act-04 ルンカの秘宝
人々の喧騒で目が覚めた。何やら近所で揉めているような声がする。
クレミーは徐々に覚醒する意識の中で、真っ先にそれを認識した。
次に抱いたのは違和感。美しい小鳥のさえずりやひんやりと透き通った大気、背中に当たる柔らかな獣皮の床、色褪せた布張りの天井。それらは皇城で味わう『いつもの朝』の感覚とは打って変わって、新鮮な目覚めを提供してくれる。
「ああ」
そこでクレミーは自分がエルフの村を訪れていたことを思い出した。前日の、旅の初日にしては濃厚すぎる出来事の数々が蘇る。
「そうだ、シャロンは……」
狭い家の中を見回すが、その姿はどこにもない。
もう狩りに出かけてしまったのだろうか。昨晩、夕食の支度を手伝った時にはまだモリギツネの肉は残っていたように見えたし、その他の野菜類も多く貯蔵されている。少なくとも、今朝の朝食に困ることがない程度には蓄えはある。
それにシャロンの性格上、黙って出て行くとも考えにくい。彼女とは会って間もないが、クレミーにもそれくらいは判った。
ならば、どこに。
「クレミーさんは悪い人じゃないですっ!」
矢庭に外から聞こえたきた怒声に、クレミーはついと戸口を振り返った。
それは確かにシャロンの声だった。あの温厚な彼女がこのように取り乱すなど、きっとただ事ではない。そこにクレミーの名前が挙がっているのも気になった。
『いえ、人間を好んでいないのは一部のエルフのみなのです。本当は、種族の違いとか寿命の違いとか関係なしに一緒に暮らせたらいいのですけれど……』
昨日のシャロンの言葉が脳裏を過った。
クレミーが急いで外に出ようと腰を上げたところで、村人らしき男の声がする。
「悪いかどうかを決めるのは君じゃない。俺達だ。それに、君だって七年前のあの事件を忘れたわけではあるまい。そこをどけ、シャロン」
「ですが……!」
なおも食い下がろうとするシャロンに堪えきれなくなって、クレミーは布の戸口から飛び出した。
「出てきたぞ! 人間だ!」
クレミーの姿を認めた村人達がどよめきの声を上げる。
朝日にくらむ目をこらして周囲を見回すと、芝生の地面にはざっと二十人ほどのエルフの民が居合わせていた。遠巻きに眺めている者も合わせれば五十は下らない。そして衆人に立ちはだかるようにしてシャロンが向かい合っている。
なるほど、昨夜のうちに僕を見かけた誰かが密告したか。
諸人の中には弓や剣を手にする者まで見受けられ、クレミーは状況の穏やかでないのを悟った。
「あ、クレミーさん。おはようございます。昨日はよく眠れましたか? ごめんなさい、なんだか起こしてしまったみたいで」
クレミーはがくりと脱力した。
この期に及んでそのようなことを口走るシャロンはきっと相当の善人で、とんでもなく変わり者だ。それなりに緊張していたクレミーの身体は彼女の見当違いの一言で一気に力が抜けてしまった。
が、自分に向けられた武器の数々を目にしたクレミーはすぐさま気を引き締め直した。弁明の言葉はいくらでも浮かんだが、ひとまずは、鎧も剣も外した丸腰の身で昨日森の中でシャロンにしたのと同じように両手を上げた。口であれこれ言うよりも視覚に訴えた方が効果的であることは実証済みだ。
「貴様何のつもりだ? 人間」
居並ぶ村人の一人が眉をひそめた。家の中で聞いたのと同じ野太い声。どうやらこの男が村人の代表格であるようだ。
「僕はあなた方に危害を加えるつもりはありません。それをまず分かっていただきたいのです」
「ふん、青二才が小癪な真似を。……いいだろう、武器を下ろせ」
男の合図で村人達は渋々構えを解いた。クレミーも手を下ろして真っ直ぐに男を見据える。
「僕はクレミー・ミルフォード。帝都出身の旅人です。昨日、サウサニーに向かう道の途中で見た立て札にしたがってこの森にやって来ました」
「立て札だと? もしや分かれ道のか」
「その通りです。地図を持ち合わせていなかった僕はそれを頼るほかなかったのです。立て札には右の道には魔物がおり、代わりに左の道は安全だと書かれていました。……まるで子供が書いたような拙い字体で」
最後にクレミーが付け加えると、男の足下に隠れていた少年がわめき立てる。
「嘘だ! こいつ嘘ついてる! おれはそんなことしてないぞ!」
「どうしたパウ。誰もお前がやったなどとは言っていないぞ」
パウと呼ばれた少年ははっとして押し黙った。
クレミーはその顔に見覚えがあった。いや、忘れもしない。昨日、クレミーの荷物を奪い去った三人の少年のリーダー格だ。やはりこの村に帰って来ていたらしい。となると、目の前の男はその父親だろうか。
「とにかく事情は飲み込めた。だが、クレミーとやら。まだ貴様を信用した訳ではないぞ。七年前の事件だって、我々が人間を信じきったばかりに招いてしまったようなものだからな」
七年前の事件。先程の男とシャロンとの会話にも出てきた単語だ。
クレミーは何か自分の知らない、人間とエルフ族との間に根付く確執のようなものをそこに感じ取った。
頑として受け容れようとしないその男の目は現在進行形でクレミーの全身を嘗め回すように観察している。人間というだけでこれ程までに厳重に警戒する原因がその事件にはあるのだろう。
「七年前に一体何があったのですか?」
クレミーの当然の質問に、しかし男は難色を示した。強く握られた拳が小刻みに震えている。言葉にするのにも厭悪を伴うらしい。
「あの、クレミーさん。実は、」
「いい、シャロン。俺から話す」
「ペドロさん……」
代わりに説明しようとしたシャロンをペドロと呼ばれた代表格の男は片手で制した。それから頭をもたげる忌まわしい過去を振り払うようにして首を振ると、パウや村人達を各々の家に帰した。
「見せたいものがある。付いて来い」
村の奥地に向けて歩き出すその足取りは重く、鈍い。振り返りざまに一瞬だけ映ったペドロの瞳に悲痛や悔恨といった負の感情がまざまざと滲んでいたのをクレミーは見逃さなかった。
「行きましょう、クレミーさん」
「ああ」
すぐに二人もペドロの後を追って芝生の地面に足を踏み出した。
*
クレミーは眼前の光景にごくりと生唾を飲み込んだ。出すべき言葉も見つからない。胸の辺りがざわつき、息が詰まった。
村から数分歩いた場所に、その凄惨な景色は広がっていた。
それは焼け野原だった。
見覚えのある同心円状の家屋の配置は七年前まで確かにそこにルンカの村が存在していたことを証明していた。ただし、今は焼け焦げた柱と布の残骸が無残に横たわるだけだ。かつて立派に建立していたであろうルンカの像は腰から砕け、半身がその台座の辺りに転がっている。それが意図的な破壊であるのは疑いようもない。
「これを、人間が……?」
クレミーが掠れる声で搾り出す。
「そうだ」
端的な解答はより深くクレミーの胸に突き刺さった。
正直に言えば、信じられなかった。無論、万人が善良でないことは心得ているつもりだが、それでも、目の前に紛れもない事実として存在する爪跡を過去の人間の所業として受け容れるのには抵抗があった。
「次はこっちだ」
ペドロに連れられ、また少し森を進む。
今度は慰霊碑だった。村と同じく森を切り開いてつくった空間に、見上げるほどに巨大な石碑が静かに佇んでいる。苔一つない、清潔に保たれた石碑の状態には村人の亡き尊い『家族』に対する厚い情念が表れていた。その表面には当時無念にも散っていった故人の名前が連ねられている。
「偉大なるルンカの遺志を継ぎ、故郷を護りし誇り高きエルフの民、ここに眠る……」
クレミーが石碑の最後に刻まれた文句を読み上げると、隣に立つシャロンがぐすんと鼻をすする音がした。何度もここを訪れたであろう彼女にとってもこの悲しみは決して拭い去れない心の傷となっているのだ。
「人間はな、」
ペドロは感情の読めない声色で切り出した。
「おそらくエルフを疎んでいたんだ。いや、『疎んでいる』のかもしれない。ともかく自分達よりも長い寿命を持つエルフのことが不気味でしかたがなかった。だから村を焼き払った」
「そんな。それだけの理由で」
村一つを滅ぼすなんてことがあり得るのだろうか。
クレミーはやはりどこか腑に落ちなかった。確かに人間の中には性根の腐った下衆のような連中もいるにはいる。だが、七年前の事件は本当に単純な悪意による犯行だったのだろうか。
何かが引っ掛かる。
「まあ他にも、この森のどこかに眠るといわれるルンカの秘宝を狙っていただなんて諸説もあるがな。まったく、あいつらはそんなありもしない逸話の為に死んでいったってのか。はっ、ふざけやがって」
冗談じみた口調とは裏腹に、ペドロはそっと目頭を押さえた。初対面の厳つい印象との落差がその悲壮感を一層引き立たせる。
思った以上に確執は深かったようだ。
しかしながら、クレミーはペドロの最後の話の中に一つ思い当たる節があった。
あれはいつぞやのことだったか。とはいえ、幼心地に残っている記憶といえば祖父デミトリアスの荒唐無稽な語り草くらいなものなのだが。
そう、ルンカだ。ルンカにまつわる秘話があったはずだ。それだけでなく、現在のエルフと人間との関係にもつながる重要な挿話が。
頭の片隅で疼くわずかな記憶に手を伸ばし、やおら紐解く。
あれは、確か――。
*
病床に臥したデミトリアスを見舞うため、少年クレミーは祖父の病室を訪ねていた。彼の来訪に気が付いた医師や侍女達はにこやかに病室を去って行き、やがて二人きりになった。
お気に入りの孫の姿を認めると、デミトリアスは皺をいっぱいに寄せて破顔した。クレミーはその柔らかい笑顔が好きで、こうして毎日見舞いに来ていたのだった。
「ルンカという名を知っているか、クレミーよ」
「いいえ。存じ上げません」
「太古に生きた偉大なるエルフの祖先の名だ。エルフのことは知っているか」
「はい、書物で見たことがあります。耳がこんなに長くて……」
クレミーは嬉しそうに挿絵の真似をした。「そうかそうか」と満足げに彼の頭を撫でながら、デミトリアスは話を続ける。
「そのルンカはな。昔、盗賊だったんだ。人様の物を盗む、悪いやつだ。奴は仲間のエルフとともにたくさんの街や村を襲い、金銀財宝をかっぱらった。やがて各地で悪名が広まり、身動きが取れなくなった奴はとある森に逃げ込んだ。それから奴は森の奥地にエルフの村を建て、そこに腰を据えた。……おっと、付いて来ているか、クレミー?」
デミトリアスは思い出したようにクレミーの顔を覗き込んだ。
「はい。大丈夫です」
本当は、わからない言葉がたくさんあったけれど。
「そうか。賢しい子だな、クレミーは。……そこで盗賊から手を引いたルンカは今まで人々から盗んできた宝をどうするべきか悩んだ。持ち主に返すのも忍びない。所持しているのにも危険が伴う。悩んだ末に、奴は全ての盗品を森のどこかに隠すことに決めた」
身振り手振りをつけて説明すると、クレミーは身体を乗り出すようにして聞き入った。
「そのお宝は今、どこにあるのですか?」
「へっ?」
興味津々といった様子のクレミーに、デミトリアスは顎に手を当てて考え込んだ。
「うーむ、どうだろう……。ずるがしこい奴のことだから、案外、地面の下にでも埋めていたりしてな。なんてったって、ルンカはこのセントラルバニアの包囲網から歴史上唯一逃れられた犯罪者だからな。何を考えたっておかしくはない」
「ずっと昔のお話なのに、どうしてお祖父様はそのようなことを知っているのですか?」
デミトリアスは顔を引きつらせると、ごまかすように窓の外を見た。
「は、はは。実はこれは伝記にあった話なんだ。だから儂が直接見た訳ではないし、確証はないんだが、」
「なーんだ。じゃあ嘘かあ」
あからさまに気を落とすいじらしい孫の姿に堪えられず、デミトリアスは胸を張って答える。
「嘘かどうかはまだ決まっていなあい! 儂はいつかその森に出向いて、財宝を独り占めしてやるつもりだ! その時はクレミー!」
「は、はいっ!」
「……お前も付いて来てくれるか?」
「えっ。はい、行きます! 絶対に付いて行きます!」
クレミーがぱあっと顔を輝かせたのを見て、孫に目がない祖父はくしゃりと相好を崩した。
それから数ヶ月後、デミトリアスは静かに息を引き取った。森に隠されしルンカの秘宝を手に入れるという野望は、ついに果たせずに。
*
クレミーが話し終えると、シャロンは息を飲んだ。ペドロも驚きを隠せないでいる。
「初耳です。まさか、あのルンカが盗賊だったなんて……」
「いや、突っ込むべきはそこじゃないだろう」
「えっ? どういうことでしょうか、ペドロさん」
小首を傾げるシャロンに、ペドロは呆れ果てた。
「……はあ。じゃあ聞くが、クレミーさんよ。お前さんはいつからセントラルバニア帝国の皇子様になったんだ?」
「あっ」
クレミーとシャロンの声が重なった。
しくじった。エルフと人間との関係を追究するあまり、つい口を滑らせてしまった。せっかくシャロンにも隠していた素性をよもや自分自身の口から露見することになろうとは。
クレミーは開いた口が塞がらなかった。
ペドロは放心状態の二人を一瞥して、小さく溜め息をついた。
「別に驚くこともない。黒髪黒眼なんて世の中そういるもんじゃないし、少なくとも俺は帝国の第二皇子様以外にそんな外見をしているって奴を知らない。だから、初めてお前さんを見たときからもしやとは思っていたんだが、まさか本当だったとはな。ふん、こんな隔絶された森の中だったら帝国の情報なんか伝わっていないだろうとか高を括っていたんだろう」
ペドロの鋭い一言一言が凍りついたクレミーの心を容赦なく抉っていく。
「で、でも。クレミーさんはクレミー・ミルフォードさんですよ。全然、ドイルじゃないです」
「おそらく偽名だな。大方、母親の旧姓ってところか」
――全部バレてるよ。
「そ、そうなのですか? クレミーさん」
驚くシャロンにクレミーは力なく頷いた。
できれば再び帝都に帰るその時までは何人にも身分を明かすつもりはなかったのだが、放浪二日目にしてその目論見は完膚なきまでに破られてしまった。しかし、知られてしまったものを今更なしにしてくださいとは言えない。
「あの、できればこのことは……」
「分かってるよ。村の奴らには黙っておけばいいんだろう。特別隠すほどのことでもないと思うがな」
そこでクレミーの正体についての勘ぐりのあれこれは一旦打ち切られた。
自然に話はルンカの来歴へと遡る。
「……やっぱり、ルンカが盗賊だったなんて信じられないです」
突如告げられた意想外の事実に、シャロンは少なからずショックを受けていた。尊敬する人物が実は街から街へと物品を強奪して回る盗賊だったといわれればそれも無理はない。
「実はね、シャロン。御祖父様の死後、僕は生前に御祖父様が愛読していたという伝記を探してみたんだ。一度は城を総動員して捜索したりもしたんだけれど、とうとう見つけることはできなかった。だから、はっきり言って信憑性はかなり低いよ。あの突飛な御祖父様のことだから、ルンカのエピソード自体が全部嘘だったなんてのも十分にあり得る」
「そうなのですか……。残念ですね」
「その時、僕は十歳くらいだったから、きっとお祖父様にだまされたのだと思う」
シャロンはしょぼんと肩を落として俯いた。もし財宝の存在が真実で、それを掘り出すことができれば、そしてその財宝を人間側に返還することができれば、きっとルンカの罪は浄化される。そうすれば、人間とエルフとの間の確執も取り去ることができるかもしれない。少なくともそのきっかけにはなるはずだ。そこまで考えたのだが、唯一の証拠である伝記の在り処が不明では、村ぐるみで発掘作業を執り行うための理由としては不十分だ。やはり物的証拠がなければ話にならない。
「そういうことなので、ペドロさん。やっぱり地下には財宝なんて――」
「ある」
遠慮がちに告げるクレミーを、ペドロは片手で制した。
「……はい?」
「詳細は後だ。まずは長老様の所へ行くぞ」
「ちょ、長老?」
話の展開についていけないクレミーを置いて、ペドロは脇目も振らず村へと駆け出した。取り残されたクレミーは縋るようにシャロンの方を見やったが、彼女はもっと頭の上に疑問符を浮かべていた。
こりゃだめだ。
「シャロン。事情は飲み込めないけど僕達も後を追おう」
「ええっと……ルンカが盗賊で……伝記がなくて……でも財宝はあって……ええええっ!? どうして!?」
「シャロン! 混乱するなら後にして! 僕一人じゃ村に帰れないから今は案内をお願い!」
「は、はいいい! 行きましょう!」
ぐるぐると目を回していたシャロンはやっと我を取り戻して走り出した。
「って、そっちは逆!」
「あれれ、村ってどっちでしたっけ!?」
これまた前途多難の予感だった。