僕が見た春の謳歌
『綺麗だね』
両手を大きく広げ延ばし、ソラは歪みをみせない大気を抱きしめた。
どこまでも、どこまでも白く広い空に薄紅色の花びらが、蝶のように舞い踊る。
下ろし立ての真新しい制服の少し大人びた赤いリボンが喜び駆け回るソラにとてもよく似合っている。
この時が何時までも続けばいいのにと思う反面、ライカの目の前の、ほころびの日を待ちわびるたおやかな蕾のような少女が、視界の端々に広がる満開の桜のように、静かにその時を向かえ、艶やかに美しく咲き誇る日も楽しみでならない。
願わくば、その時もまた、ソラがこの無垢な笑顔を自分に向けてくれればうれしいと、ライカは穏やかな春の日差しの中そう願った。
この世界は、全ての空気中の水分を、太陽光が乱反射させて見せているのではないかと思わせるほど、ライカには美しく眩しく輝いて見える。
瞬きを繰り返すたびに変わる色、光、空気、時間、世界。
いつでもそこに在るように思われる、様々な、ありきたりといわれる事象は、けれど、確実に貴重な各々の一瞬の中の出来事でしかなくて、流れる川のように逆流することも留まることなく、常に過ぎ去っていく。
だからこそ重なりあっていく一瞬一瞬を切り取った小さくとも大切な筈の思い出は、人々が忘れたそれを思い出すときの大切な手掛かりとなる。
生物的記憶は、ライカが残すものとは異なって、その瞬間の意識の方向性や、その後の他者の介入によって、いとも容易く書き換えられるのだ。そう考えれば、願望やその後の環境が変化を与えてしまう人間の記憶とは、なんと移ろいやすものなのだろう。
深夜のガラス越し、初めてソラに対面した日を僕は忘れない。
日差しが差し込む畳の上、ソラが初めて歩いた日を僕は忘れない。
きらめきにはしゃいだソラの初めての海。
破裂音に泣いたソラの初めての花火。
お気に入りの手袋をなくしたソラの初めての雪遊び。
ランドセルに背負われているかのように見えたソラの入学式。
胸に飾られた花より嬉し泣きの顔がきれいだったソラの卒業式。
ソラの笑顔も、泣き顔も、起こった顔も、困った顔も、いつも見ていた。
ライカはいつも必ずソラのそばにいた。
ソラが大人の階段を駆け上がる途中、溢れ落とし忘れてしまっても、いつでも思い出せるよう。
その想いを胸にライカは大切にソラの時の流れを見つめ続けてきた。
瞬きを繰り返し見つめる先、ソラは輝き、ソラは生を謳歌する。
これから先、いつか来る、ライカが見ることの出来ない、ソラが見つめる未来はどんな色と光と空気が満ちているのだろう。
想いを馳せるだけでライカの胸は高鳴り、そして同時に締め付けられる。
きらめく逆光の中、そっとライカはシャッターと呼ばれる瞼を閉じた。