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灰色の雨が鐘を鳴らすとき  作者: 多田羅 和成


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本編

 夏の日差しは、窓のすりガラスで白く濁っていた。


「うわっ! ここも直さなきゃダメかよ」


 直矢なおやが一歩、廊下に踏み出すとカビ臭い床板は、ギシッと短い悲鳴を漏らす。


 いきなり響いた音に、肩がビクッと跳ねる。


「古民家を買って、自分で直したら安く済むとネットに書いていたのに。想像より大変じゃん。また考えずにやっちまった……」


 気持ちを落ち着かせる為、深呼吸をすると山の冷たい空気が肺を満たす。


「ここは愛媛より涼しいな」


 故郷の穏やかな潮風が運ぶ柑橘の香りが恋しい。


 自分の未練がましさに、思わず笑ってしまう。


「冬までには家の改築を終わらせなきゃ。誰にも頼れないし……」


 過去を遮るように、居間の扉を開けた。


 廊下以上にカビが繁茂している。


 畳の下を想像するだけで、顔が強張った。


「こりゃ床を全部替えなきゃ無理だな」


 直矢はホームセンターで揃えた安物の工具箱から、作業用マスクを取り出した。


 マスクを顔につける。そして覚悟を決め、一枚畳を外す。


 ぶわっと舞う埃。苦味と酸味の入り交ざった腐敗臭が鼻を刺す。


 吐き気に襲われながらも、作業を続けていると、ある違和感に気が付く。


「なんで真ん中だけ……?」


 畳は古びて色褪せているものの、均一に傷んでいた。


 しかし居間の中心だけが、真っ黒で円状に腐敗している。


 その光景に直矢は異様だと感じた。


 違和感に従い、工具箱からバールを取り出すと、周りの床板を外していく。


 全て剥がし終わった時、姿を現したのは石組みの井戸だった。


「家の中に井戸なんてあるのか? 不動産屋からは何の説明もなかったはずなのに。しかも苔まで生えているから、かなり古そうなんだが……」


 井戸の中を覗き込むと、インクのような水面が広がっている。


 底は何も見えなかった。


 理由など分からない。ただこれ以上覗いてはいけないと、本能が告げていた。


 一旦井戸から離れる為、体を起こそうとする。


 ――ゴーン……。


「な、なんだよ! 今の音!」


 奈落から這いずるような低い金属音が、井戸から響く。


 直矢は湧き出してくる恐怖に襲われ、思わず背中から倒れた。


 底知れぬナニカが沈んでいる。――そう直感が訴えていた。


 床に使う予定のベニヤ板を持つと、井戸の入り口を塞ぐ。


 そのまま振り返ることなく、逃げるように居間から出ていった。


 ******


 玄関先まで走ると、直矢はその場にしゃがみ込む。


 暴れ出す衝動に任せ、声を荒げた。


「なんであんなものがあるんだよっ!」


 冷や汗で背中は、びっしょりと濡れている。


 家に入りたくない。その言葉だけが頭の中を駆け巡っていく。


 ――ピロン。


「えっ、なに?」


 腰ポケットに入れていたスマホの通知で心臓が跳ねた。


 先ほどのこともあり、縋る気持ちで連絡を確認する。


「……なんだ店長か。ヘルプね」


 いつもなら断るが、今はそれにすら縋りたい気持ちだった。


「今すぐ行けますっと」


 返信すると、すぐに『助かる』という店長からのメッセージが届く。


 温かみのある言葉に、直矢は少し笑みが零れる。


「くしゅん! ……あー、汗やばっ」


 ふと服を見るとシャツの色が変わるほど汗が出ていた。このまま仕事場に行くのは、気が引ける。


 だが耳にこびりついた低い金属音を思い出し、勝手に体が震えた。


 今の自分には無理だ。直矢は静かに悟ると、汗で濡れた服のまま務めているコンビニへと向かった。


 ******


「ありがとうございましたー」


 直矢は仕事帰りのサラリーマンを、営業スマイルで見送る。


 ふと視界の端にカシスオレンジの空が映った。


 寂しげな夕焼けは、母と眺めた窓の風景を思い出させる。


「秋山くーん。もう上がって大丈夫だよ」


 バックヤードから店長が声をかけると、直矢は後ろを振り返った。


「あっ、はい! 分かりました」


 直矢がバックヤードへ戻ると、店長以外にパートの佐藤がいることに気が付き、軽くお辞儀をする。


「いやー、秋山くん本当にありがとうね。流石に夕方の時間帯は、僕一人で回すのは無理だったよー」


「いえいえ、たまたま空いてただけなので。佐藤さんもお疲れ様です」


「秋山君もヘルプお疲れ様。掛川に引っ越して来たばかりなのに、偉いわね~。ウチの子も秋山君を見習ってほしいものだわ」


 明るい店長と穏やかな佐藤の雰囲気に、直矢は和む。


「そういえば来た時、汗だくだったけど大丈夫だった? 夏だから熱中症気味なのかと、心配しちゃったよ」


 忘れていた井戸の存在を思い出すと、ヒュッと喉が鳴る。


 直矢の様子がおかしいと気付いた二人の眉が下がっていく。


 それに気が付くと、咄嗟に直矢は首を横に振る。


「た、体調が悪いとかじゃなくて! その、居間の真ん中に古井戸みたいなのがあって、困ったなっていただけなので。不動産屋さんの説明にはなかったから……」


「まぁ! いや、困るわね! 家の中に井戸があるだなんて、すごく不吉な感じがするもの」


「うーん、僕の家に泊まりなよって言いたいけど、まだ子どもが小さいから難しいな。その不動産屋に相談するしかないよね……。力になれずごめんよ」


 店長の慰めが、かえって胸を締め付けていく。


 だんだん居心地が悪く感じて、ロッカーから荷物を取り出す。


「いえいえ! 店長も家庭がありますから。しばらく居間を使わないことにします。もう俺は帰りますね! お疲れ様です!」


「あっ、秋山君! ……大丈夫かしら」


 佐藤の呼びかけに後ろ髪を引っ張られそうになる。


 しかし直矢には留まる勇気はなく、コンビニを後にした。


 ******


 田んぼだらけの薄暗い帰り道。直矢は俯きながら歩いていた。


「……佐藤さんには悪いことしちゃったよな」


 今更過ぎる後悔に、ため息が一つ零れる。


「佐藤さんも主婦だからかな。母さんを思い出すのは」


 映画のように母との思い出が、再生されていく。


「母さんの料理って今思えば甘かったよな。味噌汁も麦みそだし。秋になったら、さつまいも入れたりして。余計に甘くて……」


 楽しい記憶が直矢を子どもへと戻す。


 しかし病室で寝ている痩せた母の姿を思い出すと、足が止まる。


「なんで病気なんかになっちまったんだよ母さん」


 鼻の奥がツンと沁みた。


「ごめんよ。母さんから逃げてごめんよ……」


 最後まで母のいる病室へ足を運べなかった自分を責める。


 しかし本当は愛媛に戻る気もなく、形だけの謝罪でしかないと、一番直矢が知っていた。


「俺って、本当に嫌な奴だ」


 ぽつんと零れた嫌味が、心に波紋を立てる。


 地面ばかり見るのも嫌になり、前を向く。


「あんなところに地蔵あるんだ……。初めて気づいた」


 赤い帽子を被った地蔵が、直矢の視線を奪う。


 何度も通ったはずなのに、今まで気づかなかったことに驚く。


 導かれるように地蔵の前まで行くと、一輪の白い花が添えられていた。


「供えるもの何もないけど、祈るぐらいはしようかな。……母さんのことも」


 罪滅ぼしのつもりも兼ね、名の知らぬ地蔵に数秒、手を合わせる。


「よしっ、明日不動産屋に連絡しよう」


 少し軽くなった足取りで家へと帰っていく。


  ******


 直矢はあの不穏な金属音など最初から存在しなかったかのように、何事もなく家で過ごしていた。


 そろそろ寝る準備をするかと、寝室に入っていく。


 ――ザーッ。


「えっ、雨降ってる。怠すぎるな」


 聞こえてくる雨の音が強く、雨漏りをしないか不安に駆られる。


 カーテンを捲り、外の様子を見ようとした。


「……灰色?」


 窓についた雨粒が、灰を溶かしたように濁っている。


 もう一度目を凝らすと、見慣れた透明な滴だった。


「色々あって疲れてるんだな。さっさと寝よう」


 カーテンを閉め、直矢は布団へと潜る。瞼を閉じるとそのまま眠りについた。


 ******


 ――ミーンミンミーン……。


「あっつ……。何度電話をかけても出ないって、どういうことだよ……」


 直矢は不満を漏らしながらも、不動産屋へと向かっていた。


「車があれば、すぐなのに。引っ越し代のために、売ったのを後悔する日が来るとは……。自転車もまだ買えていないし。本当に昨日からツイてない」


 コンクリートの上で、ゆらゆらと陽炎が揺れる。


 二十分ほど歩いただけなのに、シャツはもう背中へ張り付いていた。


 まだ続くのかと苛立ち始める直矢の目に、青い看板が飛び込んだ。


「あっ、あった! やっとだ!」


 不動産屋だと分ると、一気に表情が明るくなる。


 少しでも早く中に入りたい。気持ちに急かされるように、駆け足で近づいていく。


 しかしシャッターに貼られた一枚の紙によって、希望は打ち砕かれた。


「急病により一週間の臨時休業……」


 無駄足だった現実に呆然とする。


 暫く立ち尽くした後、ふらつく足取りで来た道を戻っていった。


 ******


「なんで休みなんだよ。時間返せよ……」


 直矢は深いため息を吐く。


 家へと帰る途中、見慣れた老婦が立っていることに気が付いた。


「んっ? あれは向かいの平川さんじゃん。家の前でうろうろしているけど、回覧板かな。こんにちはー」


「あぁっ、秋山くん。……家で何か変わったことはなかったかい?」


 直矢の姿を見ると、平川は安堵した表情を見せる。


「えっと、どうして急にそんなこと聞くの?」


 疑問を聞いた平川の瞳に影が落ちた。


 その瞬間、直矢の直感が警告音を鳴り始める。


「……あの家は昔からよくない噂があるからの」


 ――ゴーン……。


 居間にある古井戸の存在が、鮮明に蘇る。


「あ、あのさ、居間に古井戸があるんだけど、平川さん何か知っている……? さっき不動産屋に行っても臨時休業で何も分からなくて」


「詳しくは知らん。ただ夜な夜な鐘の音が聞こえると、あの家には荒川さんが住んでると、爺さんから聞いたぐらいじゃ。噂も相まって近所でも避けられとる」


 直矢の額にじっとりと汗が滲む。


 自分以外の人間が住んでいるというのは、聞いたことがない。


 それでも藁に縋る思いで、尋ね続けた。


「引っ越したいけど、不動産屋は一週間、開かないんだ。俺、その、頼れる人がいなくて……」


「……少し待っとれ」


 真剣そうな表情で、平川は自宅に帰っていく。


 直矢はドクンドクンと鼓動が耳に響き、次第に唇が震え始める。


 暫くすると、戻った平川の手には、紫色の古びた布に包まれたお守りがあった。

 平川はそっと直矢の右手に、そのお守りを握らせる。


「早く引っ越すんが一番だが、無理そうじゃな。……もしお守りが黒ずんだら、地蔵の先にある観音寺へ駆け込み。その里様なら、どうにかしてくれるかもしれん」


 皺くちゃな手から伝わる温もりに、直矢は涙腺が緩んでいくのを感じた。


「平川さん……。ありがとう」


 貰ったお守りを無くさないように、ズボンのポケットへとしまう。


「礼は助かった後にしておくれ。それじゃまたの」


「はいっ! また話しましょう!」


 直矢は平川が自宅に入るまで見送る。


 お守りさえあれば大丈夫という安心感を抱え、直矢は家へと帰っていった。


 ******


 直矢が引き戸を開けると、嫌な湿気が出迎える。


 カビの臭いも以前よりも強烈となり、思わず手で口を覆った。


「うわっ、めっちゃジメジメしてるじゃん! 家に出る前はこんなに湿気てなかったぞ」


 さっさと綺麗な寝室へ戻りたい。


 早まる気持ちを抑えつつ、洗面所へと向かった。


 そして手を洗う為、蛇口ハンドルを回す。


「……あれ? なんで水が出てこない? 朝は出ていたのに」


 何度回しても、キュッとから回る音だけだった。夏なのもあり、水道が故障したのかもと不安が頭に過ぎる。


 ――ボトッ。


「……えっ」


 蛇口から落ちたのは、細長く丸い赤茶色い蛭だった。続いて二匹、三匹。やがて水の代わりに大量の蛭が溢れ始めた。


「うわぁぁぁぁぁぁッ!」


 背筋から駆け上がる嫌悪感に、思いっきりハンドルを締めた。シンクにたまった蛭は蠢いており、直矢を吐き気へ誘う。


 洗面所から出ようと扉を開けた時、誰かいる気配を察した。


 ――ペタッ……ペタッ……。


 居間の方から自分へと近づいてくる足音。


 叫ぶことすら忘れ、直矢は寝室へと入ると、扉を閉め椅子や布団で入り口を塞ぐ。

 扉から離れた隅っこへと行き、その場に縮こまる。


 ズボンのポケットからお守りを取り出すと、祈るように握り締めた。


「なんで俺ばかりこんな目に……っ」


 ――トントンッ。


 恐怖におびえる直矢の気持ちと反して、軽やかなノック音が扉の外で響く。


『開けてちょうだい』


 直矢は声が聞こえた途端、息が止まる。


 それは間違いなく、愛媛に置いていった母の声だった。


 誰にもこの家の住所も知らせていない。


『お母さんよ。お願いだから、この扉を開けてちょうだい』


 扉を開ければ自分は助からない。


『お味噌汁、作ったのよ』


 寝たきりの母が味噌汁を作れるわけがない。


『ねぇ、最後に顔を見せてほしいわ』


 それでも母を見捨てた罪悪感が、自分を苦しめていく。


『ア け て』


 ――ドンッ!


 人ではないナニカは苛立ったように扉を殴りつける。


 その瞬間、直矢の精神が限界に達し、意識を飛んでいった。


 ******


 直矢は雀の鳴き声で目を覚ます。


 外が明るいことに疑問を抱き、スマホで確認すると次の日の朝だと知った。


「……あ、アイツは!」


 意識がはっきりしたことで、昨日のことを思い出し、扉に視線を向ける。


 扉の先に気配はなく、とても静かだった。


「助かった……」


 胸を撫で下ろし、ふらつきながらも立ち上がる。その時、黒ずんだお守りが床へと落ちた。


 平川が言っていた言葉が頭によぎる。


『もしお守りが黒ずんだら、地蔵の先にある観音寺へ駆け込み』


 一時的に生き長らえただけで、助かってなどいないと気が付く。


 その瞬間、直矢の顔は一気に青ざめる。


「寺に、行かなきゃ」


 身なりなど整えず、家を飛び出した時、鉄臭い風が直矢の頬を掠めた。


 ******


 直矢は炎天下の坂道を、息を切らしながら寺へと駆ける。


 その顔は恐怖で引きつっていた。


 ――ペタッ……ペタッ……。


 昨日、聞いた足音が迫ってくる。


「なんで家じゃないのに、追いかけてくるんだよッ!」


 足は限界だと悲鳴を上げていた。


 捕まれば終わり。そう分かっているからこそ、走り続けるしかなかった。


「いやだ……っ! 死にたくないっ!」


 視界の端で赤い帽子を被った地蔵が、佇んでいる。


 直矢は地蔵に見向きもせず、駆け抜けていく。


 その瞬間、空が暗くなり、雷鳴が山間に響き渡った。


 冷たい雨粒が、直矢の頬に伝う。


「なんだよこの雨……っ!」


 篠突くような雨が、直矢の行く手を阻む。


 火山灰を溶かしたような灰色の雨が、肌にへばりつく。


 視界が悪い中、大きな門が見えてきた。


「平川さんが言っていた寺だ!」


 希望に満ちた眼差しで、直矢は思いっきり地面を蹴ろうとする。


 ――ブチッ。


 足元から何かが千切れた音がする。


「……へっ?」


 傾いていく体と、近づいていく地面。


 膝に激痛が走る。脱げた靴を見て、靴紐が切れたのだと悟った。


「あ、あと少しなのにっ!」


 焦るあまり足が絡まり、再びバランスを崩す。勢いよく水溜まりへと倒れ込む。


「早く行かないとアイツが……」


 その時、背後から冷たいナニカに、抱き留められる。


『おかえり直矢』


 優しい声を最期に、意識は遠のいていった。


 ******


「ありがとうございましたー」


 直矢は若者に対して、満面の笑みを向ける。


 若者はお辞儀をし、いそいそと外へと出ていく。


 直矢は若者に目もくれず、時計を見てはそわそわしていた。


「そろそろ上がりなよー」


 その声でバックヤードへと戻ると、パソコンと睨み合いをしている店長が、振り返る。


「お疲れさまー。本当は休みだったのに、無理に頼んでごめんよ」


 直矢は照れくさそうに、指で頬を掻く。


「いえいえ! 実は愛媛から母さんが来ているんですよ。晩ごはん作って待ってるって言われていて……」


「えっ! それは悪いことしちゃったな……。お母さんに。いつもお世話になっていますと伝えておいてよ」


「勿論ですよ! 母さんも喜ぶと思います!」


 直矢はロッカーから荷物を取り出した。その時、佐藤が扉を開けて、入っていく。


「おはようございます。あらっ! 秋山君。家のことは大丈夫……? 体調不良で二日もお休みしてたから、心配で……」


「おはようございます佐藤さん。大丈夫ですよ! むしろ住めば都って感じで、居心地がいいです!」


 佐藤は安堵したように、胸を撫で下ろす。


「そう? なら良かった……。知り合いが秋山君の家は、いわくつきだと言っていたから、不安だったのよ」


「へー、でも今日の秋山くん明るくかったし、噂なだけじゃないかな? 気にしすぎもよくないよ」


「そうよね。ごめんなさいね秋山君」


「気にしないでください! じゃ自分そろそろ帰ります。お疲れ様でした!」


 直矢はそそくさと、コンビニを後にした。


 外は灰色の雨が降っており、直矢の歩いた道には濡れたような跡が付く。


 しかし雨のせいで消され、すれ違う人々は気付かず、足早に通り過ぎていった。


 ******


 直矢は家の引き戸を開ける。


「ただいまー」


 家には人の気配はなく、直矢の声だけが明るく響く。


 明かりもつけず、真っすぐ居間へと向かう。


 居間には、ベニヤ板で塞がれた井戸が鎮座していた。


 直矢はベニヤ板を指先でなぞる。そして静かに脇へと置いた。


 井戸の入り口が開き、導かれるように中を覗き込む。


 底から鉄臭く湿った風が頬を撫でた。


「荒川さんのとこに、帰らなくっちゃ」


 直矢は愛おしそうに目を細めると、自ら井戸の中へと落ちていく。


 ――ゴーン……。


 鐘の音が響いた時、灰色の雨が降り続けていた。

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