第40話 次の戦闘で、折れないように
冬が、街を覆っていた。
川面に、薄い氷が張るようになった。工房の炉が、一日中、絶え間なく焚かれている。
レンツ・ノルムは、その熱の傍らで、板を整理していた。
◇
「トビアスさん、一人で打てるようになりましたね」
彼が言うと、イルゼ・シュミットが、少し誇らしげに頷いた。
「手順書、ほとんど見なくなりました」
彼女は言った。
「あの子、私がいなくても、決め幅に入る剣を打てます」
◇
その言葉を、レンツは、板に書き留めた。
――一人がいなくても、回る仕組み。
二十年前、彼が一人で測っていたころには、想像もしなかったことだった。
◇
教会の庭では、マルティン・クレーが、左手で、書き物をしていた。
文字は、まだ、拙かった。だが、読めた。
「これ、記録に使えるか」
彼が見せた板には、街の工房の名前が、順に並んでいた。
「使えます」
レンツは言った。
「十分に」
◇
マルティンは、少し笑った。
「あんたに褒められると、変な感じがする」
「褒めていません」
「褒めてるよ、それ」
彼は言った。
冬の弱い日差しが、庭の石畳を、薄く照らしていた。
◇
街の外れ、ホルスト工房の裏で、ガルド・ブレンナーが、鉄を運んでいた。
弟子入りが決まったのは、十日前だった。
まだ、槌は握らせてもらえない。荷運びと、火の番だけだった。
「重い仕事だな」
彼は、レンツを見て言った。
「はい」
「毎日、こんなことしてたのか、鍛冶師は」
「見て、初めて分かることも、あります」
レンツは言った。
ガルドは、何も言わず、また鉄を担いだ。
◇
その日の夕方、ギルド支部から、使いが来た。
「支部長が、お呼びです」
レンツが向かうと、支部長室に、見慣れない封筒が置いてあった。
紙は、上質なものだった。封蝋に、見たことのない紋章が押されている。
◇
「王都の、ギルド本部からだ」
支部長は言った。
「先の査問会の記録が、本部にも届いた」
「はい」
「国際規約に基づく判例として、記録された」
彼女は言った。
「本部が、決め幅の仕組みそのものに、関心を持っている」
◇
レンツは、封筒を受け取った。
中の書状には、丁寧な文字で、こう書かれていた。
――貴殿の考案した品質確認手法について、王都にて、詳細な聴取を行いたい。可能であれば、来春、来訪されたし。
◇
「行くのか」
支部長が聞いた。
「分かりません」
レンツは言った。
「ですが、断る理由も、ありません」
「王都には」
彼女は言った。
「決め幅を、快く思わない者も、いるだろう」
「はい」
レンツは言った。
「量産できるものに、価値がないと、仰る方も」
◇
支部長は、少し、意外そうな顔をした。
「知っていたのか」
「噂で、聞きました」
レンツは言った。
「もし本部で会えるなら、それも、確かめられるかもしれません」
◇
納屋に戻ると、イルゼが、書状を覗き込んだ。
「王都、行くんですか」
「まだ、決めていません」
レンツは言った。
「ですが、行くなら、あなたにも、来ていただきたいです」
「私が」
「決め幅を作ったのは、俺一人ではありません」
彼は言った。
「あなたが打たなければ、何一つ、形になりませんでした」
◇
イルゼは、しばらく、書状を見ていた。
「トビアス、置いていって、大丈夫でしょうか」
「大丈夫だと、思います」
レンツは言った。
「一人で回る仕組みを、作ったのは、あなたです」
◇
その夜、レンツは、納屋の隅で、四十本近い板を、順に見返していた。
最初の一枚。地のゆらぎ、人のゆらぎ。二行だけの、始まりの板。
最後の一枚。王都からの書状。上質な紙に、丁寧な文字。
◇
彼は、窓の外を見た。
冬の夜空に、星が、静かに瞬いていた。
四年前、彼は、この街で、ただ一人、剣を視ていた。
誰にも信じられず、証明もできず、それでも、書き続けていた。
◇
今、彼の周りには、板を読める人間が増えた。
決め幅を守る工房が、四十軒近くになった。
左手で記録を取る、元治癒師がいる。
鍛冶を学び直す、元冒険者がいる。
◇
だが、これから向かう場所には、また新しい壁がある。
量産できるものに、価値がないと言う、名工。
王都という、この街よりずっと大きな場所。
まだ、彼の目が届かない、多くのもの。
◇
レンツは、板を一枚、新しく取り出した。
炭を持ち、しばらく、何も書かなかった。
やがて、彼は、そこに、こう書いた。
――次の戦闘で、折れないように。
◇
剣のことではなかった。
この街で、積み上げてきたもの、全部についての言葉だった。
彼は、板を閉じ、袋にしまった。
窓の外、冬の星が、変わらず、静かに瞬いていた。
今回もお読みいただきありがとうございます✨️
第一部、検査編。
最後の話でした。
トビアスは、イルゼがいなくても、
決め幅に入る剣を打てるようになりました。
マルティンさんは、左手で、記録を取りはじめました。
ガルドは、鍛冶場の一番下から、
荷運びと火の番を、始めていました。
――一人の力ではなく、
仕組みとして、回りはじめています。
そして、王都のギルド本部から、
正式な書状が届きました。
決め幅という手法に、
国の中枢が、関心を持ちはじめたのです。
レンツは、静かに、こう答えました。
「断る理由も、ありません」
派手な意気込みではありません。
いつも通りの、淡々とした受け止め方でした。
さて、最後にレンツが板に書いた言葉。
「次の戦闘で、折れないように」
これは、剣のことではありませんでした。
この街で積み上げてきた、記録も、仕組みも、
人と人との繋がりも、全部を含めた言葉でした。
――第1話で、彼は、こう言いました。
「その剣、次の戦闘で折れます」
あのときの警告。
それが今、確かな形を成しています。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
次は第2部。
物語は、この街の外へ、大きく歩みだします。
※第2部は鋭意製作中です!続きが気になる方は是非リアクションをくださいね。他作品との執筆ペースを考える参考にさせていただきます✨




