第一章・理が裂ける音
紗世の部屋で頁が崩れ落ちるように反転した、その同じ瞬間。
そのころ、紗世の知らぬ世界――遥かな大陸の獅子国では、大地の奥を走る霊脈が低い悲鳴を上げていた。
王城の地下深く、誰も足を踏み入れぬはずの封印殿。
黒曜石の柱が円を描く中央には、龍と朱雀を刻んだ大きな石盤が据えられている。
王家の加護を象徴するその紋は、代々の王が血で契約を更新してきた場でもあった。
本来ならば、龍の青と朱雀の紅は穏やかに混ざり合い、国全土の霊脈を均等に巡っていく。王妹の死によって乱れた加護は、それでもまだ形だけの均衡を保っていた。
だが、この夜だけは違った。
石盤の上に刻まれた線が、かすかな震えを見せる。青と紅の境目がにじみ、互いを侵食し合う。
地上では、王都の空を守る結界が薄く軋んでいた。
獅子国の民にはただの風向きの変化にしか感じられなくとも、霊を扱う者には、世界の奥でなにかが歪んでいると分かる。
封印殿の壁に埋め込まれた古文書の板が、ぱきりと音を立てた。
長い年月、誰にも読まれることのなかった預言の刻印が、淡い光を帯びる。
そこに刻まれているのは、王家の血筋でも限られた者しか知らない言葉だ。
『人間の血を持つ番を召喚せよ』
それは、龍と朱雀の力が均衡を失い、獅子国が内側から崩れかけたときにのみ発動すると伝えられている最終手段。
番――命を半分ずつ分け合う伴侶を、獣人界の外に求めるという、古い古い契約の条文。
預言が目覚めた瞬間、霊脈に走るひびが音を変えた。
軋みは後退せず、むしろ明確な裂け目へと姿を変える。
龍と朱雀の力が、互いを押さえ込むことをやめたのだ。
人間界と獣人界を隔てている理の膜に、細い切れ目が走る。
誰の目にも見えないはずの境界線が、大地の深層で波打った。
乾いた音が響き、その波は地上へ、空へ、そして別の世界へと伝わっていく。
獅子国の王城では、夜番を務める霊術師たちが一斉に顔を上げた。
杯の水面が勝手にざわつき、祭具として捧げられていた羽根や牙が震える。
なにかが近づいているのではない。なにかが開かれようとしているのだ。
封印殿の上、王の私室では王子・レオンが机に突いた手を強く握りしめた。
王妹を喪ったあの日から、彼は加護の乱れを肌で感じていた。
それが今、はっきりとした音を伴って、限界を告げている。
胸の奥に息苦しい圧が広がり、窓を通さず、夜空の向こう側からなにかに呼ばれている感覚が押し寄せた。
(……理の層がずれている)
直感で理解したときには、すでに遅かった。
裂け目は、ひとつの世界だけで完結しない。
獣人界の理が軋むなら、その反対側にある人間界の理もまた、応じるように揺らぐ。
それはすなわち、運命は動き出したということ。この流れを止めることはできない。
徐々に、だけど確実にその瞬間は訪れようとしていた。




