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胴桐撫子の恋愛関係  作者: 安藤ナツ
五月二十八日 土曜日

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14/20

胴桐撫子:盃嵐 ②

 マンションの裏口から五階まで階段を上ると、雄志は「やばいと思ったら、何をしてでも逃げ出してください」とわけのわからない警告をした後、階段のすぐ横に設置してあるインターホンを押した。極々有り触れた電子音が、ボタンを押す時と話す時に鳴る。撫子は緊張しながら、インターホンの向こう側から返事が来るのを待った。一体、嵐夫妻とはいかなる人物なのか、雄志は殆ど語ってくれなかったので想像もつかない。


『はーい。雄志君どうぞ上がっちゃって下さい』


 暫くの沈黙の後、二人を歓迎したのは若い女の声だった。自分と同世代と思しき声に若干驚いたが、社長に娘がいても不都合はないだろう。夫妻などと言う物だから、てっきり夫婦二人暮らしかと思っていたが、違うようだ。

 慣れた様子でドアを開ける雄志の背中に隠れるようにして、撫子は家の中に入って行く。社長宅と言うことで多少なり緊張していたが、壺もなければ絵画もない質素な玄関に、少しだけホッとした。ただ他にも来客がいるのか、玄関に置いてある見覚えのある革靴があった。

 しかしスリッパを並べて旅館の女将のように歓迎する、和装の少女には驚かざるを得なかった。


「初めましてですね、撫子ちゃん」


 インターホンで対応してくれた声を持った少女が、にっこりと笑う。年の頃は撫子より少し上と言ったところだろうか? 派手な簪で結ったツーテール、空色を基調とした蝶々柄の服装が、明るい彼女のイメージに良く似合っていた。が、このマンションに相応しい格好かと訊かれればそれは否で、できの悪いコスプレをしている風にしか見えなかった。


「ようこそいらっしゃいました。私、盃雀はあなたを歓迎します」

「お邪魔します。手ぶらで申し訳ないです」


 快活に抑揚良く話す雀に、撫子はここに来るまでに頭の中でシミュレートした通りに言葉を紡ぐ。


「いーですよ。こちらこそ、嵐の思いつきで呼び出して申し訳ないです。しかし、お姉さんと違って、気が利きますね。あの人が持ってくるのはトラブルだけですからね」

「姉を知っているんですか」


 スリッパを履きながら、撫子が世界の狭さに驚きの声を上げる。しかし思い返して見れば、さっき雄志も姉の名前を口にしていたし、親しい風だった。これはどう言うことだろうか?


「あれ? 知らないんですか?」


 撫子の疑問に、可愛らしく小首を傾げながら立ち上がり、「こちらです」と雀が先を歩き始める。その後ろを不可解そうに眉根に皺を寄せる撫子、雄志の順番でついて行く。


「ああ。美亜先輩でしたら『仕事内容は家族にも言ってない、その方が格好いいから』って言っていましたよ」

「まだ言っているんですか」


 雄志の言葉に苦笑を漏らす雀。二人の会話の意味はイマイチ理解できなかったが、なんとなく嫌な予感がした。

 そう言えば美亜は、何処に何をしに行くと言っていただろうか?

 この家の玄関に置かれたあの革靴は、一体誰の物なのだろうか?


「雄志君」堪らず、その場で回れ右して聳え立つような雄志に上目使いで懇願する。「やばい。帰りたくなってきました」


 まさか、こんなに早く帰りたくなるとは思いもしていなかった撫子だが、もう帰るならこのタイミングしかないと思った。下手をすれば、下駄箱に万年筆が入っていた時よりも、凄まじい絶望感があった。

 事情を理解してくれ雄志は、同情を含んだ瞳で撫子を見つめながら、首を横に振った。『何をしてでも』と言うのは、『敵となった雄志を倒してでも』と言う意味も含むらしい。「すいません。俺には何もできません」


「またまた、御冗談を。まだ何も食べてないじゃあないですか」


 流石に家主には敵わないのか、無力を噛み締める雄志と、期待と声を弾ませる雀の声。


「さあさあ。くつろいじゃってください」


 完全に撫子の反応を楽しみながら、雀が開けて欲しくない扉を勢いよく開ける。意地でも逃げ出そうと思ったが、雀に肩を組まれてしまい、成し遂げることができなかった。

 開け放たれた扉の反対側には、巨大な窓が並び、マンションの一部屋を一室に改装した巨大なリビングをより一層広く見せている。入り口から見て左側の方はキッチンになっていて、二十代と見える男が真剣な表情で包丁を動かしていた。その反対の壁にかけてある薄型のテレビは、家電量販店でしか見たことがないような特大のサイズで、その正面に置かれたソファもベッドにしても問題がないくらい大きく豪華な物だった。壁にはずらりと棚が並び、本や食器、フィギアや写真が大量に飾ってある。

 そして十人は入れそうな、炬燵布団のない掘炬燵の机の上には今朝見た顔。それは、撫子の嫌な予感が示した通りの人物だった。


「お、帰って来……た」


 向こうも撫子に気が付いたらしく、にこやかな表情が氷漬けになる。雀の笑いを堪える声と、雄志の溜め息が聞こえたが、今の撫子にそれは些事だった。


「お姉ちゃん?」


 何故、ここに美亜が? 理解できない状況に、撫子は狼狽する。家族に、しかも美亜に雄志のことを知られると言うのは理由抜きに恥ずかしく、『新しい友達ができた』と適当な嘘を吐いていた撫子にとって、この状況は非常に気まずかった。どうこの場を切り抜けようかと頭の中で必死に台詞を組み立てる。


「あのね、お姉ちゃん」


 取りあえず考えが纏まるまで時間を稼ごうと、何故か両手を上げながら撫子が声を張り上げる。後ろでニヤついている雀は無視することにした。お邪魔する前、雄志が言った言葉の意味が痛い程身に染みた。

 しかし必死になって撫子が言葉を選ぶよりも遥かに早く、美亜が行動に移った。


「認めないぞ! 私は認めない!」


 裁判所でも言わないようなセリフを叫ぶが早いか、美亜は炬燵机から座ったままの姿勢で跳躍すると、撫子とは反対の窓側に着地した。そのまま窓ガラスを叩きつけるように開け、裸足のままベランダに出る。最早、その行動は変とかおかしいではなく、単純に危ない人間のそれだった。

 他の人間も同じようなことを考えているようで、雄志は呆れた表情をし、雀は完全に引いていた。謎の料理人(消去法で行けば、嵐社長なのだろうが、雀を娘だと仮定すると若すぎる)だけは楽しそうに笑っていたが。


「珍しく飯に誘ってくれると思ったら、そう言うことかよ!」


 まるで重大な裏切りにあったかのような口調で、美亜が叫ぶ。何が何だかわからず、撫子が咄嗟に近寄ろうと足を上げると、「動くな!」とかなり厳しい口調で咎められた。そして有り得ないことに、美亜は目の前の撫子を無視してキッチンに立つ男を睨みつける。


「本当に最悪だな! いや、性悪なのか? 嵐! お前、いくら私が仕事サボったからってこの仕打ちはないだろ!」

「別にサボったことは怒ってねーよ。お前の相談をちゃんと解決してなかっただろ? 料金分は働く男だからな、俺は」


 出刃包丁を鉛筆のように掌の上で回しながら、意地が悪そうに唇を吊り上げる料理人。どうやら、嵐で間違いないようだ。


「因みに、相談の内容を聞きたいかい? 撫子ちゃん」

「え? あ、その、はい」


 嵐の唐突な振りに、嫌な予感をひしひしと感じながらも、思わず肯定の言葉を口にしてしまう撫子。どうしてこうも、場の雰囲気に流されやすいのだろうかと、自分の性格が嫌いになりそうだった。もっとも、「言わないでくれ!」とベランダに立って大声を出す姉のようにしてまで、流れに逆らおうとも思えないが。


「美亜の奴がな、最近撫子ちゃんの様子がおかしいって言うんだよ」


 抑えきれない感情を唇から洩らす嵐が、包丁をまな板の上に置いて布巾で手を拭う。その当たり前の仕草が、美亜の苦悶の表情を頂く前に、手を洗っているように見えたのは錯覚ではないだろう。


「様子が、ですか?」

「ああ。鏡の前に長いこといたり、携帯電話をよく構っていたり、弁当を二つ作って学校に持って行ったりな」細めた目で雄志の方を見ながら、嵐が楽しそうに口を動かす。「まるで、彼氏でも出来たんじゃあないかと、酷く心配していてな。上司としては、部下の不安はきちんと排除しておきたいんだよ」


 今にも吹き出してしまいそうな嵐と、絶望の中の美亜の顔を見比べながら、撫子はこの一週間の自分の生活を振り返る。確かに、鏡の前に張り付く時間は増えたし、携帯も雄志とメールをするようになって格段に構うようになった。弁当だって言い訳のしようがない。

 が、それらは全て美亜が寝ている朝や、自分の部屋の中の話だ。雄志との関係を隠していた恥かしさよりも、どうして美亜が知っているのかと言う恐怖のほうが遙かに大きい。


「それで、俺はこうやって話し合いの場を造ったんだよ。地上五階、逃げ場のない我が城で、一緒に寿司でも食いながら、美しい姉妹愛を育んで欲しくてな」

「要するに、私の狼狽を肴に魚を食うってことかよ! これが大人か!」

「まあ、本音言うとな」口角泡を飛ばす美亜に、嵐はあっさりと建前を崩す。「ごめんね、撫子ちゃん。俺の楽しみのためだけに、雄志使って呼んじゃって」


 謝罪の気持ちも毒気も感じられない舌を出した笑顔に、撫子は小さく息を吐く。どうやら美亜の慌て方に、いつの間にか嫌な予感と小さな羞恥心は何処かに吹き飛んでしまったようだった。代わりに、どうせ流されやすい性格なのだから、この場の勢いで言ってしまおうと、妙な自身が沸いてくる。後ろには雄志がいるし、目の前には姉の美亜がいる。これ以上心強い状況があるだろうか?


「構いませんよ。お姉ちゃんにもいつかは言わなくちゃって、考えていましたから」

「そうか。じゃあ、あの聞き分けの悪い姉に、真実ってのを教えてやってくれ」


 嵐が撫子の言葉に楽しそうに笑った後、肩を竦めて美亜を顎で指す。それを見て撫子はゆっくり頷くと、真っ直ぐに美亜を見つめる。

 先程とは打って変わって急に静かになった大好きな姉は、崖の上に追い詰められた推理ドラマの犯人のように顔を真っ青にしていた。娘に彼氏が出来た父親よりも酷いリアクションだが、撫子のことを想う故のことだろう。

 そんな姉に真実を語ることはできないが、せめて事実だけでも知ってもらおう。雄志に認められたことが嬉しかったように、美亜に雄志との関係を認めてもらえることは素晴しいことだろう。

 早鐘を打つ心臓をタンクトップの上から押えて、撫子が思いを伝えようと唇を動かす。


「聴こえなーい!」


 が、大切な姉を想った言葉は、耳を押さえて眼を瞑る美亜の叫びに掻き消された。


「聴こえないもん! なーんにも聴こえない!」


 普段の男勝りな口調すら捨て、無力な子供のように頭を抱え込んでしゃがむ美亜に、「ごめん、美亜。今、真剣に引いたわ」終始笑顔だった嵐でさえ表情が引き攣る。それは撫子も同じことで、二十歳を超えた女が駄々をこねるのは、想像以上に見苦しかった。想像なんてしたこともなかったけど。


「お姉ちゃん、聞いて! 私!」


 大人気の欠片もない美亜に負けないように、撫子も声を張り上げるが、「聴こえなーい!」美亜は更に大声を出してそれを否定する。窓ガラスが声の振動で小刻みにゆれ、音は空気の振動によって起こるものなのだと、撫子は身を持って体感する。

 それでも、撫子は怯まない。たった一人の大切な姉に、大事にしたい気持ちを伝える。


「雄志君と付き合っています」


 小学生のように駄々をこねている美亜に聴こえたかはわからないが、撫子は叫んだ。

 いや、直後に美亜がベランダから飛び降りたことを考えれば、聴こえていたのだろう。

 一切の躊躇も、微塵の恐怖も感じられなかった美亜の突飛な行動に、今度こそ撫子の思考は一瞬停止した。「何故?」と言う言葉が頭の中を埋め尽くし、瞬きすら忘れてしまう。


「逃がすな! 雄志! 雀! 至急あいつを捕まえて俺の前まで連れて来い!」

「了解」「わっかりましたー」


 対照的に、嵐は純粋に物事を楽しむ子供のように、瞳を輝かせていた。雄志も雀も何処か楽しそうに、嵐の命令に返事をすると、玄関の方に慌しく消えていった。どうやら、美亜を捕まえに行く気らしいのだ、


「ええ? 普通に救急車ですよ! お姉ちゃん!」


 我に返った撫子は嵐に突っ込みを入れると、慌ててベランダに駆け寄って下を覗く。優に十五メートルは越える高さから飛び降りたのだ、骨折は当たり前として、下手をすれば死んでいてもおかしくない。まさか、自分の決意がこんな事態を招くなんて。


「馬鹿言え、あいつがこっから飛び降りたくらいで死ぬかよ」


 が、その心配は、嵐の言葉通りに、杞憂に終わった。ベランダの真下を見ると、丁度美亜が立ち上がるところだった。そして、両足でしっかりと立ち上がるなり、一目散に駅の方向に走って行く。インターハイの優勝者でもあそこまで早くないだろうと思える速度で、あっという間にその背中は小さくなってしまった。

「恐らく、マンションの壁を蹴ることで適度な減速をかけておいたんだろうな。強靭な肉体と、落下しながら素足で蹴れる場所を探す洞察力の成せる技だ。撫子ちゃん、いや世界中の良い子の皆は、真似しちゃ駄目だぜ?」


 少年漫画のようないい加減な解説を楽しそうに語る嵐。しかしそれっぽい説明を聴くと、美亜ならばやりかねないと撫子は一瞬でも思ってしまう。ベランダの下では、自転車に跨った雄志と、原付に乗った着物ライダー雀がそれぞれ駅とショッピングモールに続く道を猛スピードで駆け出していた。

 僅か数秒でどうやって下まで降りて乗り物を用意したのだろうかと不思議だったが、この家に上がって三分と経過していないことを考えれば、別段不思議でないのかもしれない。 ここにいる連中は、全員が全員、美亜と同じように滅茶苦茶な人なのだろう。そう、撫子は割り切った。



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