第二十章 弱さの花
中庭の中央に、月光が落ちていた。
朱雀の文様は白く浮かび、昼とは別の顔で息をしている。
鐘の余韻がまだ空気の底に残り、石畳の冷えが足裏から身体へ伝わってくる。
レオンは紗世の正面に立っていた。王代理としての鎧を脱いだわけではないのに、立ち方が違う。
命令を飛ばすときの硬さが、今はどこにも向かないまま留まっている。
言葉を探している横顔が、夜の青さに溶けかけていた。
彼の掌には、先ほどの花飾りがある。
乾いた花弁は小さく、欠けたところが目立つ。
それでも芯は折れていない。
手の中で守られてきた時間が、そのまま形になっている。
「……これを、お前に」
差し出されても、紗世はすぐに手を伸ばさなかった。受け取るという行為が、弔いを別のものへ変えるようで怖かった。
だから、確かめる。彼が逃げ道として差し出しているのか、それとも痛みごと置いていく覚悟なのか。
レオンは答えを急がない。夜気に触れた喉が一度動いた。次の瞬間、彼は一歩だけ距離を詰める。踏み込みすぎない。それでも、迷いを切り落とすための一歩だった。
花飾りの欠けた一部を選び、紗世の髪へと挿す。
指先が触れ、髪がわずかに押される。
触れた温度は熱くも冷たくもなく、ただ震えだけが隠しきれない。
紗世は身じろぎしない。動けば、その震えを拒むことになる気がして。
「これは……強さの証じゃない」
レオンは短く息を吐き、言葉を継いだ。
「俺が守れなかった弱さの象徴だ。あいつの笑い方も、泣き方もよく知っているのに、俺は――間に合わなかった」
口にした瞬間、夜が一段濃くなる。鐘の余韻が胸の内側へ降り、紗世の喉がきゅっと締まった。慰めの文句で包める話ではない。彼自身がそれを許していない。
紗世の内側で、影の力が無意識に立ち上がる。拒むためではなく、崩れ落ちそうなものを支えるために。花に触れた指先の感覚が少し変わり、受け取ったものが居場所を得た合図のように思えた。
「……ありがとう」
声は小さいが、曖昧にはしない。紗世は花飾りを守るように髪へ触れ、顔を伏せずに言葉を選ぶ。
「怖れることと、憎むことは違います。あなたが抱いているのは、捨てるための痛みじゃない。抱えたまま歩くための、重さです」
言い切る前に、レオンの喉が再び動いた。役目のための宣言ではない。紗世へ差し出すための、個の告白を選び取ろうとしている。
彼は月明かりの下で深く息を吸い、ようやく言う。
「これまで俺はあまりにも多くのものを失ってきた。……それでも、お前を選びたい」
その言葉は救いではなく、誓いだった。失ったものを消す誓いではない。失ったものを置いたまま、次の一歩を選ぶ誓い。
紗世は花飾りを指先で押さえ、頷く。返事はまだ形にならない。けれど、離れないという答えだけが、足元に確かに残った。




