第十九章 殺さないという選択
浄化された炎の余熱が、王座の間に薄く残っていた。
黒の名残は消え、床は崩れたまま口を開けている。
裂けた石の縁に乾きかけた血が滲み、倒れ伏す兵たちの鎧が、光を返していた。
その中心で、オルディスは膝をついていた。
息は荒いが、顔は上げている。敗北の姿勢でありながら、目の奥に怯えはない。
己の末路を悟った者に特有の諦念ではなく、積み上げてきた信念だけが残っている顔だった。
レオンは剣を向けたまま、距離を保っていた。
刃先は確かにオルディスを捉えている。足は動かない。腕に走る重みは疲労ではなく、選び取る責任そのものだった。
「殺せ」
オルディスが笑う。不敵に唇の端を歪める。
「強さを証明してみせろ。次期王。――いや、王代理殿だったか」
嘲りは、この国で長く信じられてきた正しさをなぞっていた。
不敵に反逆者は斬られ、血で終わりを示す。それが秩序であり、王権の証だった。
レオンの剣が、わずかに下がる。それは躊躇ではない。積み重ねてきた答えが、形を取ろうとする兆しだった。
「すべてを終わらせることはできる」
低い声が、崩れた石の間に落ちる。
「だが、それでは今までと同じだ。――俺は、向き合う道を選ぶ」
剣を振るわない理由は、慈悲ではない。力で押さえつける統治が、さらなる歪みを生むことを、彼自身が知ってしまったからだ。
オルディスの笑みが、一瞬だけ鳴りを潜めた。苛立ちが走り、目が細くなる。
「甘い。弱さを抱く統治者など、国を滅ぼすだけだ」
その言葉は脅しではなく、彼なりの忠告だった。
レオンはそれを受け止め、深く息を吐く。胸に残っていた熱を外へ逃がすために。
「お前の罪は、俺が弱さから目を背け続けたことで生まれた傷でもある」
それは自己弁護ではなかった。王代理として、過去の選択を引き受ける宣言だった。
紗世はレオンの半歩後ろに立っていた。剣ではなく、その背を見つめる。
怖くないわけがない。それでも、この場を離れなかった。逃げなかったという事実が、彼女をそこに縫い留めていた。
「私は怖くないわけじゃない。でも、逃げなかったあなたを……私は、信じたい」
震えを押し込めた小さな声が、確かにレオンへと届く。誰かに委ねる言葉ではなく、選び取った意志として。
レオンは一度だけ頷き、剣先を床へ向けた。刃が石に触れた音は、終わりではなく区切りを告げていた。
鎖の音が響く。ラガンとバルガスが前に出て、オルディスの腕を押さえ、鉄を掛ける。
抵抗は遅れてやってきたが、兵たちの手は揺れなかった。
これは新しい命令であり、新しい秩序だと理解している。
拘束されながらも、オルディスはレオンを睨み据える。そこにあるのは屈服ではない。
理解できない選択への苛立ちだった。
ジルベルトが一歩進み、確かめるように問う。
「……それが、王になる者としての答えなのですね」
「そうだ」
短い返答に、迷いは含まれていない。
レオンは玉座を見据えた。そこに座る資格は、まだ手にしていない。血で奪うことを拒んだ以上、別の方法で示し続けなければならない。
だが、殺さなかったという選択だけは、確かにこの場に残っている。
殺さない王代理という判断が、この国になにをもたらすのか。答えは、まだ見えない。
終わらせなかったことで始まる責任だけが、重みを伴って立ち上がっていた。




