act-07 盗賊と共に
お待たせしました!
第七話、お楽しみください。
静止は一瞬。
クレミーが反射的に顔を上げようとすると、視界の端にちらりと銀色の刃が映った。
「動くなってェの。びっくりして斬っちまうから」
男は脅しではなく本気で心配しているようだった。
自分の生き死にを他人に握られる感覚。それはまるで操り人形にでも成り下がったようで、とてつもなく気分が悪かった。ある種の嘔吐感ともいえる。迫り上がってくるものを抑えるように、クレミーはぐっと息を飲んだ。
「……どなたですか?」
問うと、男は「さァな」と、即答した。
簡単には名乗らない辺り、案外小物ではないのかもしれない。
「まさか、七年前の犯人……?」
「それよりこっちの質問に答えてくれよな。アンタ、こんな辺境まで来て一体ナニモンだ? もしかして家出かァ?」
「…………あー」
そのうえクレミーの正体は筒抜けらしかった。とんでもなく不利な状況だということは理解できた。
家出、か。
そんな帰ることを前提にした緩い覚悟と一緒くたにされるのはかなり心外だったが、それはさておき、情報の伝達があまりに速すぎはしないだろうか。皇城を発ってからまだ三日と経っていないというのに、当たり前のようにクレミーの下に刺客がやって来るとは一体どうなっているのか。
「目的は僕か?」
相変わらず地面を見つめたまま、小声で問い掛けた。
不幸にも、この敵には全くと言っていいほど油断がない。クレミーが少しでも動きを見せれば、その都度突き付けられた剣先が反応してわずかな隙すらも与えまいとするのだ。だから先程から敵の顔すら確認できずに無様に地を舐めさせられている。
「それもある。でもまァ、今は、」
男はクレミーの様子に気を遣いながら慎重に膝を折って、強く握りしめた彼の手の中からルンカの指輪を取り上げた。
「こっちも重要だな」
「どうして指輪のことまで……」
「いや、こればかりは偶然としか言えねェんだな」
男はクレミーの背中から足をどけると、近くで控えていた部下に「テキトーに縛っとけ」と言い残して去って行った。ファルシオンを無造作に仕舞う振り返り様、羽織っているロングコートが翻って風になびいた。
一瞬だけ見えたのは、獰猛な赤い瞳。
はて、盗賊、赤目……聞き覚えがあるような、ないような。
子分と思わしき数人が麻縄で後ろ手に縛り上げていく間、やっと顔を上げることができたクレミーはシャロンとオイゲンの姿を探した。最初に見えたのは、ペドロたち発掘隊が一箇所に集められて数人の賊に囲まれて座らされている光景。それ自体は当然――無論、この異常な事態の中では正常な対応だという意味で――なのだが、しかし気になったのは、その中の誰も魔術を唱えているふうはないという点だ。そして今、クレミーが縛られているのは例の銅像の真下にあたるわけで。
そこでクレミーははっとして頭上を見上げるが、そこには陰鬱な曇り空があるだけだった。
そんな……銅像はどこへ?
なんとなく後ろを振り返ると、穴を隔てた向こう側に巨大な銅像が転がっていた。
確かペドロが横にずらすのは無理だとか言っていた気がするが、結局成功したのだろうか。
「クレミーさん!」
呼ぶ声に視線を戻すと、シャロンとオイゲンが少し遠くに立っていた。すぐそばにはあの赤目の男もいる。特に彼らを拘束している様子がないところからして、大方クレミーという人質をもって抑止力としているのだろう。
赤目が口を開く。
「あの皇子は俺様が貰って行くからな。別れが必要なら今のうちに済ませておけよォ」
赤目の言葉に、オイゲンがぽんと手を打った。
「おお思い出した。そういえばクレミーとは帝国の皇子様の名前だったのう」
うわ、またバレた。
それにしても、こんな状況だというのにオイゲンはいやに冷静だった。完全に敵に屈しているのか、それとも単にマイペースなだけなのかは判然としないが、クレミーとしてはちょっと憎らしかった。
赤目はそんなクレミーにはあまり興味がない感じで、
「ところでだ。コイツをはめたらどうなる?」
と、ルンカの指輪をオイゲンの前にちらつかせた。
「ふむう。わしも先程見つけたばかりでな、詳しいことは何もわからんのだよ。だがのう、あの大悪人の魂を封じたとなれば、あまり縁起の良い品でないのは確かじゃろうよ」
赤目はしばらく手の上で指輪を弄んでいたが、「そうかァ」と残念そうに呟いて、ぴんと爪で指輪を弾いた。それは放物線を描いてシャロンの目の前に飛んでいき、そのまま地面に落下しそうになったところを慌てて彼女がキャッチした。
「ンな危ねェブツは売り物にもなんねェし、持ってるのも気味悪いから返すぜ。……そういうことだ、じゃァな」
「……あの!」
「ん?」
立ち去ろうとする赤目をシャロンが震える声で引き留めた。
*
車窓を流れていく風景をぼんやりと眺める。見渡す限り草原しかないのどかな街道上を走る電動車のスピードはかなり遅い。例えるなら早歩き程度だろうか。
気がかりだった曇天の空も南に往くにつれてしだいにうららかな晴れ模様へと移り変わり、心地よい春の陽気をたたえている。
「はあー……」
助手席に座るクレミーはそんな穏やかな景観とは対照的に海よりも深い溜め息を吐いた。
エルフの森を発ってから三十分程。後部座席からはシャロンとロロの笑い声が絶えず聞こえてきて、自分がどういう状況に置かれているかを忘れそうになる。忘れそうにはなるが、決して忘れることはない。なぜならクレミーが動こうとするたびに拘束用の縄が手足に食い込んできて、嫌でも現実に立ち返らざるを得ないからだ。
「あはははっ!」
何度目か分からないシャロンの笑い声。半簀巻き状態のクレミーには後ろを振り返ることもままならず、彼女たちが一体何の話題で盛り上がっているのかも把握できない。
ちょっと悔しい。それに、
「どうしてシャロンは自由なんだ……?」
僕はぐるぐる巻きなのに。
「はあー……」
もう一度嘆息すると、運転席のプチがクレミーの様子に気づいて「おや」と声を上げた。
「悩み事でございますか? 皇子」
「……僕はもう皇子じゃないですよ、モンティさん。それに、悩みという程のことでもないんですが……これは、一体どうなっているのかと」
「これ、と言うと?」
モンティと呼ばれたことに機嫌を良くするプチ。
「今の状況ですよ」
そう、これはおかしい。
目下、クレミーとシャロンは、団長ロロ・レッドアイ率いる赤目盗賊団によって『拉致』されているのだ。なぜか? それはクレミーがグスタフ・ドイルの血を引いているからに他ならない。盗賊団は本来別の強盗でエルフの森近辺の街に滞在していたのだが、そこで偶然出会った情報屋から『クレミーが城を脱して一人で森にいる』という情報を買い取った。そうしてロロ達はクレミーに商品価値を見出だし、旧ルンカ村で難無く彼を誘拐することに成功したというわけである。
そしてあの時――。
『……あの!』
『ん?』
『わたしも……わたしも連れて行ってください!』
『…………まァ、俺様は別に構わないぜ』
と、こんな具合で、どういうわけかクレミーに付いて行くことを決めてしまったシャロン。彼女は長老オイゲンに『皆さんにはよろしく言っておいてください』とだけ言い残すと、そこで思い出したように村に一度帰り、数分もしないうちに戻ってきた。その手に、クレミーが例の悪ガキ大将パウに奪われた鞄を持って。
『あはは、危うくこれを忘れるところでした。あ、それと、パウ君から伝言です。《アイツにでんごん? うーん、じゃあ。いきなりおそってわるかったな。ニンゲンにもおまえみたいなやつがいるってわかったよ。いつかおれとしょうぶしろよな! ……これでいいや。あ、まった、やっぱりさいごのだけで!》……だそうです。よかったですね、仲直りできてっ』
『って全部伝えちゃだめでしょ! それに勝負って、彼が大人になる頃には僕は絶対死んでるから! 無理だから!』
そしてそのままロロに強制連行され、現在に至るというわけだ。
「気のせいではないですか。きっと疲れているのでしょう」
真面目なプチに言われるとそうなのかと思ってしまいそうになるが、しかし流されてはいけない。どんな人格であれ、プチも盗賊団の一味であることには変わりないのだ。
「なんだかなぁ……」
盗みの賊というほどであるから、例えば、人殺しを露とも厭わないとか、そういった非人道的で残忍なものをクレミーは想像していた。
だが、この赤目盗賊団を見る限りでは、そのイメージは必ずしも当てはまらないようだった。そう、敢えて彼らを例えるなら『肉を食する修行僧』といったところだろうか。悪イイ奴……というよりは、むしろ、善い自分を嫌い、だからこそ悪を目指す善人とも。
それにしても。
別れ際にペドロが話していたことを思い出す。
『……あの赤目のガキと側近の眼鏡野郎には気をつけろ。特に眼鏡は、この俺の背後を易々と取りやがった手練れだ。あいつにはまるで気配という物が存在しない。さながら静かな湖面をさざ波一つ立てずに滑り抜けるような、奴自身の存在を微塵も感付かれることのない完璧さで相手を殺すことが可能だろう。もう一人、赤目だが……あいつの剣さばきは特殊だ。何メートルも離れた地点から、あの重い銅像を丸ごと吹き飛ばしやがった。……まあ、この先どういう扱いを受けるかは分からんが、用心は怠るなよ』
そういえば、結局、ペドロさんや長老様とはちゃんとした別れができなかったんだよなぁ……。
それに、用心っていっても。
クレミーは再度、シャロンの笑い声に耳を傾けた。彼女は飽きもせずロロと何事か話しては、ころころと笑っている。時折、すし詰めになって寝転んでいる盗賊団員のいびきも聞こえてくる。そこに殺伐とした空気は、一切感じられない。
これが人質を積んだ護送車のあるべき姿なのだろうか、とクレミーは人質ながらに呆れ返った。すう、ともはや癖になった溜め息を溜めようとした矢先に、
「おい、皇子」
「ぅふわぁいっ!」
突然、耳元でロロの声がした。吸っていた息を吐くのと応答が重なり、思わず気持ちの悪い声が出た。ロロはしばらく怪訝な顔でクレミーを睨んでいたが、すぐに気を取り直して、
「俺様は決めたぜ」
「な、何を?」
妙に悟りきった感じのロロの言い方にクレミーは些か不安を覚える。
「確かに、最初シャロンちゃんが俺様達に付いてくるって言ってきた時にゃァ、皇子程ではねェにしてもそれなりに金になるだろうと踏んで、了承してしまったことは認める」
何の話だ? とクレミーは首を傾げたが、一応、黙って最後まで聞くことにした。
「だが俺様は気付いた。あんな健気で純真で可愛らしい女の子をどこの馬の骨とも知れねェ貴族どもに売り飛ばそうなんざ、世紀の大悪党として許されざる行為だったってよォ」
「えっと、つまり?」
全く意図が読めなかったので、やはり早々に結論を求めることにした。
「つまり、シャロンちゃんを俺様によこせってことだ」
どうしてそうなる。
冗談なのか本気なのかはさっぱり分からなかったが、ただ一つ確実なことがある。
「ロロ……っていったかな。君は大きな勘違いをしてるよ」
「あァ?」
「ひっ」
ロロが凄むと、クレミーは蛇に睨まれた蛙のように縮こまった。
一度は殺されかけた相手だ、恐れるなという方が無理というもの。このような身動きもままならない状況では、クレミーの首などいつでも飛んでもおかしくはないのだ。それこそロロの機嫌という不安定な要素に左右されてしまう。他人を介して自分の命を掌握するという奇妙な図がここにできあがってしまったわけだ。
ていうか、目が怖いんだよ、この人……。
クレミーは内心びくつきながら、それでも必死に己を奮い立たせて、震える声で話を続ける。
「そもそもシャロンと僕の間には君が考えているような関係は一切ないよ。なんてったって、つい昨日出会ったばかりだからね」
そして、クレミーが城を出てから一日半しか経っていない。改めて、エルフの村での出来事の濃さを思い知らされる。
「昨日……だとォ?」
「え?」
ロロの表情が見る見る怒りに染まっていく。
うわ、なんで。僕、全然悪いこと言ってないのに。もしかして、消そうにも消せない壮大なトラウマとか忘れ去りたい苦々しい過去とかに無意識のうちに触れちゃったのか。いや、そんな具体的なワードは何も口走っていないだろうし、何よりこの人の場合はそういう怒りではなくて、どちらかというと決闘に負けて相手を憎む騎士のような悔恨の念が混じって……。
やばい、死んだかも。
どうせなら痛みを感じないうちにすぱっとやっちゃってくれ、とクレミーは思い切り目を瞑った。
「――嘘だな」
「…………はい?」
何を言われたのか、すぐには理解できなかった。
「シャロンちゃん程の新鮮天然食べ頃娘が、たった一日でンなオメェみてェな黒々へたれもやしになびくとは思えねェ」
「ああ、嘘ってそういうこと……。にしても、例えが独特だね。ああ、もしかしてお腹減ってるの?」
「まァそんなとこだ。予定外の仕事のせいで食糧が尽きちまってな。街に着いたら、たらふく食ってやるぜ」
ロロは目を細め、前窓から覗く街の影に思いを馳せた。
やっぱり、こうやって話してみるととても悪賊には思えないな。
同年代ということも相まって、クレミーはロロに対して少なからず親近感のような感情を抱いていた。同族意識とも言えるかもしれない。いかにも自由主義といった体のロロに憧れているのかもしれなかった。
そんなことを考えていると、
「赤目さん赤目さんっ」
「ん? どうしたァ?」
シャロンは後ろからひょこっと顔を出すと、街道の向こうを指差した。
「あの街に向かっているのですよねっ。着いたらどうする予定ですか? やっぱりまずは探検ですか?」
「はァ?」
「前におじいさまに聞いたのですけれど、あそこは『布の街ソミエ』といって、服飾業が栄えているそうですね。服屋さんですよっ。わたし一度行ってみたいなー」
ぽかん、とするロロを置いて、シャロンはきらきらと目を輝かせながら矢継ぎ早に話を続けた。心なしかその頬はほんのりと朱色に染まっている。
「もしかしてシャロン……わくわくしてる?」
「し、してないですよ。子供じゃないですし」
「でも、僕は帝都を出た時かなりわくわくしてたよ。うん、今もだ」
「そ、そう? あ、えっと、本当はわたしもわくわくしています」
シャロンは単純な子だった。
「でも……子供じゃない、か。シャロンっていくつ?」
何気なく口にしてから、いつだったかマージョリーに『レディーに年齢を尋ねるのは野暮な男のすることよ』と仕込まれたのを思い出した。
しくじった、とクレミーは顔をしかめるが、当のシャロンは全く気にしている様子もなく、
「うーんと、いくつだったかな。たぶん、今年で二十歳になるくらいだったと思います」
「えっ」
クレミーは思わず絶句した。
「どうかしましたか? クレミーさん」
「いや、別に……何でもないよ」
年下かと思ってた、とは言えず、適当にお茶を濁した。
「ロロ……は?」
名前を呼ぶことに躊躇を覚えつつも、付けるべき敬称も分からないのでそのまま問い掛けたが、ロロは敏感に察したらしい。
「ロロでいいぜ。今、二十歳だ」
「ってことは、僕が最年少になるのか」
年の上ではそうかもしれないが、精神年齢においてはクレミーは他の二人には決して劣っていないはずだと願いたかった。もちろんこれも黙っていたが。
クレミーはふと窓の外の風景に目をやって、
「それはそうと、この電動車……どうしてこんなにゆっくりとしてるの?」
首だけ動かしてロロを振り返ると、彼はちょっと拗ねたように口をとがらせて、
「仕方ねェだろ。放電石の残量があとわずかなんだからよ」
「あ、使い捨ての石を使ってるんだ」
「ッたりめェだろ。蓄電石なんざ高くて手が出せねェっての」
「あー、うん。そうかもね……」
皇城育ちで、充電式である蓄電石しか見たことがないクレミーにとっては、使い捨て式の方が物珍しいというのが本音だった。だが、皇家や貴族の生まれでもない庶民からすれば、そもそも動力に電気を使うという考え自体が贅沢なのだ。それこそ、明かりには火を、移動には徒歩か馬をと相場が決まっているように。
卑しみなどは抜きで、事実として、クレミーと一般人との間には文化的相違が横たわっている。分かってはいたつもりだったが、こういった何気ない会話の中で再確認させられたことで、よりクレミーの心に引っかかった。
沈思するクレミーに代わって、シャロンがかくんと小首を傾げた。
「でも、どうしてわざわざ電動車を……? 馬車の方が安上がりではないでしょうか」
シャロンが顎に指を当てて、不思議そうに考え込むのを見て、ロロはここぞとばかりに自慢げに手を広げてみせた。
「常識的に考えればそう思うだろォ? だが違うんだな。俺様達くらいの大所帯になると、馬車だとどうしても二台以上に分けなきゃならねェわけだが、このサイズの電動車なら一台ありゃ全員乗れるんだ。つまり、もし二頭立ての馬車を二台使うとすれば、放電石一個当たり馬四頭の価値があるってことになる。それに、仕事柄、襲うにせよ逃げるにせよ分散するのはあんまり望ましくねェだろ? その辺りを考慮に入れると、馬より石使った方が断然おトクってわけだ。分かったかい、シャロンちゃん」
なるほどそういうことですか、とシャロンは手を打った。
「つっても費用が掛かるのには変わりねェし、この先団員が増えれば増えるほど負担も大きくなる。……そこで最近、俺様は思うんだがよ――」
「若」
半ば遮るような形で運転席のプチが口を挟んできた。その顔はどこか焦りや寂しさのようなものをたたえている。
「……到着でございます」
気が付けば、目と鼻の先に街の外壁があった。見上げる高さの表門には刺繍を模したポップなロゴで『布の街ソミエへようこそ!』と刻まれており、服飾業を売りにしているというシャロンの話を裏付けていた。
「お、いつの間に。よォし、降りるぞおめェら」
「うぃーす」
後部座席で雑魚寝している十人弱の団員達に声をかけて、一行は電動車を降りた。
次回も間が空くかと思いますが、末永くお付き合いください(^^)v