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胴桐撫子の恋愛関係  作者: 安藤ナツ
五月二十七日 金曜日

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10/20

佐々結愛:胴桐撫子 ①

 中学三年生の秋。佐々結愛は苛めによって友達を失った。遺書がなかったことから、その死は事故として扱われたが、当時から恋人だった大木樹の調べが正しければ、大切な友人は苛めを苦にして自殺をしたらしい。

 陰湿で陰険な言葉が並べられた樹の調査用紙を見て、結愛は涸れるほど泣いた。綺麗な格好をして棺桶の中で眠る遺体を見て、涸れたはずの涙を再び流した。葬儀場ですすり泣く自分を、忘れることは生涯ないだろう。

 壊れたように涙を流し続ける隣では、図太さの権化とでも言うべき樹が珍しく感傷的な台詞を呟いていた。


『失った。本当にそんな感じです。誰か知らないですけど、そんな風に表現した最初の人間は何を考えていたんでしょうね?』


 他にも、『結局の所、死なんて言葉遊びみたいなものなんですよね』などと漏らしていた。きっと、感情を表に出すのが苦手な彼なりの悲しみ方だったのだろう。

 もっとも、樹がへこんでいた時間は本当に僅かな間だった。結愛と比べるまでもなく、通夜が終わるや否や、樹は平常運転に戻っていた。二日前の笑顔をコピーしてペーストしたような樹の横顔は、何処までも底が見えない。


『苛めはなくならない。そんなことを知った顔で言う人間が俺は嫌いです。ええ、勿論なくなりません。苛めは絶対になくならないでしょう。自分より劣った人間を見下して得るちっぽけな自尊心も、自分より優れた人間を自らの足元に引き摺り下ろすみっともない優越感も、快感に違いないですからね。でも、それが許す理由になるんですか? 諦める理由になるんですか? そんな事実が、哀姉ちゃんを見殺した理由になって良いんですか?』


 自ら命を経つまでに憔悴していた友達に気が付かなかった不甲斐なさを呪うように、樹は天を見上げて無表情な月に微笑みかけていた。


『結愛。お前はどうしたい?』


 視線はそのままに、樹は静かに問うた。

 その言葉に、結愛はどう答えたか覚えていない。今になっても、樹のその質問が何を意味していたのかはわからない。

 ただ、泣きじゃくりながら樹の胸にしがみ付いて必死に何かを喚いた。頭を何度も撫でる掌の暖かさと、学生服のボタンの冷たさが心地良かった。

 そして現在。

 樹の言う下らない快感を得るための行為が、結愛の教室でも行われていた。加害者は、学校でも有名な小手川姫。面識はあまりないが、名前の通り我儘な人間であると言うことは知っていた。派閥とでも言うべきか、彼女を中心とした巨大なコミュニティがあり、異様に仲間意識が強いことで知られていた。余談だが、樹にそのことを言うと、『仲間意識だとか、絆なんてものを口に出すことほど寒い物はないですよ。そんな物がなければ結束できないだなんて、器が知れてしまいますよ』そんな風に笑っていた。じゃあ、彼の中で人を結びつけるものは何なのだろうか?

 そんな姫に眼を付けられたのは、胴桐撫子。こちらも殆ど面識はない。去年転校してきたらしく、一年の時にクラスが違った結愛とは接点が薄かったからだ。

 客観的に言えば、二人のいざこざに結愛は一切関係ない。現状、姫のほうから直接圧力をかけられたことはないし、撫子から助けを求められたこともない。

 逆に言えば、姫に言われて撫子に危害を加えて嫌な気分をすることもないし、撫子を庇う理由もないので姫に攻撃される危険性もない、平穏無事なポジションだと言える。

 それなのに、今現在結愛が身を委ねている椅子の座り心地は最悪だった。全身を包み込む柔らかさが身体の奥にまで染み込み、その気持ち良さに吐き気がして仕方がない。確固たる足場もなしに、人間は真っ直ぐ歩けないのだと結愛は思った。

 そう、結愛は撫子を助けたいと常々思っていた。自分が正しいことをしたかった。居心地の悪い椅子を蹴飛ばして、撫子の横に立ってみたかった。ひょっとしたら、それは撫子の為でなく、哀を救えなかった自分を慰めるためだけの行為なのかもしれなかったが、それでも構わないとさえ思う。

 樹ならば、『善なんて何処にもないんだから、偽善になるのは当然だよ』とでも言うだろうか?

 しかしだからと言って、結愛が何か行動に移ったことはない。撫子に声をかけようとすると、見えないヒモに首が締め付けられて息苦しくなってしまっていた。何度も意識して呼吸をするのだが、肺には酸素が回らず、膨らまない風船に息を吹き込む辛さだけが残った。立ち上がったはずなのに膝が折れ、さっきまで座っていた椅子に腰掛けてしまうのだ。

 哀の死を知っているからこそ、結愛は苛めを嫌悪する。しかし悪意を持って他人を責める人間と、悪気もなく人を傷付けられる人間の恐ろしさを、哀の死から学んだ結愛に、撫子の隣に立つ勇気はなかった。

 孤立した撫子を遠目に見るのが、佐々結愛の限界だった。毎日毎日、飽きもせずに嫌味や妬みをぶつける醜悪な姫達から撫子を助けるなんて、今の撫子には到底できそうにない。

 樹に相談することも考えたが、二年前に彼が間接的にとは言え、苛めの主犯格の少女三人を病院送りにしたことを考えると、安易に相談するのは憚られる。愛するあの少年の辞書には、躊躇と手加減と言う言葉は存在しない。

 結局のところ、結愛は自分が最も傷つかない場所を探しているだけの少女であった。受身の対応者でしかなく、暗闇の荒野を切り開く覚悟のない、ただの女の子だった。

 実際に高校二年生である結愛にそんな覚悟や勇気がない事は、決して悪いことではないのだろうが、そのことを自覚するたびに、結愛は自分を嫌いになった。どうやら勇気や覚悟なんて言葉は、魔法や奇跡のように遠い言葉らしい。

 そして、普通に生きるのに勇気も覚悟も魔法も奇跡も必要ない。

 昼休みの僅かな時間を幸せに過ごすのであれば、樹の作った弁当と、一緒に食べる友達がいれば十分だ。本を読むのも好きだが、食事もそれと同じくらい結愛は好きだった。別に大喰らいな分けでも、味にうるさいわけでもなかったが、向かい合って他愛もないことを話していれば、大抵のことは忘れられるからだ。


「結愛。ご飯食べようぜー」


 忘れることのできる幸福に感謝しながら、結愛は鞄から小さな巾着袋を取り出す。


「いいよ」

「っちぇ、結愛はまた彼氏君作成弁当かよ」


 巾着袋の中から出て来た、卵のような形をした銀色の弁当箱を見て、友達の香澄雲母が茶化すように由愛の額を小突いた。好きな小説家が同じなことを切欠に仲が良くなった彼女と同じクラスに再びなれたことが、このクラスでの唯一の救いだ。


「いいでしょ? 欲しい?」

「いらない。樹君より可愛い彼氏捕まえるまで我慢する」


 いつものやり取りをしながら、弁当箱のフタを開ける。左半分は鳥そぼろの乗ったご飯で、左側にはプチトマトやブロッコリーと言った野菜が詰められており、その中心には何故か大ぶりなエビの天ぷらが三つにカットされて収まっていた。


「ん。どうやら今日は外れの日みたいだね。オカズがエビ天だけって」


 雲母がここで言う『外れ』と言うのは、樹のやる気がなく弁当の中身が凝っていない日のことを言う。基本的に凝り性な樹の弁当は、キャラクターの顔を模した物だったり、野菜の彫刻があったりと普通じゃあないのだが、一ヵ月に二回か三回は寂しい内容の時があるのだ。因みに、今日の弁当は昨日の夕飯の残りだったりする。


「外れ言うな。作ってくれるだけで感謝感激雨霰だよ」

「はいはい」


 食べる前からお腹一杯と舌を出す雲母に微笑んで、結愛はフォークを右手に持って天ぷらに突き刺す。どうでも良いが、樹の作る天ぷらは衣が薄い。『天ぷらって、衣が美味しいんだよね。多分』といつかの夏に結愛が言ったことがその原因だった。それ以降、衣が薄くても、樹の天ぷらは非常に美味しい。


「だから、あんたらのらぶらぶヒストリーに興味はないって」


 殆ど睨みつけるような険しい雲母のツッコミに、結愛は自重しようと決心するが、五分後には忘れているだろうとも思った。

 馬鹿馬鹿しい意味のない薄い時間は、やはり何よりも楽しくて、暗くて重たい考えはぶくぶくと幸福の底に沈んでいくものだ。


「胴桐さん。最近昼休み何処に行ってるの?」


 そして、幸せと言う海は思ったよりも浅い。『覚えていないことほど危険なことはないですよ』どんな流れで樹が言ったのかは覚えていなかったが、ついつい思い出してしまった。


「うわー。また始まったよ。小手川の胴桐さん苛め」


 教室の入り口の方から聞こえた姫達の声と、「あの、それは」撫子の怯えの混ざった声に、雲母が顔を顰める。


「あんた、なんだか最近態度でかくない?」「昼休み始まると、すぐにどっか行くし」


 そう大きな声で喋っているわけでもないのに、結愛の耳は姫達の言葉を拾う。周囲を見渡してみれば、教室の人間は全員固唾を飲んで姫と撫子の動向を探っており、教室が静かになっているだけだった。


「それは、その……ごめんなさい」


 一つの落ち度もないだろうに、撫子は通学に使っている紺色の鞄を胸に抱えて頭を下げる。その姿は弱々しい小動物そのもので、勇気や覚悟どころか、夢も希望も感じられない。完全に委縮した撫子は見ているこちらが不憫になって来るほどだった。


「で、何処に行く気だったの?」


 怯えた態度に、姫が少しだけ苛立った声を出す。普段ならば、上辺だけは嫌悪で取り繕っても楽しそうに喋るのだが、撫子が姫達を無視して教室から出て行くことがよほど気に喰わないらしい。だから、撫子が何処に行こうとしていたのか知らないが、きっと姫はそれを許さないだろう。

 困窮した撫子を助けたいと、強く結愛は思う。いや、思うと言うよりも、それは殆ど祈りのような、他人任せのいい加減なものだった。自らの弱さを棚に上げて、強大な何かに助けを求める図々しさに、嫌気がさす。樹だって、『神に祈るのと、鰯の頭に願うのなんて、どちらも似たような物ですよ』下らないものを見下すように笑ってそう言っていた。

 どうして、自分から動くことができないのだろうか? 勇気は一体何処に置いてきてしまったのだろうか? 撫子の隣に立つ勇気は、彼女を助けようと決めた覚悟は、どこに消えたのだろうか?

 延々と自分を呪うような自己嫌悪の自問自答を終わらせたのは、少しの勇気だった。覚悟を決めた声だった。ただし、それ結愛が絞り出したものではなかった。


「でも、今日は用事があるの。通してください」


 勇気と覚悟の言葉は、撫子の口からはっきりと発せられたのだ。卑屈な物が一切感じられない台詞に、握っていたフォークが結愛の手から零れ落ちた。


「うそ」


 信じられない。ありえない。撫子の行為を否定する言葉だけが頭の中を巡る。

 ついさっきまで捕食される寸前の動物のように怯えていた筈なのに、その瞳からは既に怯えが消え去り、ギラギラとした光が見え隠れしていた。

 どこからそんな勇気を出したのか、いつから覚悟を決めていたのか、撫子はまるで別人のように姫の前に立っていた。その姿を見て、結愛は自分だけ世界から置いて行かれたような錯覚を覚えた。


「撫子ちゃん、何で?」

「本当、嘘みたいだね。恰好良いじゃん。胴桐さん」


 結愛の驚愕に、雲母が口笛を吹いて相槌を打つ。彼女も驚いてはいるようだが、反応が随分とクールだ。驚愕よりも、それ以上にこの状況を楽しんでいるようで、そう言う所は何となく樹に似ているなと思った。


「あ、あんた、誰に物を言っているの?」


 撫子の思わぬ反論に姫はわかりやすくキレていた。格下だと決め付けていた撫子の強気な口調がお気に召さなかったらしい。元々、二人の間に格差はないのだから、仮初の主従関係が崩れたことに焦っているようにも見える。

 声を震わせながら怒りを押さえ込む姫に、撫子は眼を逸らさずにゆっくりと口を開く。


「私、ご飯食べに行きますから、どいてください」


 そして小さな口から出た言葉が、教室に響き渡った。


「はっ! トイレにでも食べに行くわけ?」


 頼むのでもなく、まるで上から命令するような撫子の態度に姫の語調が更に荒くなる。


「それじゃあ、邪魔したら悪かったわね。トイレまでエスコートしましょうか?」

「違います」


 手が出なかったのが不思議なくらいに激昂している姫に、撫子が真っ直ぐに答える。何故そこまで強い態度に出られるのだろうか? 結愛はどうやって撫子が勇気を手に入れたのかが気になったが、その答えは単純明快なものだった。


「雄志君と一緒に弁当を食べるんです」


 鬼頭雄志。

 この学校の知名度に置いては、生徒会長の谷川王毅や、既に二十歳の同級生の新里世界すら凌駕する危険人物の名前に、姫の顔が引き攣る。


「お弁当、作りましたから」


 そんな姫の顔に気が付く様子もなく、撫子は通学鞄を抱き締める。中学生時代、上級生三人の骨を躊躇なく折った粉砕者に捧げる弁当のことを、幸せそうに報告する撫子。噂によれば、撫子は無理やり雄志に告白をさせられたらしいが、恥ずかしそうに微笑む表情を見る限り、とてもそうとは思えなかった。


「何それ、気持ち悪い」


 撫子の邪気のない笑顔にやられたのは結愛だけではないらしく、姫は捨て台詞を残すと、そそくさと教室を出て行ってしまった。どうやら、あの姫でさえ、雄志を敵に回すのは恐ろしいらしい。


「ほえー。すごいね、胴桐さん。愛は地球を救うって感じ?」


 教室から出て行く撫子の背中を見送りながら、雲母が結愛の弁当箱からプチトマトを盗み取る。それを咎める気すら起きず、結愛はゆっくりと椅子から立ち上がった。


「撫子ちゃん。強いよね」

「ん? そりゃあ強いね。私だったら学校に来てないかもだもん。孤立無援ってか、四面楚歌? まあ見ているだけの私が言うのもなんだけど」

「うん。だから私、ずっと考えていたんだ。撫子ちゃんを助けたいなって」


 ぎゅっと手を握って、結愛は見たばかりの勇気を逃がさないように捉える。


「へー。どっちかと言うと、樹君が言いそうな台詞だね」


 興味なさそうに打たれた雲母の相槌に、なるほどと結愛は納得した。確かに、樹であれば『苛めなんて加害者も被害者も、下らないことに人生を浪費して』と笑って平然と撫子に話しかけるだろう。


「かもね。撫子ちゃんを助けたいんじゃあなくて、私は樹みたいになりたいのかも」


 そう認識すると、哀への罪悪感とか、撫子への同情だとかが心の中から消え去った。自分を絶望から救い上げてくれた樹のようになれるのであれば、それは理屈抜きに嬉しいことで、結果として傷ついたとしても、笑えるような気がした。


「いちいち惚気ないでよ」


 それは無理だと結愛が言うと、「だろうね」と雲母は呆れ果てていた。


「ってわけで、ちょっと撫子ちゃん追いかけてくる」


 くるりとその場で回れ右をして、結愛は教室の出入り口へと足を向ける。


「いってらっしゃーい」


 止められるとも思ったが、雲母は炭酸の抜けたコーラのような声で結愛の背中を押した。


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