第十三章 消えた寝台
王宮の朝は、いつもよりひんやりとしていた。
窓辺に垂れた薄布が風を受けて動いているのに、寝台の周りだけが妙に軽い。
そこにあるはずの重みが、抜け落ちていた。
「紗世様?」
ミレイアはその名を呼んだ。
だが返事はない。
声が壁に触れて戻るまでの短い時間に、ミレイアの胸の内がどんどん冷えていく。
寝台へ近づき、手を伸ばす前に、喉が先に渇いた。
寝具はきちんと整っていた。
乱れも、争った跡も見当たらない。
枕も、毛布も、昨夜の形を保ったまま置かれている。
指先が触れた布には体温の名残がない。
消えたのは姿だけではなかった。
彼女がここにいたという証まで薄くなっているようで、ミレイアは嫌な胸の痛みを覚えた。
ミレイアが扉を開け廊下に出ると、ちょうど廊下を通りかかったカリナが足を止めた。
慌てた様子の彼女の顔を見た瞬間、カリアはなにかを察したらしい。
口元が固まり、なかなか言葉が出てこなかった。
「……いないの?」
「ええ、どこにも……」
短く答えたミレイアの声は震えていた。
震えが混じったのは、答えが明白だからだ。
希望を込めて探している段階ではない。すでに紗夜はいないのだから。
カリナは踵を返し、すぐに応援を呼ぶ。
呼び集められたマーリス、ルナ、リアンが合流するまでの間、ミレイアは紗夜の寝台の傍を離れることができなかった。
人間の彼女が、この王宮で消えるなど、想像すらしていなかった。
だからこそ、突き付けられる現実が刃物のようにミレイアの心に突き刺さった。
四人は歩き出す。
広間へ、回廊へ、庭へ続く扉の前へ。
足を運ぶほどに、紗世が王宮に存在しない事実だけが鮮明になっていく。
目立つはずの存在が消えた瞬間、「彼女の身の安全」という前提が音もなく崩れ去っていく。
絶望を覚えた瞬間、床の石が冷たく感じられた。
侍女たちに尋ねても、返ってくるのは首を横に振る仕草ばかりだった。
言葉より先に目が泳ぎ、互いの顔色を窺い合う。
なにかを知っているのか、それとも、知ってしまうのが怖いのか。
ミレイアは胸の内で問いを転がしながら、次の角を曲がる。
紗世の靴音は軽かった。
歩けば誰かの記憶に残るはずだ。
だが、気配も噂も、廊下のどこにも落ちていない。
王宮の秩序は、獣の階級で動く。
人間は本来、ここに収まる器ではない。
だからこそ、皆がどこかで無理をしていたのではないか――そんな疑いが、探す足を重くした。
「外へ出た可能性は?」
ルナが尋ねた、その背後から乾いた笑いが響く。
「あの人間は己の立場を知って逃げただけだ」
オルディスだった。
朝の明るさをまとっていても、瞳は冷えたまま、面白がるように口元を歪めている。
「ここは獣の城だ。よそ者が甘えられる場所ではない」
空気が張り詰めた。
ミレイアの指が、無意識に衣の端を握り込む。
握れば握るほど、怒りがこみあげてくるのに、反論の言葉が出てこない。
「……そんな言い方はやめてください」
マーリスが反論しようとして、途中で止めた。
言葉を放てば、同情や庇護の雰囲気が一気に裂け、今ここにある微かな均衡まで崩れる気がしたのだ。
マーリス自身、「紗世が守られる存在だと認識していたのか」と問われれば、即答できない顔をしていた。
カリナは唇を噛み、リアンは顔を伏せている。
ミレイアは拳を作ったまま、息を整えることさえ難しい。
皆が悔しさの矛先が定まらない様子だった。
オルディスの言葉が正しいとは思わない。
だが、王宮内に紗夜の居場所がなかった。その現実だけが行き場のない悔しさを増長させていた。
しかし探索は続く。
廊下の先。庭。門。
探しているのが「紗世」なのか、それとも「守れるはず」という形のない安心感なのか――誰も答えを持たないまま、足音だけが石床に響き続けていた。
王宮の朝は、いつもよりひんやりとしていた。
窓辺に垂れた薄布が風を受けて動いているのに、寝台の周りだけが妙に軽い。
そこにあるはずの重みが、抜け落ちていた。
「紗世様?」
ミレイアはその名を呼んだ。
だが返事はない。
声が壁に触れて戻るまでの短い時間に、ミレイアの胸の内がどんどん冷えていく。
寝台へ近づき、手を伸ばす前に、喉が先に渇いた。
寝具はきちんと整っていた。
乱れも、争った跡も見当たらない。
枕も、毛布も、昨夜の形を保ったまま置かれている。
指先が触れた布には体温の名残がない。
消えたのは姿だけではなかった。
彼女がここにいたという証まで薄くなっているようで、ミレイアは嫌な胸の痛みを覚えた。
ミレイアが扉を開け廊下に出ると、ちょうど廊下を通りかかったカリナが足を止めた。
慌てた様子の彼女の顔を見た瞬間、カリアはなにかを察したらしい。
口元が固まり、なかなか言葉が出てこなかった。
「……いないの?」
「ええ、どこにも……」
短く答えたミレイアの声は震えていた。
震えが混じったのは、答えが明白だからだ。
希望を込めて探している段階ではない。すでに紗夜はいないのだから。
カリナは踵を返し、すぐに応援を呼ぶ。
呼び集められたマーリス、ルナ、リアンが合流するまでの間、ミレイアは紗夜の寝台の傍を離れることができなかった。
人間の彼女が、この王宮で消えるなど、想像すらしていなかった。
だからこそ、突き付けられる現実が刃物のようにミレイアの心に突き刺さった。
四人は歩き出す。
広間へ、回廊へ、庭へ続く扉の前へ。
足を運ぶほどに、紗世が王宮に存在しない事実だけが鮮明になっていく。
目立つはずの存在が消えた瞬間、「彼女の身の安全」という前提が音もなく崩れ去っていく。
絶望を覚えた瞬間、床の石が冷たく感じられた。
侍女たちに尋ねても、返ってくるのは首を横に振る仕草ばかりだった。
言葉より先に目が泳ぎ、互いの顔色を窺い合う。
なにかを知っているのか、それとも、知ってしまうのが怖いのか。
ミレイアは胸の内で問いを転がしながら、次の角を曲がる。
紗世の靴音は軽かった。
歩けば誰かの記憶に残るはずだ。
だが、気配も噂も、廊下のどこにも落ちていない。
王宮の秩序は、獣の階級で動く。
人間は本来、ここに収まる器ではない。
だからこそ、皆がどこかで無理をしていたのではないか――そんな疑いが、探す足を重くした。
「外へ出た可能性は?」
ルナが尋ねた、その背後から乾いた笑いが響く。
「あの人間は己の立場を知って逃げただけだ」
オルディスだった。
朝の明るさをまとっていても、瞳は冷えたまま、面白がるように口元を歪めている。
「ここは獣の城だ。よそ者が甘えられる場所ではない」
空気が張り詰めた。
ミレイアの指が、無意識に衣の端を握り込む。
握れば握るほど、怒りがこみあげてくるのに、反論の言葉が出てこない。
「……そんな言い方はやめてください」
マーリスが反論しようとして、途中で止めた。
言葉を放てば、同情や庇護の雰囲気が一気に裂け、今ここにある微かな均衡まで崩れる気がしたのだ。
マーリス自身、「紗世が守られる存在だと認識していたのか」と問われれば、即答できない顔をしていた。
カリナは唇を噛み、リアンは顔を伏せている。
ミレイアは拳を作ったまま、息を整えることさえ難しい。
皆が悔しさの矛先が定まらない様子だった。
オルディスの言葉が正しいとは思わない。
だが、王宮内に紗夜の居場所がなかった。その現実だけが行き場のない悔しさを増長させていた。
しかし探索は続く。
廊下の先。庭。門。
探しているのが「紗世」なのか、それとも「守れるはず」という形のない安心感なのか――誰も答えを持たないまま、足音だけが石床に響き続けていた。




