表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
暁の獣恋譚  作者: 白川桜蓮


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

63/87

第十五章 炎の中心

 前線は、もう戦場の形を成してはいなかった。

 霧の上で黒い火が渦を巻き、大地に刻まれた裂け目から熱が噴き上がる。

 朱雀の炎が張っていたはずの境界は大きく歪み、理で引いた線は焦げて崩れかけていた。

 ユラの案内で、紗世はその場に姿を現した。

 兵たちの目が一斉に動く。

 このような場所に人間がいるはずがないという困惑と、そこに立ってはならないという恐れが混ざったような顔だった。

「待て! 近づくな!」

「戻れ! 王太子殿下の前だぞ!」

 制止の声が飛び、誰かが腕を掴もうとする。ユラが短く言った。

「触るな」

 それだけで兵の動きが止まる。

 森の民の導き手としての圧が、ここでは異質な重みを持っていた。

 紗世は息を吸う。

 熱で肺の内側が乾き、喉が焼ける。

 足元の影が黒い渦と呼応し、濃さを変えた。

 怖さで膝が言うことを聞かず、指先が冷える。

 それでも紗夜は立ち止まらない。

 一歩。火の粉が頬に触れ、小さな痛みが走る。

 二歩。靴底が焦げた土に沈み、粘る感触が足を重くする。

 三歩。身体のどこかが叫ぶ。『ここに来るな、触れたら終わる』と。

 それでも足は前に出た。

 霧の切れ目に、背中が見える。

 炎に飲まれかけているレオンの背中。

 獅子のたてがみの影が熱に押され、肩の輪郭が削られて見える。

 剣を握る腕は強張り、周囲の空気を押し潰すような圧が立ち上っていた。

 紗世は口を開く。声が出るか分からない。出した瞬間、熱に千切られてしまいそうな気がする。

「……レオン様」

 名を呼んだ途端、炎の荒れ方が一拍だけ変わった。

 渦が止まったわけではない。

 だが暴走の向きが、ほんのわずか逸れる。

 耳を塞ぎたくなる轟きが、薄皮一枚ぶん静まった。

 レオンの肩が小さく跳ねる。次の瞬間、彼は振り返った。

 金の瞳が霧と火を貫き、紗世を捉える。

 怒りと恐怖、言葉にできない痛みが複雑に絡み合い、どれが本音なのか自分でも判別できなくなっている。

「ここに来るな!」

 咆哮が空気を裂く。

 熱風が髪を煽り、影が足元から広がった。

「俺は、もうなにもかも焼き尽くす」

 それは脅しではなかった。

 この黒い炎を止める術が残っていないと認める声だった。

 守護の炎が黒に巻かれ、彼の内側の暴走がそれを押し広げている。

 その事実が、言葉の端々に重く沈んでいる。

 兵たちの間にざわめきが走った。

「……王太子殿下! 今は近づくべきでは――」

 別の誰かが、震える声で呟く。

「……あの方は、もう止まらない」

 それでも紗世は止まらなかった。

 恐怖を感じているのに足が勝手に前へと進む。

 逃げたくてたまらないのに背を向けることができない。

 影は膨らみ、黒い炎と同じ気配を帯びながら、性質の違う冷えで周囲を覆う。

 炎と影が押し合い、軋み合う。

 熱と冷えがぶつかり、空気が悲鳴を上げた。

 紗夜は胸の奥で鳴る音がやけに近いことを感じていた。

 黒い火が牙の形を作り、次に飲み込むものを探している。

 それでも紗世は前へ出た。

 昨夜、森で決めた。弱さを盾にして選ばないのは終わりにすると。

 自分の影が災厄と繋がるなら、見ないふりはできない。

 ここで引けば、彼が壊れるのを眺めるだけになってしまう。

 レオンの目が、ほんの一瞬だけ揺らいだ。

 怒りの底に、助けを求めるなにかが覗く。

 紗世はその中心へと向かう。

 次の瞬間に訪れる衝突を、身体の奥で確かに感じながら。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ