第十九章 逃げる影
地下の拘束通路には、昼の気配が入り込む余地がなかった。
天井は低く、石壁は水気を含んだ冷えを抱え込んでいる。
壁に埋め込まれた灯火が、一定の間隔で道を区切り、足音がその間を跳ね返っていった。
金属が擦れる音が重なり、空間は張り詰めた呼吸を共有しているかのようだった。
オルディスは歩かされていた。両手は背で縛られ、さらに腰へ回された鎖が動きを制限している。
護送の兵は左右と背後に付き、前方にも二人。
王宮の外縁へ運び出すだけにしては、過剰とも言える布陣だった。
それは命令以上に、恐れが形を取った結果でもある。
当の本人は沈黙を守っている。挑発も嘲笑もない。先ほどまで燃えていた激情を、どこかへ仕舞い込んだかのように、口を閉ざして足を運ぶだけだ。その無音が、かえって兵たちの神経を逆撫でした。
護送の列の中で、ひとりの兵が眉を寄せる。違和感は音でも匂いでもない。
通路の端、足元に落ちる輪郭が、理屈に合わない変化を見せた気がした。
オルディスの影だけが、不自然な長さを取り、石床を這う。
灯火の動きとも、壁の凹凸とも一致しない。影が、影自身の判断で形を変えているように思えた。
「止まれ」
短い号令が通路に走る。兵たちは一斉に歩みを止め、剣の柄へ手を伸ばした。
鎖が張り、オルディスの肩が引かれる。それでも彼は振り返らない。首の角度すら変えず、前を向いたままだ。
次の瞬間、足元の空気が変わった。
床の目地から、冷たい霧が立ち上る。
白く薄い靄はすぐに色を失い、重さを帯びて広がっていく。灯火は明度を奪われ、通路の奥行きが曖昧になった。
兵のひとりが咳き込み、喉を押さえる。
焼けつくような痛みが走るのに、肌に触れる空気は冷えたままだ。
「なんだ、これは……」
剣が抜かれる音が続いた。
刃は霧を断てない。避けられることもなく、黒を帯びた靄は絡みつくように昇り、足取りを鈍らせた。深く吸い込むほどに胸の内が沈み、身体の重心が下へ引かれていく。
オルディスの影が、その霧と繋がった。輪郭は曖昧になり、黒が黒へ溶け込む。人の形を保っていた境目が崩れ、存在の境界だけが薄れていった。
叫びは上がらない。抵抗もない。闇が彼の身体を包み込み、布を引き抜くように姿を奪っていく。
「……っ!」
兵のひとりが反射的に鎖を掴んだ。指先に伝わったのは、確かな重みではなかった。次の瞬間、鎖だけが床へ落ちる。
金属が石に当たり、乾いた音が通路を満たす。霧は急速に引き、残されたのは冷え切った空気と、埋めようのない空白だった。
護送の隊列は崩れ、兵たちは互いの顔を見交わす。
誰も状況を言葉にできない。理解が追いつかないというより、口にすれば現実として定着してしまうことを恐れているようだった。
「逃げたのか? ……それとも、連れ去られたのか?」
低い呟きが落ちるが、応じる声はない。
確かなのはひとつだけだ。王座の間で終わったはずの反逆は、形を変えてなお続いている。拘束を解かれた存在が、どこへ向かったのかは分からない。
だが、真の脅威がまだ闇の中に潜んでいるという事実だけが、この地下通路に重く残されていた。




