谷川王毅:大木樹
「幸せって言うのが、一体何を指す言葉か考えたことはありますか?」
大木樹が言った。
声変わりをしていないテノールボイスは、少年から青年へと変わろうとしている十六歳の彼の外見には似つかわしくなく、誰かが後ろで声を当てているような違和感があった。
「人間って言うのは、幸せになりたい生き物だってことに反対の意見を唱える人は少ないでしょう。もっとも、ただの高校一年生である俺がそんなことを言っても、それは一笑にされてしまう戯言にしか聞えないかもしれませんが。それでも今の俺にとっては、その考えは真理です。いや、心の支えと言った方が正しいでしょうか? よく言うじゃあないですか、『人の気持ちがわからない』って。これって結構恐ろしいことなんですよ。特に俺達多感な高校生は、ちょっとした差異で諍いを起こしますし、苛めの原因になったりします。だから、相手が何をどう考えているのかを知るのは、死活問題だったりするんですよ。誰の意見に同意して、誰の意見を否定するか。そういった連帯感と疎外感の積み重ねが楽しい学園生活には必要なんです」
カンペに目を落すこともなく、自分の家の住所を説明するように言葉には淀みがない。
「その時、俺はいつも考えるんです。『その人の幸せとは何か』って。例えば、贔屓のアーティストのオリコンの順位を自分のことのように語る友人。ゲームのデータが消えたことを嘆く友達。読んだ本の感動を伝えようと必死になる彼女。彼らの幸せとは結局なんなのか。なぜ、それらを認めれば喜んで、貶せば怒るのか? 恥かしながら、感情の起伏が弱いと言うか、思ったことを表情に出すのが苦手と言うか、俺はあまり大きな口で笑いませんし、大きな声で叫びません。だから、俺はそのモチベーションが何処から来るのかずっと不思議でした」
滔々と歌うように樹が語る。
「でも、それはなんでもないことだったんですよ。誰でしたっけ? そんな風に歌っていませんでした? なんでもないようなことが、幸せだったと思う、って。まさにその通りなんですよ。なんでもない、ただその人達は、話す相手が欲しかっただけなんですよ。その人のことをよく思うから、自分のことを良く知って欲しいというだけの話なんですよ。結局は、趣味もゲームも本の内容も、話し相手、もしくはその作り手との交流の為の手段に過ぎないんですよ。ここで、話が最初に戻るんですが、幸せってのは、『人間関係』を指すんじゃあないかって俺は考えるんです」
判決を言い渡す裁判官のように、樹が断言する。
「人間関係さえ上手くいってれば、人は幸せになれる。そんな風にすら俺は信じています。人並みの言葉ですが、そもそも人間は一人で生きて行けないのだから、それは当たり前のことなんですかね」
だから。
「俺は、人間関係を愛しています。人との繋がりを愛しているし、人の幸せを愛しています。人は幸せになるべく生まれたのですから、俺も人を幸せにするべく動くべきだと考えるんですよ。他人と他人の結びつきを観察して、その拗れを直したり、一層美しい結び方を考えたり。そう言うことが大好きなんですよ」
嗚呼、隣人を愛することこそが、幸せなんですよ。
大木樹はそう笑った。