちゃんは違う。実際に高すぎる授業料として哀姉ちゃんを失っていますからね。苛めに気が付き、絶対に撫子先輩を助けようとします。あいつはあれで真面目で頼れる男ですから、弱っていた撫子先輩は多分、あっさりと惚れたんじゃあないですか?」
ちなみに、どうしても漫画みたいなことがしたくて、中学時代の先輩にゲームセンターで撫子をナンパさせたのは内緒だ。多分、効果はなかっただろう。吊り橋効果も狙い過ぎたら意味がない。
「それは、本当に『好き』と呼べるのか?」
王毅が、静かに訊ねる。さっきまで怒っていたのに忙しい人だと思ったが、良く見れば机の上に見える拳は真っ白になるほど強く握り締められている。そんなに、撫子と雄志の関係が気に喰わないのだろうか?
「いや、そもそも『好き』ってなんですか?」
怒りの意味も、質問の答えもわからないまま、樹は常々思う疑問を口にする。
自分の感情は自分だけの物だ。他人に説明するなんてナンセンスな行為だ。樹は、結愛が好きだ。しかし、それは様々な感情が入り混じった、色で例えれば絵筆を洗う桶の水のような混ざり切った不純な物でしかない。元々が何色だったかなんて説明できない。感情が一つだけで成り立つなんて有り得ないのだ。好きよ好きよも嫌な内と言う程、人の感情とは難しいものだ。
だから樹がなんとなくわかる他人の気持ちは、苦しみや悲しみ程度だ。もっとも、人を救おうと思えるのも、マイナスを理解できるが故だ。他人との繋がりと言う、これ以上ない幸せの檻の中に人間を閉じ込めようと心から取り組むことができる。
「兎に角、感情なんてどうでもいいんですよ。撫子先輩が鬼ちゃんと共にいられる関係を望み始めたことこそが大切で、その繋がりこそが幸せの元ですから。良好な人間関係こそが、幸せと呼べる唯一なものだと思いませんか?」
人間関係。樹が愛してやまない檻の名前がそれだ。
「人間関係を、わかりやすくするために気持ちってあるんですよ。人間関係をわかりやすくするために感情ってあるんですよ。人間関係をわかりやすくするために文化ってあるんですよ。人間関係をわかりやすくするために社会があるんですよ。人間関係をわかりやすくするために宗教があるんですよ。人間関係をわかりやすくするために善悪があるんですよ。人間関係をわかりやすくするために生死があるんですよ。人間関係をわかりやすくするために言葉はあるんですよ。良好な人間関係こそが、人を幸せにするただ一つの物だと俺は思い込んでいますから。気持ちだなんて難しいことを考えたら駄目です」
うつろう気持ちは儚くも美しい。自身を塗りつぶす感情は頼もしい。築き上げた文化は素晴らしい。友に暮らす社会は美しい。誰かの為に祈る宗教も面白い。損得を抜きにした善悪は必要だ。生死と歩む日々は楽しい。作り上げた言葉は暖かい。
否定はしないが、絶対ではない。
まずは他人と繋がっていることが絶対の前提だ。好きでも嫌いでも、憎かろうと妬もうと、樹にとってそれは等価で、素晴らしい絆と呼べる。
感情なんて、その道具に過ぎない。
「何処まで話しましたっけ? ああ、撫子先輩を鬼ちゃんに惚れさせるとこまで話しましたね。まあ、当然と言えば当然の結果ですよ。驚くことじゃあない。でも、問題があるんですよね。この関係、当たり前だけど、嘘の関係なんですよ。不味いですよね。嘘は絶対にばれますから。しかも撫子先輩は心優しいお人ですから、『騙す』って言う行為に凄い抵抗があるみたいでした」
これは、いささか予定外だったと言っても良いだろう。まさか、その程度のことに心を痛めるとは思いもしていなかった。好きな人と一緒にいても安らがない場合があるなんて、もっと少女漫画を結愛から借りておくべきだと後悔した。
「だから、一旦その関係をぶち壊す必要がありました。都合の良いことに、と言うよりは結愛先輩のタイミングと勇気の素晴しいことに、偶然にも姫先輩が苛めのことについて語っている場面に割り込めました。『友達を出汁にされて怒る樹君』を演じて見せて、鬼ちゃんのことをちらつかせて苛めを止めさせたんですよ。苛めさえを忘れさせれば、鬼ちゃんのことを考える時間が増えるでしょう? ここは凄く簡単に行きましたね。鬼ちゃんしか姫先輩には持ち札がないわけですけど、俺の方がその札の扱い方は心得ていますから」
もっとも、実際に手紙の内容を実行したのは姫なので、怒りを演じたというのは少し違うかもしれない。あんな酷い苛めを抵抗なく下した姫には本当に怒っていた。銃を渡した人間と、実際に撃った人間ならば、後者のほうが遙かに悪人だろう。樹は自分よりも悪い人間が嫌いなのだ。
「その後に心が痛むような台詞を撫子先輩にぶつけました。鬼ちゃんを好きだと言うことを強く自覚させ、尚且つ、自分から騙していたことを告白させるようにね」
本当にあの時は良心が痛んだ。ずっと前にどこかに置き忘れた良心が、悲鳴を上げていたような気がする。樹の良心は、きっと今も泣き叫んでいるに違いない。
「もし、それで自殺したらどうするつもりだった?」
「ああ、俺もそれは心配でしたよ。でもまあ、なんとか持ちましたね」
これは、賭けと言えば賭けだった。流石の樹も人を殺した経験があるわけではない。間接的に人が死んでしまった場面なら何度か見たことがあるが、直接的に殺意を向けた人間が死んだことは一度もない。
一応、雄志の傍にいることが贖罪だと強く言い聞かせたのでよっぽどはないと踏んでいたが、あの日乱入してきた美亜の様子を見るに、少々危ない所だったのだろう。
「いや、怖い目で見ないでくださいよ」
今回ばかりは、樹は自分の非を認めている。危うく、雄志や結愛の傷を一つ増やす所だったのだから、どんな罰だって受けても良い。
「鬼ちゃんにも、覚悟を与える必要があったんですよ。『自分の嘘のせいで、撫子先輩が死んでしまう』と言う現実に立ち向かうね」
恐らく雄志は、苛めが一段落して、撫子の周りが落ち着いたら、自分から距離を取るつもりだったのだろう。雄志はただ単に、姉と同じ境遇の人間を助けたかっただけだからだ。樹が感知している限りにおいて、雄志が撫子に恋愛感情を覚えたことはないだろう。
それでは、樹の目標は到達されない。
だから、樹は命の重さを雄志に吹っかけた。元々、苛めから助けるために雄志は撫子を『好き』だと騙していた(勿論、撫子はそんなことは知らないだろうが)負い目がある。そこに『自殺』なんて行為がプラスされれば、雄志が取れる手段は一つしかない。雄志の良心は、絶対に撫子を見捨てることができない。
「そうとなれば、鬼ちゃんは嘘を吐き続けるしかないでしょう? 撫子先輩の命って言う重過ぎる物と比べれば、鬼ちゃんは生きている間位なら我慢してくれるでしょう」
「君は、友達でさえそんな風に扱うのか?」
「扱う? 人聞きが悪いですよ。俺、鬼ちゃんには一切手出ししていませんよ?」
姫には手紙を出した。撫子には声をかけた。が、雄志にはこれと言って意識的に何かを行った記憶はない。雄志は状況を自分で判断して、あの日撫子の告白に嘘を答えたのだから、自己責任だ。雄志が望んで選んだ未来なのだから、王毅にそんな風に言われる覚えはない。
「そんなわけで、これが今回の顛末です。二人の悩み多き高校生の青春の一ページです」
言いたいことは全て言ったと、樹は満足そうに背伸びをする。
対照的に王毅は、この世界の敵を見るような恐ろしい表情で、樹に指を突きつける。
「君は、狂っている!」
その台詞は、聞き飽きたもので、樹は欠伸をした後、
「俺の狂気を保証してくれますか。お墨付きとは有り難い。でも、王毅先輩の正気は一体全体何処の誰が保証してくれるんですか?」
いつも通りにそう答えた。狂人呼ばわりされたことには深く傷つくが、天動説を唱えた人間だって迫害された酷い世の中だ、自分が正しいと主張するのは何よりも難しいと自分を納得させる。
「では先輩。俺もう、帰りますね。きっと、俺の誠意は伝わらないでしょうし」
樹は生徒会長室を後にする。
「君はどうして、あの二人を助けようとしたんだ?」
扉を閉めた後、そんな質問が微かに聞こえた。そんなことを訊いて一体どうなると言うのだろうか? 答えなんて決まっているのに。誰もが願って止まない、小学生が七夕に祈るような他愛もない夢のため以外に何があるのだろうか?
「誰だって助けますよ? 俺は、この世界の全員に幸せになって欲しいんですから」
少し恥かしいので、樹は小声でそう呟いた。
我ながら馬鹿馬鹿しい夢だが、それと同じくらい素晴しい夢だと思う。
さあ、明日は誰の不幸を幸福に変えようか。
王毅の返事も待たないまま、樹は鼻歌を歌いながら、ゆっくりとした足取りで帰路についた。
これにて、『胴桐撫子の恋愛関係』完結となります。
タグにはバッドエンド? としましたが、個人的には幸せなんて物は紛い物であるからこそ大切に扱うのだと思ったりもします。
最後まで長々とお付き合いありがとうございました。
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