act-05 不審な影
とある森の手前に大型の電動車が停まっている。
唸りっぱなしの機関は腹の底に響くような重低音を辺りに撒き散らし、小鳥を退け草花を揺らして穏やかな朝の一時を台なしにする。
この場所に駐在してから丸一日ほど経っているが、昼夜関係なくこの調子だった。しかし、おいそれとエンジンを切るわけにもいかない。近隣町村の自警団に見つかった時のことなどを考えると、いつでも逃げる準備を整えておく必要があるためだ。
「俺様は悪人だ。それもかなりの悪人だ。その部下であるおめェらもかなりの悪人だ。だからその辺の小物どものようにチンケな窃盗や無意味な殺人はしねェ。なんてったって、俺様達『赤目盗賊団』が目指すのは世界一の大悪党だからなァ! そうだろプチ!」
広い車内、額にバンダナをした長髪の若者は邪悪な笑いを含みながら隣に座る男に赤い瞳を向けた。プチと呼ばれた神経質そうな男は忙しなく眼鏡の位置を気にしながら、仏頂面で頷いた。
「おっしゃる通りでございます、若」
その返事に赤目の男は満足そうに、ヒャハハ、と笑った。
「……ですが、できれば私のことはモンティとお呼びいただきたく――」
「おっとプチ、ちょっとそこの布取ってくれるか」
「……了解致しました」
と、不服そうにしながらも若者に従う男の名はプチ・モンティ。盗賊団の参謀を務める知将であると同時に、団長の世話係も兼任している。そして先程から無心に愛用のファルシオンを研いでいる眼光の鋭い若者が団長のロロ・レッドアイである。
彼ら赤目盗賊団は昨日の昼頃から、ある分かれ道の立て札を目印に駐留していた。
「お頭! 斥候部隊が戻ってきやした!」
子分の一人が開いた車の窓に顔だけ突っ込んで言った。
「部隊っておめェ、行ったの一人だけだろォがよ。で、どうだった」
「はい! やはり情報屋の言っていたことは正しかったようです。昨日森の中に入って行った男はセントラルバニアの皇子で間違いありやせんでした!」
そりゃ吉報だァ、とロロはにやりと口を緩めた。さっそく動き始めようと腰を上げたところで、
「あァ?」
例の看板が目に留まった。
『みぎ……まもの。ひだり……あんぜん』
絵と文字の中間のような粗雑な字だが、書いてある内容はでたらめだ。一体誰がこんなくだらないことをするのか。大悪人としては見過ごせない。
「さっきから気になってたんだが……あれァ何だ?」
団員はくるりと分かれ道を振り返ると、
「いえ、あっしらにもわかりやせん。子供のいたずらか何かでしょう」
さっぱり、といったふうに両手を上げた。
ごしごしと眼鏡のレンズを拭いていたプチも看板に興味を示し、窓に鼻を擦り付けるようにしてそれを見てみた。
「ははあ、なんと汚い字でございましょう。……む? この森……まさか」
あん? とロロはその言葉に引っかかりを覚えたが、まあいいかと立て札から視線を外した。天井に頭をぶつけないように猫背で運転席に向かいつつ、そこでふと思い出したように呟く。
「そういやァ、親父が昔、この森にいるエルフは財宝を隠し持ってるとかなんとか言ってた気がすんなァ」
「……エルフ……財宝……」
プチは急に頭が痛くなったようにこめかみの辺りを押さえた。
「どうしたよ?」
「嫌な出来事を思い出しました……」
冷静が取り柄のプチが苦悶に顔を歪めている。予想外の反応に、ロロは戸惑ったように後部座席を振り返った。
「ンだよ。ここで何かあったってェのか?」
「ええ。過去、この森で起きた事件でございます……」
滴る冷や汗を拭いながら、プチはロロに語って聞かせた。
それは七年前、プチがまだ赤目盗賊団の参謀ではなく、別の盗賊団に所属していた時代の話だ。
*
逃げ惑う人々。鳴り止まない悲鳴。人体の燃える嫌な臭い。
なぜ、こんなことになっている? プチは頭を掻きむしった。
ルンカ村が火の海と化している。なぜか、だと? そんなのははっきりしている、団長の仕業だ。
そして今、プチの目の前では崩れた家の下敷きになった母と娘が必死にこちらに助けを求めている。暗闇を払う真っ赤な火炎は家から家へと燃え移り、徐々に森を消していく。彼女達がいる所に火の手が回るのも時間の問題だった。
だが、プチには彼女達を助けることができない。
「モンティ! 何してる!」
さっさとずらかるぞ、と後ろから仲間が急き立ててくる。
「くっ……!」
わかっている、一刻も早く仲間のところまで戻らなければ。ここにも直に炎が回ってくるだろう。プチだって全くもって安全なわけではないのだ。宝は手に入らなかったが、たまにはそういうことだってあるだろう。団長だって「無いもんは仕方ないな」と笑っていたはずだ。
だから早く戻って、寝心地の悪いシートで夜を明かそう。そう思っているのに、体が動かない。目の前の光景から目が離せない。
「おい! 早くしろ!」
「……ああ」
仲間が見ている手前、あの母子を引っ張り出すことは許されない。だからといって罪なき村人を前にして見て見ぬふりで逃げ出すほど非情にもなれず、ただ眺めていることしかできなかった。
立ち尽くすプチの横を何人もの村人が走り去っていく。彼らは皆、炎の魔の手から自身を守るのに必死で、他人には目もくれていない様子だ。
それも当然か。プチは妙に納得したように眼鏡を押し上げた。
「何故ですか……団長……」
計画ではここまでするつもりはなかった。今回の一件に関しては、全ての責任は団長の独断にある。
だから私は悪くない。何も悪くないのに、
「何故、あなた達はそんな……まるで悪魔か何かを見るような冷たく恐ろしい目で、私を見るのだ!」
母子に向かって吼えるが、死の危険に晒された彼女達には聞こえていなかった。
動けない彼女達に炎が迫る。もはや悩んでいる時間はない。この先、盗賊稼業を続けていく以上はここで情けをかけるわけにはいかないのだ。
『心など捨ててしまえ、重荷になるだけだ』
団長も言っていた。
だが。
プチはもう一度眼鏡を直すと、すっと彼女達に背を向けた。そして走り去ろうとする村人の服の裾を大急ぎで引っつかむと、深々と頭を下げた。
「逃げ遅れた母子がいるんだ! まだ助かる! 手伝ってくれないか……頼む」
*
「あれから間もなく、私はあの盗賊団を脱退いたしました。しかし、一度悪事に手を染めた私が真っ当な職に就けるはずもなく、有り金が底をついて、餓死寸前で倒れていたところを先代に拾われたというわけでございます」
ロロは考え込む。
七年前だと、ちょうどロロがまだ盗賊団に入ったばかりの頃の話だろう。先代団長の父とプチの繋がりはそこからということになる。
「にしても、財宝かァ……。そいつァ、どんなモンだ?」
「私の記憶に間違いがなければ、確か……大盗賊ルンカが己の死を目前にして、自身の魂を封じ込めたと云われる、呪いの指輪」
「そりゃ大物だなァ! んじゃ、ついでにそれも頂いてっかァ! おっと、村人を殺したりしちゃダメだぜェ? 何度も言うように大悪党は無意味な殺しはしねェんだ」
ヒャハハハ! と高らかに笑うロロを見て、プチは溜め息をついた。
若、あなたは盗賊には向いていませんよ、と。
*
ペドロが長老と呼んだのはルンカの村長のことだった。本来は村の長をそのように称する習慣はなかったのだが、現長は大抵の場合一世代でその任期を終えるべきその任をなんとペドロの二つ上の世代から三世代にまたがって務めており、加えて、老熟による威厳や豊富な人生経験に基づく判断力は並々でないため、村人達は敬意を込めて『長老』とそう呼ぶようになった。
というのは表の話で、実のところは、彼の年齢がエルフ最長記録を今なお更新中であるということに由来する。
村へ帰る途中に、クレミーは大体そんなような内容をシャロンから聞いた。というよりも、彼女が勝手に喋り出したといったほうが近い。よほどその長老のことを敬愛しているのか、彼女の語りはどこか誇らしげだったように感じた。
たっぷりと回り道をして、二人はようやく村の外周まで辿り着いた。
「はあ、はあ。シャロン、はやいよ……」
「そうですか? わたしはいつも通りですよ」
足場の優れない森林を疾走したためにクレミーは息も絶え絶えだが、なぜかシャロンの呼吸は微塵も乱れていなかった。同じ距離を走ったのかと思わず疑いたくなるほどに。
木立を蹴り、根や草をかわし、枝から枝へと飛び移る。まるで小動物のように俊敏な身のこなしは紛うこと無きエルフの証だった。生まれ持った身体能力の差というよりは、彼女の幼少時から鍛え抜かれた運動神経と特殊な環境下で発達した類稀なる動体視力がそれを可能にしているのだろう。
それなのに、方向音痴とはどういうことか。クレミーは呆れたようにシャロンの横顔を見やる。
なんだかシャロンには出会った時から呆れてばかりだな。
シャロンはそんな視線に気付かず、ばててしまったクレミーを案じて意識してゆっくりと歩くことにした。といっても、外周地点から長老の家までは数分と掛からないのだが。
「……長老様は、」
すると、これまで喜色満面に長老の自慢をしていたシャロンの表情に陰りが差した。ただしそれは悲しみとは少し異なって、どこか遠くを見るような落ち着いた面持ちだった。
「わたしのひいおじいさんにあたります」
何を言い出すかと思えばそんなことか。クレミーは若干拍子抜けしたが、おくびにも出さなかった。
「そうなんだ。それならシャロンも鼻が高いね」
クレミーが笑顔を見せると、シャロンも合わせるように乾いた笑いを漏らした。
……返事を誤っただろうか。
「ごめん。なにか気に障ったかな」
慌てて尋ねるが、シャロンは遠くを見たままだ。
「……クレミーさん。言ってませんでしたけど、わたし実はハーフエルフなのです」
「え……? あ、うん。それってつまり、人間とエルフの間の子っていうことだよね?」
「ええ、父が人間で。ですが、わたしの両親はここにはいないのです。例の事件の後すぐに、幼いわたしを置いて村を出て行ってしまいました」
「……なぜ?」
「それはわかりません」
しかしすぐにシャロンは小さく首を振った。
「いいえ、本当はわかっているのです。おそらくは父のせい……。人間だった父は、あの事件の後、この村にはいられなくなった。そういうことだと思います」
七年前の事件はエルフと人間との間に確執を生んだ。エルフは人間を憎み、そしてそれはシャロンの父も例外ではなかった。肩身の狭くなったシャロンの両親は、罪なき娘だけを置いて静かに村を去ったというわけだ。
「でも、どうしてシャロンを置いて行ってしまったんだろう」
クレミーはふと浮かんだ疑問を投げかける。一緒に連れて行けばいいだけの話ではないか。
「あの頃のわたしはまだ自分がハーフエルフだということを知らなかった。周囲の大人達もそのことを意図的に隠している様子でした。多分、わたしには黙っていようということになっていたのでしょうね。ですが、隠し通せるはずもありません。だって、成長の速度が違うのですから」
「え? どういうこと?」
無邪気に尋ねるクレミーを、シャロンは「ふふ」と慈しむような優しい笑顔で見返した。
「森の中でわたしと出会う前に、エルフの子供達を見ましたよね」
「うん。……って、うわっ! 僕の鞄!」
クレミーは昨日の出来事を思い出して、悔しげに唇を噛んだ。
「あ、すっかり忘れてました。後で取りに行かないといけませんね。……と、それは置いといて。実はあの子達とわたしは同い年なのです」
さらりと言ってのけるシャロンに対して、クレミーは衝撃の事実にぎょっと目を剥いた。金魚のようにぱくぱくと口を動かし、したり顔のシャロンを穴が開くほど見つめる。
あり得ない、と言おうとして、踏みとどまった。その言葉がシャロンを傷つけたりはしないだろうかという迷いが過ぎる。
「信じられませんか?」
「……うん」
クレミーの腰ほどまでしかなかったあの少年達と、目の前にいるクレミーと大して背丈の変わらないシャロンの年齢が同じなどとは、到底信じられない。信じろという方が無理がある。だが、人間とエルフという種族差は、ときにクレミーの中のいわゆる『人間の常識』を覆すなんてことも少なくない。
例えば、ある人間が巨人族に向かって『なぜあなた達はそんなに大きいのですか?』と問い掛けたとする。すると、彼らは腹を抱えて笑い出すことだろう。『何を言っている。お前達が小さいだけだ』と。人間は腑に落ちず、反論する。巨人も譲らない。
つまりはそういう次元の話なのだ。相手の常識を知り、その範疇で考えることなしには、別種族における相互理解の術はあり得ないのだろう。
「そもそも、エルフは『寿命が長い』という前提が間違っているのです。正しくは『成長が遅い』。特例のハーフエルフであるわたしはどうやら外見以外はすべて人間の方に似たみたいで、あの子達と同い年なのにわたしの方が成長しているように見えるのも、それが理由なのです」
シャロンは驚愕するクレミーを尻目にからくりを説明した。クレミーは「なるほど」と手を打ち、続きを想像する。
特例故にエルフ達は彼女の性質を予想できなかった。他の子供達と自分の成長の差に勘付いたシャロンは周囲の大人達を問い質し、結果、事実を知ることになった、と。
クレミーが黙り込むと、シャロンは「話は少し変わりますが」と前置きした。
「長老様いわく、わたしの祖父は若くして戦死して、祖母も後を追うように伝染病で。そして両親は蒸発。……そんな具合で、兄弟もいないわたしは長老様とずっと二人ぼっちなのです」
紡がれる言葉の割にはシャロンは落ち込んでいない。諦めたような疲れた笑いが彼女の表面を覆っていて、何を考えているのかまったく読み取れなかった。
どうして僕にそんな話をするんだろう。
クレミーはシャロンの顔色を窺いながら、何と声を掛ければよいのか量りかねていた。元来、街の教導学校に通わず、城の中で専属の家庭教師に教育を受けていたクレミーは極端に他人との関わりが少なかった。だからなのか、こういった深刻な場面に対する免疫のようなものが不足していた。
下手な慰めよりは沈黙を選べ。クレミーは口を閉ざすことしかできない自分に苛立った。
「あ、そんなに気を遣うことはないですからね。わたしがお話ししたいのはむしろここからですから」
クレミーは横を歩くシャロンの方にちらりと視線を向けて続きを促した。
「長老様……いえ、おじいさまは魔術師なのです。それもエルフの中でも飛び抜けて優秀な」
「へえ。やっぱり長老というだけあるんだなあ」
クレミーは三角帽子に大きな木杖というお決まりの老魔術師の姿を想像してうんうんと頷いた。シャロンはそれを不思議そうに眺めていたが、すぐに視線を進行歩行に向け直した。
「わたしの魔術もおじいさまに教わったものです。おじいさまは、両親に捨てられて傷つき閉じこもり気味だったわたしに魔術を授けてくださいました。その頃のわたしにとってそれは唯一の拠り所で、夢中になって練習に励みました」
「そうだったんだ……」
気になっていたのだ。なぜシャロンは村の外れで一人で暮らしているのか。今、その謎が少し解けたような気がした。
おそらくシャロンは初め村の中でも異端に近い扱いを受けていたのだろう。親という後ろ盾を失った彼女に浴びせられる奇異の視線の威力は計り知れず、周囲からの砲火を直にその身に受けることになった彼女は手近な拠り所を求めた。支えといってもいい。本人はそれが魔術だったと言うが、つき詰めればその先にある長老への自己顕示だったに違いない。
二人が歩を進めるにつれ、点のように小さかったルンカの像がしだいに大きくなっていく。シャロンが真っ直ぐに銅像を目指していることからして、やはり長老の家は中心にあるようだ。
「でも、わたしがハーフエルフだからかな。あまり魔術は得意ではないのです。おじいさまも、そんなに練習しているのになぜ上達しないのかと不審がっていらっしゃいましたし」
シャロンは悔しげに肩を落とす。見るに堪えないクレミーはそのしょげた肩にぽんと軽く手を置いた。
「人間もエルフも等しく魔術を使えるんだ。混血だからできない道理はないよ」
「……そう、かな。ええ、きっとそうですね。ありがとうございます、クレミーさん」
シャロンは救われたように、きゅっと目を細めた。が、すぐにその笑みは固まって、
「あら? でもそれって、結局はわたしの才能がないってことになっちゃいませんか?」
クレミーを責め立てるような表情に変わった。
「いや、その、誰しも得手不得手があるっていうから……シャロンだからって……わけじゃないというか……」
しどろもどろになるクレミーの肩をシャロンはぐっと掴み返して、がくがくと前後に揺らした。
「やっぱり才能ないってことじゃないですかー! ちょおーっと自分の魔力量が多いからってそれはひどくないですか? 確かに魔力量も魔術には大切ですけれど、真に問われるのは術者の技術や器量! つまりセンス! っておじいさまがおっしゃってました!」
シャロンがヒートアップするごとに、クレミーの視界が大きく上下する。
「うわわわわ! じゃあ、シャロンには、センスがないんじゃ!?」
「ちがいますー! わたしは体質です!」
そうこう言い合ううちに銅像の前まで来ると、シャロンは近くの長老の家らしき建物の前で足を止めた。
相当年季の入った大きな家で、シャロン宅の数倍はある。傷だらけの支柱には至る所に修繕の跡が見られ、長い歳月を感じさせた。
二人は中に入る。
「あ」
クレミーは最初に自分の想像していた家の内装とのギャップに目を丸くした。長老の家の中もきっと単純にシャロンの家を押し広げたイメージだろうと決めてかかっていたのだ。だが、実際には出入り口側半分が会議などに使われる集会場に、奥側半分が長老の生活空間になっており、その間は外布と同じ厚い生地のカーテンで仕切られている。ただし、半分のスペースといえども一人で暮らすには十分すぎるほどの広さだ。
この家は個人の所有物なのだろうか。クレミーは入口に立ったまま、きょろきょろと天井や壁にかけられた装飾品などを眺めた。
「村長になった人は、任期中はこの家で生活することになっているのです。……ただ、うちのおじいさまはこの家を手放したくないばかりに村長を続けているようにも見えるのですよね」
シャロンが横からさらりとクレミーの疑問を解消する。
すると奥からペドロが仕切りをくぐってのっそりと姿を現した。
「随分と遅かったな」
「まあ、色々ありまして」
「そうか。たった今、長老との相談が終わったところだ。これから村人をここに集めて決定事項を伝えるつもりだ。お前さん達も同席してくれるか」
「了解です」
シャロンはこくりと頷いた。
ペドロは壁に引っ掛けてあった巨大な貝殻のような笛を手にとって外に出ると、先を空に向け、思い切り息を吹き込んだ。汽笛のような間の抜けた低い音が村中にこだまし、それに応えるように一人また一人と家々から布を割って立ち現れた。
「ここに村人全員は入りそうにないけど……」
クレミーは集会場に並べられた椅子の数を見て心配そうに呟く。
「各家の代表者一名だけが来る決まりになっていますから」
「そういうことか」
ざっと村の家の数を頭に思い浮かべてみた。ところが、どうにも数えにくい。なぜなら、ルンカの村は土地の広さの割に家の数が少ない、つまり密度が低いからだ。だから家の数が多いのか少ないのかも判断しがたい。
クレミーが脳内で計算を行っているうちに、代表者が一堂に会した。シャロンと肩を並べるうちは感じなかったが、エルフ族は比較的背が高い傾向にあるようだ。人間の平均身長を底上げしたような塩梅だ。
ああ、なんだかまた小人になったみたいだな。クレミーは居心地の悪さを紛らわすように、左手につけたバックラーをいじった。
最上席に座ったペドロが一つ咳払いして注目を集める。
「諸君、前置き抜きで話す! 人間どもがぬかしていた我らエルフの始祖ルンカが隠したといわれる秘宝だが、この森に潜んでいる可能性がある」
今更何を、という声が聞こえてきそうな表情で一同が眉根を寄せた。だだをこねる子供をなだめる時のような生ぬるい雰囲気が集会場内に立ち込め、村人達は嘲るようにペドロを見た。
「どういう風の吹き回しだ? 宝なんて七年前までに幾度となく探したじゃないか。さてはペドロ、もうボケたのか」
「ペドロさん、あんたあの事件を忘れちまったのかよ。ここには宝なんてない。そんなでたらめ言って、もしまた村が焼かれたらどうするんだ。ちったあ村のことも考えてくれよ」
次々と浴びせかけられる批判の文句を聞き流しながら、ペドロはふうと溜め息をついた。
「クレミーよ」
「はい?」
「例の話を頼む」
なるほど。だからここに居させたのか。
「いいんですか? 確証はありませんよ」
「構わんさ」
クレミーはできれば口を挟みたくなかった。この状況で例の話をした際の村人達の反応が想像するにおそろしかったのだ。宝の存在さえも否定しているというのに、それ以上に突飛な内容を伝えれば相応の反論の嵐が待ち受けているに違いない。
「はあ。実は……」
クレミーはいささか躊躇いつつもデミトリアスの語ったルンカの史話を村人達に話して聞かせる。盗賊であったルンカ、村の誕生、そして地下に隠された秘宝。もちろんクレミーが皇族であることは伏せておきつつ、その他のことはシャロンやペドロの時と同じく伝えた。村人達は話の途中何度か物言いたげに口を開きかけたが、ペドロが終わるまで一切の口出しを禁じたので最後まで清聴を保った。
「……という話を聞いたことがあります」
クレミーが口を閉じる。
村人達がペドロの方を見やると、彼は無言で頷いた。禁止を解除するという意味合いだ。
「しかし、なんと地下にあるとは。信じられん話だが、なるほど確かに地下は盲点だった」
「人間どもは地上ばかりに目を向けていたからな。我々も先入観に捉われていたようだ」
そこでペドロは勢いよく木机に手を突いて立ち上がると、一同を見回した。
「そして今回、その発掘作業を決行することになった!」
「……何?」
刹那の間ペドロの気迫に圧された村人達だったが、当然口々に反論を始める。
「貴様、まだそんなことを言っているのか! 宝など、いたずらに人々の目をくらませ災厄を引き起こすだけの代物に過ぎんのだぞ!」
「先の反省を生かし、現在の安寧を守るのが生き残った我々がとるべきただ一つの道ではなかったのか? 宝の存在を知ろうとも、我々のその姿勢には何ら変化はないはずだ」
すると何者かが部屋の仕切り布を分けて姿を現した。
「そう熱り立つでない、若者達よ」
「長老様……!」
卵色の緩やかなローブを着込んだ老人、長老オイゲンは子供を諭すように優しい声で言った。その頭には三角帽子は乗っておらず、そのか細い手にも魔法の木杖など握られていなかった。代わりに、指に何本か指輪がはめられているだけだ。
期待はずれの長老の格好に、クレミーはいささか落胆した。
「わしの父ルンカは生前、決して自分の過去を語ろうとしなかった。ところが今回、父は盗賊だったという話ではないか。さすれば、あれだけ素性を隠したがったのにも納得がいくというもんじゃ。そして、父の宝は元より人間の財産。それを我らエルフが隠匿しているというのは、世の理に反するとは思わぬか。そうじゃろう、皆の衆」
「し、しかし! 人間側はその宝のために村を……!」
「憎しみは何も生まぬ。どちらかが落とし前を付けねば因縁は消えぬのだ。何より、わしには父の罪を償う責任があるのじゃ」
村人はぐっと口を閉ざして俯いた。
その中でクレミーだけが別の点で驚きを隠せなかった。
「あの、ちょっといいでしょうか。ルンカってずっと昔に生きていた人ですよね。あ、エルフか。そのルンカが長老様のお父上というのは、時間的に合わないと思うのですが……」
オイゲンはぽかんと口を開けた。
「何を言っておる、旅人よ。ほんの数百年前の話ではないか」
「え?」
「エルフは人間の何倍も生きる。ぬしらにとっては伝記で見る過去の遺物なのかもしれんが、わしにとってはついこの間の出来事よ」
ほっほっほ、とオイゲンは声を上げて笑い出した。
「ええええっ!? エルフの寿命ってそんなに長いの!?」
クレミーは驚嘆してシャロンを振り返った。確かに成長が遅いという話は聞いたが、そこまで生きるとは思ってもみなかった。
「ええ。おじいさまだけは、ちょっぴり特別ですけれどね」
「そんな、数百年だって……」
クレミーは衝撃の事実にしばし頭の整理の時間を要した。
もはや別次元の話だ。デミトリアスが伝記で読んだ人物が、たった今目の前でにやにやと口元を緩めている老人の父親なのだ。それがどれだけ驚異的なつながりであるかは想像に難くない。魔術師アレンと初めて対面した時以上の驚愕がそこにはあった。
「ともかく。事実を知ってしまったからには、見て見ぬふりはできぬ。皆の衆よ、ちょいとわしにその若い力を貸してくれんかの」
「しかし……百歩譲って探すにしても、地下だけでは情報が足りなすぎます! 森中を掘り返す気ですか!」
「なあに、宝の在り処の目星はついとる。手伝ってくれるな?」
自信満々のオイゲンの言葉に、村人達は一も二もなく頷いた。