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ヤンデレ気味な魔法使いと恋する子犬

作者: ユタニ
掲載日:2026/05/02



「もし……もし、セオドア・ランケ様」


日の落ちた城の庭、魔法使い用の寮へと歩いていたセオドアは小さな可愛らしい声に呼ばれてびくりと肩を震わせた。

聞こえた声は切ない恋の相手のものだったからだ。


(こんな時間になぜ彼女が?)

セオドアは焦って辺りを見回す。

セオドアの密かな恋の相手は第二王女付きの侍女である。通常なら今頃はもう、王女の住まう城の奥の宮に引っ込んでいるはずなのだ。


「ああ、よかった。やはりセオドア様には私の声が聞こえるのですね。さすが宮廷魔法使い様です。しかも使い魔はシライヌ様ですもの。ええ、あなた様にならきっと聞こえると信じていました」

どこかのんびりしたその声。

どう考えてもセオドアの片恋の相手、侍女のメレル・シュルツェンのものだ。


「…………っ!」

なおもきょろきょろと顔を巡らせたセオドアはやがて、足元で自分を見上げている小さな存在を発見した。


そこに居たのは茶色い子犬だ。耳と鼻先と足先は黒色で小さな三角耳は垂れている。


「こんばんは、セオドア様」

セオドアに認識された子犬が嬉しそうに話す。

子犬はつぶらな瞳でこちらを見上げながら、ゆるゆると尻尾を振った。


薄灰色の瞳のきらめき具合はセオドアの想い人にそっくりである。

セオドアは驚嘆した。


動物に話しかけられていることにではない。それ自体はそんなに驚くことではない。セオドアの職業である魔法使いは使い魔と呼ばれる獣の類を従えている者が多く、セオドアにもシライヌという犬の使い魔がいる。

また、稀にだが化身の術で自らを鳥や獣、爬虫類に変えることのできる魔法使いもいるのだ。

そういう奴らは同類であるセオドアに無遠慮に話しかけてくるし、こちらも何を言っているかが分かる。だから子犬が喋っているのには驚いたわけではない。


セオドアは子犬が片思いの侍女であるらしいことに驚いたのだ。

セオドアの想い人は魔法使いではない。侍女だ。ちょっと可愛すぎるという稀有な存在ではあるが、侍女は侍女なのである。


「…………ま、さか、メ、メレル嬢?」

信じられない思いで呼びかけてみると、子犬はちぎれんばかりにその可愛い尻尾を振った。


「はい! 第二王女殿下付き侍女メレル・シュルツェンです」

明るい声で子犬が名乗る。

セオドアはさっと膝をついて姿勢を低くした。


「ほ、本当に、メレル嬢なのですか」

聞きながら両手を広げて彼女を守るように囲う。

「はい!」

メレルは元気よく返事をした。


因みにセオドアがメレルを名前で呼ぶのは慣習によるものである。

城勤めの同僚達は役職なしであれば、基本的に名前で呼び合うこととなっている。共に働く以上は出自は関係ない、という先代国王の考えからで、だから名前で呼んだのは特別親しいからというわけではない。

セオドアの恋は完全に片想いなのである。


「一体どうしてこのような姿に? 誰かに呪いでもかけられましたか?」

子犬がメレルであれば触れるわけにもいかず、セオドアは所在なげに両手をふわふわと動かした。


「それが……分からなくて。第二王女殿下のお誕生日のプレゼントを整理してて、気がつけばこの姿だったんです」

「誕生祝いのプレゼント……」

第二王女リリベルは少し前に十ニ歳の誕生日を迎えたばかりで、城にはたくさんの祝いの品が贈られてきている。

メレルは仕事終わりにそれを少し片付けておこうとしたのだという。


送り主を確かめ、中身を確認していく中でめまいがしたと思ったら体が縮んでいて、鏡を見ると茶色い子犬になっていたとメレルは説明した。


「魔法の品だったということか? 気分が悪いとか、どこかが痛いとかはないですか?」

「ないですよ、すこぶる元気です」

答えと共に子犬の尻尾が振れる。セオドアはとりあえずほっとした。かけられた魔法は致命的な何かではないらしい。


「でも言葉は誰にも通じなくて、衛兵につまみ出されそうになり慌てて逃げました」

城の奥の衛兵は手練ればかりだ。そして人間の時のメレルの足は遅く、運動神経も鈍い。


「よく逃げられましたね」

思わずそう言ってしまうと、メレルはふんすと得意気に鼻を鳴らした。


「この小ささですもの! 王女殿下の住まいなら誰よりも詳しいですし!」

胸を張る子犬は可愛い。

愛しい人だと知っていれば尚更だ。

セオドアは思わず緩みそうになる顔を引き締めた。


「足も早いんですよ」

にこにこと子犬が笑う。薄灰色の瞳がきらきらと輝いた。


(…………可愛い)

セオドアは一瞬、何もかもを忘れてメレルを拐いたい衝動に駆られた。

両手ですくって部屋に連れ帰り、首輪をして鎖に繋いで甘やかして育てるのだ。外に出たいと泣いても子犬なら何もできない。

最初は怯えるかもしれないが言葉が通じるのが自分だけなら、その内にメレルもセオドアを唯一の拠り所にするだろう。

完全に慣れきったら誰の目にもつかない郊外で散歩くらいならしてやってもいい。


「ーーそれで閃いたんです。使い魔がシライヌ様のセオドア様ならば、犬の私の声も聞こえるのではと」

暗い妄想をしていたセオドアはメレルの声にはっとなった。


「セオドア様にならきっと聞こえる、宮廷魔法使い様ですし、きっと何とかしてくれる、と信じてやって来ました」

セオドアは確かにメレルの目から、信頼と尊敬の念がまばゆいビームとなって発射されるのを見た。


「ぐうっ」

ビームがまっすぐにセオドアの胸を射抜く。


「犬になってしまっていた時はびっくりして、とても心細かったのですが、セオドア様にこうして会えたのでもう怖くありません」

ビームは続く。


「はうっ」

暗い妄想は塵となり、セオドアはすぐに先ほどの考えを後悔した。

弱みに付け込んで我が物にするなど、最低である。

彼女からの依存は得られるが、信頼と尊敬を失うだろう。そしてそれは二度と戻ってこない。


(俺は、なんてことを)

セオドアは自分を深く恥じた。


「メレル嬢」

「はい!」

「頼っていただきありがとうございます。あなたのその思い、決して裏切りはしません」

深々と頭を垂れてそう告げると、子犬は狼狽えてきゃんきゃん騒いだ。


「や、やだ、大袈裟ですよ! 頭を上げてください、セオドア様」

(可愛い)


「緊張しちゃうじゃないですかっ、もうっ、騎士みたいでカッコいいっ、それよりローブも汚れるし立ち上がってください」

(可愛い)

セオドアはメレルの可愛さに気を取られるあまり、カッコいいと言われたことに気づかない。


「セオドア様? 聞いてますか、セオドア様ー?」

「はっ、すみません。あまりに可愛くてぼんやりしていました。すぐに第二王女殿の宮まで行って説明し、こうなった原因の究明を…………この時間はもう立ち入れないか」

辺りはもう真っ暗である。

王族の居住区域への立ち入りは昼間ですら厳しいのだ。この時間の訪問は却下されるだろう。


(でも悪意のある呪いの類であれば緊急を要する。ここは無理にでも立ち入った方がいいか?)

もしかしたら王女殿下の身が危ないかもしれない。上司に相談して騎士団とも連携し、調査権限を使って立ち入った方がいいだろうか。


(そうするとかなり大事になるよな。もしプレゼントが原因で、それを贈ったのが大物なら変な火種になる可能性もある。まずは何とかして王女殿下にこっそり事情を伝えてから……)

思案しだすセオドアにメレルが遠慮勝ちに声をかけた。


「あの、本日は王女殿下は王妃殿下の宮を訪ねられていて、そちらにお泊りになる予定でお戻りは明日です。宮にいるのは留守預かりの者達だけなんです」

「そうなんですね」

それならば王女に害が及ぶことはない。一旦は安心だ。そしてそれならば、無理に立ち入る理由もない。メレルを帰すこともできない。


「……困りましたね」

セオドアの言葉にメレルの耳がぺしょりと下がる。

「すみません。厄介事を押し付けてしまって」

「そ、そんなに落ち込まないでください。大丈夫です、俺の部屋でよければ今晩はそちらで過ごしてください。明日、改めて訪問を申請して殿下を訪ねましょう」

焦ってそう提案してからセオドアの顔はみるみる赤く染まった。


(お、おおおお俺の部屋!?)

自分で言った言葉にびっくりするセオドア。


(えっ、今俺、俺の部屋って言ったよな!? メレル嬢を俺の部屋!?)

あわあわするセオドアに対してメレルは嬉しそうに耳をぴょこんと立てた。


「お部屋にお邪魔していいんですか!」

「えっ、へっ、いやあの」

「あっ、すみません。汚しちゃいますよね、扉の外とかベランダで大丈夫ですよ」

「外なんてとんでもないです」

ベランダなんてメレルが夜露に濡れてしまう。許されないことだ。


セオドアはローブの袖口を掴むと、メレルに直接触れないように腕を使って抱き上げた。

「わっ、セオドア様っ?」

「寝床はきちんと用意します。そして明日は一刻も早くあなたが元の姿に戻れるように全力を尽くしますので、ご安心ください」

きっぱりとそう言うと、セオドアは大切に大切にメレルを自室へと連れ帰った。


セオドアは城の中にある宮廷魔法使いの寮に部屋を一つもらっている。

王都に家のあるような裕福な勤め人には通いの者もいるが、田舎から出てきた独り身の者達は城内の寮に住んでいる者が多い。

中でも魔法使いは希少で優遇されているので、メイドや衛兵に比べると広くていい部屋が与えられていて、宮廷魔法使い達はほとんどがこちらに住まう。

使い魔が出入りする関係上、魔法使いの寮は他から独立した建物にもなっていた。


セオドアが二階の自室に帰り着いて灯りを点けると、メレルが感嘆の声をあげた。

「わあ、私の部屋より広い」

メレルは第二王女付きの侍女なので、王女の部屋の近くに専用の部屋が与えられているのだが、それよりここは広いらしい。


「さすが宮廷魔法使い様ですね」

セオドアの腕の中で茶色い子犬の尻尾が振れる。

強く抱きしめたい衝動を何とか押さえて、セオドアはメレルを床に下ろしてやった。


「すごい、ベランダも広い」

メレルは部屋を見回してから、てけてけとベランダまで歩いて外を眺める。


(メレル嬢が俺の部屋にいる)

勢いで連れ帰ったものの、セオドアはドキドキそわそわしながらはしゃぐ子犬を目で追った。

犬の姿とはいえ、好きな子と己の部屋で二人きりである。

無防備な背中に揺れる尻尾。


(首輪つけたい)

セオドアの右手がうずうずする。捕らえた犯罪者や魔物に嵌める枷ならいつでも呼び出せるのだ。


(鎖にも繋いで)

もちろん、それらを繋ぐ鎖も呼び出せるセオドアである。

ずずず……とセオドアの手のひらに黒い渦が現れる。


「ひゃっ」

ここでメレルが小さな悲鳴をあげた。

茶色い子犬が腰を抜かして、尻もちをつく。その目の前には大きな白い犬が現れていた。

セオドアの使い魔のシライヌだ。


狼ほどの大きさのある白い犬がすんすんとメレルの匂いを嗅ぎ、メレルが縮こまる。


「シライヌ、やめろ」

低く唸るように言うと、シライヌは面白くなさそうに鼻を鳴らして嗅ぐのをやめた。


『主の想い人じゃないか』

低いイケメンっぽい声がセオドアの頭に響く。魔法使いや魔物、一部の動物にだけ聞こえるシライヌの声だ。


シライヌは水色の虹彩に黒い瞳孔の鋭い目でメレルとセオドアを交互に見る。その目はセオドアの右手の渦を認めて呆れた色を帯びた。


『…………主よ。無理強いは感心しない』

「はっ、違うっ、これはついだ、無意識だっ」

セオドアは右手を振って渦を消した。


「シライヌ、メレル嬢に近づくな。呼ぶまで出て来なくていい」

『俺がいた方が安全じゃないか?』

「そんなわけがあるか。今だってお前がいきなり現れてメレル嬢は怯えている」

『…………』

シライヌは縮こまるメレルを見てため息を吐いた。そうして『おい、お前。気をつけろよ』とメレルに声をかけるとすうっと消えた。


「メレル嬢、大丈夫ですか? シライヌがすみません」

シライヌが消えたのを確認してからゆっくりと近寄って声をかける。メレルがそろりと顔を上げた。


「いえっ、こちらこそごめんなさい。びっくりしてシライヌ様に挨拶もできませんでした」

「その姿でシライヌは怖いでしょう。ただでさえ狼みたいで恐ろしいですからね」

「恐ろしいなんて思ったことないです……シライヌ様はいつも頭を撫でさせてくれたりするんですよ。とっても賢い方なのに失礼な態度をとってしまいました」

「ちっ、あいつめ」

いつも撫でてもらっているだと?


「セオドア様?」

「何でもないです。大丈夫です。シライヌは気にしてないでしょう。それよりお腹は空いてませんか? 食堂から夕食を取ってくるのでメレル嬢の分も持ってきます」

「えっ、そんな」

遠慮しようとしたメレルのお腹がくうと鳴く。

「きゃあっ」

慌てふためく子犬。


(可愛い)

うずうずする右手。


『主』

シライヌの声が頭に響く。忠実な使い魔は主人に人の道を踏み外させないようにと必死らしい。

セオドアは疼く右手を左手で押さえた。


「俺はいつも部屋まで持ち帰って食べてますから平気ですよ」

メレルに貼り付けた笑顔を向けてセオドアはダッシュで食堂に向かった。

自分の分と子犬となった彼女の分をトレーに乗せる。メレルのものは食べやすそうなクラムチャウダーとカボチャのサラダに蒸し鶏にしてみた。念の為に玉ねぎが入ったものは避ける。


使い魔のシライヌは半分霊体なので生物的な犬とは違うのだが、セオドアは何となく犬の生態には詳しくなっている。

犬に玉ねぎは毒だったはずだ。


戻ってきて小さなテーブルに食事を並べると、メレルは嬉しそうに食べてくれた。

非常に可愛い。

セオドアはとても幸福な気持ちで自分も夕食を摂る。

二十五年生きてきた中で一番幸せな食事となった。


そうして食べ終わって食器を食堂に返して帰ってくると、メレルは椅子の上でうとうとしだしていた。


「メレル嬢、眠いのですか?」

まだそんなに遅くない時間だが、子犬の体力となった彼女は限界なのだろう。


「……あ、セオドアさま、すみません。片付けもお任せしたのに一人だけ寝てて」

「それは構いませんよ。風呂はどうします……か……」

風呂について言及したところで、再びセオドアの顔が真っ赤に染まる。


(風呂…………風呂に入るとなると、メレル嬢は子犬なんだし、俺が手ずから洗うしかないじゃないか)

「…………手ずから洗う」

口に出してますます赤面する二十五歳の魔法使いの男。

もちろん頭の中では、子犬相手に卑猥な想像をしてしまう。


「わあっっ」

セオドアは飛び上がってメレルから距離を取った。

「セオドア様?」

目をしょぼしょぼさせてメレルが小首を傾げる。


「風呂っ、風呂はっ、今日はやめておきましょうか!」

「お風呂? そうですね。体が犬なせいかあんまり気持ちも悪くないです。あ、でもセオドア様がご不快でしたら」

「俺は大丈夫!!!」

「そうですか? よかった。ではこのままこちらの椅子をお借りしますね」

「椅子は危ないですっ」

落ちたらどうするんだ。

セオドアはメレルがドジっ子なのを知っている。そこも含めて好きだ!

それはさておき、ドジっ子なので夜中に椅子から落ちる未来しか想像できない。


「でしたら床で」

すとんとメレルは床に下りて丸くなった。

とても眠いようだ。


「床!? あり得ない、あなたを床でなんてっ、ちょっ、メレル嬢!?」

セオドアの抗議も虚しく、茶色い子犬はすやすやと眠りだした。


「ええっ、もう寝たの?」

近づいて覗き込むとメレルは健やかな寝息を立てていた。


「いやでも、ここ床」

たとえ今は犬の姿とはいえ、愛しい娘を床で寝かせるわけにはいかない。

そしてたとえ犬の姿とはいえ、男の部屋で寝入るなんて無防備すぎる。もちろんそこも好きだ!


「落ち着け、とにかく落ち着こう。まずはメレル嬢を俺のベッドに運んで…………俺の、ベッドだと? メレル嬢を? お、おおおお俺のベッドに?」

セオドアは自分が口にしたパワーワードに狼狽えた。


セオドア・ランケ、二十五歳。女性と付き合った経験はゼロである。


「ベッドに? つ、つまり一緒に寝るのか!? えっ、一緒に!?」

そうなると胸元に抱き寄せてしまうと思う。

頭と背中を優しく撫でて、首元をこしょこしょしてしまうだろう。

耳を噛んで苛めるかもしれない。強く噛んだら泣くだろうか。

でも泣いたって逃げられはしない。

彼女は非力な子犬なのだから。

怯えて暴れたところで強く抱き込めばいいだけだ。抵抗は許さない。


逃げようとするなら小さな檻に入れてもいい。

全てを諦めてセオドアを受け入れるまで優しく優しく躾けて…………


「どわあっっ!」

自分の暗い思考にびっくりしてセオドアは再び飛び上がってメレルから距離を取った。


「いかん、落ち着け。偏屈で執着の強い魔法使いの特性が漏れ出ている。変なことを考えるな。メレル嬢の信頼と尊敬を失ってもいいのか?」

セオドアは浴室に駆け込むと洗面台で冷たい水を頭に浴びた。


「よし!」

ぽたぽたとうねうねの黒髪から雫をしたたらせながらセオドアは気合を入れる。

浴室のタオルを入れている籠を手に取ると、底に数枚のタオルを残し、それを持ってメレルの元へと戻った。


セオドアは彼女に直接触れないように抱きかかえると、籠の中にメレルを移した。

その籠を自分のベッドの枕元へと置く。

これなら大丈夫だろう。この状態で自分はソファで寝るつもりである。

万全の態勢だ。


セオドアは満足して風呂に入り、ソファで横になった。



翌朝、ソファで寝ている自分の腕の中に潜り込んでいたメレルに悲鳴をあげて起きながらもセオドアは理性を保ち、朝食の後はメレルを籠に入れて第二王女リリベルを訪ねようと部屋を出た。



❋❋❋


「すみません。セオドア様のお仕事もあるのに」

城の奥へと向かう道すがら、籠の中でメレルがぺしょりと耳を下げる。

「本日は非番なので気にしないでください」

「えっ、そうなんですか。そんな……せっかくのお休みなのにますますすみません」

「あなたが子犬になってしまった原因は気になりますからね。それに俺は休みの日にメレル嬢とご一緒できるのは、望外の喜びです」

実は昨晩は同じ部屋にメレルがいるのでなかなか寝付けず、寝不足気味なセオドアは普段なら口にしないメレルへの気持ちが溢れてしまった。一気に赤面する魔法使い。


「望外の喜び……?」

「いやっ、ちが、今のは」

慌てて言い訳をしようとするセオドアだが、メレルはセオドアの想いに気づくことはなく、勝手に納得してくれた。


「あ、そっか、私今、犬ですもんね。セオドア様は使い魔がシライヌ様ですもの、犬好きなんですよね!」

納得したメレルは「もうっ、勘違いするな私、喜ぶな私」と小さく付け加えるがこれはセオドアには聞こえていない。


「そうなんです! 犬は好きですね!」

「ですよね!」

「はい!」

傍目から見るときゃんきゃん騒ぐ子犬に大の男が真剣に詰め寄っているようにしか見えない。

城の勤め人達が胡散臭い目をセオドアに向け、女性達はひそひそと囁き合う。


だがこれは今日に限ったことではない。セオドアにとってはいつもの光景だ。

魔法は誰にでも使えるものではなく、希少な才能であると共に得体の知れないものでもある。

なので尊敬もされるが敬遠もされるのだ。また魔法使いは偏屈で変わった者が多く、薄気味悪さを抱かれることも多い。


セオドアも例に漏れず、根暗で人付き合いが悪いので遠巻きにされていた。

宮廷魔法使いともなると他者との関わりが得意な者もいて、同僚は上手くやっていたりもするのだがセオドアは苦手だ。


加えてセオドアは外観もあまりよくなかった。

伸びっぱなしの黒髪はごわついていて、肌は青白い。鼻筋はすっと通っているのだが、目は三白眼で口は変に大きく、角度によっては暗く微笑んでいるように見えてしまう。

さらに身長は無駄に高く、それが深緑色のローブを目深に被りゆらゆらと猫背で歩いているので、確かにけっこう不気味だ。


因みに髪を伸ばしているのは、髪に魔力が宿るとされる迷信のせいである。髪に魔力云々は現在は否定されている事柄なのだが、染み付いた習慣は大きく、ほとんどの魔法使いは髪を伸ばしている。


セオドアの革新的な上司ともなると短く切って揃えており、彼からは何度も「お前の髪はうねるし広がるから伸ばすのに不向きだろう、切った方がいいぞ」と言われている。

何度も言われる度に、どんどん意固地になっているセオドアである。魔法使いは天の邪鬼も多いのだ。


そんなセオドアは人見知りもするので自分から爽やかに挨拶をすることはない。しかし勤めている以上礼儀正しくありたいと思っていて、挨拶されたり話しかけられたらきちんと返すようにしている。


なので暗いセオドアにも話しかけてくれるような一部の奇特な人(ここにはメレルも含まれる)からは「話してみると意外に良い人」との評判を得ているが、この広い城の中でそういう人はごくごく一部だった。


というわけで、本日も何となく避けられながらセオドアは城内を歩く。

と、ここで。


「しろちゃん、お手」

「かしこ〜い」

「カッコいいのに可愛いのよねえ」

きゃあきゃあと女性の黄色い声がしてそちらに目向けると、侍女達に囲まれたシライヌがいた。

侍女が屈んで差し出した手に得意気に前足を乗せ、もっと撫でろとばかりに侍女を見上げている。


「…………」

げんなりするセオドア。

しかしこれも今日に限ったことではない。シライヌはああ見えてけっこうサービス精神があるのだ。そして本人は認めないが、撫でられるのは好きらしい。

今も、へっ、へっ、と嬉しそうに舌を見せている。


セオドアとしては自分の使い魔が撫で回されているのは面白くない。威厳だって減る気がする。


「シライヌ」

セオドアが小さく呼びかけると、シライヌはぴたりと口を閉じてこちらを向き、するりと侍女達から身を離した。


「あっ、しろちゃん」

「やだ、行っちゃうの? あら」

名残惜しそうな侍女達がセオドアに気づいてびくりと固まる。


「あまりシライヌに構わないでください。おやつなどは絶対に与えないでくださいね」

セオドアは自分でも冷え冷えと感じる声色で注意した。

後できっと悪く言われるのだろうな、と思うがこういう時に穏便に対応できないのだ。おやつについても余計な一言だったと言ってから思う。

侍女達は「すみません」と小さく謝ってきた。


「いえ、それでは。来い、シライヌ」

すたすたと歩き出すとシライヌもセオドアに続く。シライヌは嬉しそうだ。


『主、どうした? やきもちか?』

「煩い、違う!」

大きな声で返してしまい、背中から侍女達の非難がましい視線を感じた。

おそらくセオドアが一方的にシライヌを怒っているように取られたのだ。


『狭量な男は嫌われるぞ。主も撫でるか?』

「ぐうっ」

シライヌがすりすりと身を寄せてきたので、セオドアは仕方なく背中を優しく撫でてやった。シライヌがぱたぱたと尻尾を振り、後ろからは「可愛い〜」「あんなご主人様でも好きなのねえ、健気」と声があがる。


(聞こえてるぞ!)

イライラから早足になってしまい、メレルの入っている籠を揺らしてしまっただろうかと見下ろすと、メレルはぺしょりと耳を下げていた。


「メレル嬢? すみません、早く歩き過ぎました。気分が悪いですか?」

「私も散々シライヌ様を触っていたので……ご不快だったのですね、すみません」

どうやらメレルは侍女とのやり取りを聞いて落ち込んでしまったらしい。


「いやっ、別にそんなことは」

「考えてみれば、使い魔の皆様はいつでもお仕事中ですもんね。可愛いなんて失礼でしたよね。シライヌ様もだし、団長さんのクロミミ様も、いつも呆れながら触られてたのでしょうね」

団長さんとはセオドアの上司で、クロミミは団長の使い魔の黒猫のことだ。クロミミもシライヌと同じく愛想がよく、城で働く人々に人気である。


「…………」

『主よ、ここは素直に嫉妬と認めよう』

低いイケメンボイスでシライヌが言う。

そのイケメンボイス、無駄じゃないか?

またイラつきそうになるのをセオドアは押さえて、小さく息を吸うと穏やかににメレルに説明した。


「メレル嬢、シライヌもクロミミも触られるのが嫌なら逃げますよ。どちらも人に構われるのが好きなんです。今のは俺のエゴというか、独占欲みたいなものです。魔法使いにとっての使い魔は特別な存在なので。でもこちらが主である以上、無闇に縛り付けるのも違うとも思っています。なのでこれからもシライヌに構ってやってください」


「なるほど、尊い……ではほどほどに撫でるようにしますね!」

メレルが明るく返してくれて、シライヌも満足そうに鼻を鳴らす。

セオドアは、やれやれと思いながら第二王女リリベルの宮へと向かった。





❋❋❋


メレルが侍女として城で働きだしたのは十六歳の時。

第二王女リリベル付きだった従姉妹が結婚を機に辞めることになり、その際にメレルを紹介してくれたのだ。


メレルは軽い気持ちで面接を受けた。

おっちょこちょいで要領も悪い自分は面接で落とされるだろうと思ったのだ。

だが、思い出作りのつもりで受けた面接は、意外にもリリベルに気に入られて通った。


まあそれでも試用期間中に愛想を尽かされるだろう、だがしかし精一杯働こう、と全力で働いたメレルはティーカップを二つも割ったのになんと本採用も勝ち取った。


「続けてもらうわ」

当時十歳のリリベルにあっさりと本採用を告げられた時は思わず「どうしてですか!?」と聞いてしまったものである。

リリベルの答えは「完璧な人ばかりだと面白くないもの、疲れちゃうし」とのことだった。


「でもティーカップを二つも割りましたよ!?」

まさか忘れているんだろうかと念を押すメレル。


「あれは、仕方のない部分もあったでしょ。私、あなたのそういう真っすぐなところは好きよ」

十歳の王女は苦笑しながら言い、その様子は十歳とは思えないほどに大人っぽくてメレルはびっくりして感動した。

これ以来、王女殿下に誠心誠意お仕えしている。


そんなメレルが恋に落ちたのはリリベルに仕えるようになって間もない頃、相手は宮廷魔法使い随一の不気味な男、セオドアだった。


風に飛ばされた王女殿下のリボンが木に引っかかり困っていると、魔法使いのローブを着た背の高い男が取ってくれたのだ。

「ありがとうございます!」

全力でお礼を言うと「いえ、俺は無駄に背が高いのでね」と返された。

ローブの影から覗く鋭い目とニヤリと上がった口角。


「カッ!」

メレルは目を見開いた。


(カッコいい!)

そしてひと目で恋に落ちた。


メレルはちょっと酷薄な感じの顔が好きだったのだ。子供の頃は児童書の挿絵にあった魔王軍の冷酷な参謀に惹かれていたメレルである。


「あのっ、私は第二王女殿下の元で働いているメレルといいます」

咄嗟に名乗ると男は「セオドアです。宮廷魔法使いをしています」ときちんと返してくれた。


(やだ、悪そうなのに優しい! ギャップがすごいんですけど!)

ギャップ萌えである。たぶん。


「セオドア様ですね! 今度お礼をさせてください」

そう申し出るとセオドアはぎょっとした。


「えっ、いや、それは大袈裟ですよ。お礼はいいです」

「でも……」

「本当にいいですから」

セオドアは慌ててそう言うと、さっさと行ってしまった。それは挙動不審とも取れる動きだったがメレルはそうは感じなかった。


(やだ、奥ゆかしい! 紳士!)

もうセオドアのことなら何でもよく見えてしまうメレル。

一般的な女性ならちょっと気後れしてしまう魔法使いというところも、メレルの中では好印象だった。魔王軍の参謀は魔法使いだったのだ。


(どうしよう。カッコよすぎる。カッコよすぎてしんどい)

メレルは痛む胸を押さえてリリベルの元へ戻り、先輩侍女のツイステやマリーナにセオドアについて聞いてみた。

仕入れた情報は以下の通りだ。


セオドア・ランケ

地方の男爵家出身

二十三歳、独身

恋人はいない模様

使い魔はシライヌと呼ばれる白い大きな犬

無愛想で根暗


「無愛想で根暗? ああ、アンニュイな感じですもんね! 前髪が長めで陰もあって大人の色気もありますよね」

首を傾げた後に納得するメレル。恋とは盲目なのだ。


「え? アン……ニュイ?」

「大人の……色気?」

戸惑う先輩達。

やり取りを聞いていた王女リリベルがはっとして聞いてくる。


「メレル、あなたまさか、セオドアのことを?」

「はい。お恥ずかしながら初恋です」

照れながらもメレルは言い切った。そんなメレルから恋に落ちた少女特有の輝きが放たれる。


「うっ」

「ま、眩しい」

無垢で純粋な輝きに当てられたツイステとマリーナは目を覆い、少々の後ろめたさも感じた。


「……私、セオドア様とは直接関わったことはないのよね。それなのに何となく避けてたわ」

ツイステが呟き、マリーナが頷く。


「私も、とっつきにくそうだから悪いイメージだけ持ってた……」

二人は他部署の侍女達と共に「セオドア様って暗いわよねー」「ちょっとキモい」「あれはないわー」なんて盛り上がったこともある。

ツイステとマリーナは顔を見合わせて、それをひどく反省もした。


「でも、アンニュイかしら?」

「大人の色気はないと思う」

囁きあってから輝くメレルを見る先輩達。


「あっ、もちろん。見るだけの恋にするつもりですよ! セオドア様は宮廷魔法使い様ですもの、ただの侍女の私がどうこうなれるなんて考えはありません」

メレルは慌ててそう付け加えた。

魔法使いはただでさえ、希少で優遇される人達なのに宮廷魔法使いともなるとエリートだ。そんなエリートなセオドアが元気だけが取り柄の小娘に興味を持つとは思えない。


「……確かに魔法使い達は生涯独身を貫く人も多いわね。宮廷魔法使いの団長カーライルも、女性に人気はあるのに未だに独身だし」

王女リリベルが十歳とは思えない落ち着きでそう返す。


宮廷魔法使い団長のカーライルは短い金髪に輝くエメラルドの瞳を持つ色男だ。

輝くエメラルドは右目だけで、左目は黒い眼帯で覆われている。


正真正銘の大人の色気があり、魔法使いには珍しく優しく穏やかなので女性のファンが多い。

彼女達によると甘いマスクの左目部分が眼帯で隠れているのが逆にいいらしい。


通常は一体である使い魔は二体もいて、黒猫のクロミミと雀のスズ。スズは片足しかない雀でカーライルの左の視界を補うべく、ほとんどの時間をカーライルの左肩で過ごす。

もちろんこの左肩の雀も萌えるポイントとなっている。

好きな人にはぶっ刺さるカーライルは、高位貴族からの縁談も多いらしいが全て断っていた。


「あー……カーライル様は、素敵だけど、どちらかというと観賞用よね」

「ねー、休憩中にスズちゃんに餌あげてるとろとろの顔見ちゃうとね……所詮私達人間は無理かなーと思うわよね。本気で縁談申し込んでる人の中に、城で働いてる子はいないもの」

ツイステとマリーナが遠い目になる。


「そうですね。魔法使いは使い魔との絆が深いので、伴侶を必要としにくいという説もあります」

きちんとまとめてくれるリリベル。

メレルは大きく頷く。


「セオドア様もきっと使い魔様を一番にされてますもんね。私はそんなセオドア様を見るだけにするつもりです!」

拳を握りしめて決意表明もする。


「そう?」

「セオドア様ならワンチャンいけそうだけどなあ……」

先輩達はそんなことを言ってくれるが、メレルはセオドアを煩わせたくはない。メレルの初恋はいつかひっそりと終わるだろう。

でも、恋している間はしっかり恋をしようとメレルは思った。


そうして、片想いのまま二年経った。

この二年の間、メレルはセオドアを見かける度に声をかけ、他愛もない短い会話をした。

最初は戸惑いまくっていたセオドアだがしばらくすると笑顔も向けてくれるようになり、メレルは幸せだった。

笑顔を向けてくれるようになってからは、もっと近づきたいという願望が出てきてしまい、切なくなったりもしたが、何とか弁えることはできている。


実はメレルが片想い半年の時点で、いつも明るいメレルにセオドアも恋に落ちていたのだが、セオドアはセオドアで暗い自分はメレルに相応しくないと気持ちをひた隠しにしたので、メレルはそれを知らない。


そんな中、メレルは子犬になってしまったのである。弱りきったメレルはセオドアを頼った。

セオドアに言葉が通じた時はとても嬉しかったし、これでもう大丈夫だと安心もした。


そしてセオドアへの想いはますます募った。

ローブ越しにに抱き上げられた時は気絶するかと思うくらいの幸せだった。


彼の部屋に入れて有頂天になり、喜び過ぎて疲れたからか、夕食の後はすぐに寝てしまった。

明け方に目を覚ました時は、寝惚けていたのもあってふらふらとセオドアの腕の中に潜り込んだ。


(今思えば、すごく大胆なことをしてしまったわ。セオドア様もびっくりしてたし申し訳なかったな。それにしても寝起きのセオドア様、セクシーだった…………はっ、何を考えているのメレル。きゃあー、馬鹿馬鹿)

籠の中で、リリベルの元へ運ばれながらメレルは反省して興奮していた。





❋❋❋


たどり着いた第二王女の宮は少しバタバタしていた。


「宮廷魔法使い様とはいえ、約束なしの訪問は控えていただきたい。それでなくても今朝は王女殿下は王妃殿下のところよりお戻りになったばかりで、慌ただしくしているので面会は無理です」

セオドアが訪問を告げ、第二王女への面会を求めると侍従が出てきてすげなく断られる。


「そこを何とか。メレル嬢のことで急ぎなのです」

セオドアがそう言って粘ると侍従は少し顔色を変えて引っ込み、やがてしばらく待つことになるが面会は可能だと応接室に案内してくれた。


ソファに腰掛けて、傍らに籠を置く。すぐに紅茶も運ばれてきたがそこからは侍従の言葉通りしばらく放って置かれた。廊下をせわしなく歩く音が聞こえてくる。


「慌ただしいのは、メレル嬢がいなくなっているからでしょうね」

セオドアが言うと、メレルはきょとんと首を傾げた。


「私のせい? ただの侍女ですよ」

「今日は殿下をお迎えする予定だったのではないですか? それが姿を見せず、部屋にもいないとなれば心配しますよ」

「……ほんとだ、そうですよね。なんてこと、無断欠勤ですね」

愕然としてしょんぼりする子犬。耳も尻尾もぺしょぺしょである。


(可愛い)

セオドアは優しく撫でてやりたい衝動を何とか押さえた。


「せめて置き手紙をすればよかった、ああ、私の馬鹿」

後悔する子犬。

犬なので置き手紙は無理である。でもそんな抜けているところもいい。


(可愛い)

もういっそのこと、何も告げずにこのままメレルを連れ帰ってはダメだろうか。


第二王女の専属侍女が失踪したとなればちょっとした騒ぎにはなるだろうが、セオドアの部屋に閉じ込めておけばバレることはない。


ほとぼりが覚めたら宮廷魔法使いを辞して、王都から離れた深い森の中に家を買い、そこで子犬のメレルと暮らすのだ。

そうすれば、メレルはセオドア以外の誰の目にもふれない。彼女の世界もセオドアだけになる。

もし寂しがるようなら、シライヌとだけ時々遊ばせてやってもいい。


『主』

セオドアから漂う仄暗い雰囲気に、シライヌが呆れた声で呼んでくるがセオドアには聞こえていない。


(できれば鎖はつけたくないけど、逃げるのを諦めるまではそれも必要だろうな。森は危ないし、メレル嬢の安全のためでもある。あ、家族への手紙くらいは許してあげるべきだよな。跡を追えないようにして、聞き取って書いてあげても……)


『主、やめろ』

シライヌが少し大きな声を出して鳴いた。


「シライヌ様、どうされましたか?」

メレルがのんびりと応じる。彼女にはワンとしか聞こえないのだ。


「はっ」

セオドアは暗い妄想から呼び戻されて、ぶんぶんと首を横に振った。


「信頼と尊敬、信頼と尊敬だぞ、それを失うんだぞ」

ぶつぶつと己に言い聞かせる。

こんなに暗い自分をメレルは頼ってくれたのだ。絶対に裏切るわけにはいかない。


「メレル嬢、安心してくださいね」

「えっ、あ、はい」

力強く言うと、メレルは何となく頷いてくれた。その時、廊下から複数の足音が聞こえてくる。

かちゃりと扉が開き、リリベルとお付きの侍女が現れる。侍女は二人、ツイステとマリーナだ。

セオドアは立ち上がってそれを迎えた。


「セオドア、お待たせしましたね」

凛とした声でリリベルが告げた。


十二歳のリリベルには既にしっかりと王女としての貫禄と落ち着きがあった。大したものだと思いながらセオドアは臣下の礼をとった。


「突然押しかけたのはこちらです。お時間をとっていただきありがとうございます」

「お座りなさい」

リリベルに言われて再び腰掛ける。


「私の侍女のメレルについてと伺いましたが」

向かいに座ったリリベルは単刀直入にそう聞いてきたので、セオドアも簡潔に返した。


「メレル嬢はいなくなったのではありまんか?」

「っ……」

リリベルの顔は僅かに強張り、後ろの侍女達が目配せし合う。

その様子からメレルがいなくなったことは、まだ公にはしていないのだとセオドアは察した。騒いでただの欠勤であったりすれば、後からメレルの立場がないからだろう。

でも無断でいなくなるなんてメレルがするはずもなく、きっとリリベルはかなり心配しているのだ。そこはまだ十二歳、強張った顔に出てしまっている。


「どうしてそのようなことを?」

「隠し立てしなくて大丈夫です。メレル嬢が私を頼ってやって来ました」

「メレルがあなたを頼って? メレルに何かあったのですか? あの子は無事ですか? 今どこに?」

一旦はとぼけることにしたリリベルがセオドアの言葉に矢継ぎ早に質問してくる。

リリベルは、はっとなって口をつぐんだ。

ツイステがリリベルを庇うように前に出てくる。


「メレルがセオドア様を頼ったというのは、どういうことですか?」

ツイステは油断ならないという顔で聞いてきた。

セオドアは籠からそっとメレルを抱き上げた。もちろん、ローブの袖口を手で掴み直接触れないようにしている。


ツイステもリリベルも後ろのマリーナも怪訝な顔で子犬を見た。メレルが「メレルです」とくぅんと鳴く。


「こちらの子犬が、メレル嬢なんです」

くぅんを代弁するようにセオドアは言った。


「え?」

リリベルが声をあげその眉が寄る。ツイステとマリーナも同様だ。


「セオドア、メレルは魔法の使えない子ですよ」

「存じています。おそらく呪いか何かをかけられたのだと思われます」

「呪い? そんな……それにしても、どうしてセオドアはその子犬がメレルだと分かるのですか? 雰囲気は似ていますが、それだけでは」

「俺には彼女が何を言っているかが分かるんです」

ここで、メレルも「そうなんです! セオドア様には言葉が通じるんですっ」と援護してくれるがリリベル達にはきゃんきゃんとしか聞こえていない。


「何を言ってるかが分かる? 子犬が喋っているのですか?」

「はい」

セオドアの返事にリリベルはますます眉を寄せた。


「その、あなたは宮廷魔法使いですし、使い魔はシライヌですからあり得ないことではないようにも思えますが……」

いきなりそんなことを言われても信じきれない、というのが本音なのだろう。

いかにも雰囲気のある使い魔達とは違い、メレルの子犬はどこからどう見ても普通の子犬だ。


「シライヌもこの子犬がメレル嬢だと認めています。シライヌ」

セオドアがシライヌを呼ぶと、近寄ってきたシライヌはふんふんとメレルの匂いを嗅ぎ、きりりとお座りをしてリリベルに向き直ると『主の想い人に違いない』と言った。


もちろん、リリベルにはワンとしか聞こえていないのだが品のある佇まいのシライヌのワンは何やら特別っぽく聞こえたらしい。


「まあ、シライヌまで……じゃあ、本当にメレルなの?」

あっという間に納得してくれるリリベル。


「…………」

セオドアは自分よりもシライヌが信頼されているのはちょっと腑に落ちなかった。だがここは飲み込むことにして、できるだけ愛想よく微笑むとメレルを膝の上に置いてやった。


「そうです! メレルです! 王女殿下、ご心配をおかけしてすみません!」

メレルはとても嬉しそうだ。ぱたぱたと尻尾を振り必死にきゃんきゃんと鳴いている。そんなメレルにリリベルは目を潤ませた。


「メレル、可哀想に。不安だったでしょう、おいで」

「王女殿下!」

腕を広げるリリベルに子犬が飛び出す。勢いよくテーブルに乗ったメレルはがっしゃんと紅茶のカップを蹴った。

カップはひっくり返ってテーブルから落ち、ぱりんと割れる。


「ああっ、ごめんなさいっ」

真っ青になる子犬。

先輩侍女達が「メレルだわ」「確かにメレルね」と呟いてからさっさと割れたカップを片付けだした。


「お前は手を出してはダメよ。今の姿では足を切りますからね」

リリベルはあわあわするメレルを捕まえると、その胸に抱いた。



「さてセオドア、メレルはなぜこんな姿になっているのですか?」

割れたカップの片付けが終わると、リリベルはふわふわの子犬の背を撫でながら聞いてきた。

子犬は気持ちよさそうに目を閉じていて、セオドアは少々暗い気持ちになる。


(お前は俺の子犬だろ? たとえ王女殿下といえども他の奴に目を向けるなら……)

『主!』

シライヌが吠え、セオドアは咳払いをしてから頭を切り替えてリリベルに向き直った。


「メレル嬢によると、殿下の誕生日プレゼントを整理している最中に子犬になったらしいのです」

「プレゼント……」

リリベルの表情が硬くなる。ツイステとマリーナも眉を寄せた。


「この宮まで運び込んでいる品は、贈り主が確かな身分の方の分だけです」

ツイステが言い、マリーナが頷く。


確かな身分の方、とはおそらく王族やそれに準じるような身分の者達を指すのだろう。いずれにしろ、かなりの高位の者達だ。

もしプレゼントが原因であれば、ややこしいことになる。


「セオドア、このことを誰かに伝えていますか?」

「いいえ、最初に王女殿下にお伝えすべきだろうと思い、誰にも」

「心遣い感謝します。ツイステ、マリーナ、信頼できる騎士を二名選んできて。今からプレゼントを保管している部屋に向かいます」

リリベルが立ち上がり、ツイステとマリーナは早足で部屋を出ていく。


「セオドア、あなたも一緒にいいですか?」

「もちろんです。魔法の品なら俺が確認します」

「よろしくお願いします。メレル、申し訳ないけれどあなたの証言もいるだろうからこのまま行くわよ」

セオドアはリリベルと共に部屋を出た。リリベルはメレルを抱きかかえたままで、セオドアの傍らにはシライヌが付く。


目的の部屋の前にはツイステとマリーナ、それに騎士二人が既に待っていた。

皆で頷き合うとリリベルを護るような陣形でそっとプレゼントを保管している部屋へと入る。


広くて明るい部屋だ。

部屋には様々な箱が積まれていて、その一部は箱から出されて机の上に並べられていた。

机の側の床にはひらりと侍女服が広がっている。


「あっ、あれは私の服です。あそこで並べた品を確認してたんです」

「服の横に手鏡が落ちてますね。あれはメレル嬢のものですか?」

セオドアが侍女服の横にある大きめの黒い手鏡に気づいて聞くと、メレルは首を振った。


「いいえ。そういえば、あの鏡を見てからめまいがしたようにも思います」

メレルが言い、セオドアが通訳すると一同に緊張が走る。


「俺が鏡を確認します。皆さんは下がっててください」

セオドアは一人で手鏡へと近づいた。手をかざして探ると確かに魔法の品ではあるようだ。

シライヌもその匂いを嗅ぐ。


「ふむ……」

しばらくそうしてからセオドアは肩の力を抜いた。鏡から嫌な感じはしなかったのだ。


「禍々しい様子はありませんね。悪意のあるものではないようです。誤作動か何かなのかな。贈り主を確認して、穏便に事情を聞いてみるのがよいかもしれません」

セオドアの言葉に皆の緊張が解ける。


セオドアは念の為に鏡面部分を覗かないようにして鏡を手に取ってみたが、何も起こらなかった。

鏡を伏せて机の上に置き、それが入っていたと思われる空箱を見る。その中には二つ折りのメッセージカードがあった。


「こちらが贈り主でしょうか?」

カードを持ってリリベル達の元へと戻ると、それをリリベルに渡す。

リリベルはカードを裏返すと、はあぁと大きく息を吐いた。


「叔父様からだわ」

王女が言った贈り主の正体に、その場にいた全員の力が抜けた。


「あー……王弟殿下からの品でしたか、なるほど」

「王弟殿下からだったのね」

「そっかあ、それならまあ」

そうか、そうか、と納得し合う一同。


この国の王の弟は魔法使いである。そして王弟はかなり自由で気ままな人であり全国を放浪中だ。

魅力的な人なのだが、少々滅茶苦茶な部分もあり、悪戯好きでもある。


メレルを子犬に変えた鏡が王弟からのものならば、そこにはややこしい事情や陰謀はないだろう。おそらくこれはただの面倒くさい悪戯だ。室内の空気は一気に緩んだ。


「も〜〜、叔父様の馬鹿」

リリベルが年相応にぷりぷりしながら二つ折りのメッセージカードを広げた。


「あ、中に説明が書いてあるわ」

そう声が上がり、皆でカードを覗き込む。そこにはこうあった。



ーーーーーーーーーーーー


可愛いリリベル、十二歳おめでとう!

そろそろ恋する年頃な君にこれを贈ろう。題して〈意中の彼の気持ちが分かる魔法の鏡〉だよ。


使い方

①鏡を見ながら好きな人を思い浮かべよう。そうするとあら不思議、君は小さな可愛いものになるよ。

注意:小さなものには危険がいっぱいだよ、言葉も通じなくなるから必ず大人の人と一緒にやろうね。


②小さく可愛くなれたかな? それならすぐに好きな人の元に行こう。そうするとあら不思議、もし君とその人が両想いなら、君の言葉はその人にだけ通じるよ!


③両想いならキスしてもらおう! 元の姿に戻れるよ。とっても残念ながら両想いじゃなかったとしても、三日後には自然に戻るから安心してね!

注意:戻った時は裸だから気をつけようね。


ハッピーバースデー!

愛を込めて、君の最愛の叔父より


ーーーーーーーーーーーーー


「「「…………」」」

無言になる一同。


「…………あらまあ」

「…………両想い」

やがてツイステとマリーナが控えめに呟き、皆でそろりとセオドアを見た。


セオドアは真っ赤な顔で目を見開いていた。皆の視線に気づくと飛び上がって後ずさる。その顔からは大量の汗が噴き出した。


「あああああっ、えっ? ええっ、は、裸!?」

真っ赤なセオドアはリリベルの抱えるメレルを凝視した。


「「「…………」」」

犬だし確かに裸だが。

注目すべきはそこじゃなくないか? とリリベルもツイステもマリーナも騎士二人も思った。


メレルはというと、こちらはこちらで真っ赤になって前足で顔を覆い、ぷるぷると震えている。


「うううぅ、その……鏡の黒を綺麗な黒だなと思って、セオドア様の髪の毛を思い出したんですぅ」

自分がなぜ鏡を見てセオドアを思い出したのかを説明するメレルだが、セオドア以外にはきゃんきゃんとしか聞こえていない。


「はっ、はだかっ」

セオドアの方はかなりのパニックである。注意書きの裸の刺激が強すぎたのだ。


「…………えーーっと、メレル、どうしますか? 使い方通りにセオドアにキスしてもらいますか?」

リリベルが戸惑いながらメレルに尋ねると、これにはセオドアが返事をした。


「殿下っ! 何を言ってるんですか!? 無理ですよ! メレル嬢は裸なんですよ? は、は、裸のメレル嬢とキス!? そんな、だってそんなのもう! っ……破廉恥じゃないか!!」

もはや赤黒い顔色のセオドアはそう叫ぶと、器用に後ろ向きのまま部屋の出口へと向かった。


「あー、逃げちゃうんだ」

「免疫ないのねえ」

「裸っていうか犬なんだけどね」

「裸に過敏になっちゃってるのね」

「まあでも、メレルも無理そうよね」

「そうねえ」

残念なものを見る目で、真っ赤なセオドアと震えるメレルを見るツイステとマリーナ。


「とにかく、無理ですから!」

最後にそう言い捨てるとセオドアは走り去っていってしまった。

シライヌが一同にペコリと頭を下げそれを追う。


「キスなんて……キスするなんて……無理ですぅ」

くぅんくぅんとメレルは鳴いた。


ーーーー。




そうして子犬になってから三日後、メレルは自然に元の姿へと戻った。


ヤンデレ気味な魔法使いセオドアと恋する子犬だったメレルが付き合うのは、もうしばらく後のことである。




Fin




お読みいただきありがとうございました。

GWだし軽くて楽しい話を書くぞ!と書きました。楽しんでいただけたかな。


作者としては、カーライルとスズが気になる。

登場人物の中で一番、恋愛ごとにポンコツなのはおそらくリリベルです。

シライヌはシベリアンハスキーのホワイトを思い浮かべてもらえると嬉しいな。

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― 新着の感想 ―
面白かったです! ヤンデレがいるのに、笑えて可愛い話なのは、どういうことでしょうか(褒めてます)。 個人的に主のセオドアよりも、人間達からの信頼が高いシライヌがツボです! あと、誰も悪い人がいなかった…
メリル(子犬)かわいい。 メリル(子犬じゃない)もかわいい。 ヘタレ魔法使いは…………ギャップ萌え狙ってる?(そんなあざとさはないか)
あんなに監禁と束縛を夢想してたのに!笑 可愛すぎる2人に進展はあるのでしょうか?
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