第十八章 強さを名乗る者
王座の間は、異様なほど整っていた。
割れた扉の向こうで戦いの気配が渦巻いていたとは思えない。
磨かれた床は足音を乾かし、柱の陰は形を変えず、獅子の紋章を刻んだ玉座だけが沈黙の中心として鎮座している。
血の匂いも、焦げの気配も、ここでは薄い。いや、薄いのではなく、最初から入ることを許されていないようだった。
その前に、オルディスが立っていた。剣を抜くでもなく、退路を測るでもない。背を玉座へ預けるわけでもなく、ただそこが自分の位置だと決めている立ち方。
すでに勝者の顔だった。勝った者の余裕というより、勝敗が最初から決まっていたと告げる確信。
レオンは一歩を踏み込んだ。破られた扉の木屑が靴底で鳴る。隊列の後ろで誰かが息を整える気配がしたが、言葉にはならない。ここで声を出せば、場の秩序が崩れる。崩れるのを待っている者がいる。
「よく来たな、王太子」
オルディスの声に嘲りはない。温度のない肯定だけがある。王太子という肩書を口にしながら、すでに過去形として扱っている響き。
「弱い王は、この国に不要だ」
腕を広げ、玉座を背に言い切る。その所作は演説のようだった。
ここが広間であること。広間は見られる場であることをよく知っている動きだ。
涙を見せた王太子。民の声に耳を傾ける王。迷いを抱えたまま立つ者。そうした姿を、彼はひとつ残らず切り捨てる。
「王とは、強さで立つものだ。迷いを見せ、情に流されるなど――堕落にすぎん」
その言葉は、かつて多くの獅子が信じてきた価値観だった。強くあれ。疑うな。立ち止まるな。王家を支える老獅子たちが誇りとして抱えてきた合言葉でもある。だからこそ、場にいる者の胸へ刺さる。刺さるからこそ、刃になる。
バルガスの背がわずかに張る。ラガンの指が柄にかかる。ゼクスの肩が僅かに沈み、いつでも踏み込める形へ変わる。
それでもレオンは前に出ない。剣は構えたまま、斬りかからない。
目だけが、オルディスを捉えている。怒りに燃えるのではない。相手の言葉を受け止め、崩すべき箇所を探る眼だ。王太子としての判断が、その眼の奥で整っていく。
「その強さで、お前はなにを守ったのだ」
問いは低く、鋭かった。責める調子ではない。確かめるための言葉。
守った、と言い切れるものがあるのか。守ったと言うなら、なにを代償にしたのか。
問いの刃は、相手の胸だけを狙わず、この国の価値観そのものを切り分けようとする。
オルディスは答えを急がない。彼は沈黙さえも、玉座の前では武器になることを知っている。
レオンは沈黙に飲まれない。自分の痛みを思い出す。炎の夜、己の弱さを突きつけられた瞬間、守ると言いながら傷つけた事実。それでも立つと決めた朝。
「俺は――弱さを抱いたままでも立つ」
言葉は簡素で、逃げ場がない。格好よく飾らない分、折れない骨のような芯が見える。
一瞬、空気が軋んだ。
オルディスの口元が歪む。ほんの刹那、勝者の仮面にひびが走る。
「戯言だ。弱さを抱く王など、国を滅ぼすだけだ」
吐き捨てるような声。その奥に、押し殺された苛立ちが混じる。苛立ちは、理屈が揺らいだときにだけ現れる。
レオンは剣を構えない。ここで刃を交えれば、論は血で塗り潰される。塗り潰されれば、相手の望む強さの証明になる。
バルガスが一歩進み出た。足音が石床を打ち、広間の中心へ重さを落とす。
「ならば、この国は今日、生まれ変わる」
重い言葉が床に落ちた。
オルディスは答えない。ただ、レオンを見返したまま沈黙を選ぶ。沈黙が、なにかを抱えている。それは守りたい秘密なのか、隠しきれない企みなのか。
レオンは一歩も引かず、刃の角度を保った。守るとは、斬ることだけではない。斬らずに折ることも、王の仕事になる。
広間の均衡は、まだ崩れない。崩れないからこそ不気味だ。次に暴かれる真実の気配が、玉座の前に満ちていった。




