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act-02 旅立ちの午後

 永遠に続くかと思われた直線階段を下り終え、城下街に着いた。正門へと延びる大通りをあてもなく歩いていると、クレミーの姿に気付いた通行人がわらわらと集まってくる。

「皇子様! どうしたんだい、こんなとこで。お父様に勘当されちまったのかね」

「あらあら、お可哀想に。クレミー様には日頃からよくしていただいてますからね。もしお困りでしたら、遠慮なくうちへお泊まりなさってくださいな」

「おお、皇子さんじゃないか。どうだい、剣はいらないかい」

 クレミーの見たことのある顔ぶればかりだ。というのも、日頃から城内で居心地悪く過ごしていたクレミーはしばしば城を抜け出しては城下街へと繰り出していたため、街の人間と懇意になっていたのだ。いずれも脱走の手助けをしてくれたのはマージョリーかフレディで、グスタフには知られていない秘密の一つだ。

「こんにちは、皆さん。僕、旅に出ることにしたんです」

 クレミーの言葉に、衆人はあんぐりと口を開けた。

「旅って……皇家うちはどうするのさ」

「捨てます」

 カチンという擬音が聞こえてきそうな勢いで人々の表情が固まった。あまりにも反応がよすぎて、クレミーは内心笑いをこらえるのに必死だった。自分だけがクイズの答えを知っているのような優越感が愉しかった。

「僕はもう皇子ではなくなりました。ですから、皆さんも年齢相応に接してくれて構いませんよ」

 クレミーがにこりと笑うと、人々は翻訳者を求めるようにお互いの顔を見合わせた。唐突な告白に戸惑いを隠せていない様子だ。人だかりに気付いた人がさらに寄って来て、ざわざわと人々の囁き声が溢れかえった。

 このままここに居座るのもおもしろそうだが、それではいつまで経っても出発できそうにない。仕方なくクレミーは逃げを打つ。

「武器屋のおじさん。僕に剣を見せてもらえますか?」

 クレミーの目の前にいた武器屋の店主はしばらく自分が呼ばれているとも気付かずに呆けていたが、はっと我に返ると「お、おう」と慌てて店の方へと案内した。

 観音式の扉をくぐると、金属特有の鉄臭さが鼻を刺激した。大通りに面する比較的大きな店舗だが、閑古鳥が鳴いている。

「このご時世、武器なんて必要とするのは冒険者くらいなもんでなあ」

 クレミーの表情を読み取った店主が自嘲気味に笑った。クレミーは返す言葉が見つからず、逃げるように陳列棚を眺めた。短剣、長剣、曲剣、細剣、刺突剣、大剣、投げ短剣、槍、薙刀、戦斧、鎌、鉤爪、棍棒、鞭、杖……と国随一の武器屋ともあってその種類は豊富だ。

「うちは鍛冶屋じゃないからな。あんまりいいモンは揃っていないよ」

「ご心配なく。使う武器を選べるほど、僕はまだ熟達していませんから」

「ははは、そうかい。……それにしても、さっきは冗談で剣をいらないかと聞いたが、」

 店主は顎の無精髭を弄りながら、意外そうな顔で切り出す。

「剣術なんて、一体どこで習ったんだい?」

「今は亡き祖父に習いました」

「なんと、あの偉大なる武帝デミトリアス・ドイル様から直々にか! こりゃたまげたもんだ!」

 店主は目を見開いた。

 デミトリアスは現役時代、つまりかつてセントラルバニアが西の大国ウェスタノーレと戦乱の状態にあった時分に、自ら先陣を切って戦場を駆け回った武帝だ。じきに休戦協定が結ばれ、現在はお互いに牽制し合う緊迫した関係を保っているが、それでも束の間の平和を切り拓いたのはまぎれもなくデミトリアスの手腕であった。そのあたりの史話をよく知っている世代の店主にとっては、デミトリアスは尊崇の対象であるのだろう。

 クレミーは幼少の頃に世話になった祖父の、柔らかな笑顔とたくましい二の腕を思い出しながら、誇らしげに口元を緩めた。

「ええと。じゃあ、これでお願いします」

「あいよ。ん? そんなに細いのでいいのかい」

 クレミーが指差していたのはウォーキングソードと呼ばれる刃渡り六〇センチほどの軽量細身の片手剣だった。レイピアを小さくしたような外見で、質素な楕円形のガードと申し訳程度に付けられた護拳ナックルガードはいかにも量産品といったふうだ。貴族の装飾具としても用いられる剣だが、この店の品は実用を目的としているらしく柄に装飾は見られない。

 訝るような視線に、クレミーはこくりと頷いた。

「ええ。僕はそれほど力がありませんから」

 店主はちらりとクレミーの腕を見た。決して太い方ではないが、鍛錬によって洗練されて引き締まった筋肉からはとても非力には見えない。単に軽い剣を好むのか、それがデミトリアス流なのかは判然としないが、どちらにしろ客の注文には従わなければならないので、渋々在庫から新品を取り出した。

「はいよ、皇子さん。ウォーキングソード一本で八〇〇〇ビル。剣帯はおまけだ」

「もう皇子じゃないですってば」

 クレミーは鞘に納められた剣と代金を引き換える。

 フレディから受け取った資金にはまだ手をつけないでおいた。これは本当に困ったときに使うつもりだ。

「これから防具を見に行くのかい?」

「えっと、防具まで買うとお金が無くなってしまうので、しばらくは買わないつもりです」

「ふーむ、それは頼りないな。おお、そうだ。実は俺にはあんたくらいの年の馬鹿息子がいてな。そいつはある日突然、『俺は冒険者になるんだ』っつって家を出て行っちまったんだが……。まあ、それで、そん時に置いていった軽鎧があるんだ。これが勝手に売ることもできなくて困っていたところでな。もう随分と長い間帰ってきていないし、あんたさえよければもらってくれないか? 体格も大して変わらないようだし」

「本当ですか!? ぜひいただきたいです!」

 クレミーがぱっと顔を輝かせると、店主は我が子を懐かしむように優しく目を細め、店の奥から木箱を運んできた。

 クレミーは木箱に入っていた胸、肘、膝当てを身に付け、左手首に小型のバックラーを装着すると、剣帯の左に鞘を吊るした。さらに荷物の中からくるぶしほどまである漆黒のロングマントを取り出して羽織り、フードを被って前ボタンを閉める。

「これで立派な冒険者だな。にしても、顔まで隠す必要があるのかい」

「この街では僕は目立ちすぎるようなので、こうしないと色々と面倒なんですよ」

 ああ、と店主は先程のちょっとした騒動を思い出して合点がいった。

「このことを知らない奴らには、俺から伝えといてやるよ」

「助かります。では!」

 クレミーは店主に頭を下げると、観音扉を開けて外に出た。午後の突き刺すような日差しの中では、全身を覆うほどの真っ黒いマントは少しばかり暑苦しかった。




     *




 セントラルバニアの街は広い。皇城が南向きに建っているので南門が正門にあたるのだが、皇城前の階段下からその正門に向かって大通りを直進しても徒歩で約十五分は掛かるほどだ。クレミーは故郷の街並みを見納めるようにして歩き、やっとこさ正門に辿り着いた。関所の役人に何か咎められるかとも思ったが、案外引き止められることはなかった。

 門を抜けて魔物避けの柵までやって来ると、クレミーは脱ぎ捨てるようにしてマントを外した。正直、暑くて敵わない。さらに、ここからは魔物の襲撃も考えられる。剣を抜きにくい格好は極力避けるべきだろう。

 クレミーはマントを畳んでリュックに詰めた。そこでフレディにもらった巾着の存在を思い出し、剣帯の鞘とは反対側に提げた。歩くたびに中で鳴る硬貨どうしがぶつかり合う音が楽しい。

「まずはサウサニーを目指そう」

 南国のサウサニーは年中高温多湿の熱帯であることで有名だ。季候を利用した果樹栽培が盛んで、セントラルバニアの市場に並んでいる果物もほとんどがサウサニー産である。さらに大陸の端ということもあって海に面しており、ビーチ目的の観光客でも賑わっているという。

 クレミーはあれこれ想像を膨らませながら、小麦畑に挟まれた街道を歩いていく。馬術を嗜んでいるので移動手段に馬を使うことも考えたが、購入費も維持費もばかにならないため即座に却下された。

 見渡す限りでは魔物の姿はない。大陸中央部の魔物は他の地域に比べて弱く、集団性も低い。決して油断はならないが、めったに街道には現れることはないのでそこまで気張る必要もない。それを教えてくれたのは祖父だった。

 今思えば、どうして祖父は自分にそのようなことを覚えさせていたのか。剣の稽古の合間の雑談にしてはかけ離れている気がするし、皇子にとっての将来に役立つような話でもない。まるでクレミーが城を出ることを知っていたかのようだ。

 まさかと思う反面、あの奇想天外な祖父ならあり得るとも確信していた。それほど捉えどころのない人物だった。人間性だけならアレンに似ているかもしれない。

 数十分ほど歩いただろうか。分かれ道に出くわしてしまった。右か左かの二択だ。地図等は用意してきていないので、どちらがサウサニーに向かう道なのかは判らない。だからといって、街道を外れて真っ直ぐなんていうのは論外だ。

 だが、幸いにも分岐点には立て札が立っていた。ミミズが這ったような乱雑な字で、板に直接文字が書かれている。

『みぎ……まもの。ひだり……あんぜん』

「これ、誰が書いたんだろう」

 とても大人の字とは思えなかった。少なくともセントラルバニアの役人はここまで煩雑な仕事はしない。ここは既に隣町の管轄なのだろうか。

「でも、左に行くしかないか」

 魔物がいるといわれてそちらに向かうほどひねくれてはいないし、自信過剰でもない。こと魔物に関しては図鑑上の知識しか持ち合わせていないクレミーにとっては、いくらこの辺りの魔物が貧弱とはいえ脅威であることには変わりはないのだ。デミトリアスに習った剣術だって使っていたのは模擬剣で、しかも相手は人間だ。魔物にも通じるとは限らない。

 右の道はこれまでと同じ穏やかな平原、左には青々しい森林が生い茂っている。森の中は薄暗く、道も狭いが、魔物に出遭うよりはずっとましだ。

 むしろ涼むのにはちょうどいいなとクレミーは意気揚々と左の森へ入って行った。――入口の木にぶら下がっていた『本物』の看板が裏返されていたのにも気付かずに。本来ならば、そこにはこう書かれていたのが見て取れたことだろう。

『コノ先、エルフノ森。人間ハ立チ入ルベカラズ』

 何も知らないクレミーは鼻歌混じりに森の奥へと歩を進めていく。

 その様子を薄闇から覗く目が六つ。機会を窺うようにひっそりと森と同化していた。



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