第十四章 裂け目の黒炎
刃がぶつかり合う金属音の連なりを、地の底から押し返すような低音が断ち切った。
轟音ではない。
腹の奥へ直接触れてくる、重く湿った振動だった。
足裏から骨へと伝わり、思考が一拍遅れる。
獅子国兵も狼国兵も、同じ瞬間に動きを止めた。
霧の中で、誰かが息を呑んだ音だけが際立ち、続いて大地が呻いた。
裂け目が走る。
戦線の中央、踏み固められた土が裂け、底知れぬ黒が噴き上がった。
炎だった。ただし赤ではない。
朱雀の火にある清冽さも、狼国の霊術が帯びる冷光も持たない。
煤と影が燃えているかのような異様さが、目にしただけで喉が焼け付くように渇く。
「退け!」
誰かの叫びが飛ぶ。
だが、届く前に黒い炎は風を巻き込み、霧を引き裂き、兵の腕や鎧の縁を舐めた。
焼ける感覚と同時に、肌が凍るような違和が走る。
悲鳴が上がり、獅子も狼も関係なく倒れ込む影が増えた。
「これは……朱雀の炎じゃない!」
炎獅隊のひとりが声を震わせる。
狼兵の側では、霊術師が呪を結びかけて腕を止めた。術式が噛み合わないのだ。
力の位相が合わない。
根の部分から狂っている。
戦場は一気に混濁した。
敵味方という境が、黒い炎の前で薄れていく。
助けに伸ばした手を焼かれ、逃げようとして足を取られる。
霧と煙が絡まり、白と黒だけが視界を占めた。
その中で、バルガスが奥歯を噛み締め、裂け目を凝視する。
隣でユラが鼻を鳴らし、空気の異変を探る。
ゼクスは剣を構えたまま、炎ではなく地面へと意識を沈めていた。
「……違う」
バルガスの低い声が落ちる。
「どっちの国の力でもねえ。……龍脈だ。大地の流れが、無理に捻じ曲げられてやがる」
「捻じ曲げる? 誰がそんな――」
ユラは言葉を止めた。
黒い炎の奥から漂う気配が、答えを突きつけてきたからだ。
冷たく、底のない影。
玄冥に由来するものが、確かに混じっている。
ゼクスが短く息を吐き、目を細める。
「戦争の延長じゃない。……世界そのものが壊れかけてる」
その言葉を、レオンは聞き逃さなかった。
霧の向こうで倒れる兵たちを見ながら、命令はさらに削ぎ落とされていく。
「散れ。裂け目から距離を取れ。負傷者を運べ」
声は一定だ。一定でなければならない。王の声が揺らげば、兵の足も乱れる。
そう分かっているからこそ、感情を押し殺す。
黒い炎は衰えを見せず、裂け目は生き物のように脈打つ。
敵を斬るために振り上げた腕が、次の瞬間には味方を引き上げるために伸びる。
戦場は秩序を失い、ただ生き残ることだけが残酷に優先されていく。
レオンは異変の中心に視線を固定した。
誤解が血を呼ぶだけではない。
もっと深い層で、なにかが口を開けている。
獅子と狼の憎しみ、積み重なった噂と怒り、そのすべてが燃料にされているような感覚があった。
――この黒は、俺たちの争いを餌にしている。
そう悟った瞬間、胸の奥で硬い塊が軋む。
それは怒りと自責が、理を徐々に削っていく音だった。
守れなかった命が脳裏をよぎる。
その数が増えるたび、過去に拒んだ存在――紗世の姿が重なっていく。
守るべき国と、拒んでしまったひとり。
その選択が、今も正しかったと言い切れるのか。
裂け目から噴き上がる黒炎が、一段高く跳ねた。
地面が再び震え、悲鳴が重なる。
考える余地は一刻もない。迷えば、さらに命が落ちる。
レオンは剣に力を込め、叫びたい衝動を喉の奥へと押し込めた。
上に立つ者は問いを抱えたままでも、前に進まねばならない。
戦場は、もはや両国のものではなかった。
この地に開いた裂け目は、世界そのものへ伸びる傷。
そう確信した瞬間、胸の内に冷たい予感が広がる。
この戦いは、終わりではない。始まりなのだ。




