第十四章 沈黙の列
戦の音が途切れたあとの前線は、異様なほど静かだった。
霧は薄れ、代わりに冷たい風が抜けていく。血と土の匂いが混ざり、踏み固められた足跡は黒く濡れたまま乾かない。
さっきまで刃の音が鳴り響いていた場所。そこには今、布と包帯と水桶が置かれ、医療係の声だけが散発に響く。
負傷兵が列を成し、少し離れた場所に亡骸が並ぶ。
布で覆われたものもあれば、覆われるのを待つものもある。
呻きは堪えられ、歯の隙から漏れる息が短い。
痛みを誤魔化すための笑い声すら続かず、鎧の端を風が鳴らす音がやけに目立った。
レオンは、その列を歩いた。
護衛は距離を取り、道を空ける。
医療係は膝を折り、頭を下げる。
誰も王を責めない。恨み言も、叱責もない。
傷に歪む顔でさえ、レオンと目が合えば必死に表情を整えようとする。
『王がいてくださるから』
口にされない言葉が、沈黙の中には詰まっていた。
信頼の形をした刃が、レオンの胸に突き刺さる。
守ると誓った命が、目の前で失われていく。
采配が悪かったとは、誰も言わない。
異変が起きた。
黒い炎が戦場を呑んだ。
敵味方すら区別できなくなる災厄だった。
理屈はいくらでも積める。
だが積めば積むほど、倒れた数が減らない現実だけが残った。
布の端から覗く毛並み。
折れた角。
裂けた軍服。
名を呼ばれても返せない喉。
レオンの足が、そこで止まった。
膝をついた医療係の背を見つめる。
傷口を縫う手は血で滑り、針を通すたび肩が小さく震える。
助かる命と、助からない命。
その線を引くのは神ではなく、いまここにいる者たちだ。
王の代理である自分が、その線の外に立てるはずがなかった。
胸の内が重くなるたび、別の面影が差し込む。
紗世。
王宮で消えた人間の娘。
ついさっき、報せがレオンに届いていた。
受け入れなかった命。拒んだ存在。
倒れた兵の目が、あのときの彼女の目に重なる。
責めも怒りもなく、ただ終わらせると決めた者の顔だった。
守られる側の顔ではない。守られないと悟った者の、冷えた決別だ。
狼国への怒りは喉元までせり上がってきている。
挑発に乗せられたこと。
誤解を止め切れなかったこと。
それらは次の瞬間、自分へと向き直る。
敵への憎悪と、自分への嫌悪が同じ濁りとして混ざり、レオンの心を削っていく。
――俺がもっと早く過ちに気づいていれば。もっと早くに本心へ触れていれば。紗世の存在を受け入れていれば。
繰り返される自問自答に、呼吸が浅くなる。
責任を背負っているだけだと言い聞かせても、死者の列が否定する。
守れなかった命は、ただの数字ではない。
その者たち、一人ひとりに名があり、帰る場所があった。
レオンは拳を握り、掌に痛みを作った。痛みがなければ、崩れそうだった。
立場を守るため、自分の感情に蓋をする。
蓋をしても、行動の端から染み出してくる。
命令が短くなる。
判断がさらに早くなる。
剣の柄を必要以上に強く掴む。
歩き出そうとした、その足元で。
小さく、黒いものが脈を打った。
焚き火でも影でもない。
土の裂け目ほど大きくはないのに、確かに黒い炎だった。
風がないのに形を変え、こちらの呼吸に合わせるように伸び縮みする。
彼の胸の内の怒りと自責に触れ、それに応えるかのように。
レオンは目を落とし、喉を鳴らした。
偶然ではない、と本能が告げる。
黒い炎は消えない。
そしてこの戦は、まだ終わっていないのだと痛感した。




