胴桐撫子:盃嵐 ③
「さて、撫子ちゃん。ようやく二人になれたな。改めて自己紹介、俺が盃嵐だ」
いつの間にか隣に立っていた嵐が、恭しく頭を下げる。まさか、このタイミングで話を切り替えるつもりなのだろうか?
「実は、どうしても言いたいことがあってな、一対一で話したかったんだ」
「言いたいこと?」
初対面のはずの嵐から、何か言われなければならないようなことがあっただろうか? なんとか状況に喰いついている撫子が鸚鵡返しすると、嵐はベランダから部屋に戻りながら、「そ。どうしても伝えたいことがな」と肩を竦めて見せた。そのままキッチンへ赴き、自分で捌いた刺身が乗った皿を器用に右手で三枚掴むと、「ほれ、中に入れよ」と口元だけで笑った。
「そのためにわざわざ、人払いしたんだ。良いだろ? おじさんの質問に答えてくれよ」
炬燵机の上に、皿と醤油、それと箸を置いく嵐。そのまま腰を下ろし、ソファに背中を預け、美亜が見ていたテレビの電源を落す。
撫子は逡巡した後、嵐の正面に座った。堀炬燵に足を入れるのは初めてだったが、その開放感は一発で気に入った。洋風な我が家にも、無理矢理導入したくなる一品だ。
だからと言って、気を緩めることは当然出来ない。初対面の年上の男。父親や学校の先生以外で、この年頃の男と面と向かって話すのは初めてで、それが好きな人の保護者ともなれば緊張しない方がおかしいだろう。
「そんな硬くなるなよ。ほれ、刺身」
寿司ネタばかり乗った皿と箸を渡され、撫子は「頂きます」赤身に醤油を少しだけ垂らすと口に運んだ。刺身の味なんてわからないが、「美味しいです」と無難なことを言っておいた。
「悪いな。雀の馬鹿が飯炊くのを忘れて、今炊いてる所なんだ」
そう言って、大量に切られた大根の山を押し付けてくる嵐。
「それで、私に言いたいことってなんですか?」
勧められるままに、細くカットされた大根を一口分呑み込んだ後、撫子が話を切り出す。わざわざ人払い(まさか美亜が飛び降りるのを予測はしていなかっただろうが)までしたのだ、何を訊かれるのだろうかと、心臓は度重なる激務に叫び声を上げていた。
そんな撫子の気苦労を知らない嵐は、「ん? ああ、最後で良いよ。どうせ二日三日は美亜の奴掴まらないだろうし、しばらくはあいつら走り回ってるだろ」意味有り気に話しておいて、嵐は急にやる気を失くしたように欠伸をする。雄志が美亜と並べて樹の例えに使った理由がよく理解できる言動だった。
この手の人間の扱いには、美亜でなれているので、一々突っ込むこともせず、
「じゃあ、雀さんとどう言う関係ですか?」と当たり障りのないことを訊ねた。
「雀? ああ、俺の配偶者だけど? 雄志から聴いてない?」
雄志め、もっと家族のことを話せよ。と愚痴を言う嵐であったが、撫子はその言葉の意味が理解できずにぽかんと口を開ける。
「嵐さんと雀さんは、幾つですか?」
「俺は三十四で、雀はこないだ十八になったよ。二年前に結婚した新婚さんになるのか?」
刺身を二切れ一緒に口に放り込む嵐の答えに、撫子は雷に打たれたような衝撃を覚える。単純に考えて、結婚当時には年齢差が倍あったことになる。そこから導き出される答えは、ロリコンしかないんじゃあないだろうか? 雄志の「やばいと思ったら」とは、そういうことだったのだろうか?
「ん? どうした? 何か顔に付いてるか?」
おどけたように口元を右手で拭う嵐の顔は、決して悪くない。むしろ、恰好良いくらいだ。立った姿も、雄志ほどとはいかなくてもがっちりとした長身。どういった会社かは知らないが、若くして社長になり、こんなマンションを建てるほどの手腕。そして、自分より十六も若い少女を奥さんにしている。最後の一言が、嵐を社会的成功者から、ただの変態に変えている気がしてならない。
「い、いえ、お若く見えるなーって」
本当ならば、『どうしてお付き合いをすることに?』とストレートに訊きたかったのだが、撫子の小さな心臓には不可能だった。もっと言えば、まだ十六歳の撫子は、この場から逃げ出す算段で忙しかった。
「ありがとよ。良く言われるけど、サイヤ人みたいなモンだと思ってくれ」
わけのわからないことを言って、嵐が立ち上がるのを見て、撫子は思わず肩を震わせる。何事かと思い腰を上げるが、嵐はキッチンからポットと湯呑を持って来て、小慣れた様子でお茶を淹れる。「ほれ」撫子は嵐が淹れたお茶を両手で受け取って、会釈をした後に大人しく頂く。邪な妄想をしてしまった自分を恥じながら、熱いお茶を吹いて冷ます。嵐もお茶に口をつけ、お互いの息遣い以外の音が部屋の中から消えた。
撫子はその気まずい無言の空気をどうにかしようと次の質問を考える。考えるといっても、会ったばかりの人間に質問がそうそうあるわけもなく、撫子が質問できることは極限られていた。互いの共通の知人、鬼頭雄志のことに。
「あの、雄志君はどうしてここで暮らしているんですか?」
撫子は殆ど誘導されるようにその疑問を口にする。
すると嵐は、「雄志の奴が、何て呼ばれているか知っているか?」と、疑問文に対して疑問文で答えた。撫子は勿論、雄志の渾名は知っている。しかし正直に答えるのは躊躇いがあった。
大凡高校生には似合わない、恐ろしい響きの言葉で雄志は呼ばれている。まるで雄志が忌避すべき邪悪な存在であるような名を、軽々しく口にする気になれない。
どう答えた物かと、撫子は眉根を寄せて悩んだ。が、嵐にはその表情だけで十分だったらしい。
「知っているなら重畳だ。あいつは『粉砕鬼』なんて呼ばれている。それが何故かは知っているか? ちなみに、誰が付けたかは知らん。そう言うもんだろ? 渾名って」
「噂でなら、知っています」再びの嵐の問いに、あくまで噂だということを強調して撫子が即答する。「上級生の骨を折ったんですよね」
撫子の言葉に、嵐は「不正確だな」と刺身を直接手で掴んで口に運ぶ。机の上の手拭いで乱雑に指を拭いて、「正確には、一個上の先輩五人が駅前のファストフード店で団欒している場に殴りこんで、女子生徒三人と男子生徒二人の全身の骨を合計二十七箇所その手で直接砕いたんだ。勿論複雑骨折もあって、土曜の昼下がりの店内は阿鼻叫喚の地獄絵図。俺が偶然あの場にいたから良いようなものの、下手をしたら死人が出ていてもおかしくなかったね、ありゃあ」楽しい思い出話を語るように、撫子に通り名の由来を説明した。
「それは、本当ですか?」
信じられないと、撫子は疑うように嵐に訊ねる。確かに、ゲームセンターで見た雄志の暴力的な一面は恐ろしかったし、恵まれすぎたあの体格であれば骨ぐらい簡単に折れるかもしれない。しかし他人との不必要な干渉を嫌う雄志が、わざわざ他人に手を出すと言うのがわからない。物理的には可能であっても、余程の動機がなければ雄志がそこまでの暴力を振るうなんてとてもではないが想像できない。それに食事中の人間を襲った形振りを構わない方法も、雄志には似合わないように思えた。
どんな事態が起これば、雄志がそんな凶行に及ぶのか。嵐の言葉が嘘だとは思えないが、今一現実感が沸かなかった。
「俺が見たから本当だぜ? 止めに入ったら躊躇なく顔面殴られたから、俺もちょっとムキになっちまったなー」
「嵐さんも殴られたんですか」
良く顔が吹き飛ばなかったなと、撫子は驚きの声をあげる。嵐は嬉しそうに頷いた。
「殴られたよ。あれは、あの年のベストオブ激痛のトップテンにランクインしたな」
「それで、雄志君をどう止めたんですか?」
「ん? 左足の脛を折った」撫子の素朴な問いに満面の笑みで、嵐が答えた。「そんな顔しないでくれよ。俺、鼻から滝のように血流していたからね? それに、プロの格闘者染みた体格の男が、理性的に暴れているんだ、手加減のしようがないだろ? 特に、俺は関守とかと違って手加減なんて出来る気性じゃあないし。足折って顎蹴って気絶させるしかなかったんだよ」
まるで暴力を否定しない嵐の言葉に、気持ちの悪い違和感を撫子は覚える。しかし嵐の言うことはもっともで、雄志を止めるにはそれぐらいしないと効果がないだろう。あの体格は、暴れるだけで反則を取られても仕方がないほどの規格外だ。
「それで、雄志君はどうなったんですか?」
「雀が救急車と警察呼んで、雄志と上級生は病院。俺は暴行とか器物破損の疑いでパトカーに乗せられた。信じられるか? 俺が全部やったことにされかかったんだぞ?」
捕まったんですか! 撫子はツッコミたい気持ちを抑え、「大変でしたね」と乾いた笑いで対応した。そりゃあ、中学生相手に足の骨を折るような男が捕まらない方がおかしい。
「結局、雄志君はどうしてそんなことをしたんですか?」
話に落ちが付いた所で、今度は騒動の発端を訊ねた。勿論、いくら理由があったとしても、雄志の行動を弁護できる物だとは思っていない。それでも、そこまで暴力を振るった理由になるような正当性が欲しかった。せめて、同情できるような何かが欲しかった。
が、嵐は無情にも首を横に振った。
「さあ? あいつは結局一回も俺には教えてくれなかったな。後から見舞いに来た家族や友達も、『わからない』の一点張りだ。図体ばかりデカくて、姉がいないと何もできない奴だったから、全員驚いていたくらいだ。どうでもいいが、雄志の御袋さんに思いっきり頬を引っ叩かれたな。あれも痛かった」
「え?」当時のことを思い出したように、左頬を擦る嵐の台詞に撫子が驚きの声を上げる。「姉って、雄志君お姉ちゃんがいるんですか?」
凶行に及んだ理由が不明なことにも驚いたが、雄志に姉がいると言う事実も寝耳に水だった。なんとなく一人っ子だと思い込んでいたので、その事実は些か衝撃的だった。
だが、思い返してみれば、疑う節はあったと言えばあった。
弁当や服装を誉める行為は、落ち着いて考えて見れば雄志のイメージには似合わない。だが、姉がいれば、そう言ったことを教わり、実行していたと考えればおかしくはない。それに、撫子が美亜のことをお姉ちゃんと呼んで話す度に、雄志は少しだけ楽しそうにしていた気がする。
「お姉さんって、幾つですか?」
機会があれば、是非会って話をしたいものだと、撫子は顔を輝かせる。お姉ちゃんっ子だったと言う雄志を見てみたかった。
「ん? 生きてれば、撫子ちゃんと同い年だよ」
しかし嵐の言葉は、そんな希望をあっさりと砕いた。一瞬、その台詞の意味が分からず、撫子は「え?」と間抜けに聞き直してしまう。
髪の毛を右手でかき混ぜて、嵐が視線を天井に移す。そのまま深く息を吐いた後、嵐は視線を撫子に戻し、少しだけ早口に答えた。
「雄志が暴れ回る一週間位前に事故で死んじゃったんだとよ。だから、俺は面識もなければ、名前すら知らない」
おどける様に肩を竦める嵐に、撫子はどう言葉を返すべきかが見つからない。人の死なんて経験したことはないが、どうにも『人が死んでいる』と言う事実はそれ以上人間を立ち入らせない効力がある。さらに言えば、嵐は雄志の骨を折って意識を奪っているわけであって、立ち入った事情など聴ける立場など微塵もなかっただろう。
「その姉の死が、雄志を劇的に変えた。虫も殺さない優しい男を、姉の友人の骨を折っても謝らない冷徹無慈悲な人間になるくらい、それは衝撃的だったみたいだな」
「わかる気もします」
本人の目の前では決して言えはしないが、撫子には雄志の気持ちが少しだけ理解できるような気がした。もし美亜が死んだら、考えるだけで心が苦しくなってしまう。美亜は撫子が背負いきれないものを、いつも一緒に担いでいてくれている。撫子は美亜抜きでは立つことすらできないだろう。
何よりも、人が死ぬと言うのはきっと悲しいことだ。
「そして不幸なことに、姉の死で変わってしまった雄志を受け止めてくれる人間はいなかった。良いトコのお嬢さんだった母親は、変わった雄志を認めることができず、仕事に忙しい父親はそれを理由に家に立ち入ることはなくなった」
そして悲しみを乗り越えられなかった雄志の家族はバラバラになってしまった。
「それで、家庭を失った雄志君を嵐さんが引き取ったんですか?」
「そんなとこ。俺は顔が広くてね。荒んで深夜徘徊しながらヤンキーとか電柱とかを殴り飛ばしている中学生を捕まえてくれと、そこかしこから依頼されたんだよ」
どんな職種に就いていれば、町中で暴れている中学生を止めるような依頼が来るのか一切わからなかったが、話の腰を折るのは憚られたので撫子はしかたなく口を噤んだ。
「結構な金額貰えるみたいだから、俺は一も二もなくその依頼を受けた。足を折っちまった俺にも原因があるかもしれないしな」
俺が足を折ったから、人生を真っ直ぐ歩けなくなったかもしれないだろ? 嵐は笑えない冗談を口にする。どうも、嵐はあまり暴力に対する抵抗があまりない……と言うよりは、暴力に対する捕らえ方そのものが違うようだ。
その認識の差は撫子には受け入れがたく、嵐と言う人間に対する違和感が強くなる。
「仕事事態は、簡単だった。前みたいに骨を折らないように捕まえるのは骨が折れたが、それだけだ。アマチュア中学生に、プロが負けるわけがない」
自慢げに、再びブラックな発言をする嵐。いや、それよりも中学生をボコボコにして勝ち誇る人間が、一体何のプロだと言うのだろうか? 撫子はいよいよ、この会社がどんな業務をしているのかが気になった。表の看板に『盃組』と書かれていないか、今すぐにでも確認したいくらいだ。
「その後は、雄志をどうするかで揉めたんだ。親は出てこないし、どこの施設にぶち込もうと、あいつは絶対問題を起こすだろうと盥回しにされてな。で、面倒だからもう俺が預かることにしたんだよ」
「面倒だから……ですか?」
質問の答えとして、不適切な言葉を鸚鵡返しに撫子が訊ねる。誰が考えても、子供一人を預かる方がよっぽど面倒だ。しかもそれが素行不良で捕まった雄志となればなおさらだ。
疑いの視線が混ざった問いに、嵐が片眉を上げてシニカルに笑う。
「退屈程、面倒なことはないだろう?」
撫子を小馬鹿にしたように、嵐は肩を竦めて見せる。
「安寧が嫌だったから、俺は雄志を引き取った。平和を否定したかったら、俺はこの会社を建てた。無敵だと暇過ぎたから、俺は雀に恋をした。マグロと一緒なのさ、止まっていたら死んじまうんだよ、男って言うのはな」
退屈が嫌いではない撫子には理解し難い、男の世界理論に乾いた笑いで返す。ここ数分で随分と笑い方が下手になってしまった気がする。
しかしその言葉は、嵐が美亜の上司であることに疑問を挟む余地を一切なくした。二人は間違いなく同類項だと確信できた。
誰よりも早く前に出ることのできる、強い人種。自分を信じて疑わない真っ直ぐな人間。自分の心に何人もの人間を住まわす、優しい人。それ故にトラブルメーカーで、だからこそ人々は、そういった人の元に集まって団結するのだろう。
対して撫子はその真逆の人間だ。自分からは動かず、誰かの陰に付き添い、自分の意思すらも誰かのせいにしないと歩けない人間だ。人生に優劣が付けられるとすれば、間違いなく撫子は劣っている。
嵐や美亜の真っ直ぐな生き方は羨ましくも恨めしく、そんなことを考えてしまう自分が一層醜い人間に思えてしまう。いや、事実そうなのだろうか? 人を騙して自分だけが傷つかない道を探して、あわよくば嘘をそのまま本当にしようと考え、まるで詐欺師だ。
どれだけ考えても、自分を正当化する手段なんて思い浮かばなくて、朝のように黒い感情に撫子の心は蝕まれていく。
「どうした? 撫子ちゃん? 俺、変なこと言った?」
暗い考えが表情に出ていたようで、嵐が少しだけ焦ったように右手を撫子の目の前で上下させる。撫子は慌てて両手を振って弁明した。
「何でもないです」
その言葉を信じられないとでも言うように、嵐は身を乗り出して撫子の瞳を覗き込む。嵐の真っ黒に燃え上がるような瞳の前では、全ての嘘が見抜かれるような気がした撫子は、自分の情けなさに歪んでしまった目を隠そうと、湯呑みを口元にまで運んで、勢い良くお茶を啜る。まだ熱い液体が、焦がすように喉を抜けていったが、表情をごまかすには丁度よかっただろう。
「本当に? もしかして、刺身駄目な人だった? それとも醤油がお気に入りのメーカーじゃなかった? 雀に買わせてこようか?」
それでもまだ、嵐は疑いの目を撫子に向け続ける。見当違いな優しさが、恐らくは嵐自身が信じる善意から来ていることを思うと、少しだけ居心地が悪かった。自分は、それほど綺麗な人間ではないのだと、言ってしまいたかった。
「それよりも、雄志君も止まったら死んでしまう人間なんですか?」弱音を吐くにも、強い心が必要なことに理不尽さを覚えながら、撫子は苦笑いで話を戻す。「どちらかと言うと、雄志君は山のように構えて動かないタイプに思えますけど」
「そりゃあ、そうさ」嵐は殆ど間を置かずに答える。「山だって、年々高くなったりするだろ? 風に吹かれて削れたり、雨で崩れたり。変化っていうのは、何も自分から能動的に変わるだけが変化や成長じゃあないのさ。誰だって、変わらないことは嫌だろう?」
「……そうですか? 私は、変わらないことも悪くはないと思います」
「そりゃまたなんで?」
さして気分を害した風でもなく、嵐は撫子の問いに話を合わせて来た。もっとムキになって自分の意見を主張するかと思ったが、そんなことをするまでもなく、自分の考えに自信があるのだろう。同系の美亜も、意味のない自信に満ち溢れているのだから間違いない。
「だって、動いたら悪い状況になるかもしれないじゃあないですか」
どの口が、そんなことを言うのだろうかと、撫子は他人事のように自分の台詞を反芻する。確かに変わらなければいい状況も存在するだろう。嵐が嫌う平和とか安寧がそれだ。しかし撫子は今まさに変化を求めている。手を伸ばすのが怖くて、踏み込む勇気がなくて躊躇しているだけなのに、今の自分を肯定するような言葉を紡ぐ。
まるで自分が変わることのできない言い訳のように。
「おお、そりゃあそうだな。人生悪いことと悪い奴ばかりだからな。動かないのも手だろうな。メリットとリスクを比べりゃあ、リスクを避けるのが大半だろうな」
先の自分の意見を否定するようなことを、嵐はあっさりと口にした。それは撫子の過去を肯定するのには心地よく、これから進むべき道をより一層暗い深さに隠してしまった。
「はい。だから私は男の人のそう言うところ、よくわからないです」
変わりたいと言うのは掛け値なく本音ではあったが、それでも茨の道を進む気にはなれず撫子は嵐の言葉を肯定に取った。
すると、「何言ってるんだよ」嵐は珍しく驚いたような表情を作った。
「撫子ちゃんだって自分で動く人間だろ?」そして、そんなことを言うのだ。極々真面目に、数を順に数えるように当然に。「じゃあなきゃ、雄志に告白なんてしないだろうし、鏡の前に立つ時間を増やそうとも思わないだろうし、メールなんて送らないだろうし、ましてや弁当なんて作らないだろう?」
綺麗な宝石を見るような真っ直ぐな瞳で、嵐は撫子に微笑んだ。
「それに、雄志の背中を押したのだって撫子ちゃんだろ?」
違う。
そう叫ぶことが出来れば、どれほど幸せだろうか。
「あいつ、姉が死んで以降、同じ年頃の女の子を避けていたんだよ。だから、あいつに可愛い彼女が出来るなんて夢にも思っていなかった。そんな雄志を変えたのは、撫子ちゃんが変わろうとしたからだろう?」
違う。
疑うことを知らないような優しい言葉に、撫子の心が悲鳴をあげた。
「だから、俺は撫子ちゃんを大袈裟じゃあなく尊敬しているんだぜ? 俺がどうやっても変えられなかった雄志を、あっさり変えちまうんだからな」
違う。
嵐が思うような撫子は存在しないのだと、叫びたかった。胴桐撫子と言う人間は、自分のことしか考えていない、しかもそれを他人のせいにしようとするような、最低の人間だと、嵐に言ってやりたかった。
「俺が言いたかったことは、『ありがとう』だったんだよ」
それなのに、嵐は追い討ちをかけるように言葉を紡ぐ。
善意に満ちたその言葉は、撫子にはどうしようもなく不釣合いなのに。
「あいつを変えてくれてありがとうな、撫子ちゃん」
どうしようもない嵐の真っ直ぐな台詞に、撫子はただ困ったように笑った。
その笑顔は、自分が傷つかないように、場の空気に流されただけの、一番嫌いな表情だった。




