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暁の獣恋譚  作者: 白川桜蓮


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第十三章 炎影の誓い

 獅子国の前線は、夜であっても眠りに落ちない。

 焼けた草の匂いが喉に貼りつき、鉄は熱を抱いたまま冷め切らずない。

 地面には踏み荒らされた土と灰が混ざっていた。

 火皿に移した炎が列をつくり、獅子族の兵たちは合図を待っている。

 甲冑の継ぎ目が擦れる微かな音、馬の鼻息、負傷者の呻きが断片となって流れ、戦場の時間を刻んでいる。

 レオンは馬上から地形を測る。

 谷筋は敵が身を寄せやすい。

 岩場は退き路としては脆い。

 草地の起伏は、夜襲の足音を吸う。

 剣先を指揮棒の代わりにして進路を切り取り、必要な箇所だけを選んで命令を下す。

「右翼を押さえろ。深追いはするな。負傷兵を先に下げる」

 声は乾いており、戦の熱に飲まれない。

 王の判断に曇りがないと兵たちは知っている。

 隊長たちはすぐに旗を回し、伝令が駆け、隊列は形を変えた。

 獅子国の軍は階級が明確で、命のやり取りの場ほど規律が必要となる。

 だがその統率体制のおかげで命令が一本通れば、千の動きが揃う。

 それでも、怒号がふと途切れた瞬間、胸の奥に別の沈黙が差し込んだ。

 戦術の図面にはない沈黙。

 紗世に投げつけた言葉がレオン自身に戻ってくる。

 こちらを見上げた目。

 震えを堪える唇。

 返すべき言葉を失ったまま、彼女はなにも言わなかった。

 恐怖に怯えていた女が、どうしても己の内側に居座って離れない。

 戦場で最も邪魔なのは、刃ではなく、心の隙だとレオンは知っている。

 それなのに思考が逸れかけ、レオンは奥歯を噛み締めた。

 勝利の象徴として語られるべき名は、今夜も前へと押し出される。

 時期王の立場である以上、そこに私情を挟む余地はない。

 これまでずっとそう考えて生きてきた。

 その時だった。

 副官ラガンが馬を寄せてきた。

 前線の状況を目で追いながら、低い声を発する。

「王、勝利の先に守るべきものを置き去りにしてはなりません」

 戦の最中に不用意な言葉を吐かない男だ。だからこそ、その一言が刺さる。

 レオンの指が剣の柄を強く握りしめた。

 皮革が軋み、手の内が熱を持った。守るべきもの――国境、民、誇り。いくらでも並べられる。

 だが、ラガンの言い方は、それらと同列には置けないなにかを指しているように感じた。

 ラガンは一瞬だけ口元を緩める。それは嘲りではない。

 長年、レオンの背を見てきた者の、諫めに近い笑みだった。

「あなた方、お二人はよく似ておられる。特に、自分の気持ちに鈍く、不器用なところが」

 レオンは返す言葉が見つからなかった。例え見つかったとしても、それはおそらく軍を率いる者が吐くべき言葉ではないような気がしていた。

 レオンは唇を引き結び、声の調子を整える。

「前線を維持する。退却路を確保しておけ」

 命令は迷いなく放たれ、兵たちが一斉に動く。

 旗が回ると、みるみるうちに陣形が締まっていく。

 王の面は崩れない。崩してはならない。

 それでも、火の向こうに置き去りにしてきた言葉だけが、消えずに胸の内で燻っている。

 あの時の紗世の沈黙は、もしかしたら責めでも拒絶でもなく、差し出された細い糸だったのではないか――そう思い至った瞬間、胸の内に鋭い痛みが走った。

 己の刃が斬ったのは敵ではなく、その糸だったのか。

 レオンは戦場の匂いを吸い込み、吐き切る前に腹の底へとそれを押し込めた。

 王は迷いなど見せてはならない。迷いを見せれば兵が死ぬ。

 その理屈は揺るがない。

 ただ、理屈だけでは回収できない気持ちがあった。

「認めたくなかっただけだ。……俺は、あいつに惹かれている」

 誰にも届かない独白は、鉄と灰の夜へ落ち、踏み固められた土に吸われていく。

 誓いは二つある。

 獅子国の王として勝ち続ける誓い。

 もうひとつは、炎の影でようやく形になったばかりの、名を持たない誓いだった。


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