佐々結愛:胴桐撫子 ③
今学期に入って、一番清々しい気分で午後からの授業を受けた結愛は、今学期に入って一番憂鬱な放課後を過ごす破目になった。放課後の教室には結愛自身も含めて、いつもバス停まで一緒に行く雲母と、小手川姫に坂上鏡花しかおらず、なんとも言い難い雰囲気に満ちている。
要件は当たり前のように昼休みのことについてだ。あの時、廊下を歩く人間なんて殆どいなかったはずなのだが、見ている人は見ていたらしい。流石は派閥持ちと言った所だろうか?
「佐々結愛。どうしてこの場にいるかわかる?」
「ちょっとわからないかな? 雲母ちゃんはわかる?」
それでも取り敢えず、すっとぼけて、相手の出方を窺がう結愛。
「小手川さん。先週貸したジャンプならあげるよ。グラビアのポスターも好きにして」
雲母の方はそれよりも一歩進んで、無意味な挑発を口にする。
「違うに決まってるだろ、姫さん相手にふざけるなよ!」
と、姫の取り巻きである鏡花が声を荒げた。どうやら冗談が通じない人間らしく、目を三角にして雲母に喰ってかかる。
「って言うか、あんたは帰っていいんだけど? 香澄雲母?」
「愚問だよ、お姫様。夢って言うのはいつも輝いているもんでしょ?」
イライラとする姫相手に、何故か強気に出る雲母。結愛が撫子を助けなかったのは、勇気がなかったからだが、雲母が関わりを持たなかったのは勇気のせいではないらしい。雲母には姫に対する恐怖はなく、どちらかと言うとこの対立を喜んでいるようにすら見えた。
「撫子ちゃんでしょ? 私を呼び止めた理由って」
放って置いたら、結愛抜きでバトルが勃発しそうだったので、様子を窺がうのを止めて本題を自分から切り出す。予想はしていたが、面倒なことになってしまった。
「そうよ。あいつに話しかけるなって、私言ってなかったけ?」
視線を雲母から切り上げ、こちらを睨みつける姫。その顔は可愛いと言うよりは美しいと表現するべきなのだろうが、どちらにしろ、眉間に彫られた険しいシワが、彼女の利点を台無しにしていた。
「あー、言ってたわね。でも、それを守れって聞いてなかったし」
迫力に押されて口を噤んでしまった結愛に代わり、雲母がニヤニヤと笑いながら答える。
「ってかさ、自分がフラれたからって、胴桐さんに執着するのは筋違いじゃなあい?」
「なんですって!」
図星を突かれた姫が、声を荒げる。
感情的になって話ができない人間と言うのは、どうにも喋りづらくてやりにくいので、結愛としてはもっと穏便に済ませたいのだが、雲母はもっと別のことを考えているようで、いやらしい笑みは止まらない。
「怒らないでよ、お姫様。胴桐さんとあんただったら、今の私達は胴桐さんに付くってだけの話じゃん? ねえ、結愛」
「そ、そう言うこと。私達は、もう撫子ちゃんを見捨てられません」
どうして一々挑発的な言葉をかけるのかと、結愛は気が気ではなかったが、自分の言いたいことを言ってくれた親友に感謝する。
「撫子ちゃんが勇気を出したんだから、私達も勇気を出します。い、苛めカッコ悪い」
右手の人差し指を真っ直ぐに立て顔の横に持っていき、腰に反対の手を当てる謎のポーズを取って結愛が宣言する。台詞が恥ずかしかったので、恥ずかしい格好をして羞恥心を消す予定だったが、虚無感だけが残った。
「結愛、滑ってるよー。でもまあ、その通りだね。高校生にもなって苛めとかないって」
肩を竦めた雲母が、わざとらしく深い溜め息を吐く。態度こそ問題だが、その言葉は正論だろう。しかし正しいからと言って、必ずしもその意見が伝わると言うわけではない。
「お前、姫さんにそんな口利いて良いと思っているの?」
「そうよ。別にターゲットは胴桐撫子である必要はないのよ?」
鏡花と姫が放った台詞は、これ以上ない暴論だった。
「別に胴桐の根暗に嫉妬しているわけじゃあないし。むかつくからあなた達をターゲットにしたところで、何の問題もないのよ?」
将棋盤を引っ繰り返して勝利を語るようなハチャメチャな言葉に、結愛は唖然とする。どう育てば、ここまでズレた感覚を持てるのだろうか?
「そ、そんなの脅迫じゃあない!」
相手が暴力に訴えている以上、何を言っても無駄だとは理解していたが、結愛は叫ばずにはいられなかった。
「そうよ? あの根暗女を助けるんだから、同じ目に遭うくらい考えているわよね?」
悲痛な叫びは、姫に取ってと悦楽だったようで、普段通りの落ち着き取り戻した表情で美しく笑った。血も凍るとはこういうことか。言葉が通用しないとなると、非力な結愛には成す術がない。
自分がどんな表情をしているかはわからなかったが、姫の勝ち誇った顔を見るに、負け犬のような顔をしているのだろう。姫の目線から逃れるように、縋るような思いで結愛は隣の雲母に助けを求める。
すると驚いたことに、雲母も姫と同じ種類の笑みを浮かべていた。まるで勝負に勝った後のような、清々しい顔だった。
「馬鹿だなー。お姫様。私達は胴桐撫子さんに付くって言っているんだよ? あんたが怖くて仕方がない、胴桐撫子さんに。思わず昼休みに捨て台詞を吐いて背中を見せる、怖い怖い胴桐撫子さんにさ」
意味ありげに、雲母が撫子の名前を強調する。
「姫さんが撫子を恐れるわけがないでしょ? ね、ねえ姫さん!」
「そうよ。私があの子にビビるわけないでしょ?」
自身に溢れた雲母の言葉に、鏡花が怯えを、姫が焦りを見せたのを、結愛は見逃さなかった。どうやら、雲母の台詞はハッタリではないらしい。
「じゃあ、どうしてお姫様は、昼休みに胴桐さんに道を開けたの? 大体、今だって私達よりも胴桐さんにちょっかいを出すべきじゃあないの?」
言われてみれば、その通りだ。結愛は雲母の言葉に耳を傾ける。
「お姫様は、この学校じゃあ、確かに二、三を争う有名人よ? 生徒会長の谷川王毅君にも負けないくらい、人望? もある。三年の先輩方にも、結構派手な人たちはいる」
雲母の言いたいことが分からず、その場にいる人間は引き込まれるように彼女の言葉に耳を傾ける。
「でもこの学校一の危険人物は、固定されているでしょ? 粉砕鬼の鬼頭雄志に」
飛び出した名前に、姫の表情が瞬間的に固まり、結愛は雲母の強気の正体を悟る。
「あはは。ゴメンね、結愛。勇気を出した結愛には悪いけど、私は他人に頼るよー」
笑いながらも、申し訳なさそうに雲母が後頭部を掻く。
「暴力で来るなら、私も暴力で。中学の地区が違う私ですら知っている、あの大鬼の彼女の友達。そんな人をお姫様は攻められて?」
脅迫に対して脅迫で返すことが、交渉として正しいのかどうかはわからないが、この手は中々効果的だと結愛は思った。友達を利用するような気がして、若干の罪悪感があったが、中々冴えた手だ。
派閥だの何だの言っても、所詮は女子を中心としたグループだ。苛めなんて言葉では生ぬるい暴力性の持主である雄志相手に、喧嘩を売る度胸も力も姫にあるわけがない。
「そう言うわけでさ、お互いに不干渉ってことにしない? 没交渉ってことで手を打たない? どうせ、引っ込みがつかなくなっているだけでしょ? このままじゃあ、絶対に誰かが不幸になるって。引き時としては良いくらいじゃあない? こっちも、切り札は出したくないし」
おどけながらもしっかりと脅しつつ、雲母が話の落としどころを造り出す。こちらも姫と同じくらい勝手なことを言っている気がしないでもないが、正論の通用しない人間を相手取るには、それくらい必要なのかもしれなかった。
「そう言うわけで、私達は帰るから」
鬼頭雄志を敵に回してまで、結愛や雲母を目標にする必要などあるわけもなく、今回の件は雲母が一枚上手だったと言うことで、一件落着。
「ふふふ。鬼頭雄志があなた達の切り札なら、私の勝ちよ」
とは、上手く行かなかった。姫は邪悪に頬をつりあげると、勝ち名乗りを上げた。
「そうですね。姫さん。なんてったって、二人が付き合っているのは、嘘なんですから」
嘘? 言葉の意味が分からず、結愛は雲母に助けを求めるが、雲母の表情も混乱が支配していて、どうにも役に立ちそうにない。結愛が言えたことではないが、想定外の事態に弱いらしい。
「知らなかった? 胴桐は、姫さんに脅されて鬼頭雄志に告白したのよ」
「それを利用して調子に乗っちゃったみたいだけど、それも今日までね」
腕を組んで自慢げに語る姫が嘘を言っているようには見えず、それは真実なのだろうとあっさりと受け入れることができた。そう言う噂も出回っていたし、罰ゲームで告白なんて珍しい話ではない。
しかし昼休みに見た撫子の笑顔も、嘘だとは思い難く、結愛はもう何がなんだかわからなかった。
「そうね、雄志にはこう言おうかしら? 『撫子とその友達、佐々結愛と香澄雲母は、貴方を騙して喜んでいます』きゃはは。こんなこと言ったら、あの粉砕鬼はどう言う風に怒るんだろうね?」
もし今回の一件が、苛めによるものだと知れば、雄志は中学二年生の時のように、何も考えずに怒るのだろうと、結愛には簡単に想像がついた。あの時は偶々、盃嵐が通りがかったため、事無きを得たが、そうでなければ、人が死んでいてもおかしくない状況だった。
「でも、優しい私はそんなことしないわ。あなた達の下らない反逆は許してあげる。その代わり、今迄通り、撫子には関わるな。あれは私のだから」
数分前とは真逆に、姫から「じゃあ、また月曜日」と切り出す。自分の無力さを歯噛みしながら、二人は教室から出て行く姫達の背中を見送るしかない、
「へー。面白そうな話をしてるね」
ハズだった。しかし、打ち合わせでもしていたかのような完璧なタイミングで現れた一年生によって、姫達の足は止まらざるを得なかった。
「もっと詳しく聞かせて貰えませんか?」
「はあ? あんた誰?」
突然出口を塞ぐように出てきた一年生に、姫が怪訝そうに訊ねる。すると彼は、「ショックだなー」と、微塵もショックを感じさせない笑みを見せた。
「名乗ったんですけど、覚えてないですか?」
優男と言う言葉がぴったり似合う線の細い少年で、張り付けたような笑い顔に、結愛は様々な感情が入り混ぜになる。誰よりも何よりも、佐々結愛のたった一人の愛する人。雲母の言った『切り札』。
「俺の名前は、大木樹です」
まるで自分を助けるように出てきてくれたことは、何よりも嬉しい。感動的ですらあるし、彼が負けた所など見たこともない結愛に取っては、誰よりも頼もしい存在だ。しかし、それ以上にこのタイミングで現れたことを不味いと思わざるを得ない。
「鬼ちゃんの名前が聞こえましたし、撫子先輩の名前も言っていましたし、嘘だとか反逆だとか、退屈な言葉にも興味がありますね」
大木樹は、身内に滅茶苦茶甘い。
小学校からの友人である雄志や、恋人である結愛に対して、敵対的な、尊大な、小馬鹿にしたような態度を取る姫に、容赦などするわけがないだろう。
地獄のように笑って、樹が横を通り抜けようとした姫の肩になれなれしく手を置く。姫はすぐさまその手を払おうとしたが、それよりも早く口から悲鳴を漏らした。粉砕鬼には遠く及ばないだろうが、樹はその雄志とずっと一緒に行動を共にしていたのだ、温室育ちの女の先輩一人を黙らせるのは容易い。
そして何より、樹は自分が正しいと思えば躊躇がない。女子一人を暴力で捕まえる程度は随分平和的な方だ。
「あんた! こんなことして許されると思ってるの?」
「先輩が陰で言っている姫先輩の評価くらい、この行動は許されていると思いますよ?」
姫の苦悶の表情に、鏡花が声を荒げるが、樹は何でもないと微笑みで返す。対照的に鏡花の方は、赤くした顔を一瞬で真っ青にしていた。一体、樹は何を知っているのだろうか? それとも口から出まかせだろうか?
「さて。一から十まで。徹頭徹尾首尾一貫十全に満足できる説明を貰いましょうか? 俺の友達に、先輩方はなにをしてくれやがったんですか?」
表情が一切ない満面の笑みで、樹が怯えきった姫と鏡花に訊ねた。
あの日の惨状を思い出し、結愛はせめて誰か一人でも幸せになる結果が残っていればいいなと思った。




