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胴桐撫子の恋愛関係  作者: 安藤ナツ
五月十三日 金曜日
2/20

胴桐撫子:鬼頭雄志 ①

 学校。行きたくないな。

 胴桐撫子は目覚まし時計代わりに使っている携帯電話のアラームを止めると、ベッドの中で丸くなりながらそんなことを考える。

 それは今日に限った話ではなく、高校生活が始まってから常々思っていることであって、暗澹たる学園生活を想像すると、このまま一生部屋から出ない方が自分は幸せになれるのではないかと、真剣に想像していた。

 登校拒否の学生一歩手前の原因はハッキリしていて、撫子はクラスで苛められていた。

 半年前、親の都合でこの町の県立高校に転校してきたのだが、気弱な性格が災いして、近付いてきた同級生相手にもまともに喋ることができず、遊びの誘いも断っていたらいつの間にか彼女は孤立していた。

 気が付いたときには、都会から引っ越して来たことも手伝って『深窓の令嬢』等と揶揄され、口下手な撫子は弁解もできず、その呼び名は学年が繰り上がるまで続いた。

 それでも、楽しそうなクラスメイトの話し声を聴いているだけで撫子は満足できたし、決して無視されるようなこともなかったのは幸いだった。すこし話しかけ難い学生であり、移動教室や、急な予定変更の際には、誰かが声をかけてくれ、流石の撫子もそれに相槌を打って返す事くらいはできたからだ。

 そんな教室で黙々と本を読み、必要最低限の会話でしか交流をしていなかった学園生活に変化が訪れたのは、三学期の終業式のことだった。


『胴桐さん。俺と付き合ってください』


 名前も知らない男子に体育館の裏に呼び出されると、そんな風に告白された。本当はもっと長かったのだが、撫子は人生初の出来事に混乱していて詳細は覚えていない。

 ただ、根暗な自分に告白する男子がいるとは信じられず、撫子は首を横に振ってそれを勢いよく断った。爽やかな印象を受けた彼は、非常にしつこく食い下がってきたが、その言葉に肯定を示すことなく、撫子は逃げるようにその場を後にした。

 そして春休みが開けた新学期。撫子の扱いは一転した。

 撫子が男を振ったと言う事実が、尾鰭の付いた噂として広がっていたのだ。それも『こっぴどく振った』だの、『男としての尊厳を踏みにじった』だの、撫子に対する悪意に満ちた噂だった。どうやら無口で表情を口に出さない気弱な性格が、いつの間にか冷徹としても周囲には広がっていたらしい。

 撫子は噂を否定しようとはしたが、それを聴いてくれる友人もなく、黙って享受するしかなかった。

 そして同じクラスになった小手川姫と言う女子の性格と性質が、何よりもまずかった。

 彼女は告白してきた男子に好意を持っていたらしく、自分の想い人を馬鹿にされたことに酷い怒りを抱いていたのだ。

 その気持ちを心の内で収めてくれれば問題にはならなかったが、姫はそれをわざわざ表に出し、撫子へとぶつけた。生まれ持った資質が撫子とは逆だったのだ。物語の中心に自分がいないと気がすまない人物で、同じクラスになるや否や、撫子を目の敵にした。ことある毎に撫子に突っかかり、取り巻きを引き連れて嫌味を言う。上履きが隠されていたこともあった、机の上に花瓶が置いてあるのを見た時、撫子はトイレで少し泣いた。

 何とも高校生らしい、陰湿な苛めだった。何とも子供らしい、残虐な苛めだった。

 勿論、助けの手なんて誰も出してくれなかった。

 学年でも指折りの有名人である彼女に逆らえる人間はおらず、クラスの人間は撫子を冷めた目で眺めるだけだ。助けるわけでも、一緒に罵倒するわけでもないクラスメイトの視線は、自分が見世物小屋の中にいるのではないかと撫子に想像させるには十分だった。

 その不躾な視線を無視できるほど精神が強ければ良かったのだが、三日もしない内に撫子の精神は参ってしまった。孤独と孤立の違いだ。撫子のか弱い心は、あっさりと削り取られていた。


『ごめんなさい』


 消え入りそうな声で、撫子は姫に謝った。何を言われたは覚えていないし、思い出したくもない。謝れば許してもらえると、話せばわかると、それだけを考えて撫子は必死になって、姫にその時の状況を教えた。自分はそんなことを言っていないと。

 結果として、それは逆効果だった。

 炎を消すはずだった水が油となったのか、それとも炎が高温すぎて水蒸気爆発を起こしたのか、姫の苛めはその日を境に一層激しくなった。今更思い返せば、冷徹と言う不名誉な仮面が、謝罪によって剥がれてしまったのがまずかったのかもしれない。見せてしまった弱みが、姫の嗜虐を誘ったのだろう。

 一体、自分の何が悪かったのだろうかと、撫子は泣きたくなる。

 孤独でも平穏に暮らせれば良いのに、どうしてこんな目に合っているのだろうか。


「五分、経っちゃった」


 布団の中から携帯のディスプレイで時刻を確認して、撫子は憂鬱な気持ちばかりを溜め込んだ肺の空気を吐き出す。これ以上ベッドの上で粘っていると、部屋に母親がやって来てしまう。

 仮病でも使って休めれば楽なのだが、そんなことをすれば過保護な家族が救急車を呼びかねない。素直に学校に行きたくないと言えば、仕事を休んでの家族会議が始まるだろう。

 家族には迷惑をかけたくない。弱い自分を見られたくない。そう言った意地のような物が自分の中にあるのは甚だ意外だったが、誇りには思えない。ただの重石だった。

 布団を蹴り上げてベッドから転がるように這い出ると、カーテンを掴んで一気に開ける。カーテンレールは爽快な音を鳴らし、曇りのない窓からは明るい五月の日差しが差し込んで来た。自分の心もこんな風に切り換えることができれば楽なのにと、到底できそうもないことを考えながら撫子は窓に背を向けて部屋を後にする。




 階段を下り、リビングのドアを開けると、既に撫子以外の人間は食卓を囲んでいた。年齢不詳と近所で噂される母親と、最近老け始めた父親がいるのはいつものことだが、五つ年上で職業不明の姉――美亜が朝食の席にいるのは久しぶりで、撫子は少なからず驚いた。


「おはよう。お姉ちゃんがいるなんて珍しいね」

「おはよう、撫子。珍しいよ、社長のせいで、仕事を取り逃がしちまった」


 短い髪の毛を掻き混ぜなら白い歯を見せて、愉しそうに笑う姉の隣の椅子に座ると、撫子は母親から差し出されたトーストを千切って口の中に運ぶ。たっぷりとイチゴのジャムが塗られたトーストを牛乳と一緒に嚥下する間も、姉はシニカルに笑っているばかりで、一体何がそんなに楽しいのかが気になった。


「台詞と表情が一致してないよ?」


 食事の合間に訊ねると、美亜は当たり前のことを言うように、「なるようにならないってのは、至上の贅沢なのさ」と男前に微笑んだ。


「変なお姉ちゃん」


 昔から少し変わった姉だったが、この町で就職してからは拍車がかかっているなと、撫子はパンの耳を噛み潰しながら思う。一度だけリクルートスーツ姿でシャベルを持ち歩いている姿を下校時に見た時は、他人の振りをしたものだ。

 変わっていると思っているのは撫子だけではないらしく、母親が疑いの眼差しを美亜に向ける。


「美亜。喋り方、もう少し女の子らしくできないの? それと、仕事っていい加減何をしているか教えてくれない? 危ないことをしているんじゃあないでしょうね? たまに怪我して帰って来るけど、嫁入り前なんだから身体は大切にしなさいよ」


 そんな母親の視線を気にする風もなく、美亜はニヤニヤと瞳を光らせながら答える。


「母さん。喋り方って言うのはさ、私の一部なんだ。母さんは私に私をやめろって言うのかい? 女らしさと、私らしさだったら、後者を取るべきじゃあないのかい? 仕事も同じさ、例え私の仕事が刺身の上にタンポポを乗せる仕事だったとして、それを含めて私なのさ。心配することなんて、何一つないさ」


 まともに説明する気がないことだけを説明して、一人だけコンビ二の弁当を口にかきこむ。どうやら、今帰って来た所のようだ。テーブルの上には、同じコンビ二のパスタとサラダとサンドイッチの袋が散乱していて、朝から良く食べられるものだと感心する。

 撫子はそんな美亜のことが、大好きだった。

 姉だけではない。


「またそんなわけのわからないこと言って、こないだ家に来た盃さんに迷惑かけてないでしょうね。と言うより、泰道さんからも言ってくださいよ」


 優しい母親も、


「亜子。これだけは覚えておいて欲しい。親父は、娘には弱いんだよ」


 有名な建築家らしい父親も大好きだった。


「そうそう。特に、初給料でネクタイをプレゼントしたり、風呂場で背中を流したりしてくれる娘が、私の愛する父上のストライクゾーンなんだよ」


 呆れた顔の母親、誇らしげな父の表情、意味もなく笑う姉。

 この三人と同じ空間にいることが、今の撫子にとっては何よりも幸せだった。


「ご馳走様」

「あら、もうそんな時間?」


 が、楽しい時間とは矢のように過ぎて行く。気が付けばいつも家を出る時間が目前に迫っていた。今から歯を磨いて顔を改めて洗った後、着替えるとなると、少し厳しい。慌ててトーストの乗っていた皿とコップを重ね、撫子は椅子から立ち上がる。食器を流しに片づけ、歯を磨こうと洗面所に向かう。

 そして、準備をすべて終えた撫子が、家族の前で笑う。「行ってきます」


「なんだよ、撫子。久々に朝から一緒なんだし、もっと話そうぜ?」

「気を付けてね、撫子」

「お弁当、忘れちゃだめよ?」


 三者三様な家族の台詞に、撫子は嬉しくなった。暖かいやり取りに、元気を貰えた。ここで笑っている間だけが、自分の生きている理由だと思えるくらいには幸せだった。

 彼等に縋りついてでも助かろうとは、思えなかった。




 ただ家から近いと言う理由で選んだ県立高校への通学路を、撫子はウォークマンから流れる音楽を聴きながら登っていた。今思えば安直な進路の決め方が、全ての始まりだった……違うか。ただ、なるべくしてなっただけだ。撫子の性格にも非がないとは言えないのだから。

 土地代の安さから山の上に建てられた校舎への道は、何処から向かおうと山道を登る必要があり、専用バスでの登校が基本だった。特に撫子の家から近い南側の道は九十九折りの坂が続いていて、階段の有る北側と比べると三倍に近い距離があるために徒歩で登校する生徒は少ない。今も撫子の前を歩いているのは一組のカップルだけで、後ろに至っては人の影すらない。カップルは歩き難いだろうに腕を組みながらいちゃついていて、撫子はもう四回も溜め息を吐いていた。

 あまりにも過酷で『心臓破り』等と揶揄され、運動部の練習ですら敬遠される坂道を撫子がバカップルに耐えながら歩いている理由は単純で、スクールバスに乗れないからだ。

 勿論、バスの乗り方がわからないわけではなく、スクールバス内の空気が問題だった。

 名目上は自由席なのだが、その席は日常的に利用する生徒の暗黙の了解によって殆ど固定されていて、仲の良い者同士が隣同士で座り合い、新参者の撫子が座るような場所は何処にもない。一人で座っている人間もいるが、彼らは一人で二つの座席を使うことを当然のように思っていて、とてもではないが声をかけにくかった。

 きっとこの気持ちを理解してくれる人間がいるはずだろうと撫子は思うが、そんな話をする友達はいない。五度目の溜め息が漏れる。

 そんな考えを追い払おうと、撫子はウォークマンの音量を二メモリ上げた。イギリス生まれのバンドの有名なロックに合わせて、歩幅を大きくする。激しい楽の音に合わせて、そのままカップルを追い抜く。すれ違いざまに制服の名札の色を確認すると、一年生の男子と、二年生の女子のカップルのようだった。高校に上がって一ヵ月と少ししか経っていないのに、大したものだと感心してしまう。

 もっとも、彼氏が羨ましいとは思わない。ああ、嫌なことを思い出してしまったと、流れて来る英語の歌詞を曖昧に呟いて、もやもやとした気分を吐き出す。歌詞に集中して、撫子は何も考えないようにして進む。意味も知らない英語の歌詞で心を埋めて、軽快なメロディで頭の中を濡らす。そうするとふわふわとした歩調が、妙に気持ちいい。

 もうこの世にいないヴォーカリストの声に合わせて撫子は小さく口遊む。その音楽に、家の騒々しさを思い出して、撫子は優しく微笑んだ。そうでもしないと、校舎へ向かう足は止まってしまいそうで、入学祝に美亜に買って貰った型遅れのウォークマンは登校必需品となっていた。

 それから山道を登ること十数分。朝の予定よりも少しだけ早く、始業の十分前になって、撫子はようやく校門に辿り着いた。

 校門の前には生徒会の人間が何人か並んでいて、大きな声で挨拶をするように呼びかけていた。一応生徒会選挙に参加した撫子ではあるが、そのメンバーの顔と名前が一致する人間は一人しかいない。


「おはよう。胴桐さん」

「……おはようございます、会長さん」


 生徒会長、谷川王毅。

 フレームの薄い眼鏡をかけた理知的な彼は、先生に推薦された真面目で勤勉な生徒が集まった形だけの生徒会の中で一人、雰囲気が他とは違った。

 実際に、何故こんな県立高校にいるのか不思議なくらい優秀な人間らしく、全国模試で一位を取った、スポーツテストで日本記録に入った、文化祭のソロライブで人を気絶させた、等々、交友関係を持たない撫子ですら数々の伝説を知っている程だった。


「いつもこの時間に登って来るんだね。女の子にはきつくない?」

「へ、平気です。ダイエット代わりに」


 気さくに話しかけられ、どもった声で何とか嘘を答える。ただでさえ、男の子と話をするのが苦手な撫子であったが、生徒会長ともなれば格別だ。

 学年もクラスも違う会長は、「そっか、女の子も大変だね」と益体もないことを言った。

 ええ、大変なんですよ。誰のせいとは言いませんけど。そんなことを言えるはずもなく、曖昧に笑って撫子は校門の内側へと入って行く。

 校門を抜ければすぐに下駄箱で、撫子はいつもクラスで最後に靴を履きかえるのだが、今回は少し事情が変わっていた。

 朝の食卓と同じだ。普段はいない人間が、いるのだ。下駄箱の建て付けが悪くなった引き戸の前で、腕を組んで談笑しているのは、


(小手川姫!)


 思わず、撫子は心の中でその少女の名前を叫ぶ。艶のある黒髪を縦に巻いていて、東欧の血が混じっているらしい彼女にかかれば、冴えないセーラー服も一流のパーティドレスに見える。所謂、美少女だ。撫子も昔は少なからず美しい人だと思っていた。

 その姫が何を話しているかは聞こえないが、いつも一緒にいる茶髪の子と会話をして、本当に楽しそうに眼を細めている。その姿は撫子に取って起きても覚めることのない悪夢だった。

 何故、あれほどの美女に想われていながら、あの男子は私に告白したのだろう。

 何故、あれほどの美しさを持っていながら、あの女は私を執拗に攻めるのだろ。

 答えの出ない疑問が頭の中に広がって行き、心の底まで震わすようなリズムが頭の中から消えて行く。平穏が崩れて、頼んでもいないのに、昨日と同じ今日が始まってしまう。

 心臓が早鐘のように打ち鳴らされるのを感じながら、なるべく姫達の視界に入らないように下駄箱へと足を踏み入れる。意外なことに姫は撫子を一瞥するだけで、特にこれと言った行動は見せなかった。話に夢中なのか、ただの気まぐれなのかわからなかったが、ほっと胸を撫で下ろす。何もしないのなら、どうして下駄箱の前で話しているのだろうかと気にはなったが、まさか訊ねるわけにもいかない。撫子は脱いだローファーを手にして簀子に上がると、自分の上履きが置いてある下駄箱に突っ込んだ。


「あれ?」


 一番上の下駄箱の段から上履きを取り出して、撫子が首を捻る。中学三年生の時からサイズの変わらない上履きの中に、一本の万年筆が入っていたのだ。

 包みに入っているわけでも、書置きが添えてあるわけでもなく、見覚えのない安っぽい万年筆を手にとって見る。包みがないのでプレゼントと言う風でもないし、間違えて下駄箱に入れるわけもないので、撫子は不可思議そうに万年筆を眺める。

 その好奇心が、失敗だった。


「あ! それ私の万年筆!」


 背中に姫の甲高い声を聴いた時、撫子は自分の迂闊さを激しく後悔した。いつもいない人間が下駄箱にいて、あるべきでない物が下駄箱にあったのだ。繋がりがないわけがないではないか。

 咄嗟に万年筆を下駄箱に投げて戻すが、その時には既に遅い。


「なんであんたが持ってるのよ、この泥棒」


 いつの間にか背後にまで迫った姫が、怒りの表情で撫子を見下していた。ただ、その瞳に憤怒の色はなく、誰が見てもわかるほど喜色に満ちていた。


「え、下駄箱に入っていて……」


 無駄だと理解しながらも、撫子は咄嗟に否定の言葉を口にする。


「そんな言葉を信じると思うの?」


 予想していた通りの姫の返事に、撫子は下唇を強く噛む。嵌められた。そう思った時には全てが手遅れだった。姫は撫子の下駄箱から万年筆を取り出して、愉しそうに口元を歪めながら、すぐ傍の女友達に撫子が盗ったのだと説明している。もっとも、その女も何も知らなかったわけではなく、この作戦の共犯なのだろう。疑うこともなく、姫と同じ目をして話しに相槌を打っていた。

 父親から貰った。高級品。思い出の品。

 二人はそんな言葉を並べて万年筆の説明をしてはいたが、撫子には嘘だとわかった。きっと図書館の落し物コーナーにあったとか、父親がペン先を曲げて使えなくなったとか、その程度の品に違いない。

 何故なら、重要なのは万年筆ではなく、『撫子が盗んだ』と言う事実だからだ。どれだけ否定しても、姫が声高にそう叫べば、殆どの人間は係わり合いになりたくないと、目を逸らし撫子を弁護などしないだろう。

 そしてどんな物だろうと、盗めば犯罪だ。生徒間のいざこざとは言え、教師に知られれば、親にまで確実に話が行くだろう。

 それは苛められている人間に取って、究極とも言えるウィークポイントだ。親に苛められていると知られるのは、撫子にとっては何よりも恐ろしい物だった。理由なんてなくて、酷く感情的な感傷ではあったが、泣きたくなるほど、家族には知られたくなかった。

 自分に対する劣等感や、親に対する申し訳ない気持ち。怒られるのも同情されるのも守られるのも、その全てが恐怖だ。繊細な心に深い傷を作って、立ち直れなくなってしまう。


「胴桐さん。これは先生にも言う必要があるわ」


 撫子の予想通りに、姫はあっさりと恐ろしい言葉を口にする。


「そ、それだけは、止めて」


 この言葉も、相手の台本に書かれた台詞だったのだろう。姫の笑顔は隠しきれない愉悦に満ちている。この先の展開は、想像できる限り一つしかない。


「じゃあ、私のお願いを聴いてくれる」

 それ来たと、撫子は姫の言葉に身を切られる錯覚を覚える。教師に黙っている代わりに、言うことを聞くこと。殆ど奴隷の契約に近いのだが受け入れるしかない。どんな無理難題を言われるのかと、撫子は見えない手で頭を抱える。

 二人の人間関係は一方通行。笑う者と、苦しむ者。残酷的な、生命の根本原理。


「何をすればいいんですか?」


 今までの経験から、万引きなどの犯罪等の強要はしないだろうが、こんな強引な策を弄してくるくらいだから、余程のことをやらせるつもりだろう。口から心臓が出そうになるのを抑えながら、撫子はゆっくりと開く姫の口を見つめる。


「そうね」薄く笑って、姫が言った。


「あなたには、鬼頭雄志に告白をしてもらおうかしら」


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