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暁の獣恋譚  作者: 白川桜蓮


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エピローグ 北空の白

 会議が終わると、城はひと息ついた。

 重ねられていた言葉と視線が解け、回廊には足音だけが残る。燭台の火は数を減らされ、壁に映る影も短くなっていた。戦後の緊張が完全に消えたわけではない。ただ、今は誰もが自分の呼吸を取り戻そうとしている時間だった。

 紗世はレオンの少し後ろを歩き、高台へ向かう階段を上った。石段は昼の熱を失い、踏みしめるごとに冷えが足裏へ返ってくる。王宮の高所は、常に風の通り道だ。外へ出る前から、その気配が肌にまとわりついていた。

 高台へ出ると、風が頬を撫でた。

 夕暮れの空は朱を薄めながら、深い藍へ渡っていく。雲は低く、静かに流れ、遠くの屋根の影が長く伸びていた。獅子の都は、ようやく夜の形を受け入れはじめている。

 レオンは欄に手を置き、北を見ていた。

 王としての背は大きい。その背中を、紗世は何度も見てきた。戦場で、玉座の間で、円卓の前で。けれど今は、同じ背でありながら、どこか距離を感じる。背負っているものの重さが、昼よりもはっきり見えるからだ。

 紗世は隣に立ち、同じ方角を見る。言葉は要らなかった。ここへ来るまでの出来事が、二人の間に厚い沈黙を育てている。

 和平の確認、第三の歪み、北で起き始めた異変。ひとつひとつは言葉にできても、まとめて口にすれば安易になる。だから、今は黙っている方がいい。

 北の空に、淡い白が立った。

 一瞬、雲かと思った。だが形が違う。線のように細く、けれど確かに、夜へ向かって伸びている。

 煙だ、と気づくまでに一拍かかった。

 雪の国の息のように白く、冷たい。誰かが焚いた狼煙――災厄の知らせであり、同時に呼び声でもある。

 レオンの肩がわずかに動いた。

 振り返りはしない。王として、見るべき方向を見ている。逃げ場のない北を、正面から受け止める姿勢だった。その横顔に、昼の会議で晒した弱さと、揺るがない芯が同時に宿っているのが分かる。

 紗世は、その横顔から目を離さずにいた。

 紗世は一歩だけ近づいた。

 背に寄りかかるほどではなく、離れるほどでもない距離。彼の影に隠れる位置ではない。並び立つための場所だ。

 北の白は、まだ消えない。風に削られながら、夜の空へ線を引き続けている。

 レオンは口を開かない。言葉にすれば、決意になる。決意は強いが、それだけでは足りないと、彼は知っている。北で待つのは戦だけではない。選択の連続だ。誰を守り、どこまで踏み込むか。王の判断は、国の未来を形づくる。

 その重さを、今、彼は一人で抱え込もうとしていない。

 レオンの手が動いた。

 欄から離れ、紗世の指を探す。迷いを挟まず、掬い上げるように。

 触れた瞬間、準契りの紋が皮膚の下で脈を打った。熱ではない。高ぶりでもない。互いの存在が、互いの内側に通っているという、静かな合図だった。

 紗世は握り返す。強くも弱くもなく、ただ確かに。

 北の白が、風にほどけながら夜へ溶けていく。その消え際は、終わりではないと告げていた。知らせは届いた。次は、応える番だ。

「行くことになる」

 レオンが低く言った。確認ではない。宣言でもない。事実として、淡々と置かれた言葉だった。

「ええ」

 紗世は即座に答える。迷いはない。影として、彼の背後に留まるためではなく、共に進むための答えだった。

 北で待つのは雪と牙。狼たちの国と、その霊脈。第三の歪みは、ここで立ち止まることを許さない。

 都の灯がひとつ、またひとつと増えていく。人々は今日も眠りにつき、明日を迎える。知らぬところで世界が動いていることを、誰もが意識するわけではない。

 だからこそ、見ている者が進まなければならない。

 光と影の物語は、次の章へ入る。

 北空の白が消えても、道は残る。細く、冷たいが、確かに渡れる道だ。

 二人は手を離さず、夜の北を見上げていた。

 それが、これから始まる戦いの、静かな始まりだった。



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